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01

露命の霜


「弓弦(ユヅル)!」
「ーーーー弓月(ユヅキ)?」
「ねぇ、何々、弓弦、カイチョーとお友達になったの?やっと友達作る気になったの?」

昼休みに入るなり、教室に雪崩れ込んできた弓月は、少しだけ嬉しそうな、焦ったような表情をしていた。それを可愛らしいと思いつつ、席から見上げた俺は首をかしげる。はて、一体どんな噂を聞いたのであろうか、俺には全く覚えがなかった。

「友達ーー?誰の事でしょう」
「だからカイチョーだって!上條センパイの事!」
「……上條ーー?」
「えっ……まさか弓弦、カイチョーの名前知らな……って何それ、突っ込みドコロ満載なんだけど、カイチョーと話してたっていう噂は一体何なのさ」
「……話、しましたっけ」

身に覚えというか、そもそも毎日の生活なんてイチイチ覚えているはずなくて、俺は弓月のくるくると変わりゆく表情を観察しながら考えるフリをした。俺は人の顔を覚えるのも、名前を覚えるのも、大層苦手だ。法術の類いならばすぐに覚えられるのに。慣れない事はするものはでない。そう決まってる。

「ま、た、そうやって忘れる!……もー、折角チャンスなのに」
「オイ、何がチャンスだって?」
「あ!噂をすれば」
「!」

弓月の声に紛れ突然届いた声にハッとする。俺とした事が、こんな近くまで異形のモノの侵入を許すなんて、護衛としてあるまじき事。弓月は俺と違って、視えない。そして、影響を受け易いのだ。すぐさま立ち上がり二人の間に立ち塞がった。

「弓月に近寄らないで下さい」
「ユヅ!?」
「おま、マジでそれ、言ってたのか……」

言うのと同時に、右手の人差し指と中指を揃えて彼に向かって差し向ける。立ち止まった彼は一歩、たじろぐように後ろへ後退した。今の所ほとんど害は無いようだが、いつ何時、コトが起こるか分からない。異形のモノの理と人の理は、決して交わる事はない。だからこそ危険なのだ。

「ちょっ……弓弦、まさか会長にっーー」
「憑いてますね。ですから近寄るなと俺は申し上げた筈ですが。その状態で弓月には近寄らせませんよ」
「なっ、何だよ……お前、昨日祓って良くなったって言ってーー」
「応急処置です。学校など来ずに、差し上げた札を持ってさっさと行って下さい。完全に祓うまで一切合切、弓月には近付かせませんよ」
「っご、ごめんなさい上條会長!僕のせいで……」
「待て、叶谷ーー弓月、これは……」
「会長ごめんなさい、後でちゃんと説明します!
ーーねぇ弓弦、昨日少しは祓ったんでしょ?僕はこの通り平気だからさ、会長の話を……」

まるで懇願するかのように、弓弦は俺に縋る。しかし、俺には譲れないものがあるのだ。

「弓月、聞きなさい。アレを甘く見てはいけませんよ?時期に解るようになると思いますが、油断は禁物です。我儘は止してください。また倒れでもしたら、俺はそれこそショックで死んでしまいます」
「…………う、ん。……わかったよ……ごめん、心配かけて」

『ーー俺は死んでしまう』
それが、弓月が最も怖れる言葉であるのを知っていながら、俺はその言葉を使う。例え大切な弓月の傷付いたような顔を見る事になっても、その笑顔には変えられない。この身がどうなろうとも、俺は弓月の為に生きるのだとそう決めた。それが、俺の生き甲斐だから。

「それは良かった。ーーではそこの貴方、失礼します。【回れ右してお戻りなさい】」
「!?」

彼に向けて突き立てた人差し指と中指を胸元まで戻し、フゥッと吹き掛けながら言えば、彼の身体は俺の思うように動くようになる。そのまま彼は、驚愕の表情を浮かべながら無理やり、といった可笑しな動作で教室を去って行く事になった。人前で術を使うなと言われているのだが、弓月を護る為ならば俺はどんな事でもする。多分、アレを殺せと言われれば、呪詛で呪い殺す事も厭わないだろう。そもそも、そう動くように俺は育てられてきたのだから。

「弓弦、ダメだよ、それを人前で使ったらーー」
「弓月、貴方を護る為なら俺は鬼にでも成れるんですよ」

ふわり、弓月に額をつけながら笑えば、彼はグッと黙り込んでしまった。俺が弓月の為にしか動かない事を、そして弓月の為ならば何事をも厭わない事を、彼はは知っている。俺はそれを承知して、弓月を言い聞かせるのだ。



ざわざわと落ち着かない教室をそのままに、俺は弓月を教室に送っていく。隣という事もあり、ほんの数メートルの距離ではあるのだが、確実に送り届けないと俺は気が済まない。それに、あの友達のフリをした快楽主義者に少しだけ、釘を刺さなければならないから。こんなのが友達だなんて、兄は本当に心配で堪らない。

「長門広輝(ナガトコウキ)さん?ダメじゃないですか、変な事を吹き込んだら」
「!ビッ、クリしたぁ……え、弓月のお兄さん?」
「妙な噂話を吹聴するのはやめていただけません?尾ひれ背びれが付いてとんでもない事になっていると、思うのです。……せめて真実だけにしてもらえませんか」
「なっ、何で俺に言ーー」
「楽しむのも程々にというお話です。分かりましたか?」

俺は何でも知っている。静かな、諭すような口調で暗にそう言い含めれば、彼はその整った顔を少しばかり歪めて、嫌そうに頷いたのだった。この、顔ばかりの軟派な男に価値などない。友達面なぞ良く出来るものだ。

「……分かっ、た」
「弓月」
「なに」
「あまり、他人をホイホイ信用するもんじゃありませんよ」
「……分かったよ」
「兄はいつだって、弓月が心配なんですから」
「……僕だって、そんな弓弦が心配なんだからね」
「俺の事はいいんですよ。どうせ、去ぬーー」
「ユヅル!」
「…………では、俺は戻ります。良い子で居て下さいね」

最後に一差ししつつ、俺はさっさと自分の教室に戻った。教室に入るなり、今度は静まり返る。それを不審に思いながら、俺は席に着くなり机に突っ伏した。少々無駄に力を使い過ぎたのか、席に戻った途端に気が抜けたのだ。昼休みではあるが、俺はそのまま眠りにつくことになった。





結局、この教室の中で随分と深い眠りについてしまったらしく、次に目が覚めたのは6限目が終わった頃であった。授業中、生徒や教室に何度か声をかけられたらしいのだが、俺は全く起きる事がなかったという。放課後、教師に呼び出されたのは言うまでもなかった。

「ザマァねぇ、俺にあんな口叩くからだ」

職員室にて、担任に叱られる様を例の生徒に見られて一言。無言で無視をし続けるものの、腹が立って仕方ない。余計なことをしでかしておいてその言い草は納得がいかない。それを隠しもせずに顔を顰める。

「上條、今は説教中なんだから茶々を入れーーん?お前ら二人、知り合いか?」

自然と口を挟んできた担任が、ふと気付いたように問い掛けてきた。

「まあな」
「いえ、全く」

二人同時に真逆の答えを出せば、担任は意味あり気に眉根を上げた。そのまま無言で睨み付ければ、ニヤリと笑われた。苛立ちが増す。

「「………………」」
「お前らいつの間に……」

担任はその睨み合いをどう取ったのか、一人で何やら早合点している。酷い勘違いをしているに違いない。俺は、否定せずにはいられなかった。

「先生、勝手な妄想はやめて下さい。話は終わりですか?元はと言えば、俺はこの人の所為で疲れ果てたんです」
「は?あれはお前が勝手にごちゃごちゃやりだしたんだろ」
「貴方が俺の忠告を聞かなかったからでしょう」
「あ?なんだこのブラコン」
「その言い方はどうかと思います。貴方こそ、その不遜な態度はどうにかならないのですかね。」
「あ?」

売り言葉に買い言葉。段々とヒートアップしながら互いに睨み合っていた時の事。

「おい、お前らまさか……本当に付き合ってんのか?痴話喧嘩か?」

勘違いに拍車をかけた担任はとんでも無い事を言い放ってくれた。その瞬間、聞き耳を立てていた職員室中の教師が、勢い良く振り向いたのは勘違いであってほしかった。

「は?」
「そういう事にしとくか?」

寝耳に水、な俺とは反対に、混乱に拍車をかけたのは目の前の男だった。信じられないとばかりに見上げれば、悪役のような顔をした彼が笑っている。その表情は、まさにしてやったりと。

「は!?」
「おーー、あんましお前らヤり過ぎんなよ」
「ちょっと、待って下さい!どうしてそうなるんですかっ」

慌てて担任に詰め寄れば、大層驚いた表情をされた。俺の方こそ混乱しそうだ。

「あ?違うのか?上條がそう言うんだから、てっきりそうなのかと……」
「何を誤解されているのか知りませんが、俺はこの人の名前も知りません」
「いや、そんなまさか……」
「お前……俺、朝名乗ったろうが」
「俺には必要無い知識だと言ったはずですが」

ギロリと、長い前髪の隙間から睨み上げながら言えば、彼は器用に片眉を上げた。そのまま引き下がると思ったのだが。彼は何を思ったのだろう、突然俺の頭にサッと手を伸ばしてきた。条件反射で仰け反るものの、相手は存外素早かった。

「この前髪のせいで周りが見えねぇんじゃねぇの?」

そのままあろうことか、俺の前髪を鷲掴み持ち上げた。ジロジロと俺の顔を見たかと思うと、突然の事に動けない俺に向かって一言。

「お前ら二人、似てねぇのな。……それより、オッドアイなんて初めて見た」

バサリ、前髪が顔に戻るのを感じながら呆然とする。こんな人間は初めてだった。

「それで隠してんのか?……勿体ねぇな」
「……ほれ上条、仕事残ってんだろ?叶谷が好きなのは分かったから戻っとけ。騒ぎにはならないようにしろよ」

何も言えない俺に変わり、担任は彼に戻るようにと言いつけてくれた。少しだけ安堵しながら、心を落ち着ける。この俺の顔を見た時の彼の反応が、少しだけ恐ろしかった。忌み者として嫌われ恐れられて、家の中ですら腫れ物のように扱われてきた。だから。

「チッ……本当、面倒くせぇな。あ、そういやお祓いがどうとか言ってたよな。……ユヅル、お前が連れてけよ」
「……え?」
「その方が早えんだろ?」
「ええ……、まあ」

彼の変わらぬ姿勢が信じられなかった。これだけ拒絶されながらも、彼は態度ひとつ変えることはなかった。それどころか、いつの間にか名を呼ばれている。

「あん?逢瀬の約束か?」
「逢瀬って古っ」
「うるさい、戻れ!」

釈然としないながらしかし、俺は何も言うことができず素直に戻って行く彼の後姿を眺める事になった。俺が捲れた前髪に気付いて顔を振る頃には、教師の説教も終わりを告げていた。





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