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037.昔々(後)


彼は、別段己の能力を過信したつもりも傲ったつもりもなかった。ただ人並みに認められる事を夢見、果ては一族の名を再び、取り戻したかっただけだった。
たかが属性の違いと容姿の違いだけで名を名乗る事をも許されなかったそれを、己が名を立てる事で許されたかった。それはただ、そんな些細な願いだったのだ。


「ーーーー今、何と、おっしゃいました?」

大魔術師のみに許された魔術師の白、そして神聖な金の糸により緻密な刺繍の施されたローブを纏い、そう言った男の声は震えていたのかもしれない。散々自我を隠す術を磨いてきた彼であっても、その衝撃だけは堪え切れなかった。耳に掛けた筈のゴールデンブロンドが数束はらりと肩に落ちる。

「大魔術師号を剥奪する、と言ったのだよ。サー=ルーカス=ライツ」

宰相から告げられた言葉を呑み込み、次の言葉を紡ぐのに、彼らしからぬ程の時間を要した。喉が酷く渇き、鼓動が煩いほど耳に良く響く。

「なぜ、その様な……出来るはずがーー」
「決定事項だ。君の研究は、王国に対する叛逆に値すると見做された」
「何を根拠に」
「精霊王に対して失礼だとは思わんのかね」

言いながら、嫌な笑みを浮かべた老獪の顔を見た瞬間、彼は唐突に理解した。全部、最初から、仕組まれた。研究を持ち掛けられたのも、とある高貴なお方からの内密な支援とやらが多かったのも。この大魔術師号を得てからこの所、宰相に近しい魔術師達から疎まれていたのは承知していたが、まさかここで今更、属性云々と蔑まれるとは。

理解すると同時に、彼は酷い虚脱感に襲われた。最早怒りすら湧かない。家族の姓を名乗りたいーーこのささやかな願いすら永遠に叶う事はないのだろう。そう思うと、もう、何もかもがどうでも良くなってしまった。

「処分が決まるまで謹慎を命ずる。もし、命に反するならば……貴殿の名は永遠に語り継がれる事になろう。大魔術師号の名を穢す叛逆者としてな」

そう言い捨てると、偉そうな態度のその老人は、銀の刺繍が光る濃紺のローブを翻しながら、瞬く間にその場を去って行った。コツコツコツ、神経質そうな足取りで、その音は広間から遠ざかって行った。

王国の政治家達すら集うような城の大広間は、時期でない今、閉鎖され人の出入りは全くと言ってない。彼にとって幸運だったのは、今し方の詰問が公衆の面前で無かった事位か。否寧ろ、彼等以外には人が居らず、その決定に違を唱える者が居なかった事が彼の不幸でもあったのかもしれないが。今の彼にはもう、そんなもしもを考える事すら億劫であった。

それから幾ばくか、彼はその場に佇んでいたが、ある時ふと我に返り、彼は酷い疲労感を感じながら広間からゆっくりと出て行った。帰りの道中、何もかもが面倒になって、何を思ったのか、衝動のままに首からぶら下げていたそれを引き千切って、たまたま目に入った小部屋の暖炉へとそれをくべた。

膨大な量の魔力が込められた石が放置されたら、この城は一体どうなるのだろう。それを考えてほんの少しだけ楽しくなりながら、彼は己の中に漂う魔力量が段々と増えていくのを自覚した。あの石は、抑え込みきれない魔力を吸い込み続けるもの。限界はあるが、ベルジュの為に造られた特別製、普通の人間には手に余る。だが、彼にとっては、それは手放せないものだった。その筈だった。

もう、何もかもがどうでも良くなってしまった彼には、最早それの必要性を感じられなかった。別に、怖がられたってなんだって、人が近寄らなくなるならもうそれで良い。

それともう一つ。彼はこの際、危険だからと実験を避けていた魔術をひとつ試したくなってしまった。未だ人族にはなし得ない、『瞬間移動』というものを。彼の理論上では可能なのだ。純精霊はまだしも、実体を持つ精霊族が出来るのだから間違いない。もし失敗して、身体が裂けてしまったらお笑い種だが。いっそ魔術実験で死んでしまえるならばそれこそ僥倖ではないか。そんな盛大なヤケクソ的な思考で、彼は初めてだというのに準備もそこそこに、ずっととっておいた魔法陣を思い描く。普段の2倍はありそうな長々とした詠唱を唱え終えると。彼はその場から忽然と姿を消してしまったのだった。

残された暖炉では、銀細工の施された青瑪瑙の石が、燃え盛る炎のオレンジ色の光に照らされながら鈍い光を湛えていた。そんな一人の男の様子を、見ていた者は誰も居ない。
石に群がる人型のそれらを除いて。


結果として、彼の実験は成功してしまった。生き残ってしまったのだ。人族初の大成功は、ひっそりと勝手に執り行われた。
それを、不服なんだか歓喜なんだかよく分からない気持ちで受け止めた彼は、それから命令通りに誰にも会わずに過ごした。謹慎なんて更々する気など無かったが、バレなければ問題にもならない。彼はそうして、誰からの誘いにも手紙にも乗る事もなく無言を貫き、自分のテリトリーで好き勝手に過ごしたのだった。


そんなある日の事だった。
彼に、直接言葉を伝える為の使者がやって来たのだ。

「一体何の御用で?私は謹慎中の身、誰とも口を聞けぬ存在に御座いますが」

ノックに応えず扉も開けず、彼は家の中から小さく叫んだ。
伝えに来た使者などはびっくり仰天だった。王国からの遣いだというのにこの仕打ち。とんでもない無礼にあたる。だが、相手は元とはいえ大魔術師であった男だ。普通ならば、王国への侮辱行為として兵士に刺し殺されても文句の言えないようなものだったが、如何せん男の魔術師としての実力は確かにホンモノで。ただの町民のような扱いはできないし、したくはない。どんな反撃に合うか、分かったものではないから。
それに、使者は以前のこの男を知っている。本来の彼ならば、使者に対して雑な扱いをしたなどという噂を耳にした事もないし、いっそ生まれながらの貴族のような風体だと評判だった。だのに、今のコレは一体どうしたものだろうかと。使者は、とてもとても困惑していた。

「国王陛下よりの遣いである!サー=ルーカス=ライツ、扉を開かれよ!」
「そんな人間は存在しません。"サー"は不要です」
「……るっ、ルーカス=ライツ殿、扉を開けなさい!」
「今、外に出られるような格好では御座いません。使者殿に対してとんでもなく無礼な存在でありますので、伝言があるなら其処でどうぞお願い致します」

口調は丁寧ではあるが、とんでもなくやる気のない声音であった。使者はいよいよ困り果ててしまう。来訪を告げた人間を含め、互いに顔を見合わせてながら相談する。それからおよそ10分程、結局使者達は手短に伝言をその場で伝えると、返事も待たずにそそくさと帰ってしまった。それもまた、拒否権などないという宰相からの圧力であったのだが、それを考えるのすら億劫であった。伝言にあった日にちだけは確かに頭に入れ、最早宰相に逆らうのすら面倒で、彼は欠伸をしながらぼんやりとした頭で読み掛けの新しい魔術書にのめり込んでいった。


予告された件の会合の日。
かの噂の男、ルーカス=ライツは突然姿を表した。普通、城の警備ならば誰それが城門に着いただとか、広間に向かっている所だとか、そんな情報が主催者の下へと伝えられる筈だったのだが。その男は誠に突然、広間に姿を現した。参加者全員が集まる中、彼は最後に現れた。些か気怠げに、しかし普段と変わらぬ凛とした出立ちで、男は気付くと其処に居た。

「い、ったいどこから……」
「どうも。お呼ばれしましたので言われた通り参上致しましたが」

突然現れたのもそうだが、その場に集まった者たちが何よりも驚いたのが、彼が其処に立っただけでどこか威圧感を感じる点であった。それを最も敏感に感じ取ったのは、その場に居た同じ参加者の魔術師の2人だった。普段は常ににこやかであった男のそれとは打って変わって、全く感情のこもらない彼の表情はいっそ冷淡にすら見えるのだが。それ以上に、纏う魔力が普段とは桁違いに感じられたのだ。目の前に立っただけで押し潰されそうな。そんな濃厚さを、魔術師達は肌で感じ取っていた。奇妙な緊張感が、周囲に漂い始める。

「それで、御用件は?」

感情の籠らない淡々とした静かな声が、静まり返った大広間に響く。彼等の知る男とはガラリと雰囲気の変わったその様子に、誰もが動く事すら憚られた。


そのような中でも、件の宰相は負けじと彼等に任務を与えた。この所不穏な空気を纏いだした北の森へ、使者を派遣するとの事だった。邪悪な者を閉じ込めたと言う北の塔へ、それを退治にと。近年、動物とは違う凶暴な獣の発生を多数確認している事から、危険を伴う長期の任務になるそれを、此処へ集められた7人が負うのだという。

といったような長い長い宰相のふるった長広舌をさっぱりと要約した彼は、更に何か話そうとする宰相の話に割って入った。

「ーーであるからして、此処に貴殿ら7名を名誉ある……」
「宰相殿、我々が負うべき任務とは北の森の塔への派遣でよろしいのでしょうか」
「…………この私の有難い話を聞かぬとは……まぁ、良い、貴殿らへの任務は、そこな魔術師殿の言うように、北の塔へ巣食うバケモノの討伐でーー」
「それが判れば結構、私は謹慎中の身の上、自宅へ戻りお祈りでもしておきます」

そんな言葉と共にさっさと身を翻してしまった男を、宰相は粟を食ったような表情で慌てて呼び止める。だが、男はそんな言葉を振り返りもせず、気怠そうに一蹴した。

「おっ、おい!この無礼者、まだ話は終わっとらんぞ!」
「謹慎中ですので私は無礼者です」
「この屁理屈めが、待て!この任務、失敗する訳にはーー」
「私めにどんとお任せください」
「おい!待たぬかこのっ!おい、お前達、奴を引き止めるのだ!」

適当な言葉を並べ、さっさと大広間から出て行ってしまった男を、衛兵達が慌てて追いかける。だが、男がそうしたように大広間を抜け、直角に曲がる廊下の角を曲がった所で。衛兵達は男の姿を見失ってしまった。隠れる場所など無い筈なのに。男は、忽然と姿を消してしまった。驚愕しながらも、責務を果たそうとウロウロする彼等は、結局男の姿を発見することは終ぞ出来なかったという。

「幽霊……」

誰かが咄嗟に呟いた事にまさかそんな、とは思いつつも。動物しか通れないような隙間すら、城内の通路という通路を探し尽くしてすらも見つからず。一体何処からという疑問は尽きず、衛兵達はその場で冷や汗を流すのだった。

彼のそんな来訪の様子は瞬く間に噂となり、一時城中が騒然とする。だが当の彼は知った事かと引き続き誰とも会わぬを貫き通し、結局彼が一体どうやって城に入り城から出て行ったのかについて明かされる事はなかった。
そういった彼の一切の拒絶は、生涯続くだろうとすら思われたが、予想外の者共の行動により、そう長くは続かない。






* * *





意識を取り戻した彼は突然、ハッとして目を大きく見開いた。己が一体今まで何をしていたのかさっぱり分からなくなる。呼吸が酷く粗いし、周囲は見えない程の暗闇に包まれている。窓の外は月の光すら見えないほど仄暗くて、夜なのか昼なのか判別が難しい程。彼は混乱しながらその場でキョロキョロと周囲を見回した。ただ一点、覚えのある部屋である事は確かだった。
ふとその時、自分の頭上から声が聞こえたような気がした。

『ルカ?』

その声に一頻り身体を震わせた後で、彼は音なき声の主へと勢いよく顔だけで振り返る。それと同時に、自分の身体が背後から強く抱き締められている事に気がついた。それだけでは無い。彼が想像していたよりも、もっと2人は密着していて、いっそ繋がってすらいた。

薄暗い部屋の中、その男の生っ白い顔がボウと浮かび上がって見える。この世の者とは思えない程、寧ろ神か何かの遣いではないかと思える程の完璧な容姿。肩甲骨の辺りまで伸ばした長い美しい黒髪ーー最初は手入れもされておらずボサボサであったそれを、欠かさずに手入れするように言い付けたのは彼だった。長い時が経っても、男はきちんと手入れを欠かさなかったらしい。容姿と相俟って、濡れ羽色のそれが美しく映える。

彼は、そんな男の顔を目にした所で唐突に現状を理解し始め、そこでようやく少し落ち着いた。

『意識が戻ったか』

言いながら彼の横顔に口付けをする男は、壊れ物にでも触れるかのようにそっと手で顔に触れてくる。それにいよいよ安心して、彼は更に求めた。

彼の頭の中は、未だ混乱の最中にある。酷い絶望の記憶を見てしまったものだから、彼は考える事を拒絶した。

「ん、」

強請るように口を開けて舌を差し出す。それに応えるように望む刺激が与えられると、繋がっている其処をやんわりと締め付けてしまう。自分だけが先に達してしまっていて、ナカのものは未だ刺激を求めるように張り詰めている。きっと、意識の無い自分に気を遣って動きたい気持ちを押し留めていたに違いないのだ。或いは、そんな人族の欲すらも忘れてしまったか。この男の辛抱強さは、彼も良く知るところだったから。

慰めるように緩く腰を揺する。男の腰に後ろ手を回し、深くまで繋がるように押し付ける。その途端、ビクリと震え腰を緩く動かし始めた男に、彼は少しだけ安堵する。ちゃんとまだ、人としてギリギリ保っている。人を人たらしめているのは意識の存在だと言う者もあるが、その意識が理性を突き抜け、そして逆に生物としての本能すら消えてしまったとしたら。それは一体何者になるのだろうか。

段々とそんな事を考えるのすら拒否し始め、痛みやら圧迫感やらが薄れてくるとようやく快感を得られるようになる。

「っく、ふぅ……」

混乱しきった頭の中で、理性を頭の片隅に追いやり、久しく無かった生き物としての本能に身を委ねる。この時ばかりは、一切のしがらみを忘れて己の願望を思うがままに求める事ができた。言い換えれば、こんなにも小さな事しか叶わない。

裏切らないで。ひとりにしないで。傍に居てーー。

慰められているのはどちらだったか。
ぐちぐちと結合部から漏れるいやらしい音に耳を傾けて、ゆっくりとした動きでゆるゆると生温い快感を拾う。
急ぐ必要はなかった。時間はたっぷりとある。それこそ、永遠に。





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