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012.リュカ=ベルジュという人



 その日以来、リュカが頻繁に夢に見る光景があった。それが実際にあった事なのか、それとも唯の夢なのかはリュカには分からない。しかし、その夢は妙にリアルで、リュカは幾度となく背筋が凍る思いをする。そして、衝撃に目が覚めるのだ。
 これは夢だ、現実とは違うのだ、と繰り返し言い聞かせ、いつも通りの日々を過ごすのだ。
 夢のようにならなぬよう、リュカは気を引き締める。


ーーーー仲間は次々と倒されていった。生きているのか、死んでいるのかも分からない。
 魔王の力は想像以上で、普通の人間では到底かなわなかった。残る仲間も自分と魔術を操る彼と、隊長その人だけだった。そうして互いを庇いながら後退していく自分達に、魔王はニヤリと笑うのだ。背筋がたちまちに凍るような嘲笑。
 仕掛けた封印術も、見破られて術半ばで破壊された。残る魔力で封印術をかけようにも、そのような余裕は自分にはなかった。自分達は仲間を失い過ぎたのだ。絶望すら漂い初める中、魔王は目の前に現れると、ゆっくりと口を開いてーーーー

 そこでいつも、リュカは夢から目が覚める。繰り返し繰り返し、いつも同じ光景ばかりが夢に出る。
 それが夢だとは分かっていても、そこで感じる絶望感は中々忘れられそうに無い。
 飛び起きた後は眠れる気分にもなれず、リュカはいつもそっと寝床を出るのだ。そして、その夢を見た日はいつも決まって、リュカは気が済むまで身体を苛め抜くのだ。ひとりきり、厳しい訓練をすれば、その時ばかりはリュカは無心になれる。




 リュカの場合、1日の始まりは大抵訓練から始まる。朝も暗い内に起き出してすぐ、寝床からそれ程離れない場所で身体を動かすのである。それは素振りである事が多いが、時折駆けたり登ったりをする事もあるのだ。
 そうして訓練から戻ると、他の面々も徐々に起き出して、物好きな者が食事の支度を始める。それはジャンであったりアンリであったり、その日によってまちまちだったが、食事の内容を決めたいからと毎回引き受ける人間も居たりもするのだ。そして、軽い食事を終えると早速、カズマへのスパルタ教育が始まるのである。

「封印術?」
「そう、魔王を倒すためにとよく言われるが、実際の所は魔王を完全にこの世から消し去る事は不可能だというのが定説だ。それをどうにかする為に開発されたのが、この封印術だ。通称、ーーーー」

 カズマはそう説明するエレーヌの講義を熱心に聞いていた。それを小耳に挟みながら、リュカは一人遅めの食事を口にしていた。と言うのも、今日の朝は妙な夢を見たせいで、リュカは誰よりも早い時間に起きてしまった。二度寝をする気分にもなれず、周囲を走り回った挙句に体力が尽き、皆が起き出す頃に寝所に逆戻りしてしまったのである。

 朝だというのにひとり汗だくで、グッタリとしたリュカを見て、アンリは頭を抱えたという。噂に聞く悪い癖が出た、と。こうなっては、頑固な反抗期のリュカを動かす事は出来ないだろう、なんていう諦めもある。
 リュカがそうなるに至った原因に多少なりとも覚えのあるアンリは、ほんの少しだけ罪悪感を感じつつも、その反面リュカにだってそうされるだけの要因があるのだと思えてしまって、何とも収まりの悪い感情を覚える。
 リュカ程、自分の命を軽く考えて居る者は居ないだろうと、アンリはどうしたってそのような考えに囚われてしまう。
 そういったアンリの考えを反映してだろう、先日の怪我以降、リュカはしつこく何度も、カズマの護衛の方が良いと勧められてしまう。当然、アンリの入れ知恵も勿論あるので、カズマから信頼を得ているリュカが側にいた方が良い、傍に居て護ってやれ、だなんて代わる代わるリュカは説得を聞かされるのである。

 しかし、リュカの考えは真っ向から違った。カズマは魔術師である。そんな彼の傍にはエレーヌやジャンが居た方が良いのだと。リュカが傍に居るよりも、最高峰の魔術師二人が居た方がカズマの為になるのだとそのように主張して聞かなかった。
 結局、そのような自分の考えを押し通してしまったリュカは、己をわざわざ結界の内側に囲おうとする者達から逃げるように、さっさと狩りに出かけてしまうのである。
 リュカは隊内でも素早い攻撃を得意とする騎士だ。加えて悪知恵だって働くような油断ならない男で。のらりくらりと場を読み、隙を突いて音も無く何処かへ消えてしまうのだ。リュカが本気でそのように行動してしまえば、大将格として優秀だと目されるアンリであっても、最早お手上げなのである。
 そうやって、リュカが1日に2回3回も姿を消せば、アンリやらラウルやら、リュカを無理に引き留めるような事はしなくなった。時折何かを訴えるような視線を感じる時もあったが、リュカはそういう時、務めて無視を決め込むのだ。


 グッタリと疲れ果てた身体を休め、遅めの食事をひとり食べ終えると、リュカは今度こそアンリの指揮下へと入る。言われたように魔獣を間引き、たまに良さそうなレベルのそれを、土産として気絶させて引き摺って行く。己が引っ張っていけるギリギリの所、中型の魔獣を引っ張っていった時には、カズマやジャン、おまけにエレーヌには物凄い顔をされる等した。一体自分を何だと思っているのか、彼等を問い正してしまいたい、などと思ったりしたが、リュカはすんでのところで思い止まった。
 一方の騎士団組は、そのようなリュカの勇ましさも慣れたものーーと思いきや。ラウルやロベール等、余り任務で関わる事のなかった面々はどうやら魔術師達と同じような反応をしやがるので。リュカはやはり少しだけ不機嫌になる。どいつもこいつも、騎士を何だと思っているのか。舐められているようで、気分は良くない。そのような所為もあって、リュカはうっかり彼等との会話を無視してしまうなどした。

 他者と積極的に関わる事は余りしないが、任務と言われれば当然リュカだって協力くらいはする。それが義務だからだ。先日のマティルドの一言には特に、かなり腹を立てている。だからリュカは今まで以上に取り繕って、意地になってまで、隊の内輪にも参加するようになった。『人を避ける帰来がある』というのは確かにその通りなのだが、それだって理由もきちんとある。
 誰しも、人に知られたくない事はある。リュカの場合はそれが多岐に渡り、しかも知られてはいけない類いのものまであれば、人を避けたくもなる。誰も、リュカの気持ちなど本当の意味で理解など出来ないのだから。本人がそれで良いと言っているのだから、他人にとやかく言われる必要はない。
 それを皆前で言葉にされるなんて、それはもう、怒りしか湧かない。
 きっと皆、リュカのその怒りを察しているだろう。何せあの日以来、リュカはマティルドへ執拗に絡むのだから、気付かない筈がない。リュカにも場の雰囲気を悪くしている自覚はある。悪いとも思う。
 けれどそれは、リュカにとって負けられない戦いなのだ。毎度毎度、ほんの些細な事でもリュカは食い下がった。それからほんの数日後。とうとう音を上げたマティルドが、リュカに向かって頭を下げる。
『悪かった。あの発言を撤回する。ーーだからもうやめてくれ』
 微かに青褪め、目を合わせる事も出来ずにそう言ったマティルドに。
『一体何をおっしゃっているのです?』
 だなんて、リュカが笑顔でそう返したなんていう話は、しばらく隊内で語り継がれる事になる。
 だがそれ以降は、リュカの態度は以前のものに戻り、雰囲気の悪さも瞬く間に解消される事になった。ただ単に、リュカはマティルドに悪いと思って欲しかっただけなのだ。
 しかし、やり方がやり方なだけに、リュカ=ベルジュ、騎士団参謀長の肩書きに違わず、などと幾人かはその認識を改める事になった、というのは別の話だ。
 そのような彼等の旅の日常も、瞬く間に流れて行く。数日、或いは一月の間、彼等は先へと順調に進み続けた。この度の先に何があるかも分からない。それでも、明るい未来を信じて彼等は行くのだ。


 その日もまた、いつも通りに戻ったリュカは、アンリに命じられ魔獣退治に勤しんでいた。人を襲う害悪でしかない魔獣は、例えどんなに小さいものでも油断していては痛い目を見る。慎重を期しながらも、リュカは確実に処理をしていった。
 当初はあれ程不安だらけだったノワル=ブワ(魔の森)越えも、一部を除き怖いほど順調だった。討伐隊は、確かに個々が優れた戦士であって、完璧な布陣だからという安心感もあるだろう。だがそれ以上に、彼ーーカズマの影響は無視できないものだった。上手くは誰も説明できない。しかし、彼か居る事によって齎されるものは確かに存在した。
 カズマの保持する魔力量は、明らかに常軌を逸していた。エレーヌやジャンは、カズマのそれに言及する事は無かったが、その成長スピードも恐ろしい程に早い事には真っ先に気付いていた。子供が著しい成長を遂げるように、新しい知識をどんどん吸収していったのだ。いっそ、最初から魔術を知っていたのではと疑う程に。戦力は多い程良いに決まっている。カズマという異世界人は、勝利の女神に等しいと、誰もがそう信じしてしまう程だった。

 その日のリュカの成果は、ウサギ型の小型の魔獣だった。小型故にすばしっこく、爪も歯も鋭い。本気で逃げられてしまえば、人間などは到底追いつけない。それでも何とか工夫を凝らして捕らえはみたものの、余りにもキーキーと煩かった為、いつだったかリュカが騎士団で貰った鎖付きの声封じの魔道具で大人しくさせる。
 かつて誰かを黙らせる為に使用した鎖は、今日は魔獣捕獲の道具となった。リュカは満足気にウサギの耳を引っ掴むと、隊の待機場所へと踵を返した。だが次の瞬間、リュカは違和感にはたと立ち止まった。ジャンの結界が、なかったのだ。
 リュカはすぐに、先程しまったばかりの剣をスラリと抜いた。どこかに留まる限り、アレクセイ王国の部隊において、結界は必ず張っておく事になっているのだ。それが無いのだとすれば、それは何者かに破られたに違いない。リュカは腰を落としてそろりと動きながら、エレーヌ達の魔力を辿って進んだ。
 狩りに出たリュカがここまで敵に見つかってはいない。という事は、先日の吸血種の男とは別の何かだろう。余り索敵に明るくはない、しかし音も無く結界が破れる程の何か。リュカは瞬時にそう断じて、音を立てぬよう、慎重に足を動かしたのだった。




「ほらあんた、さっさとお言いよ。黒髪の剣士は一体どこだい?」

 声が微かに聞こえた所で、リュカはそっと速度を落とす。決して気付かれないように、その場所にゆっくりと近寄る。森の中にありながらも岩場であったはずのそこは、まるで蛇のような緑の蔦に一面覆われていた。微かに動く蔦は、女の感情に連動するかのように蠢いている。
 蔦に絡まり身動きの取れない皆が、ギリギリと悔しそうな表情でその女を見ていた。成る程、音も無く包囲出来るならば多人数にも有効な手段なのだろう、とリュカは少しばかり感心しながら、女を観察した。
 エレーヌやジャンは特に厳重に、口も手も塞がれてしっかりと魔術を封じられている。エレーヌ、カズマ、ジャン、マティルド、アンリ、そして同じく間引きに向かったはずのロベールとラウルも居る。全員居合わせている時に襲撃を受けたのだろう。そんな事を頭の片隅に、リュカはぐるりと見回しながら全員の位置と状況を確認したのだった。


「だから、先程も言ったはずだ。ここへは来ないと……彼は、与えられた任務中、暫くここへはーー」
「嘘を言うんじゃないよ狼の坊や。そのでっかいお耳で、その剣士がどこにいるかくらいわかるだろう?でなきゃそんな飾り物のお耳、私がぶった切ってやるんだから。ーーさぁ坊や、早く言わないと、この場で剥製にするわよ。私は美しいものが大好きなの」

 ニタリと笑うその女は酷く美しかった。うねる真っ黒な黒髪は彼女の豊満な肉体を包むほど長くそして艶やかで、危険な夜の雰囲気を孕んでいる。男を惑わせて闇に落としてしまうような、そんな危うさ。木の影より伺い見ているリュカでさえ、その美貌にくらくらとする。甘い香りはきっと、女の武器に違いなかった。考えられるのは、幻覚か洗脳か、或いは毒の類いか。リュカは素早く考えを巡らせる。だが、余りゆっくりとしてはいられそうになかった。

「早くお言いよ、あんたが言えば皆解放されるのよ。ーーそれに、仲間を売る事に心を傷めるなら、この私が貴方も一緒に殺してあげるんだから。大丈夫、苦しくないように一瞬で、死んだ後は私がずーっとその肉体を可愛がってあげるんだから。……何なら、先に死んでおく?」
「かっ、」

 女は、ラウルの首を捕まえると、誘惑するかのようなねっとりとした視線で顔を近づける。人間でこれほど甘い香りを感じるのであれば、狼並の嗅覚を持つラウルが平気でいられるはずがない。目をキツく閉じて必死に抵抗しようとしているが、時々見える瞳の焦点が合っていない。顔に皮脂が滲んでいる。このままでは彼が持たないだろう。

 手早く策を組立てつつ、右手に大人しく捕まっている魔獣に目を落とした。腰の剣をゆっくりと抜き、体勢、そして作戦を整える。リュカは女の左手側、背中が見える程の位置に居る。ならばと、リュカはなるべく高く、リュカより最も遠い反対側の低木へと魔獣を投げつけた。途端、ガサガサ!とそれの重みで草木が揺れ、あるいは折れる音が聞こえてきたのだった。

「っそこか!?」

 それにまんまと吊られた女は、途端にカッと目を見開くと、そこ目掛けて蔦の蛇を一斉に向かわせた。リュカはその瞬間を見逃す事はなく、蔦が一斉に地面へ突き刺さる音に紛れ、ラウルに絡まるの蔦を根こそぎ斬り払ったのだった。その途端、甲高い女の悲鳴が木霊した。

「イギャアーーーー!」

 蔦と女の痛覚が共有されている、これ幸いと持ち上げられていたラウルに巻き付いた蔦を全て払うと、力の抜けたラウルの身体がリュカに覆い被さってきた。重い、だが持てぬ程でも無い。

「リュカッ、」

 呼ばれた声に応える余裕はなく、しかし女の怯んだ瞬間を確実に有効活用するべく、ラウルを抱えつつリュカは、短剣とナイフを二本投げ付ける。そのまま女に追い付かれる前に何とか走り切り、目立たない位置にラウルを下ろす。リュカの名を呼んだ後、ラウルはすっかり気を失ってしまっていたようだった。

 そのあとですぐに現場へと駆け戻ると、歯を食いしばった女が、リュカを正面から待ち構えていたのだった。途端、一直線に襲ってくる蔦をギリギリで避け、半ばワザとその蔦を剣で斬り払う。一瞬、女は怯む。
 リュカはそれを見逃さず、そのままスピードに乗り、女へ強力な突きを食らわせたのだった。それを女は、衝撃に押されながらも爪で辛うじて受け止めて、リュカの動きは止まるる。そしてその一瞬で、ニヤリと笑った女はリュカの生命線とも言える両脚を蔦にて捕らえたのだった。

 しかし、リュカだって剣の腕には覚えがある。蔦のここぞ、と言う箇所に剣を突き立てれば、たったのニ突きで軽々と両脚は解放される。即座に女から距離を取ると、リュカは残った蔦を綺麗に払い除け、蔦のない場所まで後退するのだった。それを見た女は、憎々し気にリュカを見る。

「おのれ貴様、ちょこまかと……!!」

 突然襲撃された事に憤るのは分かるだが、幾分頭に血が昇り過ぎではないか、とリュカは思う。それを裏付けるように、女はリュカを親の仇かの如く睨み付けている。仲間を助けるため突進はしたが、そこまで怒るほどの事なのだろうかと。流石のリュカにも分からず自然、眉根が寄る。
そしてとうとう、女は叫んだ。

「よくも……よくも!私のノーマ様をーー!」

 女の言葉にリュカは一瞬考えた。ノーマ?誰だそれはと。

 そういうリュカの思考が読まれたのだろう、女は血走った目でリュカを捉えてくる。今や、女の淫靡な雰囲気はほとんど抜け落ちていた。怒れるその女は、まるで鬼のよう。そして女は、リュカに向かって捲し立てるのだ。

「とぼけないでちょうだい、私のノーマ様のお美しい身体を傷つけたのはアンタだってわかっているんだからねーー!彼は存在そのものが芸術なのよ!?顔だけではなくってよ!白くても逞しい肉体はバランスが良く筋肉がついて、それでもあのクソマッチョみたいなゴツさを感じさせずにスラリとしてるの……あんなに完璧な美しい肉体を持った人は他にはいないの!それを、貴様はーー、よくも、よくも……傷付けるなんて!万死に値するわ!」

 ポカン、と口を開け呆けるリュカに向かって、女はズバッと人差し指を突き立てそのように絶叫したのだった。





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