Main | ナノ

024.カンショウ



 その日もまた、リュカは夢を見た。

 夢だとハッキリと分かったのは、それがリュカの  だと何故だか知っていたから。
 その日の夢は、何かの核心に迫るような、大層酷いものだった。彼にとって、悪夢にも等しいものだった。

 空間が歪む程の魔力の吹き溜まり、その部屋は薄暗くて冷たくて、誰かの強い願いと望みと夢が詰め込まれたようなぐちゃぐちゃとした部屋だった。広いはずなのに、狭苦しくて息苦しく感じる。自由のない事を突き付けられているような部屋だった。

 シィンと奇妙な程静まり返ったそこに、他の生物の生きる音は全くと言っていい程聞こえない。聞こえるのは互いの息遣いと衣の擦れる音だけ。時折悲鳴のようなか細い自分の声が鳴るも、聞く者は他に居ない。人払いの必要もない。空間そのものが此処だけ遮断されているから。

 まるで本当に、自分とそのひとしかこの世には存在しないのではないかと思える程、切り取られたその空間は孤独に溢れていた。自分が感じていたかのように、そのひとの一部が自分のこころの中に侵蝕してくる。寂しい、辛い、恐い、何故自分だけが、自分も幸せになりたいーー終わりにしたい。

 何度も何度もあらがってみたが、そろそろそれも難しく成りつつある。だって、それはもう、自分にすら覚えのあるものであって、自分もそのひとに同調すらしつつあるのだからーーーー




















 その時リュカは、ハッと飛び起きた。誰も彼もが深い眠りにつく中、その日見張りをしていたマティルドには大層驚かれる。

「顔色が悪い。寝て居なくて大丈夫か」

 淡々と声をかけてくる彼に、リュカは声を発する気力もなく俯き、手を上げる事で返事を返す。声を上げれば、何かを吐き出してしまいそうだった。

 そのまま一言も声を上げる事なく、リュカは剣を片手に、しかし真っ青な顔でフラフラとその場を離れた。酷く動揺した様子を隠す事もなく、何かが込み上げてきそうな口許を手で覆いながら。誰がそれを目撃していただとか、何人がその様子を目にしただとか、今のリュカにはそれすら取り繕う暇もなかった。

「あまり、遠くへは行くな」

 覚束無い足取りで去って行くリュカへかけられたものだったが、それがリュカの頭で理解される事はなかった。


 何度も転びそうになりながらも、持ち前の反射神経で何とか堪え、リュカは気が済むまで歩き続けた。マティルドに言われた忠告なんて、さっぱり頭にない。只々考えるのは、自分をここまで追い込んでいるその夢の内容だった。夢を見ていた場所から随分と離れた今も尚、体中がその感覚を覚えている。生々しい、気味の悪い夢だった。二度と、あそこから戻って来れないのではないかと思える程に。

 仄暗い室内で、目に映るものはほとんど何もなくて。身体中を這うように動くそれに感覚の全てが集中してしまっていた。逃げたくて、でも、そのひとなしには其処からは出られない。空間自体が切り離されてしまっていたから、逃げれば狭間に呑まれて消滅する。
 それを解って、そのひとも己を自由にさせたーーと、自分自身すら騙して。与えられる感覚に身を委ねてしまっていた。まるで傷の舐め合いのように、時を自ら止めてしまったかの様に、その夢の中で唯ひたすら与えられる快楽に溺れていた。


 リュカはそこで、崩折れるように蹲ってしまった。左手の剣から手を離す事は無かったが、口許を覆う右手は肌に食い込む程に強く強く握り込まれている。その痛みでこの気分の悪さを誤魔化すかのように。

 何故自分がこんなにも動揺しているのか、リュカは解りたくもない。解りたくなかったが、解らなければならない、とそんな事を思っている。自分で何を考えているのか、思考が纏まらず、混乱し切ってしまっていた。そのままどうする事も出来ず独りで、リュカは暫く這いつくばっていた。

 そんな時の事。
 自身の顔を無遠慮に傷付けるリュカの右手を、覆うものが突然現れた。

「相変わらず自分を傷付けるの好きだね、アンタ」

 その声に驚愕して、リュカが顔を勢い良く上げれば、其処にはここ最近良く見る顔が目の前にあった。リュカと同じ黒髪に、赤い眼をした食えない吸血種の男。目を見開いたリュカは、漏れ出る声をそのままに名を呼ぼうとした。

「ノルーー」
「待った」

 だが、リュカがその名を口にしようとすると、それは男の手によって阻まれた。リュカの右手を掴む手とは反対の手によって、口を塞がれる。

「それはまだ、早いでしょ?アンタ、まだ全然解ってない」

 まだ早い。リュカには、そう言った男の言葉の意味など本当の意味で理解出来ていない。けれども確かにそうだと、何処かでそれに納得する自分がいて。リュカは混乱しつつも、首を縦に振ったのだった。それを見た男はニコリと笑うと、満足したかのようにリュカの口を塞ぐ手を外した。

「こんな森の奥でお仲間達から離れて1人でいてさ、襲われたらどうすんのさ」

 クスクスと妖しげに笑って言った男の言葉に、リュカはポカンと口を開ける。冗談のつもりなのか、それとも彼が言ったように本当にリュカを襲いに来たのか。頭が殆ど回っていない今のリュカには判断ができなくて、間抜けにも敵の眼前でリュカは呆けた。
 今の男からは、先日殺しに来た時の様な殺気は感じられず。リュカの警戒心は、先の混乱の所為もあって緩みに緩みまくっていたのだった。だから、いとも簡単に引っ掛かってしまうーー。

「そんなにボケーっとしてると、ホントにバケモノに喰われちゃうよ」
「!」

 再度伸びてきた男の手に反応出来ず、リュカは首を掴まれ引き寄せられてしまう。完全に膝立ちの体勢を取らされ、傾いた身体はバランスを失う。その拍子に左手から剣が完全に離れてしまうのだが、男の眼を凝視してしまったリュカがそれに気付く事は出来なかった。

 吸血種の眼は人に催眠を掛ける。いつだったか、警告されたその言葉が、今のリュカに思い出される事はない。
 べろりと男の舌が頬を這った。点々と傷を作ったそこから、痛みが無くなるのはすぐだった。その後で今度は、顔を男の両手で挟まれる。その場にペタリと座り込んでしまったリュカに覆い被さるように、男は見下ろしていた。
 互いの息遣いが聞こえそうなほど近くに、男の顔がある。真っ赤な虹彩の中、獣の様な縦長の黒い瞳がジッとリュカを凝視していた。いつでも自分の息の根を止める事の出来る距離に敵がいる。それにも関わらず、リュカは妙に落ち着き払っていた。
 この男に、他人のモノを盗み取る度胸など無い。漠然と反射的に理解していた。

「ほんっと、アンタ良い性格してるよね」

 突然、男は吐き捨てる様な、拗ねたような口調でそう言った。これまでずっと、何かを腹に抱えたような笑みしか浮かべていなかった男の見せた素の感情。リュカは目を見開くと同時に、自身の心が騒つくのを感じた。

「僕が今のアンタに何も出来ないの知ってる。だから、こんな状況でも何もしないしされるがままでいる。好きなようにさせてる。ーー子供だと、思ってる」

 そう言い切ってしまうと、今度は子供じみた拗ねたような顔で、男はコツンと己の額をリュカの額にぶつけた。まるで、家族にそうするかのように。

「こんだけ待たせといて、相っ変わらず酷いよねぇ全く」

 言って目を伏せた男は、その整い過ぎた顔に影を落とし、今度はリュカにだけ聞こえるような、囁くような声で言った。

「もう全部ぶっちぎって破壊して、何もかもめちゃくちゃにしても、良いかな?ーー……まぁでもそんな事したら、今度は僕如き、あっという間にアイツらに消されちゃうんだろうけど」

 ふと溢れ出てしまったような言葉は、まるで独白のようで、何かの|応《いら》えを期待しているようではなかった。リュカは一言も喋る事なく黙ったまま、男の言葉を聞いた。

 それきり2人とも言葉を発する事はなく。まるで小一時間もその場に居てしまったかのように感じられる程長く、ジッと互いを見詰め合った。あるいは、そう思っていただけでほんの数秒だったかもしれない。リュカにはそれ程に時間の流れがゆっくりと感じられた。

 そのひと時を壊したのは男の方だった。急に、男は顔をリュカからスッと離したのだ。そのまま真っ暗な森の奥を、ジイッと凝視する。何かの気配を探るように。

「ああ……来ちゃった。お迎えだよ。今のアンタの、大切なパペット。精々足掻くとイイよ」

 最後の方、少しだけ嘲るような笑みを浮かべながら言った男は、リュカの顔から手を離すと立ち上がる。じゃあね、と言いながらそのまま数歩後ろに下がると、いつかのように影の中へズブズブ沈み込んであっという間に消えてしまった。

 アレも空間が歪んで出来た通り道だ。だから使用できる範囲が限られている。故に、彼等もまたそこから逃げられない。ーー最早彼等には逃げ場など何処にも無いのだろうけれど。

 リュカはそう勝手に理解してしまって、その場で地面に突っ伏した。身体から一気に力が抜けて弛緩する。ただ、飛び起きた時のような動揺はあの男の所為で消え去っていて、その事にリュカは少しだけホッとした。

 けれどその一方で、この一晩の間に、色々と変わってしまった事を自覚する。あの夢の所為で。あの仔達の所為で。リュカは間も無く引き摺り戻される事を理解してしまった。
 完全ではない。だけれども、確かにカウントダウンは始まってしまった。意識してしまった。時間が無い。けれどそこまでは、自分の手でやらなければならない。己に刷り込まれた、旅の本当の目的を。

 ドロリと心の中を侵蝕していく、つい昨日迄は無かった筈の感情。離れたくない。寂しい。なぜ自分だけが。リュカは少しだけ、それに浸って微かに涙した。





list
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -