Main | ナノ

007.襲撃(前)



「はあああああ〜」

 やってしまった、と嘆くリュカは、再び岩場の河原へと戻って来ていた。頭に血が登り色々と言い返した記憶があった。あそこまでやるつもりは毛頭無かったのだ。せいぜい流して嫌味を言い返して、話の腰を折ってはい、終わり、と。有耶無耶にすれば良かったはずなのだ。

 だが考えていたものと、実際にやってしまったものとは余りにもかけ離れていた。先刻、エレーヌに指摘された内容が余りにも完璧で、そして望みもしないのにズケズケと立ち入ってくるものだから。思わず、リュカは感情に任せて突き放したのだ。

 だが、とリュカは思う。エレーヌも悪いのだ。あんな隊の面前で、言う事は無いのにと。あれは、リュカが最も知られたくなかった事だ。そもそも、その事実を最も知られたくない相手がエレーヌだったのだから、気付かれてしまったリュカの心境としては最悪なのだが。
 エレーヌ1人だけで一対一でヤり合う位ならまだあそこ迄言い返さずとも我慢できた筈だと、リュカは思うのだ。何故あんな面前で大々的に暴こうと思ったのか、全くもって理解できないと。
 これは昔からの事で、エレーヌとリュカはとことんウマが合わないのだった


「どうしよう……戻りたく無い」

 ボソリ、岩の頂に胡座をかいて、森の方を見ながらリュカは呟く。きっと皆驚いた筈に違いないと。あんな啖呵を切っておいて、引いたに違いない、と。どんな顔して会いに行けば良いのやら、よよよ、と。

「そう?じゃ、戻んなくて良いんじゃない?」

 まさか、今のつぶやきにいらえがあるなんて思っても居なくて。リュカは突然聞こえた声に文字通り飛び上がった。態勢を崩しながらも辛うじて倒れる事はなく、無様は見せずに済んだ。
 慌てて声のしただろう方へ目をやるも、何と声の主が発見出来ない。人の気配は無かった筈。混乱し警戒し、キョロキョロと辺りを見回すも、発見出来ず。まさか、と真上を見上げると。そこには、明らかに人間族ではない男が、大きな翼竜の頭に乗り、巨石の上に立つリュカを見下ろしていたのだった。

 黒髪に赤い眼、驚く程白い肌は血色が悪く右頬に泣き黒子が見える。耳は精霊族のように長いが、明らかに精霊族でない。どちらかと言えば、纏う空気は魔獣達にこそ近い。そして、その男の顔の浮かべる笑みを見てしまって、リュカは理解した。この男はヤバいーー。見つめられるだけで背筋に悪寒が走る。

「あんたここに居てよ、美味しそうだし後で食べに来たげるから!」
「んな!」

 リュカがその場から飛び退くよりも早く、突然現れた壁に四方を囲まれてしまった。反射的にそれが完成し切る前に、と短刀を取り出し突き刺そうとしたが、安易と弾かれてしまった。これは物理結界の類い、リュカは即座に理解した。しかも、発動に気付かせない、高難易度の結界だとも。

 普通の魔術や結界ならば、リュカにも抵抗の余地はあった。避けるなり、呪いの付与された武具なりで身を守れば良い。結界にしろ攻撃魔術にしろ、発動さえ感知できれば逃げるのはリュカにとっては容易い筈なのだ。小回りの利くリュカは、非力な代わりに回避能力に重点を置き訓練を積んでいる。そうせざるを得なかった、という事情はあるにせよ、追い付ける者はそうそう居ないという自負はしていた。

 それなのに。こんなに軽々と結界の内側に閉じ込められるとは、予想だにしていなかった。リュカの見た限り、魔術の発動はこの男からではない。つまり、余程腕の良い魔術師か、あるいは発動を感知させない程の魔道具職人が男のバックに居る。組織的行動。冷静になろうとリュカは繰り返し自分に言い聞かせた。

「貴方、一体何者です」
「大丈夫、すぐ済むからねぇー」
「ちょ、こら!待て!出しなさい!」

 何かしら探りを入れようとするも、相手はただリュカの行動を封じたかっただけのようだ。手をヒラヒラと振ってみせると、あっという間に森の方へと飛んで行ってしまった。呆気に取られたのはほんの一瞬。リュカは即座に結界の核を探そうと必死になって目を凝らす。しかし、やはり術者の力量は凄まじく。四角形の箱の各々の頂点に、計八つの核がある事、そしてそれを同時に破壊するのは、今のリュカには不可能だと言う事が分かっただけだった。

 焦燥は冷静さを失わせる。

 あれはきっと、魔王一族に違いないのに。討伐隊の危機だというのに、この、役立たず!自分で自分を罵倒しながら、リュカは必死で思考を巡らす。何か、何か脱出する方法をと。先程手にした短刀をあちこち斬り付けてみるも、綻びなんてあるはずがなくて。どうにも出来ない事をどうにかしなければ。そして、焦れば焦る程、思考は停止してしまうのである。







* * *





「リュカはどこへ?」

 カズマはそわそわと落ち着かない様子で、リュカの消えた方角を何度も振り返っている。集中力がたりない、とエレーヌに怒られた際の返答が、それであった。

「……アレも騎士団の端くれ、心配なぞ不要」
「うん、そうだね……でも、気になって」

 魔術師としての基礎を粗方叩き込まれたカズマは今、実践訓練の真っ最中である。的を用意し、カズマの得意な系統の魔術でもってそれを撃ち抜く。それがある程度形になってきたため、次は動く的を、そして魔獣を、といった具合である。難易度は段々と上がる為に今まで以上の集中力が必要なのだが、先程の事件故にかカズマはどこか上の空。エレーヌは仕方なし、と休憩を挟む事にする。

 アンリへその旨を告げると、エレーヌはカズマを呼び丁度良い具合の巨木の下へと腰を下ろした。ジャンは結界を張り直し、アンリと話を始めた。

「何か、聞きたい事でもあるのではないか?」
「え」
「アレの事だろう?何がそんなに気になる」
「うん」
「聞くなら今のうちに聞いておきなさい。私も知る限りしか話せんがな」
「……リュカの居ない所で?」
「アレは自分の事は話さん。聞いてもはぐらかされるのがオチだ」
「そっ、か。ーーそれなら」

 カズマは、ボソリと呟くように質問を投げかける。

「リュカ、いつも1人だよね。皆と仲、良くないの?」
「そういう性分だろう。無駄な話をしない奴だ。ただ、私は魔術師団の者だ。騎士団の者なら察しているだろうが……私には推測でしか話せん」
「そっか。あの時、話してたけど……リュカが純精霊が見えてるっていうの。あれって、どう言う事?純精霊が見えれば、魔術が使えるってのは分かるんだけど……リュカは魔術、使えないの?」
「私は、アレには魔術は使えんと、そう聞いている。……アレの家は、優秀な魔術師を多数輩出している家柄だ」
「!」
「魔術が使えるのが当然の家系だ。私のデュカス家も名は通っているが、アレのベルジュ家には到底及ばん。魔術師は古臭い考えがまかり通る世界だ。そんな古い家系にアレが生まれた、となればどうなるか、想像つくか?」
「……うん、何となくだけど」
「そう言う事だ。アレの考えなぞ我々に分かるわけなかろう」

 フンっ、と不満気に言うエレーヌに、カズマはボソリ、そうだねと返すのだった。カズマにも思うところがあったろだろう。それからしばらく、カズマはリュカの事に触れる事なく、エレーヌには魔術に関する質問をぶつけるのだった。そうやって10分ほど休息したところで、エレーヌが再開を指示する。

「もう良いだろう、先程の続きだ。ちゃんと、集中するのだぞ」
「うん、分かった」

 2人はそう言って立ち上がり、結界の中央部へと足を進めた。だが、その時の事、ジャンとエレーヌが、その異変に気が付いた。

「ーー何だ、何が起こった!?」
「結界が……!」
「マティ!」
「っ承知」

ジャンが叫ぶと同時、ジャンが管理していた結界がボロボロと崩れ落ちた。ジャンと共にカズマとエレーヌの元へ集まりながら、アンリが警戒態勢に入る。マティルドもまた、即座にアンリ達の元へ駆け寄った。エレーヌの後ろにカズマを隠しながら、円形に並び辺りを見回す。死角は無いと、そう彼等は信じていた。だが。

「襲撃、と考えた方が良さそうだな」
「あっはは、それ正解」

 聞き覚えのないテノールの声は楽しそうに弾んだ声音で、アンリの傍から聞こえたのだった。アンリがその事を認識する間もなく、それは軽々とアンリをジャンとマティルドを共に、ただの一蹴りで彼方へと吹き飛ばしてしまったのだった。

「っ!」
「隊長!ジャン!」
「っ何者ーー!」

 カズマは吹き飛ばされた2人に目を剥くが、冷静なエレーヌは即座に反応し、カズマを引き寄せながらその男目掛け最速の術を繰り出した。バリバリバリッ!と大きな雷鳴が響いたかと思うと、男が居たはずの場所には、雷が落ちたかの様な焦げ跡が残されていた。薄ら煙立つ其処には、しかし男の姿はない。ほんの、1秒にも満たないの間だったと言うのに。

「やっぱ避けるだけじゃ痺れるねぇ、それ。そこそこ厄介だわ」

 右手をブラブラと振りながら、姿を表した黒髪の男は楽しそうにニヤニヤと笑っていた。其れを見たエレーヌは不快そうに顔を顰め、カズマはサッと顔を青褪めた。男の異常性とヤバさに、あの魔王一族の名が頭をチラつく。そして男は、にやけ顔を収めることもなくその場で短く指笛を吹き、3人が吹き飛ばされた方を指差しながら言った。

「アイツら、殺やっといて」

 すると、それに応えるように、大きな翼竜の咆哮が周囲に木霊した。耳をつんざく様な鳴き声に思わず耳を塞ぎたくなるようだったが、エレーヌは辛うじて耐え切る。一方のカズマは、耳は塞いだものの、終わった後も収まらない体中の震えに足が竦む。そまま翼竜は、カズマ達を飛び越え森の奥の方に轟音を上げて着地したようだった。その衝撃に、轟々と土煙が上がる。しかし、エレーヌにもカズマにも、其方へ気を向ける余裕は無かった。

「んで、其処の面倒いマジシャンには、2号チャンね!カッモーン」
「っこの無礼者めっ!」

 明らかな挑発にエレーヌは不快感を露わにするも、次の瞬間目の前に現れた2体目の巨獣に意識を奪われる。微かに残された魔法陣が、それが召喚獣である事を示していた。

 狐のような犬のような、尾が複数ある真っ黒い生き物。眼だけが赤だった。それの鋭く尖った大きな牙が、カズマとエレーヌに向けられていた。エレーヌは、その魔獣と男を相手にすべく、次々と魔術を準備し、寸前で止めストックする。その間も、エレーヌは眉根を寄せつつ思考を巡らせていた。

 初撃でメンバーを分けたのが、この、突如現れた魔王一族らしき男の策略。翼竜を向こうへ差し向けたのは、マトモに相手取れるのがエレーヌだけだと踏んでの事だろう。騎士達の相手は翼竜一匹で十分だと。そして、エレーヌにも其方へ向かえないように足止めと足手纏いを置いておく。まんまとその策にハマった形だ。エレーヌは、悔しさに歯を噛み締める。せめて、相手が逆ならばカズマの護衛に人数を避けるだろうに、と。
そこで突然、今は一時的に離脱している男の姿がエレーヌの脳裏を過った。馬鹿者が、こんな時に居ないでどうする、お前のせいだ、とエレーヌは苛立ちを内心でぶつけるのだった。

「あ、そうそう、どんなに暴れても助けは来ないから、精々足掻いてね!」

 まるでエレーヌの心境を見透かしたかのような男の発言に、エレーヌは一瞬ギョッと目を見開いた。改めて突き付けられると恥ずかしくて、だがそれ以上に男の言葉の真意を推し量り兼ねていた。彼は無事だろうかと。


 その獣は、大量の炎を吐いた。其処ら中が焼け焦げるも、エレーヌは冷静に結界を張り、カズマとエレーヌの身を守る。時折氷を発生させ、攻撃の熱で火照った身体を冷やしながら雷でもって攻撃を加える。だか、威力が如何せん足らない。防御しながら、男に注視しながら、攻撃を加えるのだから、如何したって火力は落ちてしまう。さしものエレーヌも、焦りを覚え始めていた。埒があかない。このままの状態が続けば、流石のエレーヌもカズマを護りきれない。何か一石を投じられればーー。
 そんな時だった。男が、エレーヌの背後に現れたのだ。

「ねぇ君、異世界から来たんだって?」
「!」
「君は僕と一緒に遊びましょ!大丈夫、殺しはしないからーー」
「っな!」

 驚く暇も無く、男に腕を掴まれエレーヌからカズマが引き離される。カズマを掴もうとしたエレーヌの手が空をかき、しかし次の瞬間に繰り出された魔獣による鋭い爪による物理攻撃に、構っている暇が無くなる。
 獣はこの時まで物理的な攻撃は行ってこなかった。それが、まるでこの時を狙ったかの様子で、エレーヌは舌打ちを打った。殺しはしない、そう言った男がどこまで本気なのか、エレーヌには図り兼ねる。
 何にせよ、ここでエレーヌに残された道は一つ。カズマを助けるには、この獣を最速で倒しカズマの元へ急がねばならないと言う事だ。腹の決まったエレーヌは、それこそ目にも留まらぬようなスピードで、最適な、そして強力な魔術を構成するのだった。



 エレーヌとカズマを引き離した男は、その場を離れるように後ろ向きに飛び上がると、木々を蹴りながらどんどん森の奥へと進んで行った。途中、カズマの顔を覗き込むような動きを見せ、カズマの目の前に男の顔が突きつけられる。ニコニコと無邪気に笑うその男が、カズマには酷く恐ろしく見えて仕方なかった。日に焼けた事が無いかのような青白い顔で、目だけがギラギラと紅く輝いている。
 心底楽しいといった表情は、人間と同じだというのに、漂う冷気に秘められた残虐性が見え隠れしている。耳が長く尖っているのは、魔族か何かの印なのだろうか。男の整い過ぎた容姿は、ここではカズマの恐怖を一層駆り立てる材料にしかならない。カズマがどんなに抵抗しても、それはまるで無意味。身体能力の差が顕著だった。

「ちょっと、暴れたら落ちるよ、ほーら僕と楽しいお話しましょうかー、皆遊びに夢中だからネ!」

 無駄に馴れ馴れしい声掛けに、カズマの表情が引き攣る。それからしばらくして、男がようやく地面に着地したと思えば、その場で立ち止まった。周囲には全く人の気配が感じられず、カズマは今迄に感じた事のない恐怖に震え上がった。一体自分は何をされるのだろうかと。ゆっくりと振り向く男の姿を前に、カズマは心の中で叫ぶ。『誰か、助けて、お願い、リュカ』と、彼は情けなくも震えながら、頼りになる1人の男を頭に浮かべるのだった。





list
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -