Main | ナノ

降り注ぐ終末



ウォルトは国の騎士団の中でも英傑と目される程の存在であった。先の戦争時、彼率いる騎士団の第一番隊は、たった百余人で数百もの軍を相手取り侵攻を食い止めたという武勇伝を持つ。その戦いのお陰もあり、他国との和平交渉が国にとって有利な条件の下結ばれた事で、彼の活躍は一気に広がっていった。元々、剣の腕においても右に出る者なし、と評判であったウォルトは、それ以降名実共に国一番の騎士と評されるようになった。誰もが焦がれ憧れ、目標とする騎士。ウォルトは国中の注目の的だった。彼の活躍に比例するように彼の人生も順風満帆で、名家の御令嬢との婚約話や、国からの莫大な褒賞の話が持ち上がり、彼の人生は安泰だと誰もが思っていた。彼本人を除いては。
そんなウォルトに、転機が訪れる事になる。

地方からやって来たという年若い騎士、デイモン。彼が騎士団に入団した時から、ウォルトの人生が変わっていった。
デイモンは優秀であった。剣の腕もさる事ながら、将を任せても上手く立ち回り、戦場に於いても最小限の犠牲に危機を脱するという才。ウォルト一強とまで言わしめたそんな時代に、並び立つ程に才能溢れるデイモンの登場に人々は沸き立った。デイモンの存在が知られるようになって二年。騎士団内部で二人が共に現れれば其れこそ、周囲の視線は二人に釘付けとなった。

「ウォルト隊長」
「ーーデイモン」

デイモンは人好きのする笑みでウォルトに話しかける。ウォルトは一瞬眉根を寄せるものの、直ぐに取り繕うように表情を普段の調子に戻した。格上の相手に話し掛けるなど、上下関係のしっかりとした騎士団内部の仕来りからすればとんでもない暴挙だ。だがしかし、デイモンに限っては許されてしまう。誰も咎めるものはいない。隊長でこそ無いが、他隊長に匹敵するか、或いはそれ以上の働きを見せるデイモンに文句を言うモノはいない。短期間でそう言わしめる手柄を上げたデイモンに反発を覚える者も居そうだが、彼の元来の人誑しの才覚故か、何故だか、彼に対立する勢力は現れなかった。ここ数年でそこまで認められたデイモンの手腕を、ウォルトも認めない訳にもいかなかった。故に、ウォルトは彼を下手に諌める事はない。

がしかし、周囲は薄々と感じていた。ウォルトが、あの、誰とも対立しない、国に真の忠誠を誓ったウォルトが、デイモンを嫌っている。噂はあっという間に広がる。

「今日は一体何の会合でしょうね」
「さあな……」
「それはそうとウォルト隊長、今度俺に稽古をーー」
「悪いが断る。お前のようなーー……いや、俺が教えられる事は何もない。陛下の御前だ。黙っていろ」
「残念」

言葉の節々に感じられる刺々しい気配に、ウォルトを知る人々は困惑する。そして、彼らは拭えぬ不安を覚えるのだ。そして、その不安は的中する事になる。


経験豊富だが無愛想で融通が利かない英雄と、未だ未熟なものの若く才能溢れる人懐こいルーキー。どちらが国を守るにより相応しいかを考えれば判るものの、それを判断するのは感情を持つ人間だ。妬み、嫉み、怒り、それらにより判断を鈍らされる者は多い。そして、得てして、そう言った感情的になりやすい者達の声の方が大きく聞こえる。そして、僅かだった歪みは次々と伝染していくのだ。


「ウォルト」

ある日、騎士団の事務局個室にて。ウォルトと最も親しいシリウスは、執務用のデスクに座り書類と向き合っている彼に問うた。

「シリウス」
「少し、話いいか」
「ああ、問題ない……何だ、何かあったか?」
「いや、最近の君の言動について聞きたくて」
「……そうか」
「あれは、不味いよ。デイモンは、確かに不躾な輩だけど、才覚は確かなモノだよ。最近の君の態度は確実に広まってる」
「知っているさ」

深刻な事態になりつつある事は知っている筈なのに、手を止め椅子に座ったまま、妙に冷静な態度を示すウォルトに、シリウスは困惑する。解っているならば堪えてくれれば良いものを、何故それをしないのかと。

「何故、ああまでして彼を貶める?君らしくない、君の代わりに隊長に置いてはどうかという声もある。不味いよ」
「……そうだな。出来るだけ気をつける」
「なっーー、解っているならば出来るだけじゃなくて、あんな言動は今後一切するなよ。君の立場も流石に危うくなる」
「ああ。勿論、理解はしているさ」

そう言うウォルトの顔には、微かな疲れが滲んで見える。隠してはいるが、長い付き合いのシリウスには解った。しかし、その理由が分からない。今までにも、若手の育成に難儀した事はある。しかし、それの何れとも違うウォルトの態度が、全くもって理解できないのだ。なぜ、という気持ちばかりが先行する。

「だったらなぜ、あんな事っ」
「話せる時が来たら話すさ。多分、お前達には理解できないだろうが」
「なっーー!」

その言葉はまるで、シリウスを突き放すようなそれに聞こえて、彼はは信じられないとばかりに言葉を詰まらせる。信用されていない、そう言われたも同然だと、彼は思ってしまっていた。そんなシリウスの様子に、ウォルトもハッとしたのだろう。直ぐに謝罪の言葉を口にした。

「今のは言い方が悪かった、すまない。色々と混み入っているんだ。ーー頼む、一人にしてくれるか」

今までに見たことのない、弱ったようなウォルトの声音に、シリウスは困惑する。自分にも話せない何かが、ウォルトを苦しめている。それが分かっているのに、それに助け船を出す事の出来ない何も知らない自分。もどかしさを感じない筈がない。シリウスは、邪魔をしたな、と、後ろ髪引かれながら部屋を後にしようとする。しかし、扉を開けて外に出た所で不意に話し掛けられた。

「シリウス、ーーお前は悪魔という存在を信じられるか?」

一体何を言い出すのか、シリウスには訳が分からなかった。しかし、と彼が応えを口を開いた所で。

「シリウス副隊長!」

シリウスは威勢の良い声に注意を引かれた。それに気をとられ振り返れば、そこにはまさに話題の人物が走って来ていた。それに驚くと同時に、またか、とシリウスは苦笑する。ここの所、ウォルトに相手にされない事が分かり、ターゲットをシリウスに変更したらしかった。走り寄ってきた彼に社交辞令の笑みを浮かべて、少し待つようにと声をかけた。そうして、ウォルトを再度見た所で、シリウスは言葉を失った。それはほんの一瞬だ。だが、シリウスにはわかった。

「引き止めて悪かったな、今のは冗談だ。行ってやれ」
「え、ああーー。わかった、邪魔したな。また、な」

ウォルトは早口にそう言い放つと、ごく自然な動作で手許の書類に視線を戻してしまった。シリウスは益々困惑した。御伽噺でしかない悪魔の話、そして、今し方見せたあの表情。馬鹿なことを言うなと笑ってやろうと思っていたのだが。それすら出来なかった。あの表情を見てしまっては。

「シリウス副隊長、前お話していた件、お願い出来ますか?」

元気な大きな声で、歩きながらに話しかけてくるデイモンに、精が出るなと冗談交じりに声をかける。声を掛けながら、シリウスはあのウォルトの表情を忘れる事が出来ないでいた。頭の中にこびり付いて離れない。

死地に立ち、いつ死ぬかも知れない戦場にて、悪どい笑みで敵を斬って捨てる豪傑、あのウォルトが。恐れも知らず、騎士団の団長にさえ臆する事なく意見するあのウォルトが。その瞳に恐怖を浮かべていたのだ。

シリウスはその意味を図りかね、しかし察していた。あの怖いもの知らずのウォルトが、この、若輩に恐れを成す理由は何か。シリウスは意を決して、接触を図ることにする。その決断が何を齎すかも知らずに、シリウスは自ら進んで手を貸すことになった。あの、冗談のような問い掛けの意味も解らずに、そしてその言葉はシリウスの記憶の奥底へと沈んでしまった。




それからと言うもの、ウォルトは疲弊していった。解るものには解る、しかし上手く隠しているので周囲は殆ど気付けない。しかし、じわりじわりと変わっていった。ウォルトは、騎士団の施設内に居ながら、常時戦場にあるかのようなピリピリとした雰囲気を醸し出すようになった。

彼の変化に戸惑いながらも、周囲は優しく諭す。ここは国王陛下のお膝元、騎士団だけでなく国王軍も居る、安全だ、そんなに気を張っていてはダメだと休めと。しかし、ウォルトはそれに一切耳を貸そうとはしない。それどころか、進んで孤立していく。誰も信じていない、そうでも言っているかの様子に周囲は困惑する。そして、危うい立場を倦厭した者から次々と彼から距離を取るようになっていった。もうアンタと任務に赴くのは御免だ、そう言って他隊へ流れる騎士達が出始めた。そうしてとうとう、彼は隊長を自ら辞す事になる。

これを愈々不信に思った彼と旧知の仲間達は、独自に調査を行う事になる。しかし、ウォルトと接触した不審人物やら、他国の不穏な動きやら、怪しい所を辿れども不穏な情報は一切出てはこなかった。

「シリウスはどう思う」

主人を失った隊長用の執務室で、シリウスと二人の騎士団隊長が集っていた。彼らのその顔には、困惑ばかりが浮かぶ。

「ルークス、やはり原因は……デイモンとしか言えない」

彼らが騎士団の暗部をさえ使い探れども、原因はそれしか浮かび上がらなかった。

「彼の事も調べたが、何も出なかった。田舎の商家の生まれ、幼い頃から騎士に憧れ騎士学校に通い、晴れて騎士団に配属されたのが4年前。以降は知っての通り第ニ番隊に配属後頭角を現し、希望により第一番隊に配置、以降3年半の間活躍を続け、時期隊長とも言われる程に成長した。目覚ましい活躍以外は不審な動きもない。僕も探ったが、ウォルトと彼が特に接触をしている様子もなかった。むしろ、ウォルトが避けている」

大きく溜息を吐きながらシリウスは呟いた。疲れが滲むのは、相手が気心の知れた友人達だからだろう。副隊長として感情を隠すのは慣れている筈だから。

「となると……なんだろうな。本当に嫉妬してるとしか」
「あのウォルトがか?アイツは他人の技術や能力を吸収しようとすれど妬むなんて有り得ないだろうが」
「だよなぁ……ジェームズお前、前にやっかんでボコボコにされた挙句下段切りのコツ教えてくれって言われてたもんな」
「うっせぇ、何年前の話だよ、蒸し返すな」
「しかし……本当に、どうしたら良いのかな。下手に動かない方がいいのか?」
「それは、あるかもしれない」
「デイモンに関わらない、ってのが最良か?ーーお前は難しいな、シリウス」
「うーん……まぁ、できなくはないかな。善処するよ」
「何か解ったら報告しろよ」

彼らの密会は、その後秘密裏に、定期的に行われた。その間、第一番隊の隊長が決まる事はなく空席が続き、そのままシリウスが隊長の業務を行うこととなった。故に、幸か不幸か、シリウスとデイモンの接触は最低限に抑えられる事となり、3人の隊長達は事あるごとに理由をつけて集まるようになる。

それから更に数ヶ月が過ぎた。ウォルトの動きが変化する事はなく、むしろ悪化していった。ウォルトの行動が、表に出なくなった。何もしていない訳ではない。むしろ変わらず活躍している。しかし、任務を遂行した等の報せは来るのだが、ウォルトの行動を追えるものが居ないのだと言う。隊として動きはすれど、ウォルトだけが単独行動で事に当たる為、目撃者が居らず詳細な報告が上がって来なくなった。かといって当事者であるウォルトに聞いても、淡々と起こった事を報告するのみだ。騎士団としての役割としては十分ではあったが、シリウス、ジェームズ、ルークスの3隊長にとっては、客観的事実を追えず困惑していた。彼の行動から思惑を汲み取ろうとしていたのだから、それも出来ずな渋い顔をしている。
ルークスは真っ先に口を開いた。

「ウォルトからの警告か?首を突っ込むなと」
「有り得るね、あのバカ……」
「アイツにもどうにもならない相手って事か」
「国、とかーー悪魔、とか?」

ふと、思い出したようにシリウスが口にした言葉に、3人の間には沈黙が落ちる。ジェームズもルークスも、揃ってシリウスの顔を見つめている。信じられない、だが、冗談でないのはシリウスの表情から読み取れた。

「おい、こんな時にそんな事言い出すなんて……冗談、じゃねぇってことか……」
「いやさ、思い出したんだけど、少し前、ここでウォルトに聞かれたんだ。『悪魔を信じるか』と」
「まっさか……」
「悪魔というのは、御伽噺として語られるけれど、調べれば調べるほどそれが全くの創作でもないと思えてきた」
「おい、嘘だろ……」
「嘘のような誠らしい。数百年前のかの帝国の話、君らも聞いたことあるだろう?」
「まぁ」
「ああ」
「あれ程大きな大国が滅んだ背景、色々言われているけれど、滅亡前に奇妙な事件が多発していたんだ」
「事件?」
「帝国の将軍ばかりが狙われた暗殺事件だよ。彼らは突然死んだ。戦場で、全く同じ死に方で。身体中を何かに串刺しにされたんだ」
「戦場でってことは、槍兵に殺されたんじゃないのか?」
「一瞬で十数箇所も風穴が開く?誰にやられたか、目撃者が誰も居ないのも不自然だ。全く同じ殺され方で十数名の将軍が全員、死んだ。ただ一人を除いて」
「除いて?将軍は全員殺されたんじゃねぇの?」
「そうだよ。最後のその一人は、別だった。彼一人だけが、バケモノに食われたそうだよ」
「は?」
「悪魔に食われたと。だから彼のだけは死体が見付からなかった」
「そんな、馬鹿な話がーー」
「そう、ある訳ない。記録にあったよ。帝国の軍部は、そんな報告をあげた兵士達の精神に異常が見られるに違いないと取り合わなかったそうだよ。彼らは敵の槍兵に神がかった使い手が居たのだろうと片付けた。そして、有能な将軍を数多く失った国内は混乱し、他国の侵略を受け、滅亡した」

そんな、嘘のような話に彼らは沈黙するしかなかった。掛ける言葉が見つからなかったのだ。更に、追い討ちをかけるかのようにシリウスは言い放つ。

「それと、その、食われた将軍、死ぬ数月前から気が触れたように何も無い所で大声を上げたり剣を振り回したりして人を寄せ付けなくなったらしい」
「!」
「それってーー」
「死ぬ間際、彼は空に向かって言い放ったそうだよ。『俺をやるから見逃してくれ』と。以降、奇妙な暗殺はパッタリと無くなったが、結果として帝国は滅ぶ事になった」
「「…………」」
「僕にあんな事を聞いたくらいだ、ウォルトがこの話を調べない筈がないだろ」
「ならーー、アイツはーー」
「可能性はある」
「そんな馬鹿な話、」
「本当にないのかな?僕、忘れられないんだよ。ここで、僕に話し掛けるデイモンを見て恐怖するアイツが」
「え?」
「うん。まぁ、信じられないけどさ。彼が来てからだよね、こんな風に成りだしたのって。皆、操られたかのように彼に味方してる。如何に彼が人の心を掌握できるにしても限度がある。昨日まで普通だった奴らがこぞって彼を持ち上げるようになる。流石に不自然だ」

再び、沈黙が走る。信じられない展開に、誰もが言葉を失っていた。信じたくない。しかし、何もかもが一致していた。

「明らかにウォルトは僕らを遠ざけてる。自分で片をつける気なんじゃないか」
「俺らが信じられないってか」
「そうじゃない。多分、対処法がそれしか思い付かなかったのだろう。僕が考える限り、相手は人間ですらない。親しい者を遠ざけてる。つまり、彼に近付くのは悪手だ」
「ならどうしろと?」
「彼から連中を引き剥がそう」
「どうやって?」
「正気に戻す、って考えてみよう。御伽噺には御伽噺だ」
「対魔師でも探せってか」
「まぁ、ね?気取られないように動こう」
「はぁ……全く、普通の戦争の方がどれだけ楽か」
「違いねぇ」

そう、彼らの密会は終わりを告げ、何事も無かったかのようにバラバラと散っていく。自らの役割を胸に。その時の事だった。
『ああ勘付かれた、急ごう、早く、モノにしよう』
サワリと吹いた風に乗って、真っ黒な何かがそう囁いた。知る者以外、誰も気付かない。

何かにビクリと身体を震わせたウォルトは、自室のベッドの上で飛び起きた。ここの所、不意に訪れる悪寒に冷や汗が止まらなくなる。時折聞こえる声に、恐怖を駆り立てられる。挫けそうになる、折れそうになる。しかし、騎士として、国に忠誠を誓った者として、折れるわけにはいかない。例え甘い言葉で惑わされそうになっても、苦しみから解放してやると言われようとも、譲れないものはある。だが、と彼は思う。耐えられるだろうかとも。あとどれだけ耐えれば良いのだろうか。茫洋とした未来に、終わりはあるのか。いつまで苦しめば良いのか。そう思った所で彼は被りを振り嫌な考えを打ち消した。しっかりと種は蒔いてある。彼らはきっと気付いてくれる。我等が頼もしい友人達は、動けない俺の代わりにきっと動いてくれる。ウォルトは、微かな希望は捨てなかった。
大きく息を吐き出すと、彼は再びベッドに横になるのだった。身体に纏わりつく不快な気配を感じながら、しかし先程よりも穏やかな気持ちで、彼は再び意識を沈めた。





list
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -