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ルチフェルは誰だ



昔からーー生まれた時から、俺は運がなかった。物心ついた時、俺は街を彷徨い物乞いをしながら食いつないでいた。幸い、俺を見、幼児と見るや哀れに思い餌付ける人間は数多くいた。正義感を振りかざし、可哀想にと上等なメシをくれる侍。同じ年頃の息子が居るのだと言った上等な着物を着た商屋の男。冷たい目で俺を見据え、侍女にメシを持って来させた女。誰も彼もが俺に施しをした。
しかし、誰一人として、俺を引き取る様な人間は現れなかった。結局、皆憐みこそ向けど、助けようとはしない。みんなみんな、自分だけが良ければ良いのだ。そして、俺が成長すると共に、物乞いの成功する回数は減っていった。

そうして、見向きをする人間が減った時から、空腹に耐え切れず俺は盗みを覚えた。最初は偶然だった。人の気配のない家の扉が空いているのを見つけたのだ。匂いを頼りに食い物を漁った。幸い気付かれる事はなく、俺は沢山、腹一杯食った。それに味をしめた俺は、何度も繰り返した。時々、人の気配に気づかず発見され、ボコボコにされる事もあったが、命を取られるような事はなかった。何度も繰り返し、街を変え彷徨い続けた。そうして家探しする内に、俺は気配の断ち方、人の倒し方を覚える。そして俺は、10を過ぎた頃に漸く金の存在を知る。金があれば、何でも手に入る、食い物にも困らなくなる、金があれば苦労も無くなる。そうして気が付けば、俺は天下の大泥棒と言われる迄になったのだ。金にも食い物にも困らなくなり、好き勝手がきくようになった。正直、俺は調子に乗っていた。だから、顔を人間に見られていた事に全く気付いていなかった。行動を監視されていた事に、全く気が付けなかった。たったの2年ばかりの幸運を、俺は自身の迂闊さで台無しにした。

それはいつものような夜だった。月夜に照らされ人通りもなく、提灯の灯りもない真っ暗闇を、俺は音を立てる事なく走った。暗闇に溶ける黒い服装に全身を包み、顔を覚えられぬ為に覆面で顔を覆う。昼間確認した人の気配の無い家を選び、錠前を壊しそっと扉を開ける。スルリと中に滑り込めば中は真っ暗闇。そこに人の気配は感じられなかった。そこでホッと一息付くと、早速物色を始める。だがここで、人の気配を読むのは忘れない。経験から知っている。油断が招くのは絶望だ。
それから暫く。俺は、事が起こって初めて知る。

「お前が【無情】か?」
「ーーっ!」

人が、俺の背後に居た事に。直ぐにでも飛び退こうとしたが、行動する間もなく俺は地面に叩き付けられる事になった。持ち前の反射神経でゴロゴロと転がり直ぐに起き上がるが、しかしソレが居た筈の場所に姿を認識できない。気配すら感じられない。即座に駆け出した俺は混乱する頭で必死に、相手を探し部屋の中を突っ切る。姿が確認出来ない以上、見つかった以上このまま逃げるしか無い。

「成る程、並の人間には捕まえられない筈だ。すばしっこい上に判断力もある。ーーだが……」

即座に家から飛び出し、飛び上がる。しかし、呟くように聞こえた声は、不思議と近くから聞こえた。

「俺からは逃げられない」

動きが読まれている。それどころか、俺のスピードに着いてこられている。思いがけない窮地に息が上がる。心臓の音が煩い。恐怖で体が震えていく。また後戻りするのか。あの地獄の日々に。

そんなことを考えていた所為か、俺は相手の攻撃の音を聞き逃した。

「ぐぁっーー!」

走っている所を横薙ぎにされ、何処かの門壁に叩き付けられた。呼吸が一瞬詰まる。空を切る音は聞こえた。しかし、反応が遅れた。明らかに戦い慣れた手練れ。こんな木っ端泥棒になぜ。何処かのお偉方の怒りを買ったか。恐怖と、そして僅かな怒りが腹に沸沸と沸き起こる。いつも、いつだって、俺は痛め付けられるだけの弱者だったーー悔しい。

ゲホゲホと息を吐き出しながら立ち上がる。不幸中の幸い、壁面を背にしたお陰で索敵範囲が狭まっている。相変わらず気配が薄いが、足蹴にされた瞬間、少しだけ見えた。手練れの者の気配が。

「ん?少し弱かったか、コレを受ければ大抵失神するんだが……惜しいなお前」

クスクスと笑う様な音が聞こえる。相変わらず何処にいるかが掴みにくい。しかし、確かに、直ぐに見失えど俺は敵の気配を追えていた。

「ーー様の不幸を買ったのがお前の不運だ。大した罪を犯した訳ではないが、お前は私によって殺される。呪うならば自分の不運を呪え。そして誇れ。私ほどの強者に殺される事を」

そう、言って、敵は刃を向けてきたのだった。それから幾重に渡り、俺は斬り付けられた。急所を辛うじて外し、体中に切傷を付けられようとも、俺は生きる事を諦めなかった。体中が痛い。血が止まらない。フラフラして意識が朦朧としている。しかし、俺は斬撃から逃げ惑う事で、生を辛うじて繋いでいた。

「ちっ、面倒な……」

敵が苛立つのが分かる。胸中に悦びが沸き起こる。ザマァみろ。俺は死ぬだろう。多分、すぐ。それでも、それでも、この世界を呪って恨み言を吐いて、この男に唾を吐き掛けてから、俺は死にたい。

『その時』が来たのはそれから直ぐの事だった。
その時俺は、敵の気配を完全に捉える事が出来たのだ。首目掛け襲いくる刃をしゃがむ事で避け、誘い込んだ敵の喉笛に、俺は噛み付いた。

「ガッーー!」

最早食いちぎる程の体力すら残っていなかった俺は、当然直ぐに蹴飛ばされ引き剥がされた。最早立つこともままならず、痛みに呻き地に伏せる。それでも、俺は可笑しかった。これだけ痛め付けられ、死に損なっている唯の小僧に、強者だと自称するジジイは噛みつかれたのだ。クツクツとくるった様に笑った俺は、その時残っていたありったけの力で叫んだ。

「シネ、シネ、俺をひつようとしないにんげんなんてみんなみんなシんでしまえ」
「っーー気狂いの小童が」

伏せながらクツクツと笑っていれば、ジワジワと血の匂いが濃くなっていく。人間である事が嫌な人生だったな。そんな事考えていると、最早隠す気もない足音がゆっくりと俺に近付いてきた。

「死ぬのはお前だ小童め。終わりだ」

それは、苛立ちを押し殺した様な声だった。一矢報いた。しかし同時に、俺は奇妙な感慨を覚える。俺の人生は、総じて地獄のような日々だった。誰も俺の事を歯牙にもかけず人として認識もされず、まるで畜生のような人生だった。人間として必要とされていない、しかし生きなければならない苦痛。そんな、怒りやら悲しみやら不甲斐なさやらが次から次へと沸き起こり、内心で驚く。【無情】と蔑まれてきた俺にもこんなに人間らしい感情があったのかと。そして同時に安堵する。これでようやく終われるのかと。

死ぬのは怖かった。だから今まで死ねなかった。だが、死目に遭ってしまえばなんの事もない。俺は直ぐに首を飛ばされて死ぬ。あっという間に終わる。それに、もう俺の身体はダメになってる。トドメをさされずとも死ぬ。傷が深すぎる。クソみたいな人生だったなぁ、そんな事を思いながら、俺は数寸先で止まったソレの気配を感じながらそのまま目を閉じた。

それから数瞬後、ごとりと何か重いモノが地面に転がる音が聞こえてきた。

そして、待てども待てども俺の首に刀が振り下ろされる気配がない。いよいよおかしいと状況を確認したかったが、最早首を回す力すら残っていない。こんな死に損ないを助けて何になるのだろう。不審に思った俺は、残りカスの力を使って周囲を探った。気配は相変わらず感じられない。しかし、何かが起こったのは確実だ。血の匂いが濃い。ドクドクと心臓が跳ねる音を感じながら変化を待つ。応えは存外直ぐに返ってきた。

「いいね、君。良い心掛けだ。ーー僕は優しいから、可愛そうな君を助けてあげよう」

男の声がした。こんな血臭の中、妙に明るい声が印象的だった。人間のソレとは違う、今まで感じた事のない気配は続けた。

「化け物になりな。さすればその傷も治ろう」
「!ばけ、もの?」

コポリと口から血反吐をはきながら、見えないその声に応える。声は続けた。

「否か是か。応えるんだ、迷っている暇はない、本当に死ぬぞ。生きたくないのか?」

本当に、生きられるのだろうか?そんな疑問を覚えながら、しかしそれでも応えは直ぐに出た。

「生き、たい。しにたくない」
「ああ、それでいい」

見えないがしかし、ソレがうっそり微笑んだ事だけは分かった。

「君の生は確かに糞だったかもしれない。しかし今日からは誇れ、君はこの僕に選ばれたんだから」

そう言った男の声を聞いたのを最後に、俺は目眩や痛みに耐え切れず意識を失う。真っ暗になる寸前、それがやけに嬉しそうな声音だったのが、とても印象的だった。






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