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035.昔々(前)



暗い暗い森の中で、絶叫に近い叫び声が響く。

「メデイア……メデイア!」

まるで半身をもがれたような気分で、カズマはその名を呼んだ。唯一の手掛かり。事情を知る人でないものを。周囲の困惑と止める声も聞かず、カズマはそれを呼んだ。

『なぁに?あなた慌ててる?』
「メデイア!ーーリュカが、リュカが、連れて行かれた……何、あれ、どういう事なの?」
「カズマ、少し落ち着きなさい」
「ッ」

目的のそれが現れても、カズマは焦燥を止められなかった。エレーヌに肩を掴まれながらそれを嗜められるも、カズマは一瞬怯んだだけで言葉を続ける。

「だって、せっかく連れ出したのに、何で自分から戻るような事っ!」
「……連れ出した?」
「え」
「カズマ、落ち着いて良く考えなさい。私から見るに、お前もあの大馬鹿者同様に何かを知っている。そうとしか思えん。落ち着きなさい」

エレーヌは、カズマとしっかり向かい合い、目を合わせるように軽く腰を屈めた。魔力消費が激しかった事も影響しているのだろう、カズマは未だ動揺し、冷静な判断が出来ないでいる。エレーヌは、それをどうにか収め、少しでも手掛かりを探そうとしているのだ。面には出さないものの、彼もカズマ同様にどうにかしたいと必死ではあるのだろう。師でもある彼の目の奥に、微かな焦燥が見て取れて、カズマはようやく落ち着く事ができた。リュカが居なくなった事にショックを受けているのは自分だけでは無いのだ、と。

「わかっ、た。でも、俺、多分まだ全部思い出せてない」
「アレはその内思い出すと言っていた。お前のもそうなのだろう……今分かる事だけで良い。情報をまとめる。ーーメデイア殿」
『あ、私?はーい、ききたいこと?』
「先日の話にあった呪いについてーー」
「ねぇ、ちょっと、待って!」

突然、事情をメデイアから聞き出そうとしたエレーヌの行動を止める声が上がった。

「……一体、どうしたというのだ、カミル=ハインツェ殿」

話の腰を折られ、苛立ちを露わにするエレーヌに、眉間に皺を寄せたカミルが噛み付く。

「今から何かをするっていうのは理解出来るんだけど……そこに人?か何か居るの?僕ら誰も見えないし聞こえないから何が何だか分かんないんだけど。こんな訳も分から無い中じゃあ僕らも対処しかねる」
「!」

そこで言われて初めて、エレーヌはハッとする。普段の彼であれば決してしないだろう失態。流石の大魔術師殿も、強い疲労の色が見て取れるようだ。ひとつ、大きく深呼吸をすると、エレーヌは再び口を開いた。

「それは、失礼した」
「そう、いえば……魔術師以外には認識できないんだっけ。忘れてた」
「僕らも同じように話ができるようにできない?」
「……ジャン、いけるか?」
「はい。それくらいならば。可視化、伝達の結界を張ります」

ジャンが珍しく長々と詠唱を行うと、総勢17名となった隊員達の周囲一帯に、いつもの如くガラスのような結界が姿を現した。効果が複雑なものは、流石のジャンといえど省略は出来ない。ただ、その効果範囲が普通の魔術師の比にならない所は、彼女が国一番と言われる所以でもある。

「うわっ、何か居る」
『あなた、しつれいね』
「メデイア殿、此度の無礼をお許しを」
『ん、メデイアはおこらない』
「先日の話で、あの馬鹿者に掛けられたまじないを『害は無いけれど自由はうばうもの』と貴殿はおっしゃった。それは、あの者を連れ去った影の事を言うのだろうか?」

それだけで、そこかしこから息を呑む音が聞こえたが、彼らは構わずに続けた。メデイアは、相変わらずの無表情で優しく応えた。

『自由をうばうのは【黒い魔法使い】なの』
「黒い、魔法使い、だと……?伽話ではないのか?」
『ううん、【黒い魔法使い】はいるの。みんな、呑み込まれちゃう』

【黒い魔法使い】と言ったメデイアに、エレーヌのみならずアレクセイ王国の人間達が皆息を呑む。小さい頃から聞かされてきた童話が、まさか現実のものだとは誰も思わなかったのである。ただの作り話である、と。
そのショックを振り切るように、エレーヌは声を震わせながらも質問を絞り出した。

「呑み込まれる、とは、一体……?」
『【黒い魔法使い】とおなじになるの』
「同じに、なる……」
『だから私たちの王さま、今がんばってる。だからあのひと、一番のひとはにげられた』
「一番の人とは……あの、男の事なのか?」
『そう。違うけどおなじひと。一番のひと。ぜーんぶ、ぴったり。王さまのお人形』

そこでメデイアは、初めて表情を変えた。口が孤を描き、さも可笑しそうに、嗤ったのだ。途端、その場の人間達の背筋を悪寒が駆け巡る。彼女は純精霊であって人間では無い。それをまざまざ見せつけられたようで、カズマの頭をほんの少しだけ不安が過ぎる。何かとんでもない存在をこの場に呼んでしまったのではないかと。しかし、ここまで来ては引く訳にもいかない。止まれないのだ。

未だショックを受けているのか二の句を告げられぬエレーヌを叱咤するように、カズマはその袖をぐいと引き寄せる。それに気付いたエレーヌがカズマをチラリと横目にした。カズマはその目を真っ直ぐ見上げると、微かに頷くような仕草をしてみせた。それはほんの微かな動きで、きちんと見ていないと分からない程の動作である。しかし、エレーヌはその意味をきちんと理解したのか、再びメデイアを見た。その時の表情には、先程のような動揺など一切見られない。例え表面上だけだったとしても、それは他者には酷く頼もしく映るのである。

「それは何故、あの男だったのだ?」
『あのひと、【黒い魔法使い】に一番近いひとだから。王さまとふたりで、がんばるの。あなたたちもその数の内。ちゃんと、王さま見つけてあげてね。あのひとに言われたでしょ?やくそく、まもらないとゆびきりせーんまん』

言いながら、メデイアはゲルベルトを指差す。正確にはゲルベルトの持つペンダントの石だが、ゲルベルトはその意味を即座に理解して、これか、と先程渡されたものを魔術師達に見えるように掲げる。
青瑪瑙のような不思議な輝きを放つ雫型の石に、黒い撚り糸が通されている。今は引き千切られてしまっていたが、彼が肌身離さず着けていたものに間違いなかった。

『あの人のがいっぱい詰まってる。王さま起きるのに十分。ここは元々メデイアの森。メデイア、ずーーっと、みてるからね』

そう言い放つと、彼女はフッといつかのように姿を消してしまった。彼女の去ったその場に残されたのは、痛い程の沈黙と、得体の知れない不安ばかりだった。

そんな中でカズマは一人、ゾワゾワとする気分をどうにか落ち着けようと、自分の首にかかるペンダントを服の上から握り締めた。いつでも不安になった時、カズマは祖父から貰い受けたソレに願いを込める。

どうか自分を見守って、支えてください。

そうすると不思議と、カンザキ カズマは一人では無いと、実感できるのだった。





『昔々ある所に、黒い魔法使いがおりました。
とても強くて優しい魔法使いは、しかしいつも独りぼっちでした。
誰もが、彼を怖がって近寄ろうとしません。
『魔王め、あっちへ行け!』

それでも人々と一緒に居たかった黒い魔法使いは、諦めずに通います。
それでも、とてもとても寂しくて、彼は1日の殆どを森の中で、どうぶつ達と共に過ごしておりました。

そんなある日、王様が黒い魔法使いに言いました。
黒い塔の天辺で暮らしなさいと、そうすれば皆安心して、彼を恐れる事もなくなる、黒い魔法使いを恐れる者も居なくなると。

優しい黒い魔法使いは、皆が幸せに、自分を怖がらなくなるのなら、と塔で暮らす事にしました。
しかし、塔へ入ったきり、黒い魔法使いは外へと出られなくなってしまいました。
王様は、黒い魔法使いを騙して閉じ込めてしまったのです。
それでも、黒い魔法使いは毎日誰かが会いに行くよ、そう言った王様の言葉を信じていました。
しかし、何年経っても何十年経っても、誰一人、彼を訪ねる人は居りませんでした。

段々と、遣いのひとたちが食事を運ぶ回数も減り、やがて誰も塔を訪れることもなくなってしまいました。
黒い魔法使いは、独りぼっちで何年も、何十年も、何百年も嘆き哀しみ、しかし希望を捨てられず死ぬ事も出来ずに、誰かの訪れを待ち続けておりました。

彼の哀しみと嘆きは驚く事に、黒い靄となって塔中を覆うようになってしまいました。
人々はより一層、黒い靄に覆われたその塔を恐れるようになりました。

黒い森には入ってはいけません。
寂しがりな【黒い魔法使い】に捕まってしまうからです。
一度捕まったら、おうちへ帰ることはできません。

だから決して、黒い森へは入ってはいけませんーーー』


「なに、その童話……怖ッ」
「そうだ。童話は親が子供へ言い聞かせる為に作られた物も多い。こうやって、恐ろしい怪物や化け物に食べられてしまう、だから良い子にしていなさいーーと」
「効果抜群だね」
「そうだ。だからこそ我らのアレクセイ王国ではずっとこの話が語られてきた……誰もが幼少の頃から知る、伽話だ」

不安も疲労も抜け切らない中、彼らは一同に集まり一つの焚火を全員で囲う事になった。アレクセイ王国、ライカ帝国、そしてフィリオ公国。計らずも集う事になった彼等は、少しでも疲労を回復する為に協力する。
その中で、カミルがエレーヌへと問いかけたのが、先の童話を話す切っ掛けとなった。

カズマもまたその話を耳にするのは初めての事だったが、その内容は確かにメデイアの話した通りで。カズマは、エレーヌ達の話を耳に入れながらも、先ほどゲルベルトより確かに受け取ったリュカの首飾りを手にしている。今のカズマには分かる。ここには、膨大な量のリュカの魔力が詰まっている。どれ程の時間をかけて魔力を込め続けててきたかはカズマには分からなかったが、ベルジュ家の者が一生に渡って持ち続けるモノだと聞いてからはもう、手放す気にはなれなかった。

深い海の底のような青瑪瑙。それを見ているだけで、カズマはその青に吸い込まれそうになるような気がした。それに、持っているととても安心する。首にかかっている精巧な美しい銀細工のペンダントも素晴らしいものだとカズマは思っているが、それと同じくらいほっとする。カズマは占いやらパワーストーンだとか、そう言った類いのものは全くもって信じてはいなかったが、成る程こう言う感覚になると人は信仰心でも抱くのだろう、位にはこの時初めて理解できたのだった。

ふと、カズマは首に下げたペンダントを首から外して、リュカのそれと並べるように見比べてみる。何でもない、雫型の青瑪瑙と、楕円型の銀細工のペンダントだ。とここで、カズマは銀細工のそれに、ロケットペンダントに見られる小さな摘みのようなものがある事に気が付いた。アクセサリーなんて殆ど興味のなかったカズマは、このペンダントを良く見た事がなかった。だから、これがロケットのようなモノであった事に気付けなかったのだ。

何とまさか、という新たな発見に対する感動と共に、カズマはパチリと蓋を開けた。ただ、開けても特に何も変わった所はなかった。銀細工だけのペンダントであって、中が開いたと言っても元々中は見える造りのもの。ただのペンダントだ。

ただ、カズマは一つ気になる事があった。何故このような中身丸見えのペンダントが、ロケットのような造りになっているのか。それがイマイチピンと来なかったのである。開くのであれば、そこに何かを入れるはず、と。だが入れてもかなりの物質が零れ落ちてしまうに違いない。一体何を入れるのか。
ここでふとカズマは思い立ち、特に何も考えず、もう片方の手に握っていたリュカの青瑪瑙を、入れた。パチリ、という小気味良い音と共に、石はピタリとハマる。千切れた黒い紐を取り去って蓋を閉じれば、それはまるで最初からそうであったかのように。青瑪瑙に銀細工の施された一つのペンダントとなった。

カズマはあんぐりと口を開けたまま、その場からしばらく動く事が出来なかったのだった。





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