Main | ナノ

033.クロード



リュカは葛藤していたのだ。
自分が自らに課した使命と、魔術師でありたいという己の欲に。あと一歩。踏み出して仕舞えば、強く願った自分の願望は一つだけ叶う。しかし、そうすれば自分で決めた使命を果たせなくなる。連れ戻されてしまう。誰かに、引き継がなければならなくなる。

だからあと一歩、リュカは踏み出したくても踏み出せなかった。いつの間にか、この国々が捨て難く、愛おしく思い始めてしまったから余計にーー。

「貴方が許す許さないはどうでも良いのです。貴方が思う以上に、私には色々とやるべき事があるのですよ、クロード」
「アンタのやるべき事なんて僕には知ったこっちゃないんだッ、とっとと沈んで仕舞えば良い!」
「リュカッ!」

両手をクロードに拘束されて、更に影から出てきた黒い何かに足も上半身も巻き付かれて、リュカはどうしようもなかった。いつかのように、影の中へと引き摺り込まれていく。今回ばかりは、あの時のように真っ暗な空間に放り出されるだけでは済まないようだ。全身の半分が影に沈んでも、拘束が解かれる様子はない。このまま、リュカは彼処へと連れて行かれるのだろう。その時を待たずして。

だが、この拘束を振り払えればまだ勝機はある。だから、リュカはその時を待った。信じた、と言い替えても良いだろう。彼等はきっと、リュカを放って置きはしない。

そんなリュカの想いに呼応するように、沈みかけているリュカの胴体に、力強い腕が回された。一本ではない。複数本の腕が、しっかりとリュカを掴んで離さなかった。その腕が、真っ黒な世界からリュカを引き剥がす。ブチブチとリュカに巻き付いた黒い影が次々に千切れ、いつの間にか両腕の拘束も解かれている。あ、と思った時には、リュカは影の中から無事に引っ張り上げられたのだった。

「ぐッ、」
「ッチ!」

引き千切られたその勢いのまま、後ろへ倒れ込む。リュカの耳元で、2人分の呻き声と舌打ちが聞こえる。だが、そう悠長にもしていられない。クロードはきっと、本気だ。リュカはすぐにでも口を開く。

「すぐにこの場から離れーー」
「逃がす訳ないだろ」

言い終わるが早いか、魔の手は次々と襲い掛かってきた。だが、あの一瞬でリュカを影から引っ張り上げた二人ーーラウルとゲルベルトは、即座に反応した。ラウルはリュカを抱えて飛び退き、ゲルベルトは手にしていた槍でリュカの方へと伸びていく細長い黒い影を次々と阻んでいった。他国同士とは思えぬ程、彼等は中々のコンビネーションである。この僅かな期間を共にしただけで、彼等は互いの戦い方を覚えたのだ。

リュカは内心歓喜した。この人間達ならば、自分の思う通りに動き、本当にその使命を果たし得るのではないかと。
この歪んだ世の根本を断つと、それだけであの男は救われるのだからーー。最早誰のものとも思えない思考でもって、リュカはラウルに抱えられつつ、自分の首にかかった首飾りの石を服の上から握り締めた。これをあの洞へ捧げれば、ベルジュ譲りの膨大な魔力の籠ったこの石が、精霊王復活の糧となる。それが、リュカの使命の大いなる手助けとなる。


精霊王ーー1人の男の為に身を賭し、それを異世界へ逃した人ならざる者。人の心を持たない、本当の魔王とさえ呼ばれる者は未来をも見通し、時に人を導くその存在は人の世に干渉しない。だが、その人の世が大きく外れ歪んでしまった時には、その道を正そうと暗躍するのだ。

今回の、1000年以上にも渡るこの騒動は、正しく精霊王その人が仕組んだ事だった。ある男が、魔王と呼ばれた人間の男に献げられたのも。ノーマという、最後の生き残りの吸血種が未だに生き永らえているのも。神聖な獣の親子が引き離されたのも。リュカがベルジュに拾われたのも。カズマが異世界からやって来た(戻ってきた)のも。全部が全部、導く者の掌の上だ。


今この時、リュカはハッキリと理解した。全部思い出したのだ。己がすべき事すらも。

そして、クロードに捕まる訳にも、魔術を使う訳にはいかない事も全部、唐突に理解した。あと残り一つ。その制約を破れば、リュカを護る呪いはたちまちに消えてしまう。リュカはあっという間に連れ戻されてしまうだろう。それだけは避けたかった。だから魔術は使えない。使ってはならない。その歯痒さに胸を掻きむしりたくなるようだったが、リュカは一つだけ自分に約束する。誰か一人でも欠けてしまうような事があれば、躊躇わない事。それだけは、違えられなかった。


クロードが四方へと伸ばした10本程にもなる影は、千切っても切ってもすぐに生えてきた。今は夜であるからして、厳密には影とは言えないのかもしれないが、黒いそれらは触手を伸ばし縦横無尽にクロードの周囲を動き回っていた。

「ッ!」
「ッラウル殿!」
「オイ馬鹿野郎!」

それが、リュカを抱えるラウルの足を捕らえるのにそう時間はかからなかった。普段の彼ならばいざ知らず、連戦に続く連戦で、ラウルはまともに休めていない。ゲルベルトも、リュカだって、他の隊員達だってそうだ。今尚、またしても突如湧いて出た5体の魔獣達が、各国の隊員達を襲っている。いくらこの人数でも、魔術は使えず、しかも休みなく襲われればひとたまりもない。仕方なく、ジャンの張った結界の中でカズマやレオデガル達が攻撃を凌いでいるが、それもいつまで保つかは分からない。リュカ達への助けも望めない。
この時を、狙われた。

「行け、逃げろ」

足を取られ体勢を崩したラウルは、即座にリュカをゲルベルトの方へ放り投げると。そのまま地面へと叩き付けられる事になった。そのままその場で無数の影に巻き付かれ、あっという間に抵抗も覚束なくなる。その間、リュカ達へ追撃が伸びる事は無かったが、最早リュカもゲルベルトも、下手に動けなくなった。

「つっかまえたーーって事で、コイツの命惜しくば動かないでよね」
「ラウル殿」

そう言い放ったクロードの手には、先程リュカが手にしていた剣が握られ、地面に伏せったラウルの顎下へ突き付けられていた。ラウルの背に馬乗りになり、左手で頭を鷲掴みにしながらのそれは、少しでも動けば瞬く間に首を掻き切れる位置だ。クロードを睨み付けながら、2人はピタリと動きを止めた。
だがその時、もう一つの声が間に割って入ってくる。

「舐めんなよクソガキ。ーー動くな」

声の主は、カミルだった。彼はボーガンを構え、クロードへ構えたその矢を向けている。そして、その隣ではエアハルトが同じく大弓を構えていた。

クロードはそれを見て、笑みを深めながら言った。

「僕がコイツを殺す方が早い」 

誰も動けない。そんな膠着状態のまま、リュカはニンマリと笑う少年を茫然と見やった。リュカは己の心臓が早鐘を打っているのを自覚する。

先程決めたばかりだというのに、リュカは迷った。たった一人を見殺しにすれば、きっと丸く収まる。カミルのボーガンも、エアハルトの弓も、矢が刺さる前にきっとラウルは死ぬ。殺される。クロードも恐らく死ぬが、ラウルもきっと間に合わない。

リュカの使命に、ラウルは必ずしも必要ない。戦力のひとつだが、居なくても良い。まだリュカはこの旅を続けたかった。彼等との旅路は思いの外居心地が良かった。だから、たかが一人、騎士が死んだ所で影響は少ない(本当にそうだろうか?)。リュカの思考は止まらなかった。リュカの額から、たらりと汗が流れ落ちる。今、彼を確実に助けられる人間は、一体誰なのだろう。
そんなリュカの耳に、落ち着き払った声が聞こえる。

「構うな」

目前に死を突きつけられた騎士は言った。彼は笑って言ったのだ。ヤれ、と。そんな風に、不敵に笑ったラウルの顔を、リュカは初めて見た。


それでもう、リュカは心を決めた。決めてしまった。何を戸惑う事があるのか。もう何もかも、遅いのだ。


リュカは自分の首からぶら下がる黒い糸をブチリと千切り切ると、隣のゲルベルトへと渡す。

「オストホフ殿。それをカズマへ、絶対に渡してください」
「ああ!?こんな時に突然何だって」
「頼みましたよ。かの洞窟へ行きなさいと伝言をお願いします」
「洞窟ーー!?」

それからのリュカの行動は早かった。ゲルベルトがそれ以上に口を開くよりも前に、数歩前に出ると、真っ直ぐにクロードを見据えた。リュカの行動に少しだけ驚いた表情をみせるも、次の瞬間には益々笑みを深めていた。

そんな彼から目を外す事無く、リュカはまず羽織っているローブを、バチンッという明らかに魔力による音と共に吹き飛ばした。そして懐に潜ませていた短剣やら短刀やらを全て、自ら投げ捨てた。突然のリュカの奇行を、誰もが見守る中で。リュカはその右手の人差し指を、クロードへとゆっくりと向けた。一瞬、クロードは不快そうに片眉を上げるも、人質の拘束を解く事はなかった。

リュカはこの時怒っていた。
たったの一撃で、少年を葬り去ろうとする程には、リュカはブチ切れていた。しかしクロードは、その指の意味に気付かない。
その時突然、誰かのーーそれを知るヤツの叫ぶ声がする。

「それはダメだッ、逃げろクローー!」
「《ケラウノス》」

リュカがそれを言い終わらぬ内。一瞬の内に走った閃光と共に、バリバリッという轟音が周囲一帯に木霊した。

誰も彼も、何が起こったかも判らぬまま。閃光が走ったその一瞬の内に、少年は心臓の横に拳大の孔を開けて、血を噴き出しながら地面に仰向けに倒れ込んだ。攻撃を受けた本人すら何が起きたのかも分からない、本来ならば致命の一撃だった。


クロードはその時、全身に及ぶ痺れに起き上がる事すら困難な状態にあった。己に掛けていた防衛魔術の類いも何もかも解けてしまって、自分を守るものは何ひとつない。魔力で辛うじて孔は塞ぐも、身体は痺れて言う事を聞かない。口の中が鉄臭かった。
だが、それとは別に、クロードへ死を告げる足音は、一歩一歩確実に近付いてきていた。

その時、クロードはかつて無い恐怖を感じていた。死の恐怖だけならばここまで怯えてはいない。それは言い換えるならば、圧倒的な力への恐怖。今の一撃で殺さなかったのはきっと、自分を痛ぶるため。死ぬ方が楽だと思わせるような、そんな目に合わせる気だと。
それはたまたま偶然、クロードを呼んだその声に反応して身体がズレ、穴の位置すらもズレてしまっただけだったのだが。何故だか、クロードはそう思い込んでしまった。

自分を見据えた男の目を思い出す。自分と同じ、何かに怨みを抱く復讐者の目。あの怨みの籠った目は、誰とも無い自分へと向けられていた。クロードは身体が竦んだ。恐怖に、身体が震える。たったの一撃で一切合切分かってしまった。自分は、あの男に敵わないと。
一歩一歩自分に近付いてくる足音に、クロードは己の心臓がバクバクと早打つのを感じた。

だが、捨てる神あれば救う神あり。幸運にも、其処にはクロードの目の前に臆す事なく立ち塞がる影が居た。男は、倒れて動けないクロードを、その場で抱き上げる。

「退け、ノルマン」
「いやいや、ちょっとそれは勘弁……そんな、そこまでブチギレなくても」
「教育がなっていません。貴方も喰らいます?《ウィップ》」
「ッーー!」

リュカが言うや否や、手を払う仕草をしたリュカの手から、バチバチと電流の鞭が噴き出す。唯の一振りで、彼はクロードを抱えたままだった男ーーノーマを軽々と吹き飛ばしてしまった。木の幹に叩き付けられるノーマを、周囲の者達は驚きの表情で、黙って見ている事しか出来なかった。

「っ痛ッ、アンタのそれホント痺れるから嫌い」
「嫌いならば怒らせなければ良いだけの話。アナタも一枚噛んでるんでしょ、どうせ」
「バレバレって……」
「こんな事咄嗟に考え付くなんてアナタ位でしょうからねぇ。ええ、私はアナタがどれだけ狡猾で残忍か知っていますとも。それはそうとノルマン、覚えていますか?昔アナタにした、"雷"の属性のお話」
「さぁ……」
「我ら"雷"の属性に魔術が少ない訳」
「禁止されてたって話のヤツ……?」
「そう、開発にも国に申請がいる。そして、大抵却下されます。何故でしょう?」
「……"絶対に避けられない"から」
「御名答、それこそ連中の神聖視する"炎"に打ち勝って貰っては困る訳ですよ。ええ、そうですとも」
「話が逸れました。まぁつまり今言いたいのはーー、逃げられると思うなよ小僧」
「アンタこういうとこ、ほんっとおっかない」

ノーマの呟きを最後に、二人の会話は途切れる。そこからは一方的だった。リュカ、と呼んで良いのか分からない彼は、小脇にクロードを抱えながら逃げるノーマを捕まえる事に集中していた。恐らくもう、殺すつもりはないのだろう。しかし、確実に痛め付けて追い回して捕らえようとする気概は感じる。

だが、それもそう簡単にはいかなかった。元々は吸血種であるノーマの全速力ならば、光速を誇る魔術に対応できなくもない。だから、中々動きは止められない。それでも、いつの間にか彼よって周囲一帯に張られた結界の外には、ノーマの力をもってしても出られなかった。最早リュカだったその人も魔力も魔術も隠す事は無く、如何なくその才を発揮していた。

大魔術師も、魔導士とまで言われた彼女も。人知を超えるような領域の魔術に、言葉を失った。

「あれはーー」

そこから、ラウルの言葉は続かなかった。一体、誰なのだろう。知りたいような、知りたく無いような。そんな言葉しか出ない程、今の気持ちは表現出来なかった。ただ、ラウルにはやっと、本来の彼を見た気がするのだった。





list
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -