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032.一歩



リュカは走っていた。
本人こそ疾走しているつもりだったかもしれないが、実際にはもっと遅かったかもしれない。立て続けの戦闘で、身体は疲弊している。額からは大袈裟な程血が噴き出しているし、貫かれていた肩には布切れが雑に巻かれているだけで、そちらも未だ新しい血が滲んでいる。それでも、リュカは折れた剣ーー否、自身で折った剣を片手に走っていた。訳の分からない焦燥に駆られて、一早く早くと足を動かしていた。

既にノーマへの対処にジャンが出張っているのはリュカも気付いていた。嵐のような、あの暴風を引き起こせるのは彼女を置いて他には居ない。自分が行く前に、幸運にも彼女が間に合ったのだ。遠目からでもリュカにも見えるほどの魔術。彼女は此処にきて漸く本気を出したらしい。ならば最早自分は不要な存在だ。翼竜の方だって、剣さえ無くした自分が役に立つとは思えない。エレーヌも、そしてライカ帝国最強だって居る。ならば自分はどうしたら良いのか。必死で剣を折ったその時の焦燥は、とっくに別の感情に移り変わっている。少しだけ心の内が荒れるも、リュカはそれに蓋をした。

リュカは走った。向かうのは、あの獣達の下へだ。この場から去ってしまう前に、会っておきたかった。

彼等の独特の気配を辿り、森を駆け抜けていった。
彼等を見つけたのは、微かな唸り声からだった。犬や狼のソレよりも甲高く、しかし聞いていると物哀しくなる声だった。リュカは木々を駆け抜けて、そこへと駆け込んで行った。体勢を崩しながら立ち止まると、森の中、ぽっかりと空いた場所にその2体の大きな獣達は居た。まるで睨み合うかのような体勢で、しかしリュカの乱入によって緊張が途切れたらしい。獣らしい何の感情も窺えない目で、向かい合ったその体勢のまま、彼等はリュカを見ていた。

リュカは先ず、手にしていた剣をその場に捨てた。それから、懐の短剣やら短刀やら、ブーツに仕込んだナイフまでも。その場に置いた。最早リュカは丸腰だ。それを彼等に示しながら、リュカはゆっくりと近寄って行った。

彼等は賢く、おまけに勘が鋭い。だから、リュカが全く攻撃の意思がない事も、丸腰である事も理解出来ているだろう。リュカはそれを知っていて、目を合わせる事もなく彼等に近付いた。

あともう3歩程。それだけの距離を残し、リュカはその場で膝を突いて彼等を見上げた。そこで初めて、リュカは目を合わせた。真っ黒い身体に、金色の獣の目がギロリとこちらを覗いてくるその目。何かに対する憎悪すら感じさせる眼差しで、それはリュカを見下ろしていた。それでもリュカに恐怖は無かった。
リュカは、彼等に向かって静かに口を開いた。

「やっと会えたんですね、貴方がた。良かったですね」

そんな事思っても居ないような口ぶりで、リュカはポツリと独り言のように話しかけていた。

「会えて、嬉しいですか?片や人に我が子を奪われて、片や人に大切に育てられて、おふたりの人に対する感情は今は正反対でしょうが……これを機に、何か変わりそうですか?己の利益の為に貴方がたを引き裂いた人間に対して、抱くものは今までと同じですか?目的を果たしたら貴方がたはーー人の下を離れるのですか?」

応えは無い。彼等は話せないから。
それでも、リュカは一人で喋り続けた。傍から見れば、まるで迷子のようだった。

「まるで違う2つの感情が混じり合ったら一体、どうなるのでしょうか。貴方がたの場合はふたりでしょうけど。それが、一人の人間だったら?一体何を選ぶのでしょうか」

彼等が人では無いからかもしれない。リュカは誰にも聞こえていないのを、誰も居ないのを良い事に、その場で吐き出し切ったのだった。

獣達はひたすら、黙ってリュカの声に耳を傾けるだけだったーー。





* * *




「ーーリュカさん!良くご無事でッ」

折れた剣を片手に戻ったリュカを真っ先に出迎えたのは、恐らくこの日一番の功績を上げたジャンだった。唯でさえ普段は抑えている魔力を山ほど使ったというのに、彼女はリュカに駆け寄って行った。そのままジャンは、リュカの両肩に掴みかかり、負った怪我の様子をジロジロと観察する。余りの勢いに、リュカの顔にも戸惑いが浮かぶ程だった。

「本当に、貴方が居てくれなかったと思うと背筋がゾッとしますッ」

眉尻を盛大に引き下げながら言うジャンの目には、薄ら涙が浮かんでいる。魔力の消費が特に激しい時、魔術師は感情のコントロールが覚束なくなる。いかに優れた魔術師であっても、それは起こり得る副作用だ。故にリュカは、らしくも無い彼女の吐露を黙って受け入れるのだが。

「全く……とっとと戻って来んか馬鹿者がッ」

言うが早いか、リュカの頭は背後から突然飛び出てきた手に鷲掴みにされた。掴まれた頭ごと、身体がつんのめる程の勢いだ。予想だにしなかったエレーヌからの攻撃に、リュカは内心で悲鳴を上げた。その手には、頭を握り潰そうとするかのような力が込められていて地味に痛い。そして果てには。

「リュカぁーーッ!中々戻って来ないから死んじゃったかと思ったよォォッ!」

わんわん泣いているカズマが横から抱き着いてきて、リュカは最早お手上げ状態だった。普段は大人しい魔術師達がこぞって騒いでいるので、周囲は何事かと目を丸くしている。その中心に居るリュカは少しばかり居心地の悪い思いをしながらも、先程まで考えていたようなマイナス思考はとっくに成りを潜めていた。他者にかけられた言葉が及ぼす影響というのは、彼が思っていたよりも大きいらしい。ここに来て、それをまざまざ感じるようになってしまって、リュカは収まりの悪い気持ちにぞわぞわするのだった。


あの後。2体の獣達は、リュカの話を理解しているのかいないのか、リュカへ微かに身体を擦り付けた後でさっさと一緒に姿を消してしまっていた。話の内容を理解しているのか居ないのか、リュカには終ぞ分からなかった。だがそれでも、彼等は彼等にしかできない選択をするのだろうとリュカは思っている。
最初から分かっていた事なのだ。結局のところ、どんなに縋っても迷っていても、自分で決めるしかないのだと。


「ベルジュの」

リュカがすっかり傷を治され、泣き喚くカズマから解放され、いつものような野営の準備の最中で。リュカはレオデガルに話しかけられた。

「レオデガル殿。お怪我は」
「貴殿程ではない。……助かった、リュカ=ベルジュが居なければ私の命はなかった」
「……いえ、あれは偶々ーー」
「ありがとう。ーー貴殿の忠告通りだった。我々は、帰りの手段を失ったのだ。だが何故、あの時事前に分かったのだ?」

聞かれるだろう質問に、リュカは作業の手を止める。両手に抱えた薪木もそのままに、真っ直ぐとレオデガルを見上げた。

「あの時は色々と、違和感がありましたので。貴方がたがおびき出されたのではないかと」
「おびき出された?我々がか?」
「ええ。まずは一つ、彼等魔王一族には魔獣を操る者が居ると聞きます。元々魔獣は群れないはず、なのに奴らは群れて我々を襲ってきた。とすれば、あの襲撃は人為的なもの。二つ、あの黒く大きな獣。貴方が特別だと言った召喚獣と、色はともかく姿は瓜二つでした。何度か対峙する中で、あの獣は特に人に対する敵対心が異様に強かったのです。何か、人との間にあったとそう思えました。三つ、貴方がたへ齎もたらされたという帝国と王国の合流の情報。魔獣と魔王一族が蔓延るこんな森の奥深くで、一体誰がそんな情報を伝えられたのか。魔王一族がそれを見逃すものであるのか。四つ、魔獣は兎も角、彼等は森の外へは出られない様子です……と、こういった違和感を積み上げた結果です。気付けても防げなければ意味などありませんけどね」

その時リュカは、出来る限り淡々と述べた。彼等自慢の美しい獣が拉致されるなんて、リュカがそんな結論に至った一番の理由は言わなかった。そもそも誰にも言うつもりはない。かつて、何処かの誰かに言われた話を思い出していただなんて、そんな事言える訳がない。

気を抜くと、別の感覚が混じりそうになる。ーー全くもって人間というモノは何処でだって変わらないーーそんなモノを抑え込みつつ、リュカは取り繕って、誤魔化すように空の鞘を撫でた。彼等フィリオ公国の魔術には、物質を再生成出来るモノがある。折れた剣の片割れから剣の再生成を頼めばきっと、彼等は快く受けてくれる。

「そこまで、導き出していたとは……恐れ入る」
「いえ。これも役割ですから」
「彼を失ったのは痛いが……こうなっては、他に選択肢もない。我々も同行しよう」
「ええ。それは、助かります」

言葉と内心が乖離したまま、リュカはレオデガルの手を取った。
結局、その後リュカからレオデガルへと何かを頼む事は無かった。更に四人、増えた面子を確認しながら、リュカは彼等と共に薪木を囲む。ジャンの張った結界の中、長時間に及ぶ戦いを終えた彼等には休息が必要だ。特に、魔術師勢はクタクタでぐだぐだだ。コックリと時折船を漕ぐ様子がみられる。そんな彼等を休ませて野営の準備が整った頃。彼等からは幾ばくか離れた所で、リュカは自ら手折った剣を膝上に乗せて物思いに耽った。

それなりの覚悟を持って、愛着のある自分の剣を折った筈であったが。リュカは何処か、自らの中にポッカリと穴が空いてしまったように感じていた。長年の相棒を失ったかのような、或いは、自ら手折った事で自分の剣士としての役目に区切りをつけてしまったかのような。

リュカは剣を撫でながら思う。あとは自分の覚悟の問題なのだと。その、最後の一歩が踏み出せずにいる。あとほんの少し、何かがあれば、きっと物事は動き出す。動き出してしまったら、本当に後戻り出来ない。今のままでは居られなくなる。彼等と共に歩む事はきっと出来なくなる。ーーそれが、リュカには酷く口惜しく思えてならなかった。最初はそんな事、微塵も思って居なかったはずなのに。ひとりで良かった筈なのに。


『それなら僕が背中を押してあげる』

その時突然、リュカの迷いに応えるように、頭に響いてきた声に息を呑んだ。

それと同時に、リュカの目の前にある真っ暗な影の中から、いつかと同じように幼さの感じられる手と、頭と、胴体が、音もなくぬるりと出てくる。結界の中だと言うのに。

「いつまでもうじうじと見苦しい」

にっこりと顔に笑みを象ったいつかの少年は、そっとリュカの両腕を掴みながらその口で言葉を発した。相変わらず、張り付いたような不気味な笑顔だ。

「貴方は余程、不意打ちがお好きのようですね」

ノーマとは違って。最後は口に出さず、心の中に留める。突然の出来事にも関わらず、リュカの口からは思っていたよりも冷静な声が出た。

「だってそう言う能力だもん」

そう言った声だけは、本当に笑ったかのように穏やかで、リュカは内心で驚く。ほんの一瞬の事だったけれども。

「だからね、僕は影からアンタの背中を突き出してやるんだ、今度は逃がさないようにちゃんと」

リュカの腕に添えられた小さな手に、力が籠る。少年の埋まる影の中で、モゴモゴと何かが蠢く気配がする。張られた結界に、微かにヒビが入った。彼方の方で、彼女が驚きに飛び上がる気配が感じられる。リュカの背後の方が、俄に騒がしくなった。

「僕を差し置いていつまでもナカヨシしてるなんて」

少年はそこで言葉を切ると、憎々しげに笑みを深めてから言った。

許さない。

バキンッと、結界が音を立てて壊れる音をリュカは聞いた。ガラガラと崩れる崩壊の音は、果たして結界のものだけだったのか。リュカには判断がつかなかった。





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