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ジリジリと焼きつくような緊張感の中、俺は自分に身体強化の魔法を掛けた。滅多に掛けることのないそれは、己の肉体に必要以上の負荷がかかる。だが、今その術を使わずにいつ使うと言うのか。それとほぼ同時に、突き刺さって居たはずのナイフがクルクルと回りながら戻ってくる。それをキャッチし、ギリリと握りしめる。ベリトと暫く睨み合い、俺達は誰もがピクリとも動かなかった。下手に動けば負ける、それを誰もが理解しているようだった。

「ギルバート!」
「後ろだ!」

先に動いたのはベリトだった。消えたと思えば次の瞬間、背後に気配を感じる。名前を言い間違えたトウゴやトバイアスに言われずとも、それをほとんど感覚で察知し己の中で奴の動きをイメージする。来るであろう攻撃を避けるようにしゃがみ、振り返りざまナイフを投げ付け蹴りもお見舞いする。予想通り奴には当たらない。しかし、奴の意識が一瞬でも逸れたそのタイミングを狙い、俺は用意していた魔法をぶっ放した。宿屋は、一階の壁が全面吹き飛ぶ事になった。しかし、奴を室内から追い出すにはコレしか思い付かなかったのだから仕方ない。宿屋の主人に内心で謝罪しながら、まんまと吹き飛んだベリトを追い外に飛び出した。

しかし、それはどうやら失敗だったらしい。宿から飛び出たその瞬間、頭上から蹴りをお見舞いされた。頭を踏み付けられ、地面にめり込んだ。ほんの一瞬、気が遠くなるがしかし、痛みに慣れている。手元に再度戻ってきたナイフが触れたのを感じ、それを引っ掴むと。頭上の脚を切り落とす気で運良く突き刺した。流石に怯んだらしく、ナイフを突き刺したまま奴は数歩遠のいた。

「そのナイフも中々厄介だね……。全く、アイツも封印されるなんて、酷い失態をしてくれたものだ」

ベリトはナイフに手を伸ばそうとして、しかし掴まれる前にナイフはその手元からすり抜けた。かの悪魔も元は、A級の中でもトップクラスに危険で傲慢な悪魔だったという。付与されたランクも、伊達では無かった。実際、奴を封じるのに俺もクリストフも苦労した。何度投げようとも、俺を殺す機を伺い戻ってくる悪魔のナイフ。そして、決して錆びず魔力を帯びた、この世で唯一の呪いの逸品。俺も持て余していた逸品がここで役立つとはと、額を流れる血を拭いながらそんな事を思った。ふとその時、走るような足音を耳にした。

「ギーーディヴィット、無事!?」
「来んじゃねぇ!邪魔だ!」
「ッ!」

慌てて駆け付けようとしてきた人質候補を威圧を込め怒鳴りつければ、息を呑む声が聞こえた。止まる足音をしっかりと確認して少しだけホッとする。トウゴ達には悪いが、やはり彼等にベリトに相対するような実力があるとは到底思えないのだ。いくらA級の悪魔を退けようとも、退治しようとも、所詮は並の悪魔だ。A級とS級の間には超えられない壁があり、A級で苦戦するようでは伝説級の悪魔達と渡り合うには力不足である。彼等との旅の中で、俺はそう判断した。それに、彼等には俺達のようにはなって欲しくはない。あんな残酷な結末を迎えるのは、俺達で十分なのだ。

一瞬でもそんな事を思ったのがいけなかった。気付けば、奴は目の前に居た。

「今度は彼等と共闘するのかい?」
「ッ馬鹿!どこを見ている!」

ニヤリと殺気を孕んだ目で見下ろされ、背筋がゾッとする。クリストフの珍しく焦ったような声を聞いた瞬間、俺は真横に吹き飛ばされた。粗末な建物を二、三軒貫通し漸く地に足が着く。身体が宙に浮けば終わる事は重々承知の上だったが、いくら身体強化しようとも地力が違う。甘かったかと思いつつ今度こそ、俺はナイフの代わりに本命を手に取った。奴にとっては重い重い一撃となるだろう、腰に差した退魔の剣。こちらも、この世に一本しか存在しない俺専用の武器だ。魔力を存分に行き渡らせれば、微かに光る。それを察知したらしい。近付いていた気配は突然距離を取り後退した。散々戦ったのだから、互いの手は知り尽くしている。

その場で神経を研ぎ澄まし、構えた。強く強く念じ魔力を攻撃魔法へと変換し、己が身に魔力を纏っていく。時間はあまり掛けられない。瞬時に狙いを定め、地を蹴った。目前は建物により阻まれていたが、見えずとも分かる。建物をぶち破れば視界が開ける。その瞬間、奴ーーベリトの気配目掛け、剣に纏わせた魔法を解放した。目に映った奴の顔からは、余裕が消え失せていた。奴は、魔力を帯びた斬撃を避けながら、逃れるように後退していく。俺は、畳み掛けるように、奴に攻撃を当てる事にのみ全神経を集中させた。

勇者の魔力を帯びた剣撃は、受けたなら最後、じわじわと毒のように悪魔の力を打ち消していくのだ。魔力を帯びた剣撃を受ければ、たとえS級とて只では済まないのだ。もし受けたら、の話ではあるが。

そんな、勇者にのみに与えられた力とて、弱点はある。通常の魔力とは違い、魔力の消費量が桁違いに大きい。全盛期の俺ですら、30分も使えば枯渇した。魔力が枯渇するとはつまり、全魔力を根こそぎ奪われ、身体強化も魔法も使えなくなるという事だ。故に、このワザを発動するという事はつまり、確実に悪魔を仕留めなければ後がない。例え枯渇前に止めたとて、身体的消耗が激しく、やはりほとんど使い物にならなくなる。諸刃の剣だった。

俺の攻撃を、奴は只ひたすら避けるのみ。奴の腕も足も魔力障壁すら、この魔力の前では役に立たない。悪魔の魔力を無に帰すのだ。避けようが、宙を漂う悪魔の魔力は消滅する。それが勇者が勇者と呼ばれる所以。少しでも擦れば、それすら致命傷となる。俺は全神経を攻撃に捧げ、予測の上に予測を重ね奴の動きの先へ先へ剣を繰り出していった。

そして、一体どれ程の剣撃を見舞っただろうか。意識が半ば朦朧とする中、俺は自分の魔力の底を見る。やはり奴は、S級の中でも最上位悪魔であった。未だ避け続ける力を残している事はつまり、一撃も、擦りすらしなかったという事だった。

限界を悟った俺はピタリと動きを止め、一気にクールダウンする。身体中から一気に魔力が抜けていく。意識が攻撃以外に向くようになり、身体中あちこちの筋肉が悲鳴を上げているのを自覚た。両膝が地に崩れ、そして身体は地に伏した。頭だけでも動かそうとするも、通常の神経が麻痺しているらしく、感覚がない。仕方なく、残りカスの魔力を使い最小限の治癒を施す。漸く動くようになった身体に鞭打ち、俺は奴のーーベリトの気配を首を動かし追った。数十メートル程先、奴は苦しげに俺を見据えながら、地に膝を着いていた。傷を負ったような形跡はない。奴がダメージを受けているとしたら恐らく、魔力枯渇の方だろう。あれ程の数の剣撃を打ったのは、俺も初めての事だった。いくら悪魔の魔力が多いと言えど、全ての攻撃で魔力を削られ続けたらたまったものではないだろう。しかし、それでも流石と言うべきか。魔王すら屠った剣撃を総て避け切って見せた。俺はもう、しばらくは戦えない。

このままでは、奴の好きなようにされるか、或いは、この場で、自らこの身をーー。選択肢は、最後まで残しておく。残りカスをどう使うのが正解か、思案しつつ奴の動向を監視した。ーー最早自分では何も出来る事も出来ない癖に。

荒い息を整えながら、奴が漸く俺の方を見ると。その顔には不気味な笑みが浮かんでいた。ああ不味い、この状態で奴は諦めていなかった。嫌な予感にゾワゾワと背筋が震える。

「全く、流石だよ勇者ディヴィッドーー、魔力を殆ど、喰われてしまった」

クツクツと笑いながら、奴は顔を伏せるとうわ言のように言った。

「人間とは違って、悪魔にとって魔力は死活問題なんだ。もう少し……あと5分も喰われていたら僕はどうなっていたかは分からない。でも、僕は知っているよ」

言い切って、顔を上げた奴の顔には、今までに見たことのない、歓喜に打ち震えたような笑みを浮かべていた。今までに見たこともない、魔王にすら見られなかったような狂気の笑み。それを見て、俺は心底ゾッとした。

「ーーアレを切り抜ければ、僕の勝ちだ。でも大丈夫、ずっと、永遠に一緒に居られる。考え得る中で、最高のフィナーレだ」

その瞬間、俺は魔力を温存するために治癒を最小限にしておいた事を心底後悔した。小細工を考えている暇など無かったのだ。奴に捕まったら、終わりだった。きっと死ぬ事も出来ずに、奴を憎み続けながら飼い殺される。今、確信した。

俺は残る気力を全て掻き集め、奴から一気に距離を取った。足だけ動いて逃げ切れればいい。最早、俺は後退する事だけを考えていた。

しかし、人間と悪魔、両方とも手負いとは言え地力が違った。

「悪足掻きは見っともないよ、勇者ともあろうものが」

遠目に見えていたはずの奴は、次の瞬間には目の前に居て。気が付けば俺は、背から地面に叩きつけられ、首をその手に握られていた。胴を馬乗りに、両手を悪魔のナイフと退魔の剣で地に縫い付けられているらしい。ピクリとも動かない。地面に叩き付けられた衝撃の余波か、咳と共にドロリと鉄臭い臭いが口腔に広がる。

「捕まえた」

鼻と鼻が付きそうなその距離で、奴は心底無邪気に笑う。しかし、最早反抗する気力もなくて、しかし期待を込めて俺は言う。

「……捕まんのはテメェだ」

絞り出した声は掠れ、殆ど音になっていなかった。しかし、意図は伝わったのだろう。奴の顔が微かに曇った。何かを言おうと口を開いたがしかし、次の瞬間に奴は衝撃波と共に吹き飛んだ。

「こんな所でアレを使うなんてっ、この、大馬鹿者が!」

怒り心頭、といった風な怒声が降ってきた。疲れ切って、意識も殆ど上の空だったが、奴が次から次へと魔法を発動するのが分かった。アイツの魔法は強力な分、余波も大きい。爆風のようなそれを感じながら、内心でホッとする。奴の力は存分に削れた。アイツと次世代の彼らでもどうにかなるのではないか。希望は捨てなかった。

「リオンが気付いていなかったら、どうなっていたかッ!ーージョシュア!」
「はっ!」

そんな声を聞いたかと思うと、気付けば胸部から治癒の魔法を注ぎ込まれていた。自分で行うソレとは違う、本物の治癒魔法だった。

「もうこいつは使い物にならない、リオン!絶対、奴を近付けるな!」
「もっちろん」
「トバイアス、アーチボルト、君達は加勢してくれ、一気に叩く」
「ッ、承知した!」
「ハイッ!」

指示を飛ばしながら、クリストファーは攻撃の手を緩める事がなかった。魔法攻撃から逃げ続けるベリトを追い込むように、様々な魔法を駆使する。その合間を縫い、指示を受けたトバイアスとアーチボルトが訓練されたコンビネーション攻撃を見せてくるが、中々当たらない。俺の攻撃を全て完全に避けて見せたのだ、並大抵の攻撃では傷ひとつつけられないだろう。俺すらも超える、奴の隙を見破れる者でなければ。と、そんな事を考えていると、不意に声が上がった。

「あれ?私は何をしたら良ろしいでしょう、クリストファー殿」
「!……貴方に任せる!」
「…………任された」

適当に返されたように見えて、エリアルは多少不服そうであるが。きっと、エルフ族がどこまで関わって良いのか、クリストファーにも扱いかねるのだろう。膨大な魔力故に、幾多の争いに不干渉を貫いてきた彼らだ。何処までを良しとするか、一々是非を問う暇はないと言いたいらしい。

と、言う事で、エリアルは俺の治癒を行うジョシュアの隣にしゃがみ込み、黙って俺達の様子を観察し始めたのだった。ジョシュアはやりにくそうで、そして俺もまた激しく視線が鬱陶しかった。そんな視線から逃れるように俺は、クリストファー達の戦いへと視線をやった。





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