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011.参謀長



 リュカは顔にかかる木漏れ日に揺り起こされるように、その時ハッと目を開いた。
 既に日は高く登り、木々の隙間から落ちて来る木漏れ日は、暗い森を僅かに照らす。木々の隙間が照らされる様子をしばらく眺めながら、リュカはこんな日が高くなるまで眠ってしまったのかと自問する。
 ゆっくりと記憶を手繰り寄せていく中で、リュカはじわじわと昨夜の記憶を思い出してしまう。それも、こんな所で思い出さなくても良いはずの感覚までもが詳細に。
 肌同士が触れ合う感覚や彼の吐息、そっと触れて来るその指遣いなどが思い出されてしまう。記憶というのは感覚と強く結び付けられ、頭で思い出す時には真っ先にそちらが思い出されてしまうというのは有名な話で。まさか自分も、それをまざまざ実感してしまうなど思ってもいなかった。
 大きな身体に見合わない優しい手付きは、そういった行為に手慣れている事を示しているようで、リュカはとても居た堪れなくなる。まさか同性相手であそこまで快楽に堕とされる事になろうとは、リュカも予想だにしていなかったのだ。あれ程、ラウルが上手いとは。
 リュカ自身も経験が無い訳では無いのだ。付き合いやら何やらで無理矢理奪われたり何だりはしたが、それも随分と昔の事で、しかも当然、相手は女性だった。昔からそういった性欲は薄い方で、自分から誘いかけたり誘いに乗る事なんて当然、ある筈もなかった。
 だというのに。今回のアレは、今までの思い込みやらを吹っ飛ばしてしまえる程、衝撃的だったのだ。あれ程、我を忘れてしまえる程感じ入ってしまったのは、初めてだったから。しかもそれをやらかしてくれた相手が男だったなんて。リュカは信じられなかった。
 一瞬の内にそこまで考えてしまったショックやら悔しさやらで、胸の内から何かが込み上げてくる気分になる。思わず、リュカはその場でサッと顔を覆ったのだった。

「起きたか?」

 その時突然、すぐそばから声が聞こえ、リュカはビクッと身体を震わせた。そっと両手を剥がして声のした方を見れば、今し方リュカが悶えていた件の犯人ーーラウルがそこにはいた。獣の姿ではない、いつもの姿でリュカを上から覗き込んでいる。
 リュカはその場で、コクコクと勢いよく首を縦に振った。多少なりとも動揺しているせいか、随分と激しい首振りになる。だがラウルは、そんなリュカの動揺に気付いているのかいないのか、更に言葉を投げ掛けた。

「そのーー平気か?動けるか?」

 どうやら多少は悪かったと思っているのかリュカの体調を気遣うように声をかけてくる。このまま変に意識するのも違う気がして、リュカは気を取り直し、ゆっくりと上体を起こしていった。途中一瞬、ぐわんと立ちくらみのような感覚を味わうが、昨夜程の熱や怠さはとっくに抜け落ちているようだった。それにホッとして、リュカは大丈夫だとラウルに示すように、今度は落ち着いて首肯したのだった。

「そうか」

 ラウルはホッとしたような顔で短くそう零すと、食べ物を、とその場を離れていく。だがその去り際に。ラウルは極々自然に、リュカの頭にぽん、と手を乗せるように、撫でてから立ち去って行ったのだった。
 びっくりして思わず、ラウルの触れた所に触れるように手をやり振り返る。けれどラウルはもうリュカを見てはおらず、真っ直ぐに仲間の輪の方へ向かう所であった。
 何故だか最近触られる機会が妙に多い。それに納得できない自分と、これは彼なりの優しさであろうという考えが葛藤して、リュカはしばらくその場で呆然と立ち竦んだのだった。

 それから後。
 リュカは心配されながらも笑顔でそれをかわし、いつものような軽い食事を口にしてそのまま、身体のストレッチを始めるのだった。たかだか数日の事ではあったのだが、体力筋力は確実に衰え、身体中が鈍っている事をリュカは自覚していた。
 旅はこれからが本番なのだから、一刻も早く元の戦力へ戻らなければならない。それを多少の焦りと共に思い知りながら、昨晩の事などすっかり無かったかのように、本来のリュカの姿へと戻っていってしまったのだった。
 鍛練などはアンリやらジャンやらに当然ながら止められたのだが、リュカが素直にそれを聞くだなんてするはずも無かった。仲間の事ならまだしも、自分の事となると途端に厳しくなるリュカは未だ、健在であった。
 時にアンリやらラウルやらからすら逃げるようにその場を抜け出すと、こっそりと1人でトレーニングに励むのだった。武器も防具も持ち出して、リュカがこっそりと早朝から抜け出す時、その様子をラウルやカズマがじっと見ていた事にリュカは全く気付くことはなかった。




「カズマもかなり戦えるようになった。ある程度フォローは必要だろうが、何とかなるだろう。予定よりは少し早いが、先へ進もうか」

 そうアンリが宣言して、隊はようやく先へ進む事を許された。先のあの吸血種の襲撃からは、丸5日間が経過していた。

 リュカも元通りとは言わずともすっかり調子を取り戻しており、余裕が出来たことであの時の被害状況を改めて確認するなどしていた。
 結局あの襲撃では、魔術師2人の魔力の消耗が極端に激しかった位で、リュカがぶっ倒れた以外、特に目立った損害は無かったようだったのだ。魔王一族との直接対決にしては、悪くない成果だった。だが同時に、リュカは不安に思うのだ。
 あの男は一体、どこまでダメージを負ってくれたのだろうかと。ちゃんとあのまま、倒れてくれていたのだろうかと。

 もしもアレがまだ生きているのならば、討伐隊は再び妨害を受ける事になるに違いないのだ。何せリュカ達の目的は、魔王そのものの討伐なのだから。激突する事は確実だ。
 そもそも、先日の襲撃はあの男が単騎で乗り込んできたからこそ最小限で済んだものの、もしも複数人が結託などしてきた時にはどうなってしまうか分かったものではない。隊は全員、無事で居られるのだろうか。次は大丈夫だろうか。次の次は大丈夫だろうか。
 そんな事を考えてしまうと、リュカの背筋は途端に寒くなる。このような時だからこそ、自分も含め討伐隊の人間は、一層の強さと狡猾さが求められるのだ。
 たったの一人にあれ程てこずる位ならば、自分などはとっとと強い相手と相討ちでもして、敵の戦力を削げれば良いのになぁと、そんな事をリュカは平気で考えたりする。決して、口に出しはしないのだが。


 その日もリュカは、隊の最後尾で首の傷口を撫でながら歩いていく。時折気遣わしげにリュカを見てくる者達に少しだけ苛々としながら、しかしリュカは普段と違わぬような歩調にて突き進む。

「本当に平気か?」

 リュカの隣を歩くラウルは、それを問いかけてきた。それに手振りで大丈夫だ、という旨を伝えてすぐ、リュカは無愛想に前を向く。そして同時に、何かを考えて居る振りをしてそれ以上の問いを拒絶する。
 これこそが、噂に聞くリュカ=ベルジュのやり方なのだ。「鉄仮面」やら「鉄面皮」やら、そのような渾名に違わずリュカはリュカのやり方で任務をこなすのみ。
 この所、カズマの出現によりリュカは隊の中に入り協力せざるを得なかったが、元々はこのような単独行動を好むのだ。隊の為に動き隊の為に暗躍する。それが彼だった。
 ここ数日、一人で勝手に鍛練を積んでリュカはようやく気付けたのである。これが、元々の自分のやり方ではないかと。カズマのあの雰囲気に、リュカも当てられていただけなのだ。いくら大切に思えども、リュカが傍に居る必要は無いのだ。リュカはそう、勝手に断じていた。

 先程からリュカへしつこく声をかけるラウルは、出発するまでずっと、背中へ乗るようリュカを説得し続けた。勿論、リュカがそれに頷く事は無かったのだが、ラウルなりにリュカの身体を気遣っての事だというのは承知していた。だがリュカにとってその提案は、受け入れる訳にはいかなかったのだ。
 リュカは騎士である。国に忠実に仕え、国の為に命を捧げる事すら厭わない、アレクセイ王国の騎士なのだ。他者の情けを受けなければならないなど、それは彼の恥に他ならない。だから決して、リュカは首を縦には振らなかった。
 ラウルがリュカの隣を歩くのも、きっと彼の心遣いなのだろうとは思っている。確かにあれは、命を失いかねないようなそれだったから。そのしつこい位の優しさに、リュカは戸惑うばかりだった。こういった時、どう返せば良いのかリュカなは分からなかった。今迄ずっと、関わりすらも拒絶してきたから。心無い言葉に傷付き気持ちを左右されるのはもう、御免だったから。

 彼が走ってまでリュカの元へとやって来たのは、リュカがそのような考え事をしていた時の事だった。

「なぁリュカ、今日は大丈夫なの?」

 カズマだ。彼も、リュカが横になっている間にはしょっちゅう様子を見に来ていたのだ。彼もラウル同様、甲斐甲斐しく世話を焼き走り回ってくれた。
 リュカはカズマにも感謝してはいるが、リュカ自身の怪我が彼を追い詰めやしないかと気が気ではなかった。彼は元々この国の者ではないし、魔術師や軍人ですらも無い。突然このような戦いに巻き込まれ、有無も言わせず参加させられている、ただの子供なのだ。
 もしこれから、自分を守って死ぬような者が出てしまった時。彼は自分を責めはしないだろうか。リュカはそれだけが気掛かりだった。こんな自分はどうなっても、彼には笑っていて欲しいのに、と、リュカは極々自然に不自然にも、そんな事を思っていた。

「あのさ、俺ね、エレーヌに本格的に魔術教えてもらうんだ。基礎はもう出来たし。ーー今度はさ、俺がリュカ達を守れるように、早く凄い技使えるようになりたい」

 そう言って笑う彼は、リュカにはとても輝いて見えていた。どうしてもやりたい事を見つけた少年の成長を、今ここで見届けたようで嬉しかった。だが同時に、哀しくもある。
 きっと彼も、自分のの手の届かない所へ行ってしまうのだろう。そして自分は、やはり守られる存在でしかなくなってしまうのだ。父母のように。大切なかれのように。自分など、守る価値なんかないのに。ーー自分の弱さが酷く憎いと。リュカは、無意識にそんな事を思った。

 その場で必死にそういう卑屈な感情を抑えて、リュカは精一杯の笑みを彼に贈った。ありがとう、そしてごめんなさい。がんばって。口に出せはしないけれど、彼にはやりたい事をやってほしい。こんな場所へ、たった一人で放り出されてしまった彼には、せめて好きな事をしてこの世を生き抜いて欲しい。
 これはリュカの、ささやかな願いだった。

「俺、頑張るから!」

 そう言って、カズマはエレーヌの傍に駆け寄っていく。そんなカズマの隣にはジャンもいて。アンリ隊長やロベール、マティルドも優しい表情でカズマに声をかける。あたたかく見守ってくれる彼らに囲まれて、カズマは張り切るように教授を請うのだ。
 こうでない、ああでない。
 四苦八苦しながら少しずつ、彼は魔力と共に成長していくのだ。

 そんなカズマの姿を見て、リュカはとうとう思い出してしまった。ずっとずっと願っていた夢。散々夢に見て、羨んて、そして諦めた場所だ。こんな時に思い出してしまうなんてと。リュカは、自分の表情がストン、と零れ落ちたのを感じた。

「……本当に平気か?」

 気が付けば、ラウルがリュカにそう問うている。珍しく渋い顔をしているのだが、何も心配などいらないのに。何度目か分からない大丈夫を、彼に向かって伝える。
 だが、ラウルの表情は晴れなかった。今更、何を心配する必要があるのか?

「そうじゃない」

 言いながら、ラウルはリュカの胸の真ん中を指し示しててくる。一体何を言いたいのか分からずきょとん、と首を傾げる。そんなリュカに、ラウルは表情も変えず言葉を紡いだ。

「リュカは聡明だが、自分に無頓着すぎる。自分を大切にしろ。今回の怪我だってそうだ。ーーでないといつか、誰かを悲しませる事になる」

 誰かを悲しませる。
 はて一体、誰が悲しむというのだろう、とリュカは当然のように思った。軍人なんて皆、覚悟を持って戦場に出ている。当然、家族だってそれを承知のはず。人なんて、いつか死ぬものである。
 ベルジュの分家に産まれたカリムという子供は、2歳で命を落とした。子供ながら魔術師の才能に恵まれていたのに。皆に惜しまれながら、彼は逝った。ーーいつ何時死ぬかなんて誰にも分からない。ましてや自分なんかをと。素直な疑問を胸に、ラウルの突き刺さるような視線を感じ、リュカはひたすらに歩いて行った。何処までも、一人で。




「あ、ーーあー、」
「出るようになってきましたね。よかったぁ……あと2〜3日あれば完治するでしょう」
「ありがとう、ジャン。これでもうリュカの声の方も大丈夫そうだな」
「は、い」
「わー、リュカ、早く喋れるといいね!俺もいっぱい話したいや」

 少しだけ声が出るようになったことで、リュカのどん底であった気分は幾らか晴れてきた。ようやく、もう少しで完全に回復する。これで十分に暴れられると。カズマにも回復を祝福され、リュカは素直に笑みを返す。

 そして、これまでリュカの傷の具合をずっと面倒見てくれたジャンにも、リュカは彼女の両手を握る事でそれを伝えた。未だ声は完璧には出せず、それしか伝える方法が無いからだ。
 本当に、ありがとうと、リュカは伝える。するとジャンは一瞬驚いた様子だったが、どういたしまして、と若干照れくさそうに笑ったのだった。その様がとても可愛らしく思えて、どんな態度をとって取り繕っても、彼女はやはり女性には違いないのだと、リュカはしみじみ思う。
 そしてそんな時。リュカのその様子を見て、何とも不躾な空気の読めない事を言い出した人物が、いた。

「何だ、珍しいーー」

 マティルド=ギベール。この中では一番リュカに関わらず、そして一番、リュカと共に任務へ向かう事の多かった人物だ。彼の無愛想な人となりは、下手に話しかけられたく無かったリュカにとってはとても丁度良いものだった。それが故、彼の同行する任務を選んで受けていた、と言う事情もある。だがそれでも、必要以上の接触は避けていたし、他騎士と同じような接触しかしなかった。

 それが今、一体何の冗談だろうか。リュカは、零れ落ちそうな表情を必死で取り繕いながら、彼に目を向ける。片目しか見えないのに、その眼光はリュカの考えを見透かすかのように鋭かった。

「お前は人を避ける帰来があっただろう?どういう心境の変化かと思ってな」
「…………」
「それがワザとなのか天然なのか知らんが、お前ーーいや、これは言わないでおこう。俺のような見方をする人間もいると知っておくといい」

 彼は勝手にそう言い放つと、さっさとその場を離れていった。突然何を言い出すのだ、とリュカは衝撃に立ちすくむ。だが、それは一瞬の事で、リュカはすぐに気を取り直した。

 そんな事、言われずともリュカには分かって居るのだ。
 どんなに一人外れて行動したくとも、隊の雰囲気をぶち壊すのはリュカの本意ではない。それくらいの対応は、リュカだってできる。それを誰がどう捉えるかは別問題として。リュカはリュカなりに、気を使っていたのだ。
 だのに。そんなリュカの努力を丸々ぶち壊すような彼の発言は、まるで予想だにしていなかった。とんだダークホースである。リュカは腹が立った。腹が立ったが故、表情を取り繕う事ができずに顔から零れ落ちる。
 あの時。エレーヌに言い返した時と同じ。それは、リュカにとって正に無意識の事だったのだが、それを見た周囲は衝撃を受ける。余りのリュカの変わり様に、まるで別人ではないのかと不安に駆られる程にーー。

 その事にリュカが気付けたのは、しばらく経ってからの事だった。いつものように野営の準備を手伝っていた所ではたと、皆の視線がやけに刺さるなと気がつく。そしてそこでようやく、いつも取り繕っていた表情を作るのを忘れていた事にリュカ気が付いたのだ。
 慌ててさり気なく、いつもの表情へと少しずつ戻して行けば、明らかに周囲がホッとするのを感じる。疲れるとは思えども、今更辞められないのだと、リュカは腹を括るしかなかったのだった。





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