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042.人らしく



カズマの祖父は、とても不思議な人だった。随分と歳を召していた筈だったが、いつまで経っても若々しい外見でいた。近所でも素敵な老紳士として人気も高くて、老若男女様々な人から好かれるような人だった。

 子供のカズマから見ても、何処か影のある色気のある人で、時折遠くを眺めるその姿にはどきりとさせられる事があった。このまま空気に溶けて消えてしまうんではないか。そう思った事は一度や二度ではなかった。

 カズマが中学をもうじき卒業するという時分、実際にそれを祖父に言った事があった。その時の祖父は、一頻り驚いたように目を丸くしてから、穏やかな月の明かりを思い起こさせるような穏やかな笑みで優しく笑っていた。その後、カズマの頭をゆっくりと優しく撫でてくれたのを、彼は今でも覚えている。

 小さな頃のように撫でられたその時は、恥ずかしさの余りに素っ気なく頭を振り払ってしまった気がしたが、今思えばあれ程心地良い瞬間も無かったように思える。もっと撫でて貰えば良かったと後から後悔したのは、今でも苦い思いと共に心の中で燻っている。

 そんな心地良い時間も無限では無い事を、その時からきちんと理解していれば、カズマはそんな事はしなかったに違いないのだ。
 それから間も無く、祖父は実際に消える様に死んでしまったからーーーー




「カズマ、大丈夫か?」

 己の名前を呼ぶ声にハッとして、カズマは顔を上げた。目の前には、既に見慣れてしまった赤毛の剣士が心配そうに自分の顔を覗き込んでいるのが分かった。

「アンリ隊長……」

 随分と情け無い声が出たが、今のカズマにはそこまで気を回す事が出来ずにいた。本人が認識しているよりも、リュカに袖の下にされた事が随分と堪えているようだった。あれだけ信頼を寄せていたのに、数日ぶりに会った彼はチラリともこちらを見ようともしなかった。あの時言っていた、『人族も精霊族も嫌い』と言う言葉に、もしや自分もそれに含まれているのではないか。そう思うと、何も手につかなくなりそうだった。何故だかこの時、カズマの頭には祖父の顔がチラつく。

「もう、戻って来ないつもりなのかな……」

 ポツリと言ったその声に力は無い。
 カズマのここ数日の様子に気を遣って、様々な人が代わる代わる励ましの言葉を掛けたが、カズマの塞いだ気持ちを上向かせる事は出来なかった。誰一人として、本当の意味でリュカを理解している人は居なかったから。そう言う意味では、あの小憎たらしいノーマが、彼の一番の理解者なのだろう。あんな僅かな接触でも、カズマにはそれが解ってしまった。それを何故だかとても悔しく思うのだ。

 たった数ヶ月の付き合いだというのに、カズマにとって今や彼は欠かせない存在になってしまっていたのである。理由は解らない。だが、確かに彼との繋・が・り・を感じていた。

「カズマ、私達にはリュカの考えは解らない。彼はいつだって誰よりも先を見通していた。だから、我々には理解の及ばない事も多かった」
「…………」
「だがあの時、リュカは確かに我々を救ってくれた。それは事実だ。見捨てて寝返った訳では無いさ。ーー何か別の目的があるのかもしれない。それに、君にはリュカからのメッセージだってあるじゃないか」
「『かの洞窟へ向かいなさい』、て……?でも俺、解らない……何処に行けば良いかなんて」

 話しながら、カズマは手に件の首飾りを手に取った。ピッタリと合わさった石と、その周囲を囲む銀細工。元々は一つの首飾りだったとしか思えないそれは、焚火の灯りを反射して鈍く光っている。

「託されたのは他でも無い、君だ。君だからこそ託したんだろう。他ならぬリュカが君を選んだんだ。頼りにしている」
「……うん」
「だが、気負うな。自分の決定に自信を持て。我々も付いているんだからな、頼れ。我慢するな」
「……ッ、うん」

 アンリのそんな言葉に、カズマは何かが込み上げて来るのを感じていた。似たような言葉をかけてくる人は居たけれども、カズマの力を認めた上でのものはアンリが初めてだった。だからだろうか、カズマは少しだけ泣いた。嬉しかったのだ。ちゃんと自分の力を認めてくれて、リュカにだって頼りにされている事を気付かせてくれた。少しだけ救われた気がしたのだ。


「隊長、ありがとう。元気、ちょっと出た。色々と訳わかんなくて不安だったから」
「そうか、それなら良かった。ーーそう言えば、帝国の彼がひどく落ち込んでいた。少しだけ声を掛けてあげて欲しい」
「うん。ここ最近ほぼ無視してたからな……何て声かけよう」
「何、特別な事は不要だ。いつも通りで良い。それだけで皆、気が晴れるんだ。リュカの不在は思ったより堪えた」
「……うん」

 カズマは少しだけ気が晴れたようで、朗らかに笑みを浮かべて、手にしていた首飾りを手の中で握り締めた。
 それからしばらく。焚火を囲う一団から、久方ぶりの笑い声が響いた。以前のような活気さには欠けたが、ここ数日続いていた沈鬱な雰囲気はほとんど無くなっていた。そこでは何処か、以前とは違う本気の覚悟が決まったような真剣さが伝染していく。

「行きたい所があるんだ」

 静かにそう語ったカズマに、その場に居た全員が耳を傾けた。







 その日、カズマは夢を見た。眠る事のほとんど無くなったカズマが夢を見た。だからカズマは、これがヒントになる事を確信していた。ここではいつだってそうだったから。カズマがそれを望んだ時、欲しい知識は自然と手に入った。

『すぐに追手がかかる。逃れるにはこの地を急ぎ離れなければ』
「この地を離れる?一体、何処へ行こうというのです。北の最果ての地まで来て。森はベランジェがーー」
『この世界からという意味だ』
「この、世界……?」

 仄暗い洞窟の中だった。蝋燭の火による微かな光だけが頼りで、彼等の歩いている足元も数歩先は闇だった。そんな中、2人の男達はゆっくりと歩いていた。一体どうやったのか、2人からは不思議な程魔力が感じられなかった。どちらとも、常人が慄く程の魔力を持ち合わせているというのに。

『制約はあるが、一度きりならば問題ない。そのうち、異物として向こうから吐き出してくれる。何年先になるかは判らないが』
「ちょっとあの、待ってくださいヴィクトル。貴方はつまり、こことは異なる世界へ逃れると、そう仰っているのでーー?」

 信じられない、声音からもそう思っているのが窺えた。対して、ヴィクトルと呼ばれた男は、相変わらず感情の籠らない声でもって答えた。

『是非に及ばず。最初からその道のみだ』
「そのような事が出来るとーー?」
『無論。互いに、力は置いて行かねばならないが。……だが、お前の場合は』
「?」
『【血の契約】、故意でなかったにしろ結んでしまっているのだろう。魔力含めお前たちは結び付きが強過ぎる。予想以上だった』
「…………それでは、一体どのように」
『“呪”のようなものをお前にかけよう。精霊族には、本当の意味での“呪”は扱えない。人族とは根本が違う』
「違う……」
『故に“紛い物”。すぐに壊れる。“ 魔術を使ってはならない。思い出してはならない。この世界に戻ってきてはならない。決してあれらに見つかってはならない”、その時まで守れるか?』
「……それ以外の方法なぞ無いのでしょう」
『言うまでもなく。どうせ魔術すら使えなくなるのだ、下手に関わる事もあるまい。そう言う意味では好都合』
「そうですか」
『我も全部置いて行かねば』
「貴方も行かれるので?」
『これはお前への手助けでは無い。我自身の過ちの尻拭いだ』
「え」
『お前の気にする事ではない。お前に諦めて貰っては困るというだけの話』
「そう、ですか……いえ。それでも、助かります。ありがとう」

 ポツリ、少しだけ寂しそうに呟いたその声が洞窟には響く。この時実際には、精霊族の男は声を出しては居ない。だから元々、洞窟で聞こえる声は1人きり。

『人とは、何と理解し難きものか』

 その言葉はきっと、男の心の底から(人のような心があるかは知らないけれど)の言葉だったのだろうけれど。彼はただ、微かに口端を引き上げただけだった。

 カズマは夢心地に思った。きっと、彼が未だにリュカ=ベルジュでいられているから、あんなにも“人”らしくいられているのだろう。覚えていないから、思い出していないから、ああやって“人”でいられるのだろう。
 漠然と単純に、カズマは人のようにそう思ったのだったーー


「見つけた」

 起き抜けに声を上げて、カズマはその場でパチリと目を見開いた。目に映った景色は相変わらず真っ暗な森の中。寂しい暗闇が広がっている。
 いつだったか、同じように夢を見た時と同じ。それが当然であるかのように、カズマはその夢が真実である事を知っていた。だから後は、実行するだけだった。






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