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036.昔々(中)



闇が晴れた先でもまた、闇は広がっていた。
彼がやって来たそこは肌寒い石造りの建物だった。広さはそれ程ない。20も30も人が集えば、身動きは取れなくなってしまうだろう。だが、金属で補強されている所や、窓枠に嵌められた鉄格子所を見るに、随分と堅牢な造りをしている事は確かだった。まるで、囚人を捕らえる為の牢屋のように。

分からないのに、何故だかここを知っている気がする。そんな、奇妙な感覚に彼は目眩を覚えていた。

「お帰りー」

そんな事を考えている折、隣から明るいノーマの声が降ってくる。呆れ半分、不機嫌半分に彼は見上げた。彼等の所為でとんだ番狂わせだと。ノーマは得意げに言った。

「アイツの鼻を明かせた気がする」

クスクスと可笑しそうに言ったノーマに、彼は思わず眉根を寄せた。

「……一番迷惑を被ったのは私のような気もするのですけど」

その言葉にケラケラと笑ったノーマに、彼はすっかり毒気を抜かれてしまう。思い通りにいかない苛立ちもあったが、その反面、この男のいつも通りの態度に緊張が解れた気もして、彼はとても複雑な気分だった。

それでもやはり、どうしたって先の事を考えてしまう。一体これから自分はどうなってしまうのか。思い描いていたーー或いは、思い描かされていた計画からは大きく外れてしまっている。おまけに、不完全な記憶が魔術行使の障害となっている。魔術とはある種、想像の具現化である。魔術に関する膨大であったはずの知識は今、殆どが使い物にならない。記憶がない、というのはそういう事である。


それに、【黒い魔法使い】は、突然消えた自分が再び現れた時、一体どの様な反応を示すのか。

彼は恐ろしかった。嫌われるのが怖いのか。それともその巨大過ぎるその力が怖いのか。はたまた敵だと判断されるのが怖いのか。自分でも何に対するものなのか判断がつかなかったが、漠然とした恐怖を抱えていた。足が竦む。


「ねぇ、多分待ってるよ、あの人」

そんな事を考えていた時にノーマに声をかけられて、彼は思考が停止した。待っている。それはどう言った意味でか。
信じられない程、自分の鼓動が早鐘を打っているのを自覚した。

「怖いの?」

続けて静かに問われるも、彼はすぐに応える事は出来なかった。あの時、咄嗟にこうなる事を予期していながらラウルを生かす為に魔術を行使した。あの時行動したのは自分だし、それが間違いだったとは思えない。

きっと、あの場に精霊王が居たなら迷わず見捨てて確実な方を選ばせたに違いないのだが、王はまだ居ない。だからその隙をついた。

精霊王のお陰で救われたのは確かで、感謝も対する想いも並々ならぬものはあった。だが、全てが精霊王の思い通りになるのはどうにも納得がいかない。
自分を、人間の心を理解しようとしない、精霊王に対する反抗心がそこにはある。
そんな精霊王の事を考えてしまったお陰で、少しだけ気分が良くなった気がした。今のこの結果に、アレが少しでも歯噛みしていれば、【黒い魔法使い】との対峙もマシなものに思えてくる。

「突然、自分の元から逃げて消息不明になった人が戻ってきたら、アナタならどう思います?」

気付けば、彼はそう口走っていた。

「ん?僕?……うーん、良く分かんないから取り敢えず理由吐くまで監禁する」
「聞かなければ良かった……」

ノーマなんかに聞いた事を少なからず後悔しながら、彼はゆっくりと気の向くままに足を進めた。螺旋状の階段が最上階までぐるぐると続いている。所々に部屋がいくつか点在しているが、それらは皆この塔に住まわされている者達の部屋だ。中には、先日戦った者達の部屋もあるのだろうが、今の彼にはそれらへの興味は微塵もない。ひたすら、最上階を目指す。

塔の一番高い所。かつて、街が一番良く見えた其処は今や、黒い雲だか靄だかに覆われて何も見えはしない。その日の気分によっては、森やら国の張った結界やらが見える事もあったが、それだけだった。いつからか、その部屋の主人は外を見るのを辞めてしまった。諦めてしまった。決して、己のささやかな願いなど叶う事はないと、気付いてしまったから。


彼はとうとう、扉の前に辿り着いてしまった。塔の最上階への道のりは、かなりの距離があったのだが、それを感じさせないほどあっという間に辿り着いてしまった。かなりゆっくりとした足取りで登ってきたはずだったのに、辿り着くのはあっという間だった。もしかしたら、無意識に男が空間を歪めて距離を縮めてしまったのかもしれない。そんな下らない妄想を意味もなく考えてしまう程には、彼はーーリュカ=ベルジュは正気ではいられなかった。扉のノブに手を掛けたところで、動きが止まる。最後の最後で、踏ん切りが付かなかったのだ。

一体どんな声を掛ければ良いだろうか。自分の都合で逃げ出した癖に。少しでも、情を抱いてしまった癖に。どんな声を掛けたら、前へ進めるだろうかと。


そんな考えを、いつまでもぐるぐると、迷宮入りしてしまったかのように繰り返していると。突然、彼からドアノブの感触がーーそれどころか、扉そのものの感触が消えた。

「!」

少なからず体重をかけていたリュカは、そのまま扉の存在していた方へ倒れ込んでしまう。慌てて足を二、三歩踏み出すと、其処はもう部屋の中だった。いつか夢で見てしまったかのような、石造りの寂しい部屋。漂う懐かしい匂いに、思わず込み上げてくるものがある。リュカは咄嗟に、胸元の服を握りしめた。

すると今度は、彼の背後からそっと覆い被さってくる気配があった。ふわりと、男の匂いが香る。低い体温でぎゅうと抱き締められると、ただそれだけでリュカはどうしてだか無性に泣きたくなった。それをどうにか抑え込んで、大きく深呼吸する。

意を決して、リュカが男の腕の中でぐるりと振り返れば、そこには、全身が真っ黒な長髪の男が居た。千年以上生きているとは思えない程、若々しい姿だった。相変わらずの創り物めいた美貌。人形のように乏しい表情の中で、切れ長の目だけが雄弁にモノを語っている。膨大な魔力が威圧感を与えてくるのもいつもの事だったが、それ以上に、その目の寂しげな気配から目を逸らせなくなる。

「ベランジェ」

ベルジュ家の由来と、その一派の祖師であるはずの男の名前は、国では一切が伏せられ語られる事はない。リュカがそんな男の名前を呼べば、男ーーベランジェは更に一層、顔を擦り寄せきつく抱き締めるのだった。リュカもまた、男のそのような姿に、思わずその後頭部に手を差し入れる。元々感情の薄い男の事、怒っていなさそうだと安心する一方、それが不安でもあった。人という種類から、更にまた外れていってしまったのではないかという、そういう類いの不安だ。

そして、リュカはここで更に気付いてしまった。ベランジェが、ここまでで一言も声を発していない。

「ベランジェ?」

咄嗟に疑問の声を上げると、抱き締めていた腕から力が抜ける。それを確認して、リュカがそっと体を離しながら男の顔を引き寄せる。ベランジェは抵抗する事もなく、引き寄せられるままにリュカへと顔を近付けた。

「何故、喋らないんです」

震える声で言えば、男はふるふると首を横に振った。それだけで、リュカは理解出来てしまった。声無き声が言ったのだ。まるで、あの精霊王のように。メディアのように。

『声の出し方を忘れた。必要ない。こうして通じる』

リュカは、しばし言葉を失った。自分が去った事で、この男は益々人から外れていってしまっている。自分以外に話をする者が、居なかったのだろう。

この男とずっと居るはずのノーマは、それこそ気紛れだ。此処を離れて暫く戻らない時もあっただろうし、相手の為に話し相手になってやろう、なんてあの薄情な男には到底望めない。

分かっていたはずだった。手を差し出したのは精霊王、決めたのは自分、そして実際に逃げ果せたのも自分の行動。だのに、突き付けられた事実にショックを受けているだなんて、何て虫の良い話。この生活を終わらせてやろう、だなんて何て勝手な傲慢。

彼は再び迷ってしまった。
本当にこれで良いのだろうか。
自分が逃げたいが為に、あんな誘いに乗ってしまったのではないか。
ぐらりと地面が揺れるような感覚に、彼は思わず自分に回されたベランジェの腕を掴んだ。

そんな彼の様子を疑問に思ったらしいベランジェは、彼の顔を覗き込む。顔を真っ青にした彼が、意識も覚束ない様子でベランジェの腕に縋り付いている姿がある。何事だろうかと心配する。だが、ベランジェはこういう時に一体どう慰めれば良いかなど知らない。

だからそっと、その顔の口付けを贈る。そこからはもう、なし崩しだった。





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