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025.嘘吐き



 その夜、突然野営地を離れたリュカを追ったのはラウルだった。目撃したマティルドに頼まれ、彼ひとりが向かう事となった。深夜遅い時間、ひとりで出歩くなど自殺行為である。夜目が利き、鼻や耳も利くラウルならば安全に向かえるだろうとの判断からで、そしてそれは概ね正しいのだろう。ラウルは自分がそうで良かったと、しみじみ思ったのだった。急ぐ心がラウルの歩みを自然と速くした。
 あの様子だ、そう遠くへは行けないはず、とラウルは耳をそば立て静かに早足に駆け抜ける。
 見つかるのはすぐだったが、それと同時に耳にした声に自然と眉根が寄った。別の人間の声がするのだ。ラウルは駆け抜けるスピードを、一気に上げた。

『ーー今のアンタの大切なパペット。精々足掻くとイイーー』

 その声と共に、遠くでソレの気配が消える。途端、ラウルは少しだけ焦りを覚えた。あの声は、ラウルにも聞き覚えがあった。あの、恐ろしく強く食えない男。この前も殺されかけていた。そんな男を、リュカ一人の力でどうにか出来るとは、ラウルには到底思えなかった。

 そのまま駆け込むように、目的地にラウルが滑り込めば。
其処でリュカは、座り込みながら地に顔を伏せて蹲っていた。他の誰かの気配はない。彼の心音も聞こえるし、呼吸音も聞こえる。それに安堵しつつ、息を整えながらゆっくりとリュカに近寄る。一瞬迷ってから、ラウルはその肩に手を置いた。

「リュカ?」

 ピクリと反応してからモゾモゾと動き出したリュカに、ラウルはようやくホッとする。彼はゆっくりと上体を起こし、首を回し横目でラウルを見遣った。

 その時、彼の目と自分の目が合った瞬間。ラウルは言葉を失った。一瞬で逸らされてしまったその目は、光の加減なのか、見間違いなのか、ラウルには血のように真っ赤に見えてしまった。まるで、あの吸血種の男のように。

「すみません、迎えに、来て下さったんですね。ありがとうございます、ジョフロワ」

 続けて、項垂れるような姿勢のままゆっくりと立ち上がった彼が、ラウルとは別の名を呼び捨てに呼ぶ。
 その瞬間、目の前で立ち上がったその人が、全くの別人であるかのようにラウルは錯覚した。背筋が凍るような気分で、衝動のままにその顔を両手で引き寄せた。

「リュカ、違う!俺が分かるか?」

 ぼうっとした様子のリュカの目は、確かに黒味を帯びた茶色で。赤では決してなかった。だがそれよりも、この男が自分を認識していない事の方が、今のラウルにとっては問題だった。誰と、自分を間違えたのか。騎士団ですら聞いたことのない名だった。焦燥が己を焦がす。
 それから二、三、瞬きをした後で。リュカはようやく、その名を口にした。

「ラ、ウル殿?」

 パチクリと、まるでそこで初めてラウルの姿を認識したかのように、リュカが目を丸くする。それを見て、ラウルは漸く緊張が解れるのを自覚した。はぁぁぁ、とラウルが大きく息を吐き出し俯くと、未だラウルの両手に掴まれているリュカが、ビクッと反応するのが分かった。文字通り、手に取るように。

「もう、大丈夫か?様子がおかしかったから」

 言いながら顔を上げれば、其処にはいつものリュカがいた。両手でラウルに頭を掴まれているこの状況に戸惑うかのように、その目はあちこちに泳いでいた。

「えっ、ええ、すみません……夢見が悪かったもので」
「そうか」

 その後も、ラウルはリュカを手離す事なく、そのままの状態で言葉を続ける。リュカの行動一挙一動が、ラウルの手に伝わる。

「ジョフロワ、とは知り合いの名か?」
「え」
「先程、そう呼んでいた」

 リュカに目を合わせて至近距離から問い掛ける。リュカが、こんな近距離からの問い掛けに慣れていないであろう事を知った上で、ラウルは仕掛けた。

「誰の事だ?」

 心拍数、脈拍、呼吸、目の挙動、それら全てを観察しながら、ラウルはリュカの反応を伺う。彼は、とても嘘が上手いのをラウルは知っている。

「ジョフロワ……」

 その名を呼んだリュカの目が、ラウルから逸らされる。一度大きく脈打って、以降の変化は見られない。呼吸の変化も、特に見られなかった。

「確か、……以前家の近くでお会いした精霊族の方のお名前だったような」

 目を細め眉根を寄せ、リュカは思い出すような仕草を見せる。其処に、一見して嘘は無さそうにも見える。

「そうか」

 ラウルは呟くように言って、少しだけ不安気に揺れるリュカの目と、その目を合わせた。
 そしてふと、右手の親指で、その唇を撫でる。
 途端、顔を引くようにピクリと反応したリュカへ。ラウルは、噛み付くように口付けたのだった。

 身体ごと離れようとするリュカを逃さず、右手はその後頭部を、左手は胴体を掴んで離さない。

「ーーーーッ!」

 突然の事に息を呑み目を見開いたリュカへ、ラウルは無遠慮に舌を突っ込む。ぶるぶる震えて奥に引っ込む彼の舌を、舌の先でチロチロとつつく。
 その後段々と呼吸が苦しくなってきたのか、リュカは大きく口を開けて息を吸い込んだ。その隙に、ラウルはリュカの舌に自分のそれを絡めた。時折吸いながら、舐りながら、上顎を舐め上げながら、ある意味鍛え抜かれた技をこれでもかと披露する。

 何故かは分からない。だが、ラウルはどうしても今、そうしたかった。確かめたかったのだ。ここに、リュカ=ベルジュがちゃんと居る事を。

 ラウルが粗方満足した頃には、腕の中の人は息も絶え絶えと言った風に目を閉じきっていた。ラウルがそっと唇を離せば、どちらのものとも分からない唾液でツ、と一瞬糸が張る。だらしなく開かれた口からは舌が覗いていた。それをジイと眺めていれば、眦に涙を溜めた目がゆっくりと開かれた。涙で潤んだ膜の奥には、変わらずリュカが居る。それにホッとしながら、ラウルはリュカの耳元に口を寄せた。

「リュカは、とても嘘が上手いな」

 囁くように呟けば、腕の中の身体が震えた。そのまま耳の後ろに鼻を寄せて、ゆっくりと吸い込む。変わらずに香るリュカの匂い。それを吸って漸く安心できたラウルは、そのまま腕の中の身体を一度ギュウッと抱き締め、漸くその身体を解放した。ポカン、と唾液に濡れた口を開けっ放しに、リュカはラウルを見上げている。その眉間にはしっかりと皺が寄っているのを、ラウルは見なかった事にした。

 そうして、若干ふらつくリュカの腕を取り、その剣を回収して、ラウルは足速に野営地を目指す。二人とも無言で、それ以上に何かを語る事はなかった。

 その間、リュカが目を細めて推し量るようにラウルの背を見上げていただとか、頭を抱えて静かに大きな溜息を吐いていただとか、ラウルがそれに気付く事はなかった。





* * *





 ラウルに腕を引かれながら戻る道すがら、リュカはその背中を食い入るように見つめた。彼はぐいぐいとリュカを引っ張りながら先を突き進むばかりで、リュカを振り返る事はなかった。彼が一体何を思ってあのような暴挙に出たのか、リュカにはさっぱり分からなかったのだ。かつて国で浮名を流していたラウルの口付けは、確かにとても気持ちの良いものではあったが。それが何を意味するのか、リュカにはまだ分からない。

 ただ、とリュカは考える。ジョフロワという名前を口にしてしまったのは、明らかに自身の失態であった。その名前の主をリュカは知らない。だが無意識に、口をついて出てしまった。ラウルの姿を見て、リュカは確かにその人だと思ってしまったのだ。

 今後も口をついて誰か別の名前を呼びやしないかと、リュカは苦々しい思いで顔を顰めた。自分でも知らないのに、口をついて誰かの名を呼んでしまう。それはひどく気味の悪い事だ。
 けれどもリュカは、どうにかそれを誤魔化しながら今後も過ごさなければならない訳で。知らない誰かの名前を口にしないよう、リュカは自分なりに対策を打とうと心に決める。全部済むその時まで、何かを勘付かれないようにと。

 ラウルによって連れ戻されたリュカは、朝も早いと言うのにカズマやアンリに出迎えられた。カズマには怪我などないかと酷く心配され、アンリには無言のまま髪をぐしゃぐしゃにされる事になった。
 表面上、眉尻を下げながらすみません、としおらしく頭を下げるも、内心ではどうだったか。それはリュカにもハッキリとは分からなかった。わからない事は蓋をして先延ばしにする。悪癖は自覚すれども、リュカにはそうする事しかできなかった。
 翌朝、昨晩は何事もなかったかのように始まる一日に紛れながら、リュカは何処かの誰かに言われたであろう忠告を思い出す。

魔術を使ってはならない。
思い出してはならない。
この世界に戻ってきてはならない。
決してあれらに見つかってはならない。

 今更思い出しても、もうどうにもならない。もう遅い。
果たして自分は、このまま魔術を使わずに居られるか。愚問、とそれを決め付けながら、相変わらず肩を組んでくるゲルベルトに適当に相槌を打った。


 その日の異変は、大きな地鳴りからだった。
突如、周囲一体の地面が軋むほどの衝撃が走った。咄嗟に構える隊員達を他所に、その要因に逸早く気付いたのは意外にもゲルベルトだった。

「派手に暴れてやがる……こっちだ!」

 男は、大きな図体の割に素早く踵を返した。アンリの許可の下、それにリュカも続いた。腰の剣に手をやりながら、先を走る帝国の隊員達を追う。

 だがしかし。何とラウル以外、アレクセイの隊員達は皆、ライカ帝国の彼等の全力に付いて行けなかったのだ。基礎体力、という点もあるだろうが、何よりも彼等との体格の差が、顕著に現れてしまっていた。
 距離が少しずつ離れていく中、それを何くそ、と辛うじてリュカ達も付いて行けば。彼等は数分程で件の現場へと辿り着いた。息を整えながら見渡せばその場は、たったの2人による戦いの痕跡とは思えぬ程、荒れに荒れていた。先日目撃した跡地と何一つ変わらない。

「ああーー!」

そんな中、途端辺りに響いたのは、戦場に似つかわしくない、やけに甲高い声だった。

「ゲルベルト達だ!ユリアンやったよ!」

 どデカい図体で魔獣を串刺した男の肩の上、大型のボウガンを手馴れたように操る男から、その声は発せられていた。リュカも見覚えのある男の姿に、彼等の同行の終了を悟る。

「ユリアン隊長、カミル!」

 ローラントの呼びかけに手を振って、男はまるで軽業士のように軽々と大男から飛び降りたのだった。

「無事で何より」
「そっちこそ。ーー随分、大所帯になったねぇ」

 ニコリ、金髪緑眼の小柄な男は、ライカ帝国軍人に似つかわしくない、愛らしいと称されるような笑みで告げるのだった。





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