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009.余韻



 リュカは夢を見た。
 幸せそうな、そしてどこか哀しくなるような夢。

『ありがとう、本当に……、ごめんなさい』
『いい、別に永遠の別れという訳ではない、必ずどこかに存在する』
『必ず見つけます、絶対に、どこへ飛ばされても必ず。例え忘れてーーーー』

 解放を告げる幸運を噛み締めながらも、ソレとの別れを惜しむらくーー










 それは突然の事だった。急激に意識が浮上したかと思えば、身体がビクリと震えた。リュカは、真っ先に首が引き攣るように痛む事に不快感を覚え、反射的に咳込んだ。喉の奥に痛みが走る。しかし、喉の奥にあった何かと共に、一気に口から噴き出された事を自覚する。苦しかったが、反射的な反応は止められない。その間、誰かが背を撫でているのか、じんわりとした暖かさを感じていた。

「おい、聞こえるか!?」
「リュカ、リュカ!」
「意識、が……」

 呼吸がとても苦しく、おまけに頭がグルグルと回っているのを感じていた。段々とハッキリしてくる意識に、眉根を寄せる。チカチカと目の前が光っていて、リュカには自分の目が開いているのか閉じているのかも分からなかった。
 だが辛うじて、リュカには複数の声が何かを言っているのは聞こえていた。あの夢の内容が何だったのか、リュカは思い返す暇もなく、その事を忘れてしまった。


 それからしばらくして咳も収まってくると、リュカには情報を整理する程に意識が回復してくる。何故自分はこうして、こんなにも苦しんでいるのだったか。未だ本調子でない脳ミソをフル回転させて、リュカは必死に直前を思い出そうとしていた。まだ調子が優れないせいか、リュカの記憶は、討伐隊の話を聞いて、と言うところから始まった。それから精霊族の長に会って、不思議な少年に出会って、訓練をしてーーと、大変な遠回りをしてからようやく、リュカは突然の襲撃を受けた事を思い出したのだった。

 そうか、自分は死にかけてこんなザマになっているのだと、血臭が酷いこの場に寝かされて治療を受けているのか、とリュカはようやく合点がいく。しかし、未だ頭の働きが鈍く、周囲に居る者達の誰が何を言っているのか、リュカには理解に時間がかかった。
 だかそれでも、リュカにはひとつだけ理解できる事があった。声からして、隊員達は全員が無事であると。良かったと、そう口にしようとしても、リュカは言葉にする事に失敗する。空気が喉を素通りしていったのだった。

「致命傷になりそうな傷は、取り敢えず塞げましたが、声帯に損傷があって……治すのには少し時間が、いるので……今日はちょっと、無理です、すいません」
「……本当に、ありがとう。ジャン、無理をするな。君も少し休むといい。エレーヌも。休みなさい」
「……そうさせていただきます」

 リュカは会話について殆ど理解はできなかったが、しばらく話ができないという事は辛うじて頭に入ってきた。次に、あの男に対する恨みと、よく自分は生きていられたものだという感心を覚えた。そして同時に、自分の不甲斐なさにリュカは遣る瀬無い気持ちになる。これ程の大怪我を負ったのは自分だけだと。みっともない。もし、自分が魔術師でさえあれば、こんな失態を晒す事もなかったのでは無いか。そればかりが頭を過った。

 そして次に目に写り込んできた光景に、リュカはそこでようやく本当の意味で安堵を覚えた。カズマが、リュカの前に姿を現したのだ。リュカの前にしゃがみ込み、良かった、良かった、と繰返しながらリュカの体に顔を埋める。

「カズマ、ほら、大丈夫だ」
「……っ、……」
「泣くな、」

 顔をくしゃくしゃにしてはいるが、無事なカズマの姿が目に写ってリュカはようやくホッとする事が出来たのだった。泣かせてしまったのはきっと自分なのだろうなとは思いながらも、リュカはまた出会えて良かったと、漠然とそう思ったのだった。

「よかった、……リュカ、ごめっ……俺が、俺のせいで、」

 カズマが手を血塗れにしながら袖口で涙を拭っているのは、今のリュカには辛うじて理解出来た。ただ、泣かないでほしい、とリュカには思えてならなかった。彼に手をやろうとするが、消耗した体ではリュカの手がピクリと動くだけ。だからそれを止めることも出来ず、リュカは彼の悲しそうな顔を見ている事しか出来なかった。

「もういい、カズマ。決めたのは君自身であるし、その時咄嗟の判断を下したのはリュカ自身でもあるんだ。そもそも我々は、そういう覚悟くらいできている……それと、リュカ、今回は君に皆助けられた。君があの男を追い払ってくれたおかげで、ここまでの被害に抑えられた。本当にありがとう。ゆっくり、怪我を治すんだ。……皆にも休息が必要だ。カズマ、ここに居てはダメだ。さぁ、立ちなさい」
「……わかり、ました」

 泣き止まないカズマを止めたのは、アンリだった。ようやく、リュカにも言葉を理解出来るだけの余裕が戻ってくる。何度も頷きながら、その言葉に従うようにカズマはゆっくりと離れていった。カズマの悲痛な声を聞かなくて良い事に、正直ホッとした。
 アンリの言葉は、一般人にとってはきっとキツいものだったかもしれないが、全くその通りだとリュカは思っている。今こうして自分が生きている事に驚いている位で、あの時確かにリュカは死を覚悟した。それは、正式に騎士として叙勲された時から覚悟してきたことで、リュカには半分日常のようなものだった。実際、死にかけた事は一度や二度ではない。このような大怪我をした後の気怠さすら最早慣れたもの。

 だが、さしものリュカにもここまでの窮地は初めての事だった。気のせいではない寒気に、今更ながら体が震える。上にかけられていた誰かのローブを微かに握り、手繰り寄せる。目を開けている事さえ、リュカには億劫だった。

「寒そうですね……血の欠乏で体温が下がってしまう。増血剤と何か、暖を採れるものをーー」

 意味を理解できたのはそこまでだった。リュカは段々と強くなる眠気には勝てず、遠のく意識の中で、何かふわふわとした暖かいものが身体を包んだような錯覚を覚えた。温かい、そんな心の呟きと共に意識はプッツリと途切れた。



* * *



 次にリュカが目を覚ましたのは、それから3日後の朝だった。顔が日の光に照らされ、目が覚めた。ゆっくりと上体を起こせば、痛みは殆ど引いていた。夢心地に、首元へじんわりとした暖かさを感じていたのは、きっと治療の効果なのだろう。多少の目眩と発熱を覚えるものの、十分に動けるだろうとリュカは思う。ずっと寝かされていた所為か、身体のあちこちが固まってしまっている。早く訓練に戻らないと。まずは真っ先に、リュカはそう思ったのだった。

「起きられるか」
「!?」

 しかしその時掛けられた声にリュカはビクッと体を震わせる事になる。そこに人がいるとは予想だにしていなかった。声の方を見れば、リュカよりも一回りは大きな、美しい狼が寝そべりこちらを見ていた事にリュカは気付く。知り合いの狼には心当たりは無かったが、声には聞き覚えがあった。ラウル殿?出ない声で問いかければ、コクリと首を縦に振った。

 そう言えば、とリュカは思い出した。眠っている合間に突如意識が戻る事があったが、その時に感じていた暖かさはもしや、彼のおかげではなかろうかと。彼がずっと、こうやって寄り添っていてくれたのだろうかと、リュカは申し訳ない気分になる。触っても?と口パクで問い、首肯された事を確認してから少し固い毛並みを撫でる。やはり声の出ない口で、リュカはありがとう、と礼を言った。

 そうしてしばらくはその場で身体を解し、十分だろう、とリュカはゆっくりと立ち上がった。多少の立ち眩みを覚えるが、我慢出来ない程ではない。リュカがそう判断して真っ直ぐに前を見る。すると今度は、また別の声に呼び止められた。多少の目眩を抑え込みながら顔を向けると、そこにはジャン、エレーヌ、アンリの3人が立っていた。リュカが軽く頭を下げると、アンリが微笑みつつリュカへと話しかけた。

「起きて大丈夫か?」

 問いかけには、コクン、と首を振り応えた。そうか、と微笑みながら呟くアンリに、リュカは突然頭をそっと撫でられた。ギョッとして口が開く。今までこういう事をされた事はなかったはずだが、と訝しむ。リュカは困惑しつつ、撫でられた所を無意識に触ったのだった。

「……すまん」
「た、隊長……」
「甥っ子を思い出してしまってな」
「一体貴方はどういう……」

 どうやらギョッとしたのはリュカばかりで無かったらしい。大の大人に向かって甥っ子とな、とリュカが内心ショックを受けている間。信じられないモノを見るような目でエレーヌが、微笑ましそうに苦笑するジャンが、アンリへと顔を向けたのだった。
 そのような突然のハプニングを振り払うように、ジャンは手を叩いて場をしめる。彼女は誰よりも早く、リュカの元へ彼等がやって来たその目的を告げた。

「では気を取り直して、僕が傷の具合を見ます。ささ、リュカさん座ってください」

 リュカの肩に触れながら、優しくリュカへ座るように促したジャンは、リュカが座ると同時に自分も腰を屈める。それにつられるように、アンリ隊長とエレーヌも一緒に座った。ーー彼らも一緒なのか、と多少ギョッとしたリュカはしかし、表情にはおくびにも出さず。ジャンの診断のため、促されるまま首を上へと向けたのだった。

「では首元失礼しますね」

 言われた通り首を差し出すと、いつの間にか巻かれていた包帯が取り払われ、じんわりと傷口が暖かくなる。これが国内随一の治癒魔術かとリュカそんな事を思っていると。ジャンの診断が告げられた。

「かなり塞がってますね。血流も正常値に近いーー」

 だがそれと同時に、リュカの耳にはコソコソと喋る妙なやり取りが聞こえてきた。途端に、リュカの居心地の悪さが天井を突き抜ける程になる。

「ーー一体、どうして」
「どうと言われても……普通だと思うが」
「だから隊長殿のイメージは一体どうしてそうなったのです……」
「だっ、……いやその、私の甥がな、」
「なぜ甥子さんと……」
「…………いや、あの、そのだな、」
「御二方、私の話を続けても良いですか」
「「もちろん」」

 余りにもリュカの気が散りすぎたのだろう、ジャンが二人の話に割って入ることで奇妙な言い合いは終了した。仲の良いことで、とリュカは内心でそんな事を思った。

「もう下げても大丈夫ですよ。表の傷はほぼ完治したと見て良いでしょうね。今回もついでに奥の傷の手当も行いました。やはり、まだ時間がかかりますので少しずつ」

 リュカは首肯し、首の傷を手で触った。思った以上に大きい傷が残っているのが、触れて判る。よく、生きていられたものだとリュカはしみじみ思う。それに加えて、ジャンの驚くような手腕に感謝しなければとリュカは心に誓うのだった。

 ジャンは、腰のバックから新しい包帯を取り出すと、リュカの傷のある首に巻き始めた。巻いている最中、彼女は少し、言いにくそうに私に声をかけた。

「あの、それでなんですけど……リュカさん、身体の具合はその、熱っぽいとか、身体が怠くて動かしにくいだとか、そういう症状はありますか?」

 問われて、リュカは少し考えてみた。言われてみれば微熱があるような怠さを感じているのかもしれない、と思い至り、その場で首肯する。あれ程の怪我だったのだから熱が出たとしても何ら不思議ではないのだ。

「そうですか。ええと……今後、そういう症状が重く出る可能性がありますので、まだ十分安静にしていてください。今は動けても、そのうち熱が上がってあの……兎に角、安静にしていてくださいね!」

 まだ寝て居なければならないのか、そんなリュカの気持ちは顔に出てしまったのか。ジャンには何重にも念を押され、倒れられても困ります!と大声で言われてしまう。そこまで嫌がられるならば従わざるをえない、と結果、リュカは観念したように渋々と頷いたのだった。早速訓練でもしようかと思っていたのに、と残念がる。そんなリュカのプランがジャンに知れたらどれほど叱られるか、リュカは想像すらしていなかったが。

 重く息を吐いて、リュカは無意識の内に後ろに背を預けてしまう。しかし、リュカの背後には獣の姿のままのラウルが居る。その暖かい体に触れて初めて、リュカはハッと気付く。そして振り返った。無遠慮にラウルに凭れてしまい、重くはなかっただろうか、と。だが、当の彼の反応はと言えば、リュカの想像を遥かに超えていた。振り向いたその横面を、舐められたのだ。再びギョッとするも、これは動物で言う慰めの行動なのだろうかと思い直し、リュカは大人しくそれを受け入れる。こんな怪我人に付き合わせてしまい申し訳ない、と抵抗もせずにされるがままとなった。

「が、眼福……」
「ジャン……、」
「あ、いやいや、何でもないデス!」
「……まぁ兎に角、ジャンの言葉に従う事だな、リュカ=ベルジュ。彼女以上の治癒術師はいない」

 珍しくもこの日はかなり大人しかったエレーヌに言われ、多少の苛立ちを覚える。だが確かにエレーヌには言われた通りであるリュカは、黙って頷く。引き続きラウルの毛繕いを受けながら。じっとしていろと忠告に念押しされ、それが不服である事がリュカの表情はありありと出ていた。眉間の皺は、本人ですら抑えられなかった。

 その後にも、しばらくラウルの毛繕いは続いた。少しだけくすぐったいのを我慢しつつ、リュカは気が済むまでラウルの好きにさせる事にした。怪我人に付き合ってくれている事に対する礼くらいにはなっているだろうか、とそんな事を思いながら、されるがまま。

「何だか喰われそうだな……」
「同意」
「しっ、失礼ですよ!折角ラウルさんが、役をかってでて下さったのにーー!」

 ジャンに時折叱られながら、アンリとエレーヌは顔を見合わせる。その表情には、表現し難い彼等の感情が現れている。困ったような、迷って居るかのような、そんな表情だ。
 だが、すっかりベトベトに顔中を舐められてしまい、眉間に皺を寄せながら目を瞑ってしまっていたリュカは、ラウルの背に凭れーーいっそ埋もれていたため、彼等の表情を見る事は無かった。
 この時のリュカはまだ知らない。何故、ラウルがリュカの傍で待機しているのかも。普段見せる事はない獣の姿を見せる程にはゴキゲンなのかも。知る由もなかった。





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