Main | ナノ

003.預言者(前)



 大剣を背に負い、無造作な白銀の髪の剣士。彼の頭上に生える犬耳は常に周囲の音を拾っている。ラウル=ミュレは見ての通り、純粋な人間族ではない。そっと考えるように閉じられた瞼がゆっくりと上がれば、金色に輝く両眼に誰もが見惚れる。人間離れした彼の美しさに溜息すら溢れる。

 彼は、狼の獣人族と人間族の間に生まれた半獣人。
禁忌の子と、彼の国では呼ばれていた。

 アレクセイ国より西側、魔獣の住処となっている西大陸の近くに、ライカ帝国という大国がある。その周辺に多く住んでいるのが、獣と人間の中間にあたる獣人族だ。彼らは滅多に人の前に姿を現さず、森で生活する野生的な種族だ。彼らの事は、ライカ帝国以外の人間族にはあまり知られていない。彼らは美しい獣にも人間にもなれる、人間族からすれば不思議な者達だ。魔術がほぼ使えない代わりに、獣から受け継いだ彼等の身体能力は、人間を遥かに凌ぐと言われている。

 獣人族は人間との接触を嫌い、人前には滅多に姿を現さない。人間側も獣人を不気味な生き物と捉えている帰来がある。獣人と関わりを持ってはいけない、というのが昔からの人間族の暗黙の了解であった。互いが互いを避ける、故に両者が交わるのは非常に珍しい。

 そんな中、ライカ帝国の人間族は特別獣人を嫌悪する感情が強い。同じ種族ですら、獣人族と関わりを持つだけで迫害されてきた。
 このラウルも、かつて住んでいたライカ帝国でひどい目にあったというのはよく知られた話。アレクセイ王国では特に、派手な彼の容姿と背丈は何処へ行っても目立った。物珍しさから、噂が流れるのも早い。彼は色々と苦労してここまで来たようだが、今ではアレクセイ国でも有数の剣士となった。感情に左右される事のない戦闘時における冷静さと、他者には真似できない怪力、そして獣人族ならではの疲れ知らずの俊敏性。どれをとっても他の剣士には真似できない。唯一無二の戦力だった。

 様々な者達を魅了する双眼は静かに隊を見つめていた。

「協力に応じられぬと向こうが言うのならば、魔獣の住処と言えど進まねば何も始まらん」

 周囲が彼の覚悟に呑まれる中、アンリはいつもと変わらぬ様子でその眼差しを受け止めている。
 そうか、と言葉を漏らしたアンリは、思案する素振りを見せる。そして次の瞬間、ラウルの意見に続くように別の声が続く。

「我もラウルに賛成だぞ。このままでは、我の勇姿を十分に見せぬまま魔王一族を倒してしまいそうではないか」

 燐とした声がもう一つ、と思えば、ラウルの傍に立つロベール=ジョクスが自身の髪を指先で弄りながらそう言い放った。濃い蒼の髪は手入れを欠かさず艶やかで、その双眼に輝くグレーの瞳も似合っている。ラウルに比べると華やかさには欠けるが、彼もまた何故剣士などに、と言われる程には整った顔立ちをしている。彼は其れを自覚し武器とする。恋多き彼は、謂わばナルシストだ。そんな、剣士にしては珍しい人物ではあるが、彼も双剣の使い手としては随一。
 アンリ隊長すら、彼の剣士としての腕には信頼を置いている。皆の目がロベールに集まる中、彼は声高々に言った。

「我が勇姿を見せつけ、魔王一族を威嚇すべし!国を代表する討伐隊がここで足踏みしているわけにはいくまいよ、−−我らの帰りを待っている者がいるのだ、抗している間にも愛しい彼女たちが危険に晒されているのだ……さあ進もうぞ、我が祖国のために」

 芝居がかった口調て、両手を大げさに振る様はまるで舞台役者のよう。しかし、彼の言う事は最もであった。こうしている間にも、国に危機が迫っている。アレクセイ国だけではない、近隣諸国も危機に震えている。ここで立ち止まっている場合ではないのだ。
 そんな彼の言葉が後押しになったのか、アンリは幾ばくかスッキリとした表情で言葉を口にする。

「そうか。できるならば、危険な道は通りたくはなかった。体力を温存して魔王達に立ち向かうべきだと、そう考えていたのだが。協力を得られぬ以上は、西に行こうが東へ行こうが同じ事。彼等との交流は失いたくない。危険でも西を進もうかと思うが、どうだろうか」

 アンリは一人一人の顔を確認する。リュカと目を合わせたその時、リュカには彼が悲しそうに嘆いているように見えた。表面上はそうでなかったとしても。

 リュカは、隊長のアンリを目標としている。平民の出でありながら実力を買われ、騎士団の大隊長にさえ任命されたその力量と、心無い暴言にも差別にも負けない精神力、そして、その燐とした立ち姿。更には、平民ながら従者を引き連れる事となったその人望の厚さ。目標とせずにはいられなかった。同じような境遇にありながら、力を手に入れた彼に、自分もいつかこうなるべきだと、そう、自身に言い聞かせている。

「我は主人あるじの決定に従う」
「私も従います」
「‥……危険でしょうが、反対はしません。一番の近道だ」
「僕も、そう思います」

 マティルド、リュカ、エレーヌ、ジャンと口々に肯定の意を表す。アンリはその様子にほうと息を吐き出すと、腹を括ったような表情で、彼の長の家を見つめた。そうしてしばらく、それ目掛けてゆっくりと前に歩き出した。

 それを見た時の事。リュカは突然、焦燥に駆られる。これはもしや、最期のチャンスなのではないかと。誰にも聞かれず、しかし精霊の長に聞きたい謎。それをはっきりさせる、最期の好機。思わず、声が出た。

「アンリ隊長、私も行きます」

 リュカの声に、アンリは足を止め振り返る。周囲は何事ぞととリュカの動きを目で追うが、引き留める者はなかった。張 長の家へ入る直前、アンリは小声で問うた。

「何かあるのか?」
「いえ、少し、個人的に話しておきたいことがありまして。家の、事です」
「ベルジュ家か‥…分かった。先に報告をする。その後、話してくると良い」
「はい」

 薄く笑みを浮かべたアンリの眼差しに、リュカは背を押される。内心で感謝しながら、アンリに続いて家の中へと入っていった。飛び出しそうな程暴れる心臓を、右手で何とか抑え込む。震える身体を無理矢理動かす。逃げたくなる衝動を、力づくで抑え込む。少しでも緩めれば、吐きそうだった。

 精霊族の長は、白銀の長髪と、同色の眼まなこを湛えた、冷たい印象を与える人物であった。精霊族特有の大きく先の尖った耳を持ち、血色の少ない白肌は不健康なイメージを与える。他の精霊族と同様に表情は無く、白い大きな布を巻き付けたトガのような服を纏っていた。
 まるで彫刻のよう。リュカは先刻の目通しで感じた印象を、再度感じる事となった。何かを考えていないと、それこそ吐きそうでもあった。

「――我々は西へ進む事にいたします」
『左様か……精霊には精霊の理がある、王からの頼みには応えねばならん。この、《護り石》を持っていけ。精霊王の加護を受けられる』
「お心遣い感謝致します」
『汝らの旅路に幸多からん事を』

 こうして、アンリは精霊族の長から不思議な紋様が描かれた紫色の石の首飾りを受け取り、深々と礼をする。そうして失礼します、と行った。

『さて、ベルジュ家の者よ、前へ』
「はい」

 精霊の長の前へ躍り出たリュカは、家に伝わる所作にて深々とお辞儀をする。代々精霊との繋がりの深いベルジェ家の人間は、成人すると顔見せのために精霊の長の元へ挨拶に出向くのが普通である。しかし、リュカは例外であった。成人した後も、彼は長との面会を拒絶していた。通常、拒絶は認められないものの、其れが許されたのはリュカが初めてであった。

 「神の御使」、「預言者」と呼ばれる彼等が、血筋ではないリュカに果たして一体どんな言葉をかけるのか。リュカにはその覚悟がなかった。ベルジュ家の人間達の目の前で、父母の名誉が傷付けられるような事態を、どうしてもリュカは回避したかった。それが故に、自身に対する噂や態度が悪化しようとも。

 だが今、周りには誰も居ない。討伐に向かったきり戻る事もないかもしれない。それが、リュカに決心させた。自分が何者で、なぜ魔術師にしか見えないはずの純聖霊が見え、しかし魔術を使う事ができないのかを知る事を。長に聞けば、何か分かるかもしれない。襲いくる恐怖と期待に、リュカは手を握りしめた。

「……改めまして、お初にお目にかかります。アルドとシャーロットの長子、リュカ=ベルジュに御座います。御歳23、騎士団第一師団参謀長の任に就いております」
『リュカ、面を上げよ。顔を見たい』

 言葉に誘われて顔を上げると、彼の目には白銀の滑らかな長髪が光に透けてキラキラと輝いて見えた。無表情だが、長の感情がリュカには感じられた。長は拒絶などしていなかった。待ち望んだ期待と緊張に、心が騒いでいるのが感じ取れる。何故感じるかは分からない。しかし、リュカにははっきりと感じ取れた。それが、リュカの緊張を少しばかり解してくれた。肩の力が抜ける。
 そんなリュカの心情を察しているのだろうか、目だけは油断なく、色素の薄いの両眼でリュカを観察していた。

『ベルジュの隠し子……何やら“普通”と違うと、アルドが申しておったな。主、聞きたい事があるのだろう?』
「はっ、はい」

 長の言葉に、「預言者」の二つ名に違たがわないとリュカに思い知らせる。しかし、後戻りはできない。リュカは大きく息を吐き出し心を落ち着けた後、促されるように口を開く。

『申してみよ』
「私は、自分が何者なのかを知りたくて、今日此処へ参りました。ご存知かも知れませんが、私はベルジュの血筋ではありません。両親が、捨てられていた私に精霊の加護を見出だし、秘密裏に引き取った子供です。……ですが……私は、純精霊と話は交わせるものの、魔術を操る事は拒絶されるのです。このような人間は、私の他におりません。私はなぜ、どうして、純精霊との繋がりを持ちながら魔術を操る事が出来ないのでしょう」

 魔術師の中でも極一部にしか見えないはずの純精霊は、リュカにとっては小さな頃から身近なものだった。しかしそれでも、魔術を操ろうとすると、それを身体が、純精霊が拒むのだ。歯痒い思いをしたのは数えきれない。もしも魔術が使えたのなら。この膨大な、持て余した魔力をぶつける方法があれば。苛立ちを覚えた回数は数えきれない。

 幼い頃、度々傷だらけで帰って来るリュカへ、『こんな家に連れてきてしまってごめんね』と哀しそうに言う父母。役立たず、そう罵る一族の醜悪さ。量が多いだけで役に立つ事もない、体を蝕む程の魔力。
 幼い頃から続くフラストレーションは、リュカの性格や行動に影を落としている。自分など、と真っ先に危険へと身を投じる。騎士団員としてある程度成り上がり、難易度の高い任に付くようになってからは、その傾向は顕著だった。その無鉄砲さを危惧した上官に、参謀長などと言う事務官に近い仕事を拝命したのは本人の知らぬ話であるが。

「わたしは、死ぬ前に知りたいのです。自分が何者かを」
『知ってどうする』
「知らない事は時に、精神へ大きな負担を伴うもの。今まで決心がつきませんでしたがこれを機にと、参上致しました」
『左様か。知って何も変えられないとしてもか』
「っはい、それ故、時間を要してしまいましたが」
『成る程、覚悟の上と。ならば、寄るがよい』

 いざなわれるがまま、長へ近寄り伸ばされた手に自分の其れを重ねる。重なった手に、微かな温もりを感じる。無感情に見える精霊族も、生きているという証。リュカはそんなどうでも良い事を考えながら、自身の平静を保つのだった。





list
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -