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014.親殺し




『何でアンタがそんな事しなきゃいけないんだよ!アイツらが勝手にやった事じゃんか!勝手に押し付けただけじゃんか!』

 絶叫する彼は、彼の腕を必死に掴んで、子供のように必死に引き留める。それでももう、心は決まっている。ちゃんと、迎えに来るから、帰って来るから、イイ子でね。上目遣いで自分を見上げる対の赤色は、不安げに揺れるばかりだったーー。





* * *





 ふと、真っ暗な視界の中、リュカの耳に入って来たのは、どこか聞き覚えのある声だった。

「で?僕の条件呑むの?呑まないの?」

 一体誰だったか。その声を知っている気がする。リュカはぼうっとする頭で考えながら、しばらくの間微睡む。自分はなぜ、こうしていたのだったか。記憶を辿りながら、身体のあちこちに感じる痺れを自覚した。

「僕もこのこに今死なれると困るんだから、早く決めてよねぇ!別に、この前みたいに喰らうわけじゃないんだからさぁ……」
「ーーーた、ーーーのーーー」
「あいあい、僕も病み上がりどころか真っ最中なのー!戦う気力もないし」
「ーーーーば、……ーーし、ーーーーー」
「へいへい、ふらふらになりながらあんたらもついでに助けてやったんだから、ちょっとくらい感謝してよねぇ……」

 騒がしさにじっと目を瞑っている訳にもいかず、リュカはそっと目を目を開く。だが、結局は視界が少し明るくなるだけで、状況はさっぱり見えなかった。

「あらら?気が付いてた」

 顎を掴まれくいと持ち上げられる。フッと、耳元で微かに笑う声がした。目に写るのはボヤけた人の顔で、しかし誰のモノだか認識が出来ない。自然、眉間に皺が寄った。
 そんな中、その人物はリュカの身体のあちこちを持ち上げては下ろし、持ち上げては下ろしを繰り返している。時々、感覚が鈍く痺れている部位があって、鬱陶しいだなんて思いながらもリュカは段々と状況を理解してきた。自分は毒にやられたのではなかったか。何故、生きているのだと。

「もうー、アンタどんだけ傷作ってんのさ!……めんどくさっ」

 その瞬間、間近で聞こえている男の声をリュカはようやくハッキリと思い出した。この男は確か、先日自分を瀕死に追いやった人物であるのではないか。何故、自分を介抱する仕草を見せているのか。一体何がどうなっているのだと、リュカはひどく混乱した。

「ああー!もうキリないよ絶対これ!ねぇ隊長サン!ベロチューとセックスどっちがみたい!?」
「!?」
「だって!これ絶対間に合わないの!ねぇどっち!?」
「………………」

 何だって、敵に情けをかけられなければならないのか。自分自身に苛立ちを覚えると同時に、情けなくなってくる。何かの役に立ちたくて足掻いてきたし、簡単には殺られないという自信はあった。朽ち果てるとしても、誰かの記憶に残らなくても。胸を張れるだけの、認められるだけの成果が欲しかった。

「僕はどっちでもいいからさぁ早く!」
「…………ーーーー、」
「だからさっき言ったでしょ、アマンダの毒を打ち消せるのは僕の体液だけって。そういう方法しかないのよ。……僕の血液を飲ませるって手もあるんだけど、今回僕は先にこのこの血を飲んでる。【血の契約】が成立しちゃうしダメなんだよね。そもそも、俺の血ィ飲んだらそれこそ“同族”になっちゃうし」

 だからこそ、リュカは戦えば戦う程に恐れを抱くようになった。何の役に立たずにこの世からいなくなってしまう事を。それを考えるだけで、底無しの暗い渦に巻き込まれていく。最初こそ、戦いの末に死んだとしても、それでも良かったというのに。

「ーーーー?」
「そ。互いの血を交換したら契約成立。一生、魂が繋がれる大事な契約。だから、ダメ。このこはダメ」
「……ーーー、ーーーのーーーーーーキ、ーーーーー」

 何の役にも立たずに朽ちていく事に恐怖を感じて、まるでみっともなく生にしがみついているかのように。リュカにはそう、思えてならなかった。何も望んでなかったはずなのに。

「ーーなら決まり。……さてさて、リュカだっけか?くれぐれも噛んだらだめよ。それこそ、ニンゲン終わっちゃうから」

 再び首を持たれ、上を向かされる。大分意識はハッキリしているが、今は視界がほとんどハッキリとしない。リュカには全く状況が掴めなかった。コイツは何をする気だ、と。皆居る気配があるのに。なのに。

「っ、」

 口を塞がれたその瞬間、ナニカが入ってくる。途端、リュカは暴れた。だが、ただでさえ弱っている所に上から覆い被さられて、抵抗なんて出来るはずがない。バタバタとリュカの手が男を引き剥がそうと動くも、到底敵わない。リュカの足掻きはほとんど無駄に終わった。

 リュカは口を塞がれる中、男から強い血の匂いを感じていた。身体ごと逃げを打とうとするリュカを、男は逃がさず。奥に縮こまった舌は擽るように撫でられた。それを繰り返される内に、空気が足りず息が詰まってくる。
 そうして何度も何度も繰り返され、とうとう耐えきれなくなったリュカは。空気を求めて大きく口を開けてしまう。それを待ってましたと言わんばかり、男の侵入はそこから一層深くなった。

 絡め取られた舌は緩く吸われ、同時に首を固定している男の手が顎の輪郭をゆるりとなぞった。途端にぞわぞわとする感覚に、リュカは背筋が震えた。クソったれ、だなんて内心では思いながらも、攻められる事になんて当然慣れて居ない身体は正直だった。舌で喉の奥を撫でられ、反射的にコクリと喉が鳴る。其れを何度か繰り返した後で、リュカは段々クラクラしてきた。こんな時に公衆の面前で、一体自分は何をしているだろうかと。

 だがその一方で、みるみる内に視界が晴れていく事に気付く。それと同時に、視界一面に男の青白い顔が映る。男の眼、赤い虹彩の中、獣のような瞳は生き生きとリュカを写し出しているのが見えた。まるで獲物を見つけたかのような。
 一瞬そのような想像をしてしまって、リュカはゾクリと背を震わせてしまう。だが、それがいけなかったのだろう。密着している所為で、リュカの動揺は男に直接伝わる。その一瞬を狙ったかのように、男はリュカの舌にその牙をずぶりと突き立てたのだった。

「んぐっ」

 その途端、鉄臭い血の匂いが口の中に充満した。そのまま軽く吸われて、リュカは軽い目眩を覚えた。舌をその牙に貫かれた訳だから、絶対に痛いはずなのに。傷口がゾワゾワとして、気持ち良い気がする。
 吸血種はその眼力により血肉共に喰らう。つい先日そう言っていたラウルの言葉を今更ながらに思い出してしまって、リュカは後悔する。目を閉じて寝たふりでもしていればよかったと。こんなに気持ちが好いだなんてきっと、男の眼力に囚われてしまったに違いないのだ。そのように逃避しながら、リュカは一度ギュッと目を閉じる。
 だが、それは全くもって失敗だった。耳から入ってくる音、口内を吸われている感覚、触れられている箇所から伝わるその熱、それらの感覚がより敏感に脳内に入ってくるのだ。それに気付いた瞬間、リュカは慌てて目を開けた。
 すると途端に目に飛び込んでくるのは、今まさに自分に襲い掛かっている男の嬉しそうな顔で。リュカは混乱の余り、頭が沸騰するような感覚に陥る。にっちもさっちもいかぬ状況に、リュカは最早、早く終われと何度も願う事しか出来なかったのだった。
 しばらくして、再度に口内中に溢れてきた液体を反射的に飲み下す。するとそれはーー食らいついていたその牙はようやく、ゆっくりと舌から抜かれていく。その後も暫く舌を吸われ舐られ擦られ、リュカが我に返った時には舌に突き立てられたその痛みは、消え去っていた。

 牙が抜かれた後も、何故か何度も何度も舌を吸われた。溢れてくる唾液を何度か呑み込んで、息も絶え絶えになった頃。リュカの舌は漸く解放されたのだった。
 息苦しさやら何やらで息を整えつつ、リュカが何をしやがるのかとばかりに男を睨み上げる。
 すると男はなんと。満足気な顔で、明るく言った。

「どう?キモチヨかった?」

 その途端、リュカは静かにキレた。さっきまでぶっ倒れていたとは思えない程素早い動作で、油断しまくっている男の顔面を右手で思いっきり握り締める。

「ンブッ」

頭を潰してやろう、という気概が感じられる。途端に男の悲鳴が上がるも、リュカは容赦しなかった。例え自分を助けてくれたのだとしても、皆前でこのような姿を晒させるなんて、と。
 俯き加減にジリジリと起き上がりながら、空いている左手の袖口で口元を拭う。微かに血の痕が見えて、またあの熱が来るのでは、との不安にリュカは更なる苛立ちを覚えたのだった。
 だが、そのまま男の顔を握りながらその場で立とうとした所で突然、目眩を覚えた。フラッと態勢を崩し、男の顔面から手を離してしまう。リュカが地面に手を付いた時には、逆に男に腕を取られ支えられる事になる。

「あっちゃー……ゴメン吸い過ぎちった」

 リュカの目眩は、しばらく収まりそうになかった。
 そんな様子を不安げに、しかし警戒しながら眺めていた一同は、リュカの突然の反撃にスッキリしながら、スッカリ毒気を抜かれていたのだった。


 それから暫くして。ようやくリュカの貧血の症状が治まったところで、リュカと男は向かい合うようにして座る。そして男は、待ってましたとばかりに言った。

「解毒薬ちょーだい」

 その瞬間、リュカは呆けた。敵だったはずの男が、今目の前でぶっ倒れた自分に助けを求めるなど。一体どのような状況なのだろうかと。リュカは怪訝な表情を隠しもせず、男の若干ながらやつれた美貌を見つめる。そんなリュカの様子どう思ったか、男は更に訴える様に続けた。

「ほら、君が刺した短剣に塗ってあったヤツのだよ!もうホントさ、今だって吐きそうなくらい気持ち悪いんだから!僕も毒はもう懲り懲りなんだよぉ、まさか僕に効く毒が有るなんてさぁ」

 それは完全に泣き言だった。

 これはリュカが後から聞いた話であったが、アマンダというあの女の攻撃で身体を乗っ取られたリュカは、操られるがまま隊に攻撃を仕掛けたという。しかし、剣を手にしていなかった事が功を奏して、リュカが直接誰かを傷付ける事はなかった。何とかリュカを正気に戻そうとはしたが悉く失敗に終わり、止む無くアマンダ共々攻撃、崖に追い詰めあと一歩でリュカ諸共火炎の渦の餌食に、という時。突如、この男ーーノーマと呼ばれていたあの吸血種の男が現れたのだ。
 そしてノーマは何と、その場で炎を蹴散らしたかと思えばアマンダを諌めて追い返し、おまけにたった今リュカの体内の毒素を浄化した。

 リュカも、薄々事情は察してはいたのだが、余りに突然の請願に声を失う。危うく殺されかけたというのに、何て言い種だろうかと。貧血であるのも相俟って、リュカの機嫌は最低だ。

「…………」
「そんな顔しないでよ。僕だって命張ったんだよー?君の中の毒も解毒したし、アマンダだって説得するの大変だったんだから」
「……それに関しては、まぁ、感謝しても良いかとは思いますがーー」

 リュカは内心複雑だった。この男のせいで死にかけたし、何よりも敵であるのだから信用なんて出来るはずがない。何処の馬の骨とも知らぬ変態。リュカにはその程度の認識である。

「いやね、この前だって僕、君を殺そうとは思って無かったわけよ!偵察がてら遊びに来ただけだし?あん時君に刺されなきゃ、僕の能力でちゃんと傷も塞ぐつもりだったし、ちょーっと血を吸いすぎたかなぁって位で……」

 リュカが無言でいれば、頼んでもいないのにノーマはペラペラと事情を説明する。随分と口の減らない男だと、リュカの口からは溜息が零れた。

「そもそも、君を助ける時にちゃんとタイチョーさんに確認というか、許可とったし?助ける条件も、解毒薬くれるならって事だったの。第一、アマンダの毒は人間では解毒できないんだよ。どんな薬草も、どんな治癒術も効かない、受けたら最期の"死の劇薬"なんだから」

 “死の劇薬”というその言葉に、リュカの思考が止まる。それを見越したのか、それとも唯の気紛れだったのか、ノーマは突然ズイとリュカに顔を寄せた。咄嗟の事に反応も出来なかったリュカは、男にその腕を取られ、至近距離から目を合わされる。先程嫌と言うほど見た赤い目が、再びリュカの目の前にある。動揺を悟られているような気がして、リュカは誤魔化すように男の言葉を反復した。

「死の、劇薬ーー」
「そ。彼女の毒を無効化できるのは僕の能力、というか僕の存在だけなんだ」

 至近距離で、言葉を失ったリュカに向かってノーマは笑みを深める。まるで自分の一挙一動が、この男によって支配されているような感覚に陥る。リュカは思わず息を止めた。

「おかげでアマンダは僕にしか触れないから僕にゾッコンだし?僕の言うことは何でも言うことを聞く。彼女も寂しがり屋さんだからねぇ。僕と毎日一緒に寝てるよ。ーーそうそう、アマンダが最初に殺したものって何だと思う?」

 敵であることを忘れてでもいるのか、はたまた何か考えがあってそんな事を聞くのかは、リュカには分からなかった。だが、ノーマは少しだけトーンを落としてリュカへ問いかける。恐らく、リュカにしか聞こえていないその問い。あまりにもな内容に、リュカは応えられなかった。リュカの思い付く限り、最悪のパターンが頭に浮かぶも、それを口に出す事は憚られた。
 そして、そのように黙りこんでしまったリュカに、ノーマはやけに楽しそうな顔で告げる。

「彼女が殺したのはね、母親だよ。ーーそれも、彼女が生まれたのと同時にね」

 今度こそ、リュカにだけ聞こえるようなヒソヒソ声で、ノーマは言い放った。楽しそうに、リュカの反応を見るように。その瞬間、リュカは息をする事を忘れた。

「流石の僕らだって、彼女程特殊な能力は倦厭するよ。実際、俺の一族が居た頃ですら、親殺しは重罪だった。勿論、彼女が生まれた世もね。お陰で、彼女は同族の温もりさえ知らないんだ。そりゃあもう、どろどろに甘やかしたくもなるだろう?不憫で可哀想でさぁ」

 声を失うリュカの目の前で、ノーマは思わず背筋をゾクリとさせるような底知れぬ笑みを浮かべている。何のつもりでこんな話を自分にするのか。リュカは実際、彼の言葉に動揺した。思わず合わせてしまった目を逸らすことができない。赤く縁取られた虹彩が、ギラギラとした光を放っている。その輝きに、リュカは囚われるような感覚を覚えた。

「ねぇ、君にも分かるでしょ?彼女があんな風に君を痛めつけたいと思った理由。アマンダにとって僕は唯一なんだ。だからさ、あの襲撃も大目に見てよ」
「…………」
「ほら、解毒薬くれたら僕もちゃんと帰るし。……僕、塔に帰ったら暇だし、折角だからもうちょっと味見したいんだけどーー」

 ゆっくりとした動作で、彼の手がリュカの顎を擽り上を向かされる。抵抗は出来なかった。リュカの至近距離で発せられる言葉が、リュカの頭の中で何度も反響している。近付いてくる顔に、反応出来なかった。

「何をしている」
「……うっひょー」

 上から降ってきた声と共にリュカはハッとする。見れば、大振りの剣がノーマの首に突きつけられている所だった。慌ててリュカはノーマから距離を取ると、その場でラウルを見上げた。

「ラウル殿……ありがとうございます」
「リュカ、あまり隙を見せてはいけない。この男には【魅了】する魔力がある。囚われれば自力では逃れられない」
「ケッ……ワンコロの癖によく知ってーーうげっ、ギブギブ!僕死んじゃうー」

 ラウルに言われてようやく魅了の魔力についてを思い出す。やはりこの男に魅了にかかっていたのだろう、とリュカは胸を撫で下ろす。何を好き好んで自分を、とリュカは不思議に思わずにはいられなかった。盗み見るように様子を伺えば、丁度ラウルがノーマの首を大剣で締め上げようとしている所だ。
 例えノーマがラウルを口汚く罵ろうとも、ラウルがノーマの顔面を鷲掴もうとも、そこに殺る殺らない、といった闘いの気配は一切感じられない。ノーマには今、本当にその気が無いのだろう。

 リュカはこの状況に困惑しながらも、何処か心の奥底でそれを安堵していた。どちらも喪わなくて済む。未だドクドクと音を立てて騒ぐ心臓を収めようと、リュカは深く深く呼吸した。





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