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03. 日々徒然



「はじめてのおつかい成功おめでとうひよっ子、上出来だ」

 件の屋根の上、ジョシュアは眠った少女を抱きかかえながら現れた。不服そうな顔はそのままに、しかしキッチリと仕事はやり遂げた。
 少女黒髪で、キッチリとレースアップ調のワンピースを着こなした大人しそうな娘だ。ミライアは彼にすぐ様近づくと、機嫌良さそうに眠った少女の髪にキスを落とした。

「ひよっことストーカーとどっちがマシか判らないな」

 屈んで少女を品定めするミライアを見ながら、複雑そうに言ったジョシュアは大きく溜息を吐いた。それにクックと笑うと、彼女は冗談めかして言った。

「犯罪者でなくなったんだ、進歩だろうよ。それより、お前はこういう女がタイプなのか?あの街の子もこんなんだったな……」
「放っとけ」

 それを最後に、ミライアは黙りこくった。少女の首筋の匂いを確かめるように鼻を寄せ、耳の後ろへとゆっくり移動させる。暫くそうやって堪能した後、彼女は再度首の付け根まで移動すると、そこをベロリとを舐めあげた。
 そうしてゆっくりと牙を突き立てた後。ミライアは喉を鳴らしつつ、最初の一飲みを呑み下した。

 その様子を図らずも目撃してしまったジョシュアは、何かイケナイものを見てしまったような感覚になり、咄嗟に目を逸らした。絶世の美女が少女の首筋に噛み付く姿は、どうにも倒錯的で、居た堪れない気分になる。しかし、少女を抱き抱えているのはジョシュアであるからして、逃げる事も出来ずに段々と妙な気分になってくる。
 まるで、女性同士のまぐわいでも見ているかのような。ジョシュアは思い切り顔を背け、目を瞑りながら必死で願った。早く終われと。
 だが、ジョシュアのそんな思いもつゆ知らず、主人はじっくりと時間をかけて食事をとったのだった。もしかしたら、先日の一件でご馳走を逃した腹いせに、見せ付けるという意味合いもあったのかも知れない。けれどジョシュアはそれにも気付かない。
 鼻腔を擽る芳しい香りに、ジョシュアは幾度となく意識を持って行かれそうになった。元々の矜持など放り出して、自分もアレをまた味わってみたい。そんな、ふつふつと湧き上がってきそうになる欲望を抑え込む。そうやって、ミライアが満足感を得るまでの間、ジョシュアは十年を超えるハンター生活で鍛えられた忍耐力によって何とかかんとか耐え抜いたのだった。
 そんなジョシュアの耐える様子を、ミライアがこっそりと観察しながら楽しんでいただなんて事も知らずに。つまりは、ジョシュアはしっかりと吸血鬼なのであった。

「満足だ」

 そう言ってようやく口を離した主人を、ジョシュアは少しばかりげっそりとした気分で見上げる。そうしてその場で無意識にも見せつけるように大きな大きな溜息を吐いたのだった。

「『溜息を吐くとしあわせがにげる』とどこぞの人間が言っていたぞ」
「そんな迷信信じない……」
「それはさて置き。ジョッシュ、この子を元の所に返して来い」
「言われなくとも」

 そうやって言われた通り、ジョシュアは少女を家に返してから、ミライアに連れられるように室内へと戻った。部屋の窓をそっと閉じると、ミライアは振り返りながら言った。

「さて、お前の身体もしっかり吸血鬼として馴染んでいるようだと言う事が分かった」

 その言葉の示す所の意味を図りかねたジョシュアは、怪訝に彼女を見上げる。ミライアはジョシュアの目の前まで近寄ると、その美貌を嫌らし気に歪めて笑った。

「街を出るぞ」
「ここを?……何処に行くんだ?」

 目を微かに見開いてジョシュアが問いかければ、ミライアは淡々と答えた。

「旅をする。探し物があるのさ。夜間移動して昼間は出来るだけ身を潜める」

 厄介ごとに違いないとは思いつつも、ジョシュアは諦めにも似た溜息を吐いた。彼女の眷属となった今や、彼に選択肢などないが。

「そうか。旅はまぁ多少は慣れてる」
「それは良い。私よりもお前の方が昼間も動きやすかろう」

 そんなミライアの言葉に少しばかり驚きながら、ジョシュアは彼女は見上げた。

「そうなのか?」
「吸血鬼とは言え成り立て、まだまだ人に近いだろうて」
「そういうもんか」

 吸血鬼、というものを少しずつ知りつつあるジョシュアであったが、未だそうであると言われると戸惑いは大きい。

「そうだ。それはさて置き、お前はハンターだったな?」
「まぁ」
「大勢に顔は知られとるのか?死人が出歩いとったら大騒ぎだろうが」

 言われてジョシュアはハッとする。今まで彼と関わってきた面々の顔が思い浮かぶ。良い思い出も悪い思い出も、彼の頭の中にまるで走馬燈のように駆け巡った。彼の師とも言うべき男、突然彼の前から姿を消した謎のナイフ使い。彼が唯一想った、今や伝説とも呼ばれる女ハンター。彼が最後に加入したハンターパーティの面々。他にも居るが、ジョシュアがこの十数年で密に関わった人々はお世辞にも多いとは言えない。それが今は彼に多少の安堵を齎す。不幸中の幸いとも言うべきか。ジョシュアは少しだけ安堵すると同時に、内心では知り合いの少なさにへこんだ。
 そんなどんよりとした気分を振り払うように、ジョシュアは口を動かす。

「そう、だな……付き合いはそこまで深く無い。ある程度顔を見られても大丈夫だとは思うがーー、北のキールという街に10年程住んでいた。そこは顔見知りが何人か居る。その周囲のギルドは近付かない方が良いかもしれない」

 ジョシュアが思い出しながら伝えれば、ミライアはしばらく思案する素振りを見せて言う。

「キール……北部の南東にある街だったかーー、ならば北部は出来る限り避けるぞ。あちこち旅するハンターは予想がつかんが……外を出歩く時には可能な限りフードは外すな。北部以外でもだ。少なくとも、30年はそうやって意識していろ。それと、見知った顔がいたらすぐに教えろ」
「分かった」
「死人が出歩いているなんて、モンスターやら魔族やらと思われるに決まっている。用心しろよ。間違っても、狩られ無いようにしろ。この私の眷属とあろう物が、万が一狩られでもしたらこの私の名折れだからな。肝に銘じておけ」
「…………」

 そうと決めたミライアの行動は早かった。翌日には宿を引き払い、夜には二人して街を離れることになったのだった。

「ミライア、あんたの探し物とは何だ?」

 日も落ち始めようとする中、街の外へ繋がる街道を行く途中で、ジョシュアはふと口を開いた。ミライアはチラリとジョシュアを見ると、すぐに前を向いて口を開く。

「時が来たら教えるさ。長くなる。ーーまぁ、謂わば盗まれた家宝みたいなモンだ」
「家宝?場所の見当はついてるのか?」
「さぁ。見当も付かん、だからシラミ潰しに探すしか無いんだよ」

 話を聞き、ジョシュアは嫌そうに顔を顰める。それはつまり、この旅はあてもなく広い大地を一つ一つ探して回るという事。未だ人間の感覚の強く残るジョシュアからすれば、とんでもない話であった。
 けれどもミライアは、いつもの揶揄うような調子を崩しもしない。

「我等には時間なぞたっぷりとあるぞ。途方も無く、膨大にな」

 ニヤリと笑って言った主人の顔を横から見上げてから、ジョシュアは再び前を向いた。
 先に続く街道は闇の中へと真っ直ぐに伸びている。暗くなりつつある世界のその先は、ジョシュアの目の届く限り、少しずつ闇に溶け込んでいくよう。けれどもジョシュアには、しっかりと道が見えていた。人間の頃には見えなかっただろう景色が、まるで昼間のようにはっきりと、そして先の先まで見渡せる。
 最早自分は人では無い。それをじわじわと実感してきてしまって、ジョシュアは途方も無い世界の中を歩いているような気分になった。自分がどれ程狭い世界に居たのか、どれ程見えなくなっていたのかを思い知る。
 ともすれば竦みそうになる脚を叱咤しながら、ジョシュアは隣を歩く主人を延々と追いかけて行った。



 二人がそれよりも南方にある次の街へ辿り着いた頃には、空も白み始めていた。道中、用意した水と保存食を暇つぶしに齧りながら、偶にとんでもない夜行性の獣型モンスターに襲われながら、淡々と二人は歩いた。
 歩いたとは言え、吸血鬼にとっての徒歩は人間のそれより何倍も速い。普通の人間ならば三日ほどかかる道のりだったろうが、二人はそれを人に見られ事もなく、不審に思われる事もなく、殆ど一日程度で踏破してしまったのだった。
 ジョシュアも既に感覚が麻痺しているのか、それに気付くこともなく、ただただ目の前を行くミライアに付き従った。

 街の手前まで来てから、二人は壁に囲まれた街が朝になり開放されるまで、木陰で耐えた。日光は吸血鬼にとって天敵。しかし、当たらなければ耐えられない事もない。ジッと、動く事もなく俯き加減に、二人は街が開放されるまで間、ジッと待ったのだった。


 ようやく開かれた街に入り、二人はまず一番に宿を取ることにした。日中は思うように動けない。不審な事は重々承知ではあるが、朝一に宿を確保する客も居ない訳ではない。最悪、騒がれる前に記憶でも何でも消して、辻褄を合わせてしまえば良いのだから、遠慮も警戒もいらない。その筈だった。

「こんにちは、……何日、ご滞在ですか?」

 明らかに引き攣ったような顔を必死に押し隠したように、受付嬢はジョシュア達に笑いかけてきた。

「とりあえず1週間ほど頼む」

 ミライアが何事もないかのように応えるものの、隣に居るジョシュアは非常に居心地が悪かった。いかんせん、彼ら二人は怪しすぎた。フードを被った二人組が、顔も見せずに立ち寄っている。しかも、背の高い方が女性だという事実も目立った。宿に出入りする人々が遠慮しがちに視線を寄越している。
 気配を薄くしてはいる筈なのだが、人と接触している以上、どうしたって効果は薄くなってしまう。
 そんな居心地の悪さに、ジョシュアが思わずフードを取ろうと腕を上げると、間髪いれずミライアの腕がそれを止めた。

「余計な事をするな」
「すまない……だが、逆に悪目立ちしてる。脱げば視線も減るんじゃ無いのか」
「お前は駄目に決まっとろうが。それに、フードをとったところで然程変わらんわ。私の美貌は何処へ行っても目立つ」

 受付嬢が後ろを向いた隙に、他人に聞こえないよう注意を払いつつ言葉を交わす。フードをしてもしていなくても結局、悪目立ちする事は変わらない。ならば、下手に怪しまれ警戒される位ならばと、顔を知られて問題がなさそうなミライアだけが顔を晒すことにする。

 自然な動作になるように気をつけながら、ミライアはフードを外す。それと同時に、受付嬢が振り返る。

「こちらがお部屋の……」

 ニコリと微笑みながら鍵を差し出した彼女の言葉が、途中で止まる。ミライアの素顔を真近で見たのだ、不審者が一変、美女へと早変わりしたその衝撃といったら無かったのだろう。一瞬、宿の中が静まり返った事を感じ、ジョシュアは思わず大きな溜息を吐いた。フードを取ろうが取るまいが、事態は良くなることはないのだ。

「ありがとう」

 にっこりと笑うミライアに見惚れたのか何なのか、受付嬢は、以降一切の言葉を発する事なく受付嬢は上階へ向かう二人の後姿を見送るだけだった。

「目立ちすぎてる」
「仕方ない、なんたって私だものさ。まぁ、でも馴染むのは得意だよ。これも数日後には慣れてくれる」
「美人は三日で飽きーー」

 軽口のつもりが、ミライアに顔面を強打されて鼻血を出すことになったのは、ジョシュアの想像力の乏しさが故だろうか。

「口が過ぎるぞ下僕、ミンチにすんぞ」

 口は災いの元。昔から散々やらかしてきた事が今更ながらに思い出されて、ジョシュアは酷く後悔した。口には気をつけようと改めて決意したのである。

 けれども、生来の本質というものはそう易々と消えてはくれない。ジョシュアはこの先もしばらく、同じ事を繰り返してしまうに違いないのであった。





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