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039.失せ物捜し(前)

件の討伐隊の出発まで数日を切った頃の事だった。

彼はその日、引き篭もっていた家の中で奇妙な事に気がついた。見慣れたダイニングのテーブルの上に、あの首飾りが置いてあったのだ。

あの日。失望し絶望し、取り繕う事すら辞めたその日、王城の暖炉へくべたはずの青瑪瑙。それが、自宅の小振りのテーブルに置いてあったのだ。この家には自分以外の人間を入れた覚えはないし、入れたとしても彼が自らで家の周囲に張った陣が侵入者を彼に伝える筈だった。

それすらも無かったという事は、自分の周りを飛び交う階位の高いらしい純精霊の悪戯か、或いは人ならざる高位の者の仕業か。彼の造ったこの陣は、人族だけに反応する。この世で最も信用出来ない連中にのみ。

そんな訳で、彼は知らぬ間に戻ってきた青瑪瑙に一瞬だけ警戒をするも、今更誰かに家に押し入られたとて自分には何も残ってはいない、とすぐに考えるのを辞めた。飾られていた記念品やら叙勲品やらは、とっくにただのお荷物として、部屋の隅に置かれた木箱の中に雑多に詰め込まれている。あんなもの、もう彼に何の価値もないし、何かをやってやろうという気すらもなかった。

そういう訳で、侵入者についての考察をさっさと切り上げた彼は、近寄って首飾りを手に取った。捨てたものが気付かぬ内に家の中に帰って来ている、というのは確かに不気味ではあったので。彼は、件の木箱の蓋を開けると、割れるのも傷付くのも気にせずにポイと放り投げた。他の記念品達と共に無用の長物として、きっとずっと、埃を山と被るほどに放置されるのだろう。彼は時期、直ぐに旅立つはずだったから。もしかしたら何年も、或いは永久に戻らないかもしれなかったから。

そのまま、彼は目的であった買い置きのパンを二切れ手に取り皿に乗せると、再び何事も無かったかのように自室へ足を向けた。途中、不品行にも歩きながらパンを口に咥えるなどしたりしたが、当然咎める者など居はしない。居たとして、それは侵入者であるからして、彼が咎めを負う筋合いなどなかった。そのまま、口をもぐもぐとさせながら、彼が部屋の戸口へ手を掛けた所で。

突然、腕を掴まれた。思わず心臓が止まりそうな程に驚いて、口と手、両方に手にしていたパンを悉く床に落としてしまった。魔術戦どころか、全ての戦闘に於いて百戦錬磨と名高いルーカス=ライツであっても、“人の気配”の無い所で、しかも一番安全な筈の自宅で突然腕を掴まれれば怯みもする。

皿の割れる音を耳にしてから、彼は恐る恐る顔を上げた。予想はしていた。しかし、実際こうやって強行突破されるとは、思ってもいなかった。目の前に、気配を殆ど感じられない銀色を纏った美しい男が、立っている。実際には人族では無いのだろうけれども、人族からすればそれはもう、今迄に見た事のない程に美しかった。そして、何もかもが銀色だった。

透き通るようなシルバーブロンドは腰程までに伸ばされており、どうやら後ろで緩く結えているようだった。切長に埋め込まれた宝石のような眼も、ダイヤモンドを思わせるような銀色で、鈍い輝きを放っている。肌は全体的に白く、白磁を思わせるようだ。整い過ぎた目鼻立ちが冷え冷えとした印象すら与える。事実、男の顔には表情など一切浮かんでいなかった。人間離れ、という言葉が似合う美しさだったが、事実、男は人間ーー人族ではない。その容姿に加え、顔の両脇から主張してくる長く先端の尖った耳だ。それが、男が人族でない事を示す証でもあった。

彼は、男が精霊族と呼ばれる者達である事に一目で気付いていた。それも、唯の精霊族の者ではない事に。男の額の中央に刻まれた印、それは、この世でたった1人にのみ許された王の証だった。【精霊王】、それは世界を視、正しい方へ導く存在だと言う。

彼はその瞬間、衝撃に目を見開いた。

だが、それは本当に、ほんの一瞬だった。何しろ驚いた次の瞬間に彼は、空腹に耐え切れずに落としてしまった2切れのパンへと意識を持って行かれてしまったのだから。

「最期のごはんが……」

最期の、というのはパンの最期の2切れ、という意味であった。ポツリと呟いた声は、囁く程の小さなものだったにも関わらず、静まり返った空間においては妙に響いて聞こえた。当然、目の前に居た【精霊王】の耳にも声は届く。その呟きの瞬間、【精霊王】の片の眉根が微かに釣り上げられたのだが、パンにばかり意識を持って行かれてしまった彼は、全く気付かなかった。

『それは……失礼した』

頭に直接語りかけてくる男の声に驚きすらもせず、彼は口を尖らせる。今、【精霊王】が接触してきただなんて絶対に面倒事に決まっている、と思考を放棄した彼の気分は急降下中。魔術書を片手にパンを食みながら新たな魔術でも造ろうとしていた矢先の事で。自堕落生活を謳歌しつつ魔術に没頭しようという彼の計画が、これで頓挫した。

そんなこんなで、彼等は感動も衝撃もない、清々しい程に互いに自分本位な出会いを果たしたのだった。





* * *






リュカはその時、塔の屋根の上で胡座をかきながら考え事をしていた。以前、塔に繋がれていた頃と比べれば、彼は随分としっかりとした装備を身に付けていた。

剣士としていつも身に付けていた皮鎧や軍服はそのままに、上から黒いケープを羽織っていた。魔術師も身に付けるような比較的軽装な装備だったが、彼の開発した術が付与されており、通常のものよりも物理的、魔術的防御効果が高かった。ある程度の攻撃にもーーノーマのような者からの急襲があったとしても、致命傷は防いでくれるだろう。そのような代物であった。

そのような姿で、彼は未だ腰に短剣を2本挿している。以前からすれば、魔術師としては未だ中途半端であるからして、何が起こっても良いように剣士としての姿も保っているのだった。

窮屈である反面、未だリュカ=ベルジュのままである事をほんの少しだけ嬉しく思う。以前の全てを取り戻してしまったら、それこそリュカで居られる自信がなかったから。少しだけ、名残惜しかった。


精霊王との出会いやら宰相にハメられた事だとか、その辺りの事は思い出して見たけれど、肝心な所はまだまだ抜けている。夢で思い出す度、その時使っていた魔術が入ってくるのはとてもありがたかったが、こんなに少しずつだと一体いつまでかかるのだろうかと少しだけ憂鬱な気分になった。討伐隊がここに辿り着いてしまったら一体如何してくれるんだ、と自分自身に苛つきながら、リュカはとうとう決心する。

彼等討伐隊の様子を見に行ってみようかと。リュカが今回此処へ来てから、少なくとも5日程は経過している。この数日で彼等が何をしてどこまで来ているのか、把握しておくのは大事だ。幸いにも、数日前に思い出した記憶で移動の出来る魔術を思い出した所だ。大変便利な反面、失敗の危険もある少々厄介なものだが、使わない手はない。ひとつ問題なのが、アレを使用するには移動先の地点を知っている必要がある。彼等討伐隊がどこまで来ているか分からない以上、行きには使えない。とすれば、彼等の行方を捜しに行くには、あの影を使う必要があるのだが。残念ながら、リュカはまだ一度も使用したことが無い。と、言う事はつまり、誰かに一度は習う必要がある。

と、ここまで考えた所でリュカはげんなりとした。真っ先に頭に思い浮かんだ男が最も頼み易いのだが。あの男の事、確実に面白がってちょっかいを出すに決まっている。無駄に鋭い男の事、いくらリュカが一人で抜け出そうとしても絶対に着いてくるに決まっている。もういっその事、討伐隊の様子見すらずっと先延ばしにしてしまおうか、とも思ったが。何が起こるかも分からないこの世、些細な事が致命的なミスに繋がる。あの時だって、些細な違和感を無視した結果、宰相に好き勝手やられた訳だから。同じ轍は踏めない。

そんなこんなで、リュカは腹に力を込めながら改めて決心する。勝手な事をやらかされる前に、自分が監視の目になるしかない。そんな事を思いつつ、彼は塔の屋根から飛び降りたのだった。



「んな……んなっ……!」

着地は、至極真っ当なものだった。風の魔術を使って落下の衝撃を殺し、吹き抜ける風を全身に受けながら、階段を一段降りるかのような僅かな衝撃でトンと、リュカは地面に降り立った。だが、どうやらその場所と、タイミングが悪かったらしい。

それを目撃した者が居た。言葉にならないようなそんな声を耳にして、初めてそこに人が居る事に気付いた。リュカはその人に、以前にも会った事がある。

「ア、アンタはーー!」

吹き付ける暴風で乱れる長いウェーブの黒髪に、女性の魅力を最大限に見せ付けるような黒いイブニングドレス。長めの黒い爪で、リュカを指差すその女性はーー

「おや失礼。貴女は確か……アマンダ、でしたっけ?」
「な、何でアンタこんな所に居るのよ!」

何時だったか、どこかで聞いたような彼女の絶叫が響く。乱れた髪を急いで撫でつけながら、腰に手をあててリュカを睨み付けてくる。以前のように不用意に近付いて来ないのは、リュカの魔力を感じ取っているからか。それに多少感心しながらリュカは手短に言った。

「何でと言われましても……まぁ、何というか、色々ありまして、見たままです。どうやら貴女の先輩にあたるようですので、どうぞお手柔らかに」

リュカは至極当然のように簡単な挨拶を伝えると、その返事も待たずに目的の人物を探そうと身体を反転した。だがその時、はたと気付き踏み出した足をそこで止めた。以前彼女の毒にやられた際、あの男が言っていた事を思い出したのだ。彼女と『毎日一緒に寝ている』という話を。リュカは再び彼女に向き直ると、話を切り出した。

「それはそうと、貴女、ノル……ノーマと毎日一緒に就寝されているのですよね?」
「っ、な、んでアンタがそんな事知ってるのよ」
「アレに聞きました。そのノーマの居場所、知りません?」
「っ私が知ってる訳無いじゃない、あの方、よく姿を隠すのよ。ーーってそうじゃなくて、私がアンタなんかに教えると思って!?」
「……そうですか。正直な話、別に貴女でも構わないのですけど。あの“影”で、森の中まで送っていただきたいのです」
「な、んで私が……」
「ノーマに頼もうかとも思いましたが……アレを見つけるのも一苦労かと思いまして」

アマンダの表情には、困惑が見て取れた。無理もない。以前は敵で、リュカなぞ本当に殺される寸前だったのに、今はこうやってリュカが彼女に助力を乞うている。それを少しだけ奇妙に思いながら、彼は取り繕う事もなく無表情に彼女の応えを待つのだった。





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