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04.諜報活動



 ジョシュアはその日、街を歩き酒場へと向かっていた。
 宿を取り二、三日だった頃のことだ。辺りも薄暗くなりつつある中、家々に戻る人間とは逆方向へと向かう。一軒の店が彼の目に入った。この街の中でも、多くの人が集う酒場だ。

 戸惑う素振りも見せずガラリと扉を開けると、ガランガランと来客を知らせる鈍い鐘鈴の音が鳴る。中へ入れば、店内の騒がしい空気が伝わってくる。
 ジョシュアが中へ入った途端に一瞬空気が止まったような気もしたが、構わず店内へと足を進めた。カウンターで注文し、受け取って席についてからフードを取る。こんな中で逆にフードを被ったままでいれば、逆に目を付けられてしまう。
 木を隠すならば森の中。他の連中と同じような人間である事が判れば、ジョシュアのようなどこにでも居る、ちょっと強面の顔などすぐに忘れてしまうに決まっている。そう考えた上での策だった。
 その上この日ばかりは、ターゲットとなる人物と話す事が目的であるからして、ジョシュアは普通の人間ーーそれもハンターらしい仕草を装っていたのだった。
 わざと腰の得物を取り出して刃の様子をテーブルの下で眺めてみたり、過去に請け負い損ねた依頼の束を整理してみたりと、ハンターである事を無駄に見せつけていた。
 ジロジロと観察するような視線を感じつつも、段々と興味を無くしたように次々視線が逸らされていくのが分かった。
 現在の身体となり、ジョシュアは以前よりも五感が研ぎ澄まされている。聞き耳をたてるまでもなく、座っているだけで店中の情報が入ってくる。いかに小さな声で、ヒソヒソと秘密でも話しているかのような声ですら、彼には理解出来てしまう。ジョシュアはそんな声にひとつひとつ、耳を傾けていく。

 ジョシュアがこの酒場へと訪れたのは、彼にはどうしても手に入れたい情報があったから。この街のハンターギルドの情報、そしてギルド内でのジョシュアの失踪の扱いだ。もし、特に噂になる事なく処理されているのであれば、どうしても生前の金を取り戻したかったのである。

 ここまでの旅、二つの街での滞在中の代金は総てミライア持ちであった。別に、ミライアがジョシュアに金を寄越せだとか、自分で払えとか言ったわけでは無い。しかし、ジョシュアにも大人としての意地のようなものがあった。
 大の大人が、十数年近くもハンターとして生計を立ててきた大人が、働く事もせずに女性に(人間では無いとはいえ)養ってもらうというのは如何なものか、と。彼のなけなしのプライドが許さなかったのである。事実、彼は今回から自分の分は自分で支払うと豪語してしまったのだ。
 そういった金の話をミライアと宿でして、しかしついでにそこで判明したのは、ジョシュアには許容し難い事実であったのだ。彼はハンターとしてギルドに所属していた事もあり、彼のほとんど全財産はギルドによって管理されている。しかし、現在の彼は行方不明扱い、もしくは死亡判定すらされているかもしれない。
 彼の死亡が確認された場合、死亡人の血縁者、或いは権利譲渡人に財産は譲渡される。その申し出がなければ、一年でギルドに移譲される事になる。つまりは出来るだけ早く、そして知り合いには可能な限り知られずに、彼が生存している事を知らせなければならない。
 望みは薄いだろうよ、とミライアに言われてはいたが、ジョシュアがそれに賭けると言って聞かなかったのだ。ミライアには鼻で笑われながらも、ジョシュアは諦めなかった。


「よお兄ちゃん、新顔だねぇ。いつ来たんだ?」

 ふと、情報を集めながらカウンターで飲むジョシュアに声をかける男が居た。振り返ると、そこには如何にもハンターですといった出で立ちの男が立っていた。ミライア程もあるだろう長身に短い金髪、浅黒い肌にはあちこち傷跡が垣間見える。背には剣を背負い、革製の鎧や籠手を身につけている。
 まるで軍人のようで、しかし統一感のない装備はまさにバケモノを狩るハンターそのもの。ジョシュアはその瞬間、釣りの成功を確信した。

 そしてその胸元にぶら下がるドッグタグを、ジョシュアは無意識にチラリと流し見る。ハンターランクと、見えない程度に刻み付けられた名前は、いざと言う時の確認手段であった。最早人ではないジョシュアには、ハッキリと男のランクも名前も、見えてしまった。男のハンターランクは【B】、そして名前はヤニクと言うらしい。

 【B】ランクであるという事はつまり、ハンターの中でも上位陣のランクに入るらしい。つまり、この男は一般的なハンターよりも随分と手練れであるらしかった。因みに、ジョシュアのハンターランクは【C】であって、全体の半数近くを占める極々一般的なハンターであった。
 多くのハンターは、【C】ランクのままで終わる。そして、【C】ランクの中でも手練れ、一定条件をクリアした場合にのみ【B】ランクに上がる事が許されるのである。そのようなハンターランクなど、今のジョシュアにとっては無用の長物なのであるのだが、十年来の癖は、一ヶ月やそこいらで抜けるはずもなかった。

 ついつい長年の癖で、ジョシュアは無意識に己のドッグタグを隠すような動作をしてしまうも、その手は虚しくも空を掻くだけだった。
 ジョシュアも当然ドッグタグは持っていたのだが、現在はミライアによって奪われている。何でも、ミライアがジョシュアを狩ったという証明がわりなのだとか。一度返せとミライアには交渉したのだが、代わりに耳だの指だのを寄越せと言われたので、ジョシュアは苦渋の選択を強いられたのだ。
 ジョシュア程度のハンターを狩った等と証明したとて、大した功績になるとは思えない、というのはジョシュアの意見である。何故ミライア程の者がそんなものを欲しがったのか、ジョシュアには到底理解出来なかったが、根っからの吸血鬼であるミライアの心境なぞ、ジョシュアに分かるはずもなかった。

 そんな訳でジョシュアは今、ハンターの証でもあるドッグタグを持っていないのだ。けれどもハンターらしさというものは、見る人が見れば気づけるもので。今こうして話しかけられた事をしめしめと思いながらも、微かに覚える畏怖の気持ちにジョシュアはなんとも言えない気分を味わう事となった。

「ーーつい、数日前にな。連れが探し物があるらしくて、あちこち買い物に走ってるから暇を潰している」
「成る程なぁ。いや何、真新しい奴が来たら声掛けるようにしてんのよ。俺もこの街の人間だからな、力になれないかと思ってよ」

 ーーつまりは、お前のような外の人間を警戒している、という事だろう。今のように、見ない顔を虱潰しに声を掛けて警戒していれば、それは願ったり叶ったりである。色々な人物に声をかけているならば、情報だってそれなりに集めているはずだ。ジョシュアの知りたい情報だって、この男ならば知っているかもしれない。
 どの街にもいる仕切り屋男に感謝しながら、ジョシュアは顔を覚えられてしまわぬよう、当たり障りない普通のハンターらしさを装った。ジョシュア精一杯のフレンドリー。

「そうか。ーー助かる。ゲオルグだ」

 手を相手に差し出しながら、ジョシュアは一切迷う事なく偽名を使う。ミライアとの打ち合わせの通りだ。ハンターならば何かの縁で、北部キールの街のジョシュアというハンターを聞いたことがあるかもしれない。それに、それは彼の真名でもある。今後一切、人前で名乗る事もないだろう自分の名前に、ジョシュアは一抹の寂しさを覚えた。

「ザンブルグの街にようこそ。俺はハンターのヤニクだ」
「あんたは、ここに住むハンターなのか?」
「おお、ここに来て7年になるかな。アンタは……流れのハンターって所か?」
「ああ、そんな所だ。連れと一緒にな」

 言葉を交わしながら、ジョシュアは男の様子を探った。何か腹に抱えているものでもないか、この男が少しでも信用に足る人物であるかを見極めるのだ。
 ハンターとしての生活の中で、騙された事は何度もある。歳をとるにつれ、経験を重ねるにつれ、彼が用心深くなったのは必然の事だった。耳も目も感覚も、人間だった頃に比べて鋭さを増したジョシュアは、注意深く男を観察した。

「へぇ?その連れってのは来てないのか?」
「今日は他の店行ってる。待ち合わせまで時間を潰している」
「別々に行動するのか?連れなんだろ?」
「……俺とはまずここへ来た目的が違うからな」
「ほぉ……でもよ、夜も近いのにお前さんらバラバラで大丈夫か……」
「そう思うだろう?だが、言っても聞かないんだ。それに、アイツは俺よりも何倍も強いから心配はしてない」
「へぇ……アンタ、ドッグタグねぇようだけど、ランクはいくつだ?お連れさんも」
「タグはアイツに取られたから今はない……ランクは、【C】だ。田舎の方で細々やってた。連れの方は知らない。大分前に辞めたそうだ」

 ジョシュアだって、人付き合いが苦手なだけで必要に迫られればきちんと受け応え位はするのだ。仕事にだって必要なスキルであるし、最低限の心得位はある。
 そもそも、強面に好き好んで近寄って来る人間なんて、喧嘩を売りたい馬鹿か余程の物好き位なのだ。その点、ジョシュアは顔で損をする典型と言っても良い。おかげで回避と索敵のスキルは飛び抜けて良くはなったが、ハンターとしてそれが役立つかと言えば如何とも言い難い。
 普通の仲間にも恵まれず友人も出来ず、ジョシュアは随分と損な人生を送ってきていた。その自覚こそあれど、それこそ今更なのである。

 どうでも良い世間話やら倒した珍モンスターの話やらで場をかなり和ませた所で。ジョシュアはようやく、ヤニクの警戒心が緩んだことを確認する。
 聞き出すならば今がそうだと、ジョシュアは慎重に言葉を選びながら、できるだけ自然に、興味本位を装って聞いた。

「それはそうと、この辺の治安はどうなんだ?一応、大丈夫だってのは確認してるんだが。目新しいネタなんかはあるか?俺はあんまり危険な所に行きたくない」
「ああ、この辺も中央からは少し遠いし国境もないから平和だしなぁ。特段危険な事なんてのはーーああ、そういやお前さん、聞いたか?北部の妙な噂」
「妙な噂?」
「おお。何でも、【C】ランクハンターが何かに襲われて街中で消えたらしいぜ」
「は」

 瞬間、ジョシュアは呼吸をするのを忘れた。何処かで聞いた、聞き覚えのある話だったからだ。平常心、平常心、と暗示をかけながら先を促した。偽名で良かったと、ジョシュアは心の底から思う。

「女の子を助けたらしいんだけど、敵を足止めしてそれっきり、忽然といなくなったそうだぜ?駆けつけた高ランクハンターが、現場で何の気配も感じられなかったんだってよ。そんな状況なもんだから、最初は女の子がハッタリかましたんだろうって思ったそうだが……でも、証言通りに、廃墟か何処かで戦ったような跡はあったし、女の子の取乱しぶりが尋常なかったらしいから本当だろうって。でもよ、襲った奴がどんな奴とんな姿してたかってのも解らないらしいぜ?街に侵入してたってのも、つまりは人に紛れるような見た目って事だろ?ーー怖えよな」
「おい待て、【C】ランクって……大丈夫なのか?その街」
「さぁな。……お前さんも気を付けろよ?どこにまた出るか分かんねぇって話らしいし」

 まさかこんな遠く離れた街で自分の身に起こった事件の噂を耳にするとはと。動揺しながらもそれを取り繕う事すらせず、ジョシュアは男の前でブルッと肩を震わせて見せた。ただ、そんな様子の中でもジョシュアは全く別の事を考えていたのだった。

 これでもう、ギルドにうっかり顔を出すのも辞めた方が良いのだろう事が確定的となった。ならば、ギルドへ預けた資金も全て諦めるしかない。これからも引き続きミライアの生活力に頼るしかないと分かってしまって、ジョシュアは大層凹んだ。
 これではまるで、何から何まで世話になるミライアのヒモではないか、と。確かに大した身分でもなく、苦しい生活を送ってはいたが、少しばかりの蓄えは確かにあったのだ。毎日毎日コツコツと節約しながら貯めた資金。ジョシュアはそんな現状が大層虚しくなったのだった。

「ーーそんな事もあって、此処もそれなりに警戒してんのさ。すまんね、疑って。きっと今はどこの街行っても同じ感じだろうから」
「そう、か。俺たちも……いや、俺は、気を付けないとだ……」
「ははは、ここは俺が管理してるようなもんだからお前さんも安心しろ。何しろこれでも【B】ランクだ、ヘマはさすがにしないと思いたい。アンタも何かあったら声かけろよ」
「そりゃ頼もしい。助かる、連れに見捨てられた時は是非とも頼む」

 結構本気でそんな事を言ってみせたジョシュアは、その後も何だかんだと聞かれ、ジョシュアは意識的に答えを操作しながらも結構な時間を話し込んでしまった。
 【B】ランクなだけあって、男は随分と相手を話に乗せる事が上手いらしい。ほろ酔い気分も手伝って、ジョシュアは当初の目的も時間も忘れ、かなり話し込んでしまった。
 ジョシュアも元々対人スキルが高い方ではなく、あしらうのに慣れていなかったせい、というのもある。
 ジョシュアとミライアの約束の時間は、ジョシュアの頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていたのだった。

 ジョシュアが何もかもすっぽ抜け、ほろ酔い気分で気持ち良く話し込んでいたそんな時。店に入店する背の高い人間の姿があった。フードを目深に被り、気配を完全に断ちながらもゆっくり、ジョシュアの背後へと近付いていった。
 ここ最近の疲労故にだろう。話に夢中になってしまったジョシュアは、それに話しかけられるまで、全く気付くことができなかったのだった。
 恐ろしい嵐が、ジョシュアに向かって牙を剥く。

「おい、ゲオルグ。お前いつまで話し込んでるつもりだ」
「ーーーーッ!?」

 数段低い声で突如話しかけられ、ジョシュアは文字通り飛び上がった。その勢いのまま立ち上がって振り返れば、フードの隙間からギラギラとした目を覗かせた鬼が、そこには立って居た。自然と背筋が伸び上がったのを、ジョシュアは感じた。

「ミ、ミーシャッ」
「何をしてんだお前、この私を放って時間もすっぽかすとは」

 ミーシャはミライアの偽名だ。あの街でのこともある。早々に元々の偽名を捨て、新たに付け直したのである。
 それは兎も角として。ジョシュアはミライアを目前に、ダラダラと冷や汗を垂らす。引き攣る顔は隠しようがなかった。何せこれは、全面的にジョシュアが悪い。
 ここはひとつ穏便に、と、ジョシュアは此処が何処だなんて事も忘れ、怯えながらに謝罪を口にしたのだった。

「申し訳ありません……」
「この私を待たせるとは、仕置きが必要なようだ」
「……待て、落ち着け、後でーーって、ここは公共の場だからなっ!」

 言いながら、ミライアはジョシュアの座っていた椅子の上に、ドンと蹴りつけるように足を乗せた。
 その時点では最早、酒場中の人間がその様子を見守っているようで、ジョシュアは大層居心地の悪い思いをした。
 ジョシュアの目の前の席を陣取り座っていたヤニクも、いつの間にか席から逃げ出し安全を確保している。随分と心得た様子で、しかもジョシュアを見るその目が何やら生暖かい眼差しを含んでいる事に気付いてしまって、ジョシュアは何とも言えない気分を味わう事となった。

 その日は結局。ジョシュアはミライアによって首根っこを掴まれ、文字通り引き摺られながら店から連れ出されたのだった。そしてそれ以降、ジョシュアがその店には二度と行きたがらなかったというのは、また別の話なのである

 そうして引き摺られるまま、宿屋の屋根上に連れ出されたジョシュアは、放り投げられるのと同時にミライアに問われた。

「それでどうだった?何か収穫はあったか?」

 あっさりとした引き際にホッとしながらも、ジョシュアは報告する。同時に、先の行動にミライアの作為めいたものを感じてしまったが、これ以上怒られたくないジョシュアは、何も口答えする事なく素直に応えるのだった。

「あ、ああ……情報か。ーーやっぱり、ギルド内で俺の話が広まっている。名前が知られているかは分からないが、ハンターが消えた事が問題になってるらしい。ここでも外の人間が必要以上に警戒されている」
「ふん、私の予想通りではないか。何も変わらん。ジョッシュ、お前の財産はキッパリ諦めろ」

 ハッキリと言われ、ジョシュアは本気で、ガックリと項垂れた。そして更に追い討ちのように、ミライアは続ける。

「それともう一つ、先日言ったと思うが、真名は絶対に言うなよ。死人云々以前に、お前も元は人間だが今や魔族扱いだ。真名で縛られれば場合によっては隷属させられる危険がある。一時たりとも気を抜くな」
「えーーっ」
「……何だ、魔族の隷属契約を知らんのか?」
「俺は聞いた事がない。長年住んでいた所が、魔族に遭遇するような土地じゃあなかったんだ」
「魔族は、真名と力で上位種が下位種を隷属契約で縛る事が出来るようになっている。つまりだ、お前の真名を知る相手に遭遇し、お前が魔族にーーそれも吸血鬼になったとバレた時。お前の力を利用しようとする者達がこぞってお前を屈服させようと襲って来る可能性がある」
「!」
「まぁ、全てはお前の力量次第よ。主人になろうとした者よりお前が強ければ縛られない。お前が主人を殺せば契約も解けるが、もし、主人が別の者に殺されれば殺した者に権利も委譲される。そんな、血みどろになる事間違いなしなのだ。だから真名は徹底的に隠せという訳よの」
「ッマジか」
「そうだ。吸血鬼自体はそう易々と人間が相手にできるような魔族じゃあないから、余程の事がなければ大丈夫だとは思うがなーーしかし、例外がない事もない。私は兎も角、もしお前が油断して奴隷にされるようでは、捨てていくからな」
「ッ!」

 悲報の上に更なる悲報を浴びせられ、ジョシュアのメンタルは風前の灯火。それでも何とか自分で叱咤激励し、妙に強靭な精神力でもってジョシュアは強く生き抜く事を決意したのだった。





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