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018.夢の話



 カズマは眠りの中でも、それが夢だという自覚があった。
 この世界で夢を見るのは初めてだった。


 此処に来てからというもの、カズマは夜に夢を見ることがなくなった。それこそ不思議な位、時に眠気すら感じる事はなかったのだ。眠れぬ事が不思議で、しかしそれが違和感になる事は無かった。それこそ、最初から自分がそうであったかのように。

 見張りを除き寝静まった皆の寝息に耳を済ませながら、カズマは闇夜の音をずっと聞く事もあった。かの森の夜は酷く寂し気だ。何の音もーーそれこそ虫の鳴く声すらせず、風で擦れる木々の鳴く音すら心なしか哀愁を誘う。カズマはずっと、微かに聞こえる夜の音を聞きながら目を閉じ、朝が訪れるのをひたすら待っていた。

 元の世界では、カズマはどこにでもいる本当に普通の高校生だったのだ。容姿で持て囃される事はあったが、本当に普通の、どこにでもいるようなにんげんだったのだ。だけれども、この世界へ来てからというもの、カズマは時折自分の存在に違和感を感じるようになった。

 世闇に何かの気配を感じるようになった。疲れを感じなくなった。ひとの魔力の強さに安堵する。そして、段々と鋭くなる魔に対する感覚に、腹の底からじわりと湧き上がってくる焦燥に、カズマは苛まれるようになったのだ。早く彼処へ行かなければと、手遅れになる前にと。自分が自分でなくなるような、ともすれば最初からそうであったかのような変化を、しかしカズマはすんなりと受け入れてしまっていた。そういうものであると。
 夜の匂いを嗅ぎながら、カズマはこの世界の行く末を案じていた。

 その日は珍しく、カズマは夢を見た。夢と言うよりは、誰かの記憶を見ている感覚に近い。今のカズマには、それが誰なのかをすぐに理解できた。

『私にはもう、無理です』

 声が聞こえる。その声音に滲むのは、聞く者の肝を冷やすような冷たい響き。ちゃんと、彼が“ニンゲン”であった頃、以前の彼ならばそんな声音を出す事なんて無かった筈なのに。彼の言葉の端々に冷え切った感情が滲み、彼がすっかり変わってしまった事をより引き立てる。そんな彼の声を聞いただけで、夢の中のカズマは心臓を鷲掴まれたような気分になった。まるで別人。彼は、すっかり変わってしまった。

『……意志を強く持て。お前以外に、アレは殺せない』

 そして、相対するその者の声は、おおよそ感情など籠っていないような、まるで人では無いかのような無機質な音だった。夢の中のカズマは、この声を知っている。知っているからこそ、憎らしく思う。この男は、自分の欲しいものを何でも持っているのだから。
 それを証明するように、男を見る彼の瞳は語っているのだ。愛しいと、切ないと。冷たい男の声は、更に続いた。

『お前にも分かっている筈だ。何の為に己がアレの側に置かれているか。何の為に我が此処へ現れたのか。全て分かっているだろう』
『ええもちろん……そう言う貴方もご存知でしょう?最早、今の私にアレは殺せない。私自身、既に呑まれかけております』

 その光景を、カズマは陰から盗み見るように眺めていた。そして、夢の中のカズマは思うのだ。彼が自分のモノには決してならない事を分かっているに、燻る感情を抑える事が難しくなっている。
 彼に命令するあの男を、どうにかしてしまいたくて仕様が無くなる。定めが何だ。運命が何だ。そんなモノ、ぐちゃぐちゃに踏み躙ってやりたい。
 人前でその感情を取り繕ってみても閉じ込めてみても、どうしても滲み出てしまう自分の心が憎らしく感じる。自分の求めたものは何だって手に入らない。それを自分自身で認めてしまっているようで、取り繕えない子供じみた自分に苛立ちが募る。
 そして彼は、男に向かって更に言葉を紡ぐ。

『この塔はアレを閉じ込める檻であり闇であり、全ての元凶。そしてアレは、私の、私達のーー……。貴方は酷い御方だ。全部分かった上で、アレが私に目を付けると分かって此処へ導いた。私の気持ちにも気付いていた上で』
『…………』
『やはり上に立つ者、些細な出来事にも動じず目的を果たす事ができるのですね』

 しかし、夢の中のカズマは、次に続いた言葉にとうとう我慢の限界を悟る事になる。

『お願いで御座います。私をお切り捨て下さい。もうこうなっては私に役目を果たすだけの能力は残されておりません。時期が来れば、私は完全にアレと同じになりましょう。そして遅かれ早かれ、私は国に、そして貴方達に牙を向けるでしょう。……危険は一刻も早く排除しなければなりません。しかし今の私には自分で自分を終わらせる事が許されてはおりません。導いた貴方が、終わらせるのが責だとは思いませんか?ーー終わらせて下さい、次を、お探し下さい』

 彼の言葉を聞きながら、夢の中のカズマは思い出していた。かつて傍らに寄り添ってくれた、失いたくなかった大切な人。だが失った。自分のせいで救えなかったのだ。その時、初めて感じた喪失感をどうしようもできず、醜い感情に呑まれて暴走してしまったかつての己は、どうしようも無い唯の子供だった。そこは、夢の中のカズマが長い長い生の中で唯一、安らぎを覚えた場所だったから。

 しかし、今は違うはずなのだ。昔のように衝動のままに相手を粛清するような事はしない。虎視眈眈と獲物を追い詰めるなんて造作も無く、老成した思考と理性が己の衝撃を抑える。そのはずなのに。
 目の前の彼の言葉に背筋が凍る。喪失の恐怖。またしても自分は失ってしまうのかと。身体中を駆け巡る醜い欲の塊が腹の底から何かが湧き上がってくるようで震えた。

 そして夢の中のカズマは、どうしようもなく目の前に現れた侵入者を排除してしまいたい衝動に駆られた。そんな事ができるはずなどないのに、それほどまでに自分と男の間には隔絶された力の差があるというのに。失う前に破壊してしまえと言う本能に段々と逆らえなくなってくる。
 かつて力の強さを恨んだ夢の中のカズマは今、無力感に苛まれている。そうして、影に潜みながら、沸き起こる凶悪な怒りに耐えていたカズマはとうとう、彼に見つかってしまう。

『……盗み聞きとは随分な事ですね、ノルーー』

 自分の名を呼んでくれた、というその感情を最後に、カズマは急激に意識の浮上を感じたのだった。


 現実に、返ってくる。
 カズマがハッと目を開くと、目の前には相も変わらず、不気味で真っ暗な森の夜闇が広がっていた。ここのところずっとカズマが感じていた、夜の匂いがした。

 身体を起こせば、自分を囲む様に眠る仲間達の姿が目に映る。そこにはもちろん、その人もいる。ゆっくりと上下する彼の身体になぜか安堵して、大きく息を吐くと再び身体を横たえた。

 カズマは今し方見た夢の事を思い浮かべた。混乱はしていない。ハッキリと、夢の内容を思い出せる。

 あの場所は、ほとんど真っ暗ではあったが石造りの部屋のようだった。そしてカズマは、誰か別の人間の視点になってその光景を盗み見ていた。薄暗い部屋に2人の男が居た。
一人は金髪だったように見えたが、所々に混じる黒のせいか、とても鈍い色をしていた。黒い内着の上に、今自分達が着ているものと変わらない茶色のローブを纏っていた。足元から伸びるそれは鎖だったろうか。

 そしてもう一人の男はというと。ハッキリ言って人ではなかった。人の形をしてはいたけれど、纏うものはまるで人とは違っていた。全身が白銀にぼんやりと輝く姿で、目と指先だけが色を湛えていた。油断なく透き通るスカイブルーの瞳はまるで総てを見透かすよう。
 そして、恐ろしく膨大な魔力を内に秘めていた。今のカズマには分かる。あの男の力は、到底人が持てるようなものではない。あの男は精霊族だ。自らの力で魔術を操るただ唯一の一族、そして「人を導く」者たち。

 真っ暗な石造りの部屋で、暗くとも彼等の見分けがついたのは、きっと視点の人間の夜目が効くからだろう。彼があの部屋にほとんど軟禁されていたのは、カズマの視点となった者の思考から知る事ができた。誰かが、あの鎖の彼を飼い殺しにしていたのだ。そしてそれを望んだのはあの精霊族の男で、その“誰か”を殺したがっていた。彼はそれを拒否し、自分を殺せと進言していた。

 だが、とカズマは少しだけ口を尖らせる。
 夢の中のカズマは、鎖に繋がれた彼を明らかに好いていた。そして、その“鎖の君”は、精霊族の男に気があって。そしてその精霊族はそもそも人間に興味が無い。何と、立派な三角関係では無いか、と。気付いてしまったらもう、カズマは高校生的な思考でもって、そのことしか考えられなくなってしまった。
 彼等三人が全て男ばかりなのはご愛嬌。ラウルやロベールの様子から、カズマにもこの異世界はそういう恋愛ごとに男女の境がない事は薄々感じられていたのだが。何でこんな所まできて、恋愛ごとに頭を使わされなきゃいけないのだ、とカズマはぐうと唸った。

 それでもまだまだ自分は、現代の高校生の感覚が抜け切っていないらしい、カズマは気を取り直すように顔をゴシゴシと擦る。
 思わず頭に浮かんだ、学校であった出来事に思いを馳せてしまいそうになる。一体全体、何がどうして恋愛などというものに発展するのか、カズマには甚だ理解出来ない。

 彼女こそ作れなかったが、大層モテた彼の学校生活は何かと波乱に満ちていた。何せ、女子と男子がカズマを取り合って修羅場になったのだ。カズマには理解し難かった。恋だの愛だのというものがよく分かっていない。彼のファーストキスはほんの小さな頃に見知らぬ同年代の男の子に奪われたし、恋愛に走る人間の心情がそもそもよく理解できなかった。

 憧れの気持ちは男子にも女子にも抱いたけれども、それだけで終わってしまっている。それ以上の感情は湧く気配がない。こんな自分は、ちゃんとした人生を歩む事ができるのだろうか。カズマが高校生だった頃、彼はそう思い悩む時も多かった。今は、どうだろうか。

 そうやって、カズマは昔を思い出しながら、小一時間もそんな事をツラツラと考えてしまったのだった。朝になり、仲間達が次々と起き出す様子に、カズマは後悔した。苦手な事は考え過ぎるべきでないな、なんて思いつつ、いつものように起き上がるのだった。

 だが、そんなことを夜ふけからずっと考えてしまったせいだろうか。カズマはその日、とうとうやらかしてしまうのだ。

「そう言えばあまりお話できていませんでしたね。先日は本当に助かりました。ありがとうございました」

 出発の準備を兼ねて身体を解していた時。不意にかけられた声にカズマは振り返った。そこには、赤髪のローラントが立っていたのだ。和かな表情や距離を置いた上での対応のおかげか、軍属ではないカズマにも威圧感は感じられなかった。彼は人との交渉事に長けているのだろう、どこかリュカが良く見せるようなその雰囲気を感じてしまって、カズマは他所行きの顔をすっかり忘れてしまっていた。ローラントに対するの好感度が無駄に良かったせいか。あんな夢を見たせいか。カズマはこの時、気が抜けてしまっていたのだ。そして、普段は無意識に抑えていたものがダダ漏れになる。

「改めまして、ローラント=エディンガーです。同行をさせて頂いています」
「どうも、俺はカズマです。ほとんどリュカのお陰ですけども……無事で、よかったです」

 ヘラリとカズマが身内にするように笑いかければ、ローラントは一瞬惚けたように動きを止めた。あれ、と、どこかで見たような懐かしい反応に、カズマはかつて友人から付けられた不本意なアダ名を思い出してしまう。

「ローラントさん?」
「……あ、いやすみません、」

ーーお前、今日から【人間キラー】な!女の子だけじゃなくて男にも言い寄られるなんて、お前それ絶対才能だよーー

「笑顔があまりに素敵だったので」

 不本意なアダ名の名付け親の言葉をこんな所で思い出す羽目になるとは、どうやら自分のその能力は顕在らしい。と、カズマは顔が引き攣りそうになるのを必死で抑えた。アレクセイの彼等にはあまり効いていなかったから、すっかり油断していた。

「しばらくの間、よろしくお願いしますね」

 え、という戸惑ったような表情で凝視するリュカの目の前で、ローラントはとびきり上等な笑顔を見せてきた。やらかしてしまったのだろうか、とカズマはそんな事を思いながら、差し出された握手に反射的に応えることになったのだった。

 あの堅物おかんローラントが魔術師に惚れた。
 そんな噂がライカ帝国の者達全員に知れ渡るのは、間も無くの事だった。





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