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021.呪い



 瞬く間に意識を失い、崩れ落ちるリュカをマティルドが間髪入れず抱き止め、そのまま肩に抱き上げた。
 そのスムーズな一連の行動に、アンリが予め言い含めておいたのは想像に難く無い。そのまま何事も無かったかのように、アンリは場を離れようと声をかけた。

「カズマ」

 ゆっくりと動き出す中、今し方起こった出来事を呆然と見ていたカズマは、自分を呼ぶ声にハッとして顔を向ける。そこには、真剣な表情のエレーヌの姿があった。その様子もまた珍しくて、カズマはポカンとした表情を改める事が出来なかった。エレーヌはそんなカズマを一切見る事はなく、ジャンから目を離さず、歩き出しながら続けて言った。

「覚えておけ。忘れるな。あれが、アレクセイの魔術師"最強"だ」
「!」
「あの馬鹿者の言った"一流"という言葉すらヌルい。あの人の操るは『不可避』の魔術。私でも防ぎ切れん。そして、正面から挑んでも決して当たらん。結界を例え破壊されたとしても尚、だ。これがどういう事か、わかるな?」

 カズマは瞑目する。大魔術師号は、アレクセイの中でも最も力の強い魔術師に与えられる、謂わば最強の称号だとリュカに言い聞かせられていた。だが、その『最強の大魔術師』は言ったのだ。ジャンこそが"最強"であると。
 カズマは肯首した。

「うん。俺、さっきのは全く分からなかった」
「私でも、あの一瞬では一部しか理解できん」
「そっ、か……」
「アンリ隊長殿に常にあの人が付きそっているのは、つまりはそう言う事だ。私の魔術は派手だし魔力も食う。目に見えて分かり易いものだ。しかし、あそこ迄精巧なものは、私には出来ん。誰も真似が出来ない。アレはそういった類いのものだ」

 そう言ったエレーヌの顔に浮かぶそれは羨望か嫉妬か、カズマには判別が出来ない。だが一つだけ、カズマにも言える事がある。

「俺、まだまだ魔術よく分かんないけど。俺にとっては2人共最強なんだけどな」

 そうは言ってみたものの。動きを止めたエレーヌの様子に少しだけ照れ臭くなって、カズマは恥ずかし紛れに微笑みを浮かべる。そして、見たエレーヌは目を剥いた。
 それから、今はそういう話をしているのではない、馬鹿者が、だなんて言いながら早足に先に行ってしまった。それを急いで追いかけたカズマは、先を早足に歩く彼の耳が妙に赤く染まっている事に気付いた。彼も照れる事があるんだなぁと、カズマはひとりニヤニヤと笑うのだった。

 そんな2人のやり取りを偶然耳にして、帝国側の人間が2人顔を見合わせた。片や心底不機嫌そうに、片やもう一人を睨み付けるように。ゲルベルトとローラントは、その時ほとんど睨み合っていた。




* * *




「それは、一体どういう事ですか?」

 例の襲撃から一晩明けた朝方。アンリより説明を受けたローラントが声を上げた。

「昨日の襲撃の影響が思ったよりも深刻だったようで。あの空間に引き摺り込まれた彼がーーリュカ=ベルジュが目を覚まさない」
「!」
「っおい!それ、大丈夫なのか?」

 ローラントと話していた筈であるのに、突如ゲルベルトが割って入る。側で聞いていた帝国側の隊員達も互いに顔を見合わせているのを、アンリは横目で確認していた。

「それは我々にも、原因不明としか言えず。……実は寄りたい所があるのだが」
「お、おう、そりゃ何処だ?」
「……正確な位置は不明です」
「ーーーーは?」
「何処にあるかは分からないが、この森の中に壊れた祠があるという。そこに居る女性に、話を伺いたい」
「あ?女性?……こんな森ん中に人なんて……」
「無論、人ではない。彼女は我々が純精霊と呼ぶ者達だ」
「で、その女がどうにかできるってのか?」
「……確証はないが、我々が下手にどうこうするのよりよっぽど回復の可能性が高い。彼等は魔術そのものだ。我々より余程博識だろう。話を聞く限り、彼女は数千年は生きているとーーーー」

 それからしばらく、アンリはローラントとゲルベルトに更なる説明を加えて力説した。彼等も知るリュカ=ベルジュの為にも、行先を少しばかり変更したいと。
 そうしてそんな話し合いの後に、アンリが決着をつけて戻って来る。その途端、カズマが素早く駆け寄って行った。

「うまくいった?」

 コソリとカズマが小声で問うと、アンリはニコリと笑った。

「ああ、そちらはバッチリだ」
「よかった……、エレーヌ、リュカは寝かせたままで良いって?」
「ああ。お前達の言うものがいつ動き出すか分からない。下手に起こさない方が良いだろうと。特に、リュカはな……しばらくは眠っていてもらう予定だ。あちらに納得してもらうのに話も盛ったしな」
「そう、だね。……起きたらリュカ怒るかな」
「黙っていれば問題ないだろう」

 カズマはアンリの言葉に笑いながら、同時にホッと胸を撫で下ろす。
 それと同時に、件の魔王一族の事や、昨晩の話し合いの事を思い出すと、何やらもやもやとしたものが胸の中に溜まっていくのを感じた。



 真っ先に遭遇した魔王一族の男、ノーマを、カズマは底知れない男達だと感じた。薄暗い雰囲気もそうだが、何より、何を考えているか分からないあの表情が恐怖を掻き立てる。
 リュカに解毒薬をもらい、元気そうに『またね』、と手を振ったあの男。ギラギラとした眼差しで、カズマ達をジイと見ていたあの男。本当に、彼は何をしにやって来たのか。リュカの作った毒が効いたなどと言っていたけれども、それは本当だったのか。
 その視線を思い出す度に、カズマは身震いした。

 けれど、上には上が居た。昨日、リュカを影の中へ引き摺り込んだあの少年は。影の中へ落ちていったリュカを見て嗤ったあの少年は、ノーマのそれよりもよっぽど邪悪だとカズマには思えた。燻る憎しみのような妬みのような感情が見え隠れして、無邪気さに陰が差す。それが一層の恐怖を駆立てる。
 あの少年との接触により、リュカは確かに影響を受けた。それが表立つ事はない。だが、カズマ達には分かる。魔術的なダメージは目に見えないものので、それは確実に身体を蝕むに違いないのだ。

「ーーカズマ、集まれるか」

 少年達による襲撃を受けたその日の真夜中、皆が寝静まった頃の事。カズマはアンリにそこへと呼ばれた。連れていかれたのは、リュカの治療を、と集まっていたジャンとエレーヌの所だった。横たえられたリュカは、未だ目を覚ます気配がない。

「さあ座って」

 促されるがまま、カズマはそこにあった小岩の一つへと腰を下ろした。

「こんな夜更けにすまない。呼び出したのは私だ」

 エレーヌは、落ち着いた声で言った。珍しくエレーヌ自らが結界を張る。効果は物理や魔術ではない。音と姿を遮断するもの。カズマは咄嗟に理解した。

「ラウルはこの集会に気付いているかもしれないが……話の内容を聞かれたくない。少し窮屈だが我慢してほしい」

 魔術師以外に聞かれたくない話。否、魔術師だからこそ話しておくべき内容なんだろうと、カズマはエレーヌを見ながら快諾するように首を縦に振った。

「では率直にーーカズマにも分かるだろう。コレは、一体何だ?こんなもの見た事がない」

 そのたった一言で、カズマとジャンの表情が強張った。アンリは眉を顰めただけで、無言を貫く。この時点で、エレーヌならば対策を取れるのではないかというカズマの淡い期待は、脆くも崩れ去った。

 カズマはそっと、眠るリュカの様子を見る。ハッキリとは見えない。だが、身体を覆うような黒い影のようなものが、彼の全身に巻き付いているかように感じられる。蛇のような蔦のような。蠢く何かは、片時も離れる気配を見せない。

「ジャン。私より君の方がああいった類いのモノに詳しいだろう。君の意見を聞きたい」

 ジャンへ目を向け、エレーヌは問うた。

「アレは、……呪術の一種かと、僕は思います」
「呪術?魔術とは違うの?」

 その言葉の意味がよく分からず、カズマは聞いた。カズマの生まれた世界でオカルト的な扱いをされていたソレは、こちらでは一体どういうものなのか。自分に何か対処できる|術(すべ)はないか。探るような、縋るような問いかけだった。

「魔術は純精霊の力を借りて、人が扱いきれないモノを操る力です。風や炎といった、自然の力を利用します。……一方の呪術は、言霊や物質に力を直接宿す方法でーー、一般的に呪いやまじないとして使われます」
「呪いーー」
「ええ。あれは恐らく呪いでしょう」

 呪いだと告げたその瞬間、その場には凍りついたかのように冷たい空気が流れた。こちらの世界においても、呪いは恐ろしい術の類いなのだろうと、カズマにすら察せる。その言葉を聞いた瞬間、顔を顰めたエレーヌやアンリの様子からもそれは理解できた。

「我々が感じられる程強力なものだ……人が掛けたにしても、相当の想いが込められている」
「それを、解く方法はないの?」
「……掛けた当人を探すしかない。成功の可能性は薄いが」
「っじゃあ、あの魔王一族の子を捕まえればーー!」
「否、アレは術師ではあっても当人ではないだろう。呪いを掛けるには関係が希薄過ぎる。呪いは人の想いだと言ったろう。アレからは呪いへと至る程の情念は感じられなかった」
「『人を呪わば穴二つ』、呪いは返されたら死にますから。術師は表立だって接触する事はありません」
「そんなーー!」
「カズマ、人の想い程厄介なものはない。ましてや、ベルジュ家ともなると、それだけで知らぬ内に反感も買うし、魔術の使えないアレが同族に疎ましく思われていようとも不思議ではない。だがーー、」

エレーヌは一度息をつくと、思案するように目を閉じた。表情がより一層険しくなる。何かもっと悪い事でもあるのだろうかと、カズマは身構える。

「私は少し違う気もする」
「違う?」
「……どういう意味ですか?」
「今だからこそ言うが、私はアレに初めて会った時から嫌な感じがしていた。子供の頃にヤツに会った時、ヤツも私も幼かったが。その時には既に、ヤツの身体には何かが纏わり付いているような気配がした。すぐに分からなくなる程度のものだったが、子供は大人より余程鋭い。だからだろう、あの嫌な感じは強烈に印象に残っている。ーーだが、幼子に呪を掛けるなど、一体誰が考えよう?もし掛けたモノがあったとしたら、それはもう人ではない」
「「!」」

 それを、一体誰が予測できただろうか。
 カズマは絶句した。それほどずっと昔から、リュカは呪われていたのか。もしかして、魔術が使えないのもそれの所為ではないのかと。

 そして同時に思う。エレーヌは、そんなに昔からリュカについてずっと考えてきたのではないだろうかと。つっけんどんな口調だとか、リュカに対する辛辣な言葉だとか、確かに仲が良くないのだろうと思わせるやり取りばかりカズマは見てきた。
 エレーヌもリュカも、お互いが得意ではないのは事実だろう。だが、ちゃんと相手を見ていなければリュカに対するこんな考察は出てこない。口では憎まれ口を叩きながらも、エレーヌは彼なりにリュカを心配しているのだ。少しだけホッとした反面、カズマには共に過ごした時間の差が、ほんの少し鼻に付いた。

「大人にはそれこそ分からないようだったが、子供にも鋭い者とそうでない者とが居る。ジャンは、アレに必要以上に近づきたくないと思った事はあるか?」
「……もう、それは随分と昔の話ですよ。ですが、あります。直感でしたが、僕も最初は彼が恐ろしかった」
「そうだ。アレの同世代の人間は恐らく、彼を見て近づくのを躊躇う。例え魔術師でなくても、直感で恐れる」
「……その原因が、今のアレ?」
「私の考えではな。今まではどういうわけか、呪いが弱まっていたが……。今になってその効力が元に戻り始めているらしい」
「その、原因は」
「私が推測するに、あの少年だけでなく、彼等魔王一族全体との接触が、呪いの効力を強める原因になっているのではないか、と」
「ってことはーー」
「彼等がリュカの呪いに関わっているとーー?」
「そうとしか思えん」

 狭い空間の空気が一気に凍りついた。これだけの人数で度々交戦してはいるものの、まだ一体も倒せていない。相手を退けるのが精一杯だ。
 そんな彼等とーー特に吸血種の男や、少年と接触すると考えただけで、カズマの背筋が凍る。いずれ倒す事を目的としてはいるが、果たして目的を果たすまでに呪いがリュカを持って行ってしまわないか。それだけが心配だった。
 カズマは直感している。これを早急に対処しなければ、本当に盗られてしまうと。

「俺達だけで、どうにかならないの?」
「不可能だ。否、不可能というよりできない。手を出した者だけでなく、下手をすれば呪をかけられている側にも害が及ぶ。リスクが大きすぎる」

 半ば縋るようなカズマの訴えだったが、エレーヌの答えはただ、カズマ達に打つ手が無い事を明白に突き付けただけだった。沈黙が走る。

 それでも、カズマは諦めきれなかった。何か方法はあるに違いない。知りもしないはずの方法を探して、カズマは自分の記憶を辿る。何処かに、打開の鍵が転がっている気がするのだ。それは漠然とした予感だった。
 しつこく何度も、此処へ来てからの記憶を辿る。リュカに救われ隊の一員に加わり、魔術を教わり様々な魔獣と敵を相手にしてきたーーと、ここでカズマはとある出来事を思い出す。
 旅の始め、カズマに助けを乞うたあの純精霊。彼女の望む事を行えば、もしや力になってくれるのでは。カズマは即座に提案する。

「あの|純精霊《女の人》、何か知らないかな」
「!ああ、あの時のか」
「あの姿なら1000年以上生きているだろうって、前言ってたよね?あの女(ひと)、この森が綺麗だった頃を知ってたんだ。それなら、あの呪いを掛けた人に会った事があるかも。あのひと、今助けを求めているし協力すればあの呪いの魔力を辿るのを手伝ってくれるかも」

 カズマは焦燥のあまり自分で何を言っているのかが分からなくなる。しかし、それがこの場で唯一の救いである事を分かって、その口を動かし続ける。

「成る程……一理ある」
「なら、やろう!」
「カズマ」
「ん?」
「何をそんなに焦っている?」
「え」
「カズマにしか判らない何かがあるのか?」

 ここで問われて初めて、カズマは自身の焦燥を自覚する。何をこんなに焦っているのか。専門家でもない癖に。教えを乞う側である癖に。
 だが、その時カズマの思考が止まったのはほんの一瞬だった。この気持ちは紛れも無く本物で、そしてカズマ自身もので間違いはなかった。その場でカズマは断言する。

「うん、ある」
「!」
「今急がないと、手遅れになる気がする。多分、まだダメなんだ」
「手遅れ?」
「うーん……上手く言えないけど、まだ早すぎるって思ってる。良く分かんないけども、今あの封が解けては困るというか、まだ元に戻れてないと言うか」

 ここでカズマは唐突に言葉を切った。自分でも何を言ったか分からなくなってしまったのだ。ポカンとする面々に向かって、ポカンとしたカズマが逆に問いかける。

「……ん?あれ、俺、今何て言った?」
「封が解けたらとか、元に戻るとか……カズマ、君ほんと何者」
「そっ、んなん俺だって聞きたい!」
「ですよねー……」



 件の日の真夜中、人知れずそのようなやり取りがあって、帝国の彼等を説得する話へと彼等は至った訳である。緊急事態が故、帝国の隊長達を探すよりも先に、純精霊(あの女性)の拘束されている地を目指す事になったのであった。

 リュカが起きないという「演出」は、実のところ必要な措置ではない。だが、思った以上に帝国側へ動揺を与え、彼等の同意を取り付け易かった、という事もあって、そのまま続けられる事となった。
 それ以外にも、リュカの突撃を危惧しただとか、行先を変更した理由を変に勘繰られないようにだとか、様々な理由があってそちらが優先された。
 そしてこの後、一連の事件が解決した後でも、リュカへ真実を告げる者は誰一人として居なかったという。





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