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004.預言者(後)



 精霊族の長の居た母家を出ると、リュカは即座にエレーヌ=デュカスに声をかけられる。いつもの軽口だ。

「遅いぞリュカ=ベルジュ。一体どれ程待たせるつもりだったのだ」
「申し訳ありません。どうしても話さなければならない事がありましたので」
「お帰りリュカ。……皆揃ったな。さぁ、西へ向かう」

 リュカが貼り付けた笑顔で謝罪の言葉を口にするとすぐ、アンリが口を開き全員が動き出す。その笑顔がいつもより固かったのだが、其れに気付いた者は居ただろうか。精霊族との接触後、リュカは酷く動揺していた。彼の頭の中では、精霊族の長の言葉が繰り返し反響している。言葉にすべきではなかったと、後悔ばかりが渦巻いていた。

『お主は討伐隊に加わるべき者ではない……すぐ祖国に戻られよ。これ以上、お主に申し上げられる事はない』

 予想外に放たれた言葉に、リュカは血の気が一気に引くような感覚を覚えた。長の言葉は、恐らく今のリュカが最も聞きたくなかったものだった。少なからず期待していた分、ショックは大きい。そして、その後に続いた言葉は、明らかに忠告であった。

『お主が居る事で、人族が得られる利益もある。だが、それ以上に、お主自身に降り掛かる災厄が大き過ぎる。それは周りを巻き込む可能性すら孕む。だから加わるべきではない。だが、我らが止めても、お主は止まらぬだろう。覚悟の上ではあろうが、心して掛かるが良い』

 詰まるところ、忠告をしても話を聞かないお前は行ってしまうだろうが、そのせいでお前が不幸になって周囲が死んでも知らないぞ、という事である。「預言者」と名高い精霊族、その言葉の信憑性は高い。しかし、聞くところによると、彼等の言葉はそのまま現実に起こる訳ではないという。幾つもの可能性の中から、長の勘によって無作為に抽出されるものであり、上手く躱して「預言」を克服した者も居ると言われている。ならば、とリュカは考える。森林を抜け、岩場がちになってきた西寄りの台地を歩きながらリュカは黙々と考える。

 何とか、「預言」を回避する方法はないかと。自分がどうにかなるならばまだ良い。仲間に、国の皆に災厄が降り掛からなければ其れで良いのだ。リュカは、長の言葉を一字一句思い出していく。
 『お前に降り掛かる災厄が大き過ぎる』ここは断定。詰まるところ、災厄はきっとどうしたって回避出来ない。其れならば、正面から受け止めてやれば良い。最悪、自分が死ぬだけだ。
 その他はどうだっただろう。『それは周りを巻き込む可能性すら孕む』と言う部分、長は『可能性』と言う言葉を使った。先の断定とは違う、つまり、回避する運命もあるはずだ。と、言う事はだ。タイミング良く、他者へ降り掛かる災厄を自分が背負ってやれば良い。どうせ降り掛かるものだ、一つや二つ増えたところで結果は変わらない。そのタイミングをどう掴むか、それは自分に掛かっている、と。
 リュカは、他者が聞いて居れば悉く怒られるような思考でもって自身の精神安定を図る。昔も今も変わらない、これがリュカ=ベルジュの思考パターンである。それを騎士団上層部は察しており、どうにか辞めさせようと試行錯誤していたと言うのは、また別の話だったが。今となってはどうしようもない。

 西へ向け、精霊族の国と人間の国の国境沿いを一行はひたすらに歩く。岩石の多い山岳地帯は、歩くのだけでも体力を削られる。半数以上を占める騎士団組は、日頃の訓練の賜物か、悪路の長距離移動はそれほど苦ではない。しかし、身体能力を高める訓練を其れ程行う事のない魔術師組にとっては、やはりと言うべきか、苦しい道程となる。

「お二人とも大丈夫ですか?少し休みます?」

 思わず声を掛けたのは、最後尾近くを歩いていたリュカだ。先の思考のお陰で、多少いつもの調子を取り戻している。
 そして声をかけられたそのエレーヌとジャンはと言えば。ぜぇぜぇと息を切らしており、歩みもどこかぎこちない。ここまでの数時間、一行は人の背丈以上の大きな岩もあちこちに転がる岩場を歩きっぱなしであった。
 普通の人間ならば、とうの昔に根を上げていただろう。しかし、彼等は魔術師だ。鍛え方が武官の其れには及ばずとも、特殊な訓練を受けて居る。国に選ばれた精鋭だという意地も二人にはある。無様はどうしても避けたい、そんな二人の魔術師の矜持が、リュカには手に取る様に想像できた。恐らく、リュカが指摘しなければ、二人は意地でも夜までついて来ただろう。ぶっ倒れる程、ヘトヘトになりながら。

「ご、ごめんなさいっ、僕、ちょっと休ませてほしいですっ」
「な、何のっ、これしき――!」

 明らかに意地を張った言い様だが、限界である事は目に見えていた。それを見かねたリュカが小石を投げて合図を送ると、先を行くアンリが眉尻を引き下げながら、小走りで近付いてきた。

「二人ともすまない、そんなになるまで……私が意識すべきだったな。ならば、……あの辺りの岩場なら安全だ。大分距離も稼げただろうし、あの辺りで野営しよう。少々、寝にくいだろうが」

 アンリはそこで、非常に申し訳なさそうに二人に声を掛けると、野営のための準備に指示を出した。目的の岩場までは、ヘトヘトなジャンとエレーヌの二人はそれぞれマティルドとラウルにおぶられる事となった。
 担がれた際には、あな恨めしや、とエレーヌが照れ隠しに呪詛を吐いていたのを耳にしたラウルが、彼を人形のように担ぎ上げてジイと見詰める、なんていう更なる追い討ちの羞恥をエレーヌに植え付けた、というのはまた別の話である。

 食事を取る頃にはリュカも、精霊族の言葉によって沈んでいた気持ちを、幾分か取り直していた。夜の間は危険も大きく、先へ進む事はしない。その分、睡眠をとり、疲労を回復させなければならない。だからリュカも、ゆっくりとくつろぐはずだったのだが。
 リュカはどうもソワソワとして、妙に落ち着かなかった。
 他の騎士団達と野営する機会など幾らでもあるだろうに、今日は特に気分が乗らない。大魔術師のエレーヌが居るからか、それともこれから訪れる災厄を回避しなければならないとの意気込みで気持ちが昂っているからか。本人にも理由が分からない。しかしどうしても腰を落ち着ける気にならず、リュカは周囲を見回る事にした。アンリへそれを告げると、彼は不思議そうな顔でリュカに告げた。

「リュカ、今回は耳の利くラウルがいる、見回りの必要はないぞ」
「それも、そうでしたね。ーーただ、少々落ち着かないので、少し歩いてきます」
「そうか。ーーだが、気を付けるんだぞ」
「はい、勿論警戒は怠りません」

 そう言って踵を返すリュカへ、アンリの視線が突き刺さる。何か言いたい事でもあったのだろうが、それを呑み込んだようだった。リュカは岩場を慣れたように早足で駆けながら、アンリの優しさを思い出し、固い表情を少しばかり緩めた。


 境界沿いに早足で1キロ程進むと、他よりも地表に突き出た小高い岩場に出た。リュカがその頂へと登れば、そこからは周囲が一通り見渡せた。
 北西の方角を見れば、すぐそこに鬱蒼とした森林が見える。ヌワル=ブワと呼ばれるかの森は、方位を狂わす魔の森だ。人間族どころか野生生物さえ近寄らない。獣型の魔物――魔獣が多く出る所為だ。この森に最も近い人間族の国が、ライカ帝国ーーラウルの出身国である。
 彼等は人間族の中で最も戦いを好む。しかしその、血気盛んな彼らでさえこの森には滅多に近寄らないという。帝国ですら、入れば最後、生きては出られないとまで言われている。そんな、命の危険に晒されるような森へ、討伐隊一行は進まねばならない。

 そんな黒い森へ思いを馳せながら、リュカはふと耳にした情報を思い出す。帝国からも魔王討伐隊が派遣された、という耳寄りな情報である。
 運が良ければ彼等とも遭うこともあるだろうと考えた所で。思考の隅にとある人物の事を思い出してしまって、途端にゲンナリしてしまう。すぐに頭をブルブルと振って、ライカ帝国に対する思考を振り払った。これ程広い森なのだから彼等と出会す確率はそう高くない、大丈夫だ、そんな訳ない、とリュカは急いで言い訳をする。そして、忘れる事にした。

 気を取り直すようにぐるりと周囲を一望する。南を見ればライカの村々が遠くに見え、東を振り返れば私が越えてきた延々と続く巨大な岩石。そして、遥か北方に目をやると、薄く立ち込める黒い雲が見えた。自分達があそこへ向かっていると考えると、途方もない旅をしているかのように思えてくる。黒い靄のような雲を見ているだけで、腹の底がザワザワとする。あそこは駄目だ、近付いてはならない。そんな本能に逆らうかのように、リュカ達はそこへと向かって行くのだ。

 挫けそうな気持ちに鞭を打ち、目を瞑って気分を落ち着ける。深呼吸をすれば、森の香りが体の中に流れてくる。多少は気が晴れたような気がしたリュカは、そっと目を開けた。眼下には、相変わらずの薄暗い森が広がっている。ジメジメとして、異常な気配の漂う、不気味な森だ。あの、嫌な感じのする森へ、今から向かうのだーー。
 そんな事を考えていたリュカは突然、異常な声を耳が拾った。

「――……、――!」

 かの森の方だった。切羽詰まる叫びのような声が、微かに聞こえたのだ。言っている言葉まではわからない。しかし、声を耳にした瞬間、リュカは身体中の血が沸騰するような気分を味わう。怒りのような、興奮のような、降って沸いた異常な感情。
 それを変に思う間もなく、リュカは昂りのままに腰に下げた剣に手をかけた。見もしないのに、身体が勝手に動いたのだ。可能な限りの全速力で、声の方へと突進する。リュカの前方からは、地鳴りにも似た魔獣の咆哮が周囲に響いている。間違いない。魔獣である。そして暫く、凝らした目の先に、森を縫って走る人影と其れを追う巨体を捉えた。




* * *




 次にリュカがハッと気付いた時、目の前で魔獣の巨体がズズンと地鳴りのような音を立てながら大地に伏せる所だった。右手には剥き出しの剣が握られており、魔獣の血液が付着している。
 薄ら記憶を辿れば、目の前の此れを殺(や)ったのは確かに自分であるらしかった。カッと目を見開きながらあちこちを斬り付け、急所を突いた所まで、記憶はすぐに蘇ってきた。自分の事ながら妙だな、なんて思いながら、剣の血を振り飛ばしそれを鞘に収めた。
 いつの間にか、|件《くだん》の森の中へ足を踏み入れてしまったらしい。勝手に行動してしまって、旅の開始早々怒られるのではないか。想像して、リュカはぶるりと身を震わせた。

 そのように一通り記憶を拾い終えた所でようやく、リュカは背後に見知らぬ気配があることに気付く。バッと勢いよく振り返れば、そこには魔術師の制服のような詰襟の黒装束を身に纏い、黒い髪をふり乱したまま座り込む少年が居た。
 余りの出来事に怯え、尻餅を突いているのか。幼さの残る顔立ちに黒眼がちな目、顔立ちは今までに見た事が無い程ーー否、先刻目にした精霊族のような、凛とした美しさがあった。彼等のような透き通った白銀の髪ではないが、白肌に黒髪が映え、逆に艶めかしい色気を孕んでいる。人の美醜に其れ程興味のないリュカでさえ、ドキリとする程だ。
 少年は、ポカンと口を開けながら、無言のままリュカを見上げている。この少年は、一体なぜこのような所に、このような身なりの良い少年がいるのか。ライカ帝国が近いとは言え、こんな物騒な森に一人で来るだろうか。リュカは考えあぐねていた。

 一先ず、とリュカがその人間に近付き手を差し出す。少年は一瞬肩を震わせたが、しかし恐る恐る手を伸ばす。その手をしっかりと掴んで立たせれば、思いのほかしっかりとした足取りで、彼は立ち上がった。少年の背が思いの外高く、リュカの方が見上げる形になった事に、内心では酷い衝撃を受けていたというのはここだけの話であるが。

「貴方大丈夫ですか?」
「っはい、大丈夫、です」

 少年は何が起こったのかいまいち理解出来ていないのか、助けに入ったリュカをジイと眺めている。リュカもまた、一体何者なのかと、少年の姿をマジマジと見詰める。そんな沈黙を破ったのは、リュカの方だった。

「怪我はありませんか?」
「あ、はいっ、怪我、ないです。さっきは、ありがとうございました。マジで食われるかと……」
「そうですね。アレは人を嬲って遊んでから食らいますから、助けるのがもう少し遅ければ今頃、ズタズタに引き裂かれてアレの腹の中でしょうね」
「…………」

 事実に則してリュカが忠告すると、少年は絶句した。ここで、リュカはとある考えに辿り着く。この少年は、本気で森の事を知らないのでは無いのかと。本来ならば有り得ない事であるのだが、実際にそれを目の前にしているのだ。
 |こ《・》|の《・》|世《・》の誰もが知っている、魔の森を知らないなんて普通は有るはずがない。子供の頃から言い聞かせられるはずだ。絶対に入ってはならない魔の物達の住処。それを知らないなんて、と。ここでリュカはとある考えに行き着く。伝承でしか耳にした事のない、異世界の話を。リュカは緊張した面持ちで、駄目押しに問いかける。

「貴方、なぜあんな場所に?あの森は、入れば生きては出られないと、そう言い聞かされているはずですが」
「えっ、俺、そんな場所に居たんですか!?」
「知らずに、あそこに居たんですか?」
「や……、なんか、……気が付いたらあそこに、“落ちて”た、っていうか」
「“落ちて”いた……?」
「何が何だか分かんなくて、あんな、怪獣みたいにでかい化物なんか見たことないし、この森だって、俺の知ってる森とは違うーー」

 リュカはここで呆気にとられながらも確信した。少年の、“落ちて”きたと言う言葉が出ると言う事はつまり。伝承そのままの出来事が、自分の目の前で起こったのだ。緊張したような、興奮したような気分で、リュカは口を開く。

「貴方、まさかーー違う世界から此方へ来たのでは?」
「え……」
「"落ちた"と、貴方は言ったでしょう」
「!」
「つまり貴方は、この地で言う、フーー」
「リュカ!無事か!?」

 リュカが其れを言い掛けた瞬間、背後から叫び声が聞こえた。思わず舌打ちが出るものの、何事も無かったかのように澄まし顔で、リュカはその声の主の到着を待った。
 真っ先にガサガサと草木を掻き分けやって来たのは、ラウルであった。最も体力もあり、身体能力も優れ、索敵に長けた彼が先導するのは道理。その後ろからは、声の主である隊長のアンリとマティルドがやって来た。

「先程の轟音ーー、これは、やはり魔獣か」

 アンリは、リュカの無事を確かめるように、その先の倒れ伏した獣へ目を遣りながら言った。その顔に安堵の表情を浮かべながら、しかし油断無く窺う。リュカは先刻起こった出来事を一部始終ーー記憶が途絶えた事は言わず、アンリへと話して聞かせた。そして、少年の事も。

 突然現れた少年の話と、其れに対するリュカの予想をアンリに話して聞かせれば、彼は絶句、と言った表情で少年を見た。後ろに控えるマティルドやラウルも同様だ。
 何せ、異世界から人が落ちて来るなど、実際に目にした人はここ数百年は無かったと言われている。記録が残るのは、今より500年以上も昔の話だ。それを体験した者など、今の世に存在するはずも無い。もしかしたら頻繁に人が落ちてきていて、何処かで情報が揉み消されているのかもしれないが、其れはリュカ達の知るところでは無い。つまり彼等は、歴史的瞬間に立ち会っているという事になる。

「まさか、では、アレは伽話では無かったのか」
「そのようでーー」

 その衝撃に二の句を告げられずにいる彼等を見ながら、リュカはぼうっと考えた。そのような異世界の人間が今、“落ちて”きた意味は一体何なのであろうか。性分なのか、どうしてもその意味を考えてしまう。
 そんな時の事だった。リュカはふと袖を引かれたような気がして振り返る。するとそこには、リュカの背後に隠れるように立つ彼の姿が目に入った。戸惑うような緊張した面持ちで隊長たちを見つめている様は、どこか儚いものを見ているような感覚を受ける。自分よりもデカいのに。
黒がベルジュの色である事は王国の常識。少年はベルジュのようでいて全く違う。彼の纏う微かな力の気配に、リュカの胸はざわざわと煩かった。少年は、何かを引き起こす気がする。其れが吉と出るか、凶と出るかは分からない。しかし、これは運命だと、リュカにはそう思えてならなかった。





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