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008.襲撃(後)



 カズマの目の前で起こった出来事が余りにも一瞬過ぎて、男の姿が突然消えたかの様な錯覚を覚えていた。

 その一瞬、何かに気付いたらしい男が素早く横を振り向いたその瞬間、目の前を何かの影が物凄い勢いで駆け抜け男を吹き飛ばしたのだ。それ程距離が稼げていた訳ではなかったが、男とカズマの間に見覚えのある男が割り込んできた。
 思わず尻餅をついたカズマに、男は声をかける。彼は、男から片時も目を離さず、カズマを振り向く事はなかった。

「ーーカズマ、大丈夫ですか?何もされていませんか?」
「え?」

 声をかけられ、カズマはようやく理解した。助けられたと、先程カズマが心の中で呼んだ彼が居ると。ああ、この背中を見るのは2度目だなぁと、呆けたカズマはそんな馬鹿な事をぼんやりと思ったのだった。

「カズマ?」
「ーーリュカ?」
「はい、私です」
「……無事?」
「ええ、勿論です。数分閉じ込められただけでしたので」
「は?何であんたここに居んの?アレって術師でもない人間には壊せない代物のはずなんだけど」

 吹き飛ばされた事で、多少態勢を崩した男は不満そうに言った。

「偶然、出来たばかりの友人が頑張ってくれまして」
「マジかぁ……やっぱ殺っとけばよかった、あのクソアマ!」

 突然の事に、流石の男も不機嫌を隠しもしなかった。対してリュカは、相変わらずのポーカーフェイスだ。

「貴方、彼女をご存知で?」
「まぁね、昔アイツらで遊んでやったんだよ。まさかこんな所でやり返されるとはねぇ……ま、いいや。この方が面白そうだし、たかが人間族が1人増えた位で如何って事ないもんねー」
「見たところ、魔王一族とお見受けしますが……一体何のつもりでカズマを?」

 男の言葉に被せるように、リュカは問うた。問いに男が応えるとは思えず、この問答に特に意味は無い。しかし、リュカには時間稼ぎの必要があった。召喚術は、最大で3体までの獣と契約が可能だという異国の地の技術だ。だが、それは人間に限った話であって、人間では無いだろう男が、同時に何体を此方へ呼び出す事が出来るかは未知数。つまり、何体も呼び出されれば、リュカには不利に成らざるを得ない。だから、多少なりとも時間を稼ぎ、誰かが他の召喚獣を倒して此処へやって来る事を願うばかりなのだがーー。

「さ、如何してでしょうかね、ーーそれよりおチビさん、僕と遊ばない?」

 ヒクリ、男の挑発にリュカが顔を引き攣らせそうになるも、我慢して耐え抜く。男はリュカの策などお見通しなのだろう、全く取り合う事もなく、逆に煽って来る始末。冷静に応えながら、他に策はないかと考えを巡らせるも。

「是非とも、お断りしたいのですが」
「そんなのダメに決まってんじゃん!この僕が折角誘ってるのに」
「そうですか、」
「うん、じゃあ始めるよー!」
「!」

 考える時間すら、男は与えてくれないらしい。言いながらヘラヘラ笑った男は、掛け声と共にあっという間にリュカとの距離を縮めた。男の攻撃がリュカに牙を剥く。


 男の乗ったあの翼竜は、世界に数体しか存在しないと言われている翼竜の内の一体である。竜種族はそもそも総じてプライドが高く知能も優れている。故に、その強さを認められた者しか、その背に乗る事はできないと言われている。リュカの知る限り、翼竜と契約したという人間は存在しない。

 翼竜は主人に強さを求めるが、人間の召喚術師は自らの強さよりも契約できた獣の強さによってその強さが測られる傾向にある。何をしてでも契約しようと、策略を巡らす人間が大半。という事は、翼竜を従わせるほどに己を鍛え上げる召喚術師なぞ、人間に居るはずがないのだ。つまり、翼竜と人間の召喚術師は相容れない関係にある。

 だが目の前の男は、そんな翼竜を従わせている。つまりは、あの男1人ですら相当の手練れには違いないのだーー。



 凶悪にも伸びきった両の手の爪が、交互にリュカを襲う。さしものリュカも、男のスピードに追いつけず防戦一方になってしまう。目では分かっているのに、身体が追い付けないでいる。男の身体能力は、人間のそれを遥かに凌ぐ。

 いくら戦いに慣れているとはいえ、普通の人間が敵うようなスピードではない。そんな泣き言を考えて仕舞う程にはリュカは余裕がなかった。しかし、その考えに気を取られたのか、動きの遅れた左肩に男の爪が突き刺さった。急所こそ外すも、鮮血が飛んだ。

「リュカ!」

 そんなカズマの声がリュカには遠く聞こえた。咄嗟に左手で爪を固定し、右手の剣で逆袈裟を繰り出す。しかし、そんな中途半端な攻撃を男が食らうはずもなく。軽々と男の爪で防がれてしまう。一時、リュカは男と正面から睨み合う態勢となった。
 男の顔には相変わらず挑発するような笑みが浮かんでおり、余裕の様子がうかがえる。顰めそうになる表情を必死でおさえ込み、リュカは男が次に如何出るか、様子をうかがった。男がゆっくりと口を開く。男の鋭く長い犬歯が、ギラギラとその存在を主張しているのが、リュカには見えた。

「案外、アンタ早いねぇ……名前リュカってんだね」
「名前、呼ばないでいただけます?不愉快です」
「嫌だね」
「…………」
「あっはは、そう言う顔そそるよ」

 煽って来る男のクスクス笑が余りにも不快で、リュカは思わず顔を顰めた。男は、そんなリュカの反応を見て楽しんでいるのか、言いながら舌舐めずりをする。
 途端、リュカの背筋には悪寒が走った。リュカの何が男の琴線に触れ、そういった事を言うのかリュカには全くもって理解出来ない。だが、この男が普通の人では無い事を考えれば、それをいくら考えても無駄な事なのだろう。
 逃げ出したくなる衝動を力づくで押さえ込みながら、リュカは男から一時たりとも目を離さなかった。刺されている痛みすら忘れる程、リュカは男の一挙一動に全神経を総動員した。

 先に動いたのは男の方だった。
 剣を受けていた爪を思い切り振り抜いた。余りの勢いの為、リュカの右腕は宙へ弾かれ右脇が開く。と其処へ、男の蹴りが遅いかかった。それにリュカは自分の脚をぶつける事で、急所への一撃はどうにか回避した。だが、男の足蹴はやはり威力抜群で、リュカは衝撃を殺し切れず吹き飛ばされる。
 どうにか、男から目を離す事なく地面に着地するも、左手と左肩からはそれなりに出血していた。すぐにでも止血したい所であったが、そんな事をしていたら男が追撃に来るとも限らない。リュカは男からほとんど目をそらさなかった。そして小声でカズマを呼ぶ。吹き飛ばされた時、リュカはカズマの声が後ろからするのを確認していた。

「カズマ、貴方はすぐにでも逃げる準備をしなさい」
「っでも、リュカはーー」
「大丈夫。易々とやられてはあげません。私があの男と交戦中に、少しずつ後ろに下がりなさい。言い訳は聞きません」

 口早に指示を出すや否や、リュカは男への反撃に打って出た。一気に距離を詰め、両手持ちに逆袈裟を繰り出す。だが勿論、それは男に阻まれる。それでも、両手持ちの一撃は先程にはない威力があり、何とか男の手を払う事には成功する。続けて袈裟掛け、横なぎ、と連続での剣撃を飛ばす。時に踏み込みつつ、重心を低くしつつ、飛び上がりながら、男を翻弄させようと策を凝らす。が、男がそれを真面に食らう事はなかった。
 目を細めるように一撃一撃を受けつつ、余裕のある様子でリュカを眺める。男からの反撃は、一度も無かった。まるで、リュカを見定めるかのようにーー。

 全く襲ってこない男に、いよいよ気味の悪さを覚えたリュカは、男から距離をとって構える。何故反撃がないのだと。無表情を取り繕うも、内心では訝しみ動揺している。男は襲撃に来たのでは無かったのかと。

 リュカが割り込んだ時、男はカズマに攻撃を加えるのではなく、彼を攫おうとしていた。ならば、男がカズマが異世界人だと言う事は知っていると見て良い。カズマを攫って如何しようというのか、それは男に聞かねば分からないが、ずっとニヤニヤとした笑みを隠しもしない蛇の様な男だ。きっと碌な理由ではないはずだ。

 正直、先ほどからの言動より、リュカはこんな男の相手をするのは嫌ではあった。だが今は緊急時だ。戦時に敵を選んではいられないし、我が儘など通らない道理である。
 リュカは、色々と考えた末に、男とコミュニケーションを図ることにする。嫌々ながらであるが、時間稼ぎの意もあった。

「再度問います、貴方、何の目的で私達を襲うのです」

 言外に、何故反撃しないのだ、という意を込めてある。勿論、言葉通りに襲う理由、男が本当に魔王一族かどうかを確かめる意味もあったのだが。

「ん?何、今度は尋問?」
「そう捉えていただいて構いません」
「あっそー。ま、いっか。単に暇潰し、面白そうだなぁって思ったから。ま、個人的な用事も兼ねてるんだけどね」

 ヒラヒラと手を振りながら、男は笑みを消す事なく言ってのける。リュカは男の応えに眉根を寄せるも、すぐに表情を消す。

「貴方は魔王に近しい者ですか」
「魔王?ーーああ、うん、そうかもね」

 どうにも歯切れの悪い男の応えにリュカは内心で訝る。男は魔王という言葉への反応が悪かった。まるで初めて聞いたかのように。そして、曖昧に濁されどっちつかずである。
 リュカは判断に迷う。この男の強さと能力は常軌を逸しており、明らかに普通では無い。魔術師団も騎士団も、或いは一人で軍隊すら相手に出来そうな程。

 ならばそれはリュカ程度がどうにかできるものなのか。唯の騎士団員に過ぎないリュカに。だが、相手が何であれ、リュカはその騎士団員であるのだ。一般人ではない、国に害なす者を殲滅する義務を負っている。国の為に、後世の為に。
リュカは腹を括った。何が何でも、カズマだけは逃がす。その為ならば、己はどうなっても構わない。今迄もずっとそうしてきたのだから、これからもそれは変わらないのだ。

「ならばここで、貴方をどうにかしなければなりませんね」
「ふふ、出来るかなぁ?」

 相変わらず、言葉少なく挑発するだけの男に痺れを切らしたリュカは、相手の目的を引き出そうと行動を再開する。そうでもしなければ、カズマからこの男を引き離せないのだ。だからこそリュカは、玉砕も覚悟で男に剣を向けるのだ。
 剣と鋭い爪が、音を立ててぶつかり嫌な音を立てる。両腕で剣を握るのリュカに対し、男は片手でそれを拮抗させる。男の腕力に、リュカは到底敵わないのだ。
 なれば、心理戦に持ち込む迄だと、リュカが思考を必死で巡らせる中。リュカはその異常に気が付いた。男が、魔力を溜め始めた。まさか、とリュカが次の行動に移る間もなく、悲鳴が聞こえた。

「うわぁ!?」
「カズマ!」

 リュカが急いで男の爪を払い退け後退しながら振り向けば。2mほどの獣が、カズマの目の前に姿を現す所だった。リュカはその場で、即座に断じた。この男の狙いはカズマに違いないと。ならばリュカに出来る事はひとつだ。
 もう一つ、腰に刺した短刀を左手で抜き男に投げ付ける。当たったかの確認などはしない。そのままカズマの方へぐるりと身体を回転させ、その勢いを利用したまま、リュカはその剣を勢い良く投げ放った。今まさにカズマの目の前に現れ襲わんとする獣に向けて放たれたそれは、獣の頭へと深々と突き刺さる。瞬間、つん裂くような獣の悲鳴が響き渡り、リュカは一瞬気を緩めてしまった。だが、それは致命的な油断に他ならなかった。リュカは今、ほとんど丸腰である。身体中に仕込まれた武器を、手に取ってさえいない。
 すぐ背後から、男の明るい声が聞こえた。まるで悪魔の囁きのように。

「お見事!」

 ハッと我に返ったリュカは、すぐ懐に仕込んだ予備のナイフに手をかけようとした。だが、そんなリュカの行動を、男は見逃さなかった。手を掴まれそれを阻まれたかと思えば。
男はあろう事か、リュカの喉元に食らいついてきたのだーー!

 まさかの攻撃に驚く間もなく。右腕が押さえ込まれナイフを抜く事ができない。息が、できなかった。その声帯ごと貫かれたのか、声すらも出なかった。
 思考の片隅で、リュカは絶滅したと言われていた吸血人種の話を思い出す。人の血を喰らい魂を喰らい生きて行くしかないヒトの事を。
 十分な酸素が頭に行かず、リュカは段々と動く事も考える事も難しくなってくる。目の前がチカチカして、立っていられずに膝をつく。それでも男は喉に食らいついたまま離れず、首が自然と上を向く。喉の奥にまでそれが流れ込み、ゴホゴホと咳込んでしまう。ダラリと口から液体が流れて、鉄くさい血の匂いがリュカの口内に充満していた。

 このまま、こんな所で、自分は死んでしまうのだろうか。何もできなかった。自分がここで死んだ後、カズマはどうなるのか?ここには自分しか守る者がいないのに。あんな、その場凌ぎで守った事になるのか。

 リュカは段々と薄れていく思考の中で自問自答する。

 こんな事で良いのだろうか。何の為に騎士団に入ったのか。何の為に討伐隊に入ったのか。自分は何の為にーーこんな所で息絶えようとしているのか。悔しい悔しい、せめて報いを、せめて相討ちを。

 火事場の馬鹿力とでも言えばいいのだろうか。リュカは残った力を全てふりしぼり、空いている左の手で靴裏の短刀を取り、ガラ空きな男の胸目掛けてズブリと突き刺した。

「ぐッ……!?ーー!んなーーーー、」

 驚いた男が離れた事で、支えを失った体は前に傾く。何も見えない。もはや手足はどこも動かす事が出来なくて、辛うじて入ってくるようになった酸素も首に開いた穴から抜け、代わりにゴボリと血が気管に流れ込む。苦しい、思うように息が吸えない。血も酸素も足りず目の前が白んでくる

 死ぬ前に、嫌なあの男に一矢報いる事はできただろうか。あの刀の切っ先に塗られた毒は、魔獣に良く効く。願わくば、あの一族にも有効であらんことを。それだけが、こんなところでしにゆくじぶんへのせめてものすくいだったと、リュカはそう思ったのだった。





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