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僕が支えられてやって来たのは、とある宿の一室だった。神殿の部屋と比べると随分粗末な部屋だが、ある意味懐かしさすら感じる。まるであの旅のよう。妙な感慨にふけりながらも世話焼きの若き神官に礼を言えば、とんでもない、とひと言返事を返された。ベットへと腰掛けると、ホッとしたのか、一気に疲労が襲ってくる。膨大な量の魔力は、失えば同時に回復するだけの体力を奪われる。ここまでの疲労は、当に20年のあの旅以来の事だ。疲れきった身体には休息が必要で、襲い来る倦怠感に瞼が重い。億劫な身体をどうにか動かし布団へ脚を突っ込めばふと、遠慮がちな声が降ってきた。

「クリストファー殿、お疲れの所申し訳ありませんが……、少々お話よろしいでしょうか」

ゆっくりと顔を向けば、端正な顔を複雑そうに顔を歪めた神官の顔が目に入った。何か、ディヴィッドに対してやらかしたのだろうかと、少しだけ妙な気持ちになった。

「あの男」
「ギルバートは、もしやーー」

殆ど確信しているだろうに、この僕に聞くのは認めたくないからか、それとも最後の一押しが欲しいのか。回らない頭で、しようのない意地を張る若者に昔の自分を重ねる。

「君は、もう、分かっているのでは?」
「では、あの方はかのーー」

きっと、この年若い才能に溢れた魔法使いはディヴによっぽどの態度で臨んだのだろう。苦虫を噛み潰したような、何とも言えない表情でもって僕を見てきた。少しだけ愉快な気分になる。僕には分かる。初対面からあんな態度でだらしなくて草臥れたような男を見たならば、何も知らねば僕だって良い顔をしない。その体は人となりを表すとよく言う。いくら華々しく功績を讃えられようが、あんなにみすぼらしい体で居られては見誤るのも無理はない。ザマァ無いと思いつつ、それも彼の作戦のうちかと思うと腹立たしくも思う。

「そうだ。だが、それは過去だ。変わらず、軽口でも、叩くといいさ。奴もそれを望むーーそれはそうと、ジョシュア、私に力を貸して欲しい」

疲れ切った身体に鞭打ちながら、僕は彼を見上げる。面食らったような、不安そうな顔が目に入る。

「勿論、私で良ければ何なりとお申し付けください」

分かり切った返答に背を押され、一気に畳み掛ける。そうでもしないと、寝入ってしまいそうだった。

「奴を止めるのを、手伝ってくれ」
「止める?一体、何を止めるのです?」
「奴の企みを。……奴は死ぬ気だ」
「!」
「己に植え付けられた、邪気ーーいや、そんな生易しいものでは、ない。《呪》とでも、言えばよいか。魔王を手に掛ける際、魔王の最期の一撃を、貰ったのだ。私にさえ、払うことは出来なかった。時期、アレは全身に廻り奴は、恐らく魔のモノと、成り果てよう」

あれだけ苦労して仲間を失いながら目的を達成して、しかし男に与えられたのは更に困難な試練だった。

「或いは、魔王にか」
「!そんな、それは、余りにーー」

そう、余りに無情で残酷だ。これ以上奴に何を抱えさせようと言うのか。

「だから我武者羅にどうにかできないかと足掻いている。別の道は無いかと諦めきれずに何十年も過去の記録を読み漁っていた。エルフにも話を長年聞いてきた」

だが無駄だった。前例がないのだ。ぐるぐると巡る思考を纏められず、遠くなる意識を繋ぎとめながら僕は一気に言ってのける。最早何を言っているのかすら曖昧だった。

「ーーもう、僕には、彼しかいないんだ。だから、奴に渡しはしないさ……必ず……」

言いながら、重くなる瞼に逆らえず。僕はそのまま、暗闇に落ちていった。



* * *




村の宿屋に向かったのは夜更け近くのことだった。高ぶる気持ちと不安とが入り混じり、まともに寝られる気がせず、ほとんど一晩中街を徘徊していた。俺の気が済んだ頃には、結界の解れも応急処置を一通り済ませてしまっていた。結界の応急処置とは言えども、魔法使いのように完璧になんてできるはずもなく、壊れた窓の窓枠に木を打ち付けるようなもの。それでも何かせずにいられなかったのは、いつ奴が襲ってくるかもしれないという緊張感からくるものだったか。

「君は僕のことを言えないじゃないか、こんな時に休みもせずどこをうろついていたんだ」

宿に入り口でこんな俺を目ざとく見つけたクリストフは、シレッとそんなことを言う。

「うるせ、こんな時にじっとしれられるか。お前と違って俺は有り余ってんだよ」
「てっきり歳のせいで枯れたと思っていたが存外残っているもんだね」
「フン、俺もまだまだ若い連中にゃ負けてらんねぇのよ」
「歳相応に落ち着いたらと言われないかい?」
「テメェこそ相変わらずじゃねえか、もういい歳なんだからテメェもまだ無理すんなよ」
「君こそ一睡もしないで、ここぞと言う時に倒れても知らないよ」

背後でおろおろする年若いかの魔法使いを横目にいつもの応酬を繰り広げれば、呆れた目とポカンとした顔があちこちにあることに気がつく。明け方だというのに、連中は勢揃いしている。彼らの事をすっかり忘れていた事に少しだけ後悔する。興味津々、と言った勇者殿にキラキラとした目を向けられればもうどうでも良くなる。クリストフは何を話しただろうかと考えながら、俺は宿の待合所に腰を下ろした。いつの間にやら小型化していたリオンに膝に乗られながら、俺は煙草を取り出した。

「収穫は?」

座るなり目の前に来たクリストフは片眉を上げながらそう言った。彼に答えを急かされると、せっかちなのは見かけによらないといつも思う。

「ねぇよ、見て分かんだろ?あんだけ派手に動いたのに攻撃一つ来やしねぇ。……何か企んでやがる、奴にゃ人質もいる……待つしかねぇだろ」

大きく溜息を吐けば、そうか、と静かに返された。リオンの頭を無意識に撫でながらぼうっと宙を眺めれば、目の奥に一昔前の光景が思い浮かぶ。前にも確かこんな事があった。あの時は皆がいて師がいて隊長がいて、しかし俺は彼らの背を見ることしか許されなかった。待つ事しかできなかった。その時も自分の弱さを心底歯がゆく思ったものだったが、20年以上たった今ですらそれは変わらなかった。最早誰もいなくなり、自分が彼らと同じ立場にたっていても尚変わらない。待つしかないのだ。
情け無い。

その時ふと、隣に腰掛けて来たクリストフは、俺と同じようにリオンに手を伸ばし、その頭をひと撫ですると静かに言った。

「君こそ、何を企んでいるんだ」
「あ?」

突然の問いかけに面食らいながら、口から煙草を離す。思わず彼の顔を見れば、真剣な、怒ったような顔が目に映った。

「何をするつもりだ」
「何って……奴との決着をーー」
「僕には、君は死にに行っているように見える。昔は兎も角、今の君に奴を退けるだけの力が残っているか僕には疑問でならない」
「!」
「ひとり死ねない僕を置いて君もいくつもりか」
「…………」
「そんな事は許さないよ。君は確かに危険を背負っているし、実際君のせいで彼の人は逝った。けれど逆に言うなれば、死ねないのは僕と同じこと。逝ってしまった皆に祈りを捧げる人間がもうひとりいたっていいだろうと僕は思う。
ーーーーあんな悪魔のために死ぬなんて、命を賭して君を生かそうとした人々にどう顔向けするつもりなんだい?」

そう言うクリストフの顔から、俺は目を背けることができなかった。哀しいのか怒っているのか寂しいのか、俺には到底理解できなかったが、ただ一つ言えるのが、彼もまた、俺が死ぬことを良しとしていないという事。そんな事、考えたこともなかった。

クリストフが死ねないというのは、何も神官長という地位の為だけではない。旅の途中で手にした強大な魔力の代償がそれだった。強大な魔力が故、寿命はエルフのそれとほぼ等しくなった。

唯一無二の力を得、彼は人々が為に使う事を誇りとし輝かしい日々を送っているに違いないと、俺はそう思っていた。俺なんかが此処にいない方が世の為であるし、彼の負担も少なく済むと。しかしそれは、どうやら俺の妄想だったらしい。

「抜け駆けは許さないよ」

神殿に飛ばされたあの時のことを思い出す。
『過去に苦しんでいるのは君だけじゃないーー』
てっきり陛下のことを庇って言っていたかと思っていたのだが、どうやら違っていたらしい。どいつもこいつも、自分勝手だ。

「僕は絶対許さないからね」

ニヤリと凶悪に笑うクリストフのいけ好かないその顔を見ていると、何とも昔に戻ったような気分になり、俺は奇妙な感情に襲われた。他の誰に言われても、姫ーー女王陛下の言葉にさえピクリとも動きはしなかった決意。だのに。共に生死の境を彷徨った腐れ縁の気に入らない野郎の言葉に、ぐらりと地が揺らいだ。

それを誤魔化すように舌打ちを打って顔を背ければ、隣から勝ち誇ったような、フン、という空笑いが聞こえた。怒りはない。手に持った煙草を口に戻しながら、昔と変わりないやりとりに安堵をしながらも恥じるという、自分でもよくわからない心境でもって膝の上のリオンに目をやった。彼は鼻を摘んで涙目になって、困り顔で何事かを訴えてきていた。煙は獣の鼻にはキツイらしい。可愛い奴だと、そんなことを思いながら、フイと煙を吹きかけて灰を落としてみると、彼は煙を払うような仕草を見せた。懐に煙草を仕舞ってみせれば、リオンは満足そうにニコニコした笑みを見せた。

その笑みを見てふと、嘗て誰かがリオンと、今し方俺がやっていたようなやりとりをしていたことを思い出した。あれははて誰だったか。騎士ギルバートだったか師のジョエルだったか。どちらにせよ、顔も腕も一流だった彼らのあの姿は大変絵になっていたと思う。煙草を片手に愛らしい幼子をあやす姿は、さながら絵画のようだった。懐かしく思う。そして同時に、彼等に焦がれる。最初の出会いこそ最悪だったが、旅の中で彼等から沢山の大切な事を学んだ。そして彼等すら大切だったのだ。叶うならば再び2人の声が聞きたい。俺が、そんな事をしみじみと考えていたその時の事。





















耳元で声がした。

「随分昔のことを思い出しているねぇ。何だか僕も懐かしくなっちゃう」

ゾッとするような、聞き覚えのある嫌な声だった。ひどく邪悪な気配に寒気がする。身体中が総毛立つようだった。

「「「!!」」」

飛び上がったのは俺ばかりではなかった。跳び退き短剣を構えつつ周囲を確認すれば、リオンもクリストフもあっという間に臨戦態勢になっていた。真っ先に反応したトバイアスやジョシュア含め、異変を察知した者全てが、武器を手にしていた。

「さすが宿敵、惚れちゃうねぇ……この僕相手に物怖じもせず対峙できるのは君らくらいだよ」

赤い悪魔の公爵、虐殺と拷問を司る男は不気味に目を細めた。整い過ぎた作り物のような顔に覗く真紅の瞳が、ギラギラと暗い光を放つ。真紅の長髪、赤い衣服、赤でないのはその肌と頭を飾る金の冠くらいだろうか。

この男には結界などそもそも意味がなかったとでも言うのか。気配すら悟らせず、侵入するなど、考えもしなかった。

「バルベリト」
「我が愛しのディヴィッド」

互いに名を呼び合えば、息を飲む声が旅の戦士たちの方から聞こえてきた。薄々感づいていたトバイアス、ジョシュアは、それこそ確信しただろう。俺こそが、先代勇者であると。

奴の凍てつくような瞳が、俺をジッと見つめる。ここ半年、相手にしてきた悪魔とは明らかに違う気配に、瞬きすら憚られる。目を閉じたその瞬間に、目の前で牙を剥く。そんな想像をしてしまう位には、ベリトの強さは次元が違うのだ。戦いで対峙したことがあるからこそ、知っている。

「!ベリトって……この前ギルバート?っていうかディヴィッド?が言ってた名前?」

トウゴの物言いに冷や冷やしながら、ベリトからは決して目を離さない。狭い室内では戦闘もままならない。被害を最小限に、どうやって室外へ誘い出すか、必死で思考を巡らせる。

「ーーおや、今代の勇者殿にも名が知られているとは光栄な事だねぇ。それにしても……君があんな騎士の名前を名乗っているなんて、そんなに好きだったのかい?
あの、大した事なかったニンゲンが?
あんな、串刺しにされるようなーー」
「その汚ねえ口を閉じろ、バルベリト」

傷を抉り、俺を誘い出そうとしているのか、やけに饒舌な悪魔に違和感を覚えながら件の短剣を投げ付けた。悪魔を封印したかの短剣は、何度投げようとも俺の元へ戻ってくる。この世で唯一のナマクラだ。

「クリストファー殿っ、この者はもしや……」
「村長の様子を見ーー」
「安心したまえ、あんな老いぼれやお子様方に用はないんだ」

ニヤリと笑う奴の顔を見て、ぞわりと背筋が凍る思いがした。

「迎えにきたよ愛おしき怨敵、デイヴィ」

ニタリと笑みを湛え、奴は強者の余裕を持って俺に手招きする。今の我等など敵ではないと言いたげに、ベリトは始終笑みを絶やさなかった。






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