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01



目に飛び込んできた光景に、俺は考えるよりもまず身体が動いていた。ふわりと宙に投げ出されたその瞬間はまるでスローモーションのようだった。落下のスピードと自分の走る速さは一体どちらの方が上なのだろうか、そんな事は考えるまでもなく、俺は確信していたのだった。

澄み渡った空の中。人通りの滅多にない学校の外階段に、俺が通りかかったのはまさに偶然だった。その身体が階段の踊り場から、重力を受けてまさに落下し始めるその瞬間。俺はその場から駆け出した。まるでスローモーションのように落下している姿を必死で追いかけながら、全力で飛び上がる。校舎の壁と階段の手すりを交互に伝い、その生徒目掛けて飛びかかる。両手を広げ、彼を受け止めつつ二階の手摺に着地する。その瞬間、俺は安堵すると同時に、暴れ出す心臓に頭がクラクラした。

「あっぶねぇーーッ」

ジンジンと伝わる足の痺れと、緊張感が過ぎ去って、俺は一気に弛緩した。本当に、危なかった。階段とは言え、あの高さから突き落とされればただでは済まないだろう。例え、軍事にも明るいこの学校では誰もが有事に強くとも、イチ生徒には違いない。こんな穏やかな国で、誰かが傷付く姿なんて見たくもなかった。そして同時に湧き立つ怒りに居てもたっても居られなくなった。

「おいアンタらっ、何考えてんだよ!殺す気かッ!」

手摺上でくるりと身体を反転させて叫ぶ。こんなの、許されるはずが無い。他者の為に尽くすべき力である筈なのに、寄ってたかって他人を甚振るなんて。国の為に他者の為にと、力の扱い方を学ぶこの学校の精神に反する。

しかし、そんな俺の言葉が届いているのかいないのか、突き落としただろう3人の生徒たちは何故かポカンとした表情で俺達を見ていた。聞こえているのだろうか。覚えた不快感に顔を顰めるものの、一向に口を開く事がなかった。怪訝に思いつつも、更に文句を言おうと口を開いた。

「おい、なにかーー」
「今の……」

しかしその時の事。突然、階段の下の階から声が聞こえてきた。その声の方へ振り向けば、そこには妙に見覚えのある生徒が立ちすくんでいた。そこには、最近巷を騒がす転校生。何でも、強いだ何だのと、学校の生徒会の連中に大層気に入られているのだとか。そのとばっちりを受けているのが、俺が今抱いている彼。生徒会を信仰するファンクラブに、やり場の無い怒りを向けられているのだ。理不尽にも程がある。

そんな、ある意味有名な二つの視線が、なぜだろうか、一様に俺に注目していた。無言が続き、いよいよどうして良いか分からなくなった頃。やっと聞こえてきた台詞に、俺はその意味に気付く事になる。

「【ハヤテ】ーー?」
「!?」

【ハヤテ】。それは俺の名前ではない。正式には、No.8810と書く。それは何の捻りもない、ただの整理番号のはずだったのだ。





機械工学の発達した世界において、この学校は新技術の試用施設ともなっている。というのも、この学校が特に、優秀な生徒ばかりを集め軍や国の中枢にまで起用される程の人材を育成する、という大義を授かっている事もあり、秘密を外に持ち出さないーー否、持ち出せない環境にあることに起因しているのだが。それはまた追い追い。つまり何が言いたいかと言うと、閉じられた箱庭の中において、新技術の試用は生徒達にとって娯楽にもなっているのだ。女人禁制の、厳しい全寮制学校ならばそれは尚更。娯楽への探究心は計り知れない。

そういった新技術のひとつに、“バトルシミュレーション”というものがある。何の捻りもないネーミングであるが、読んで字のごとく、体感的に実戦のような戦闘を行う事のできるシステムである。未だ試作の段階ではあるらしいのだが、仮想現実世界において現実とほぼ同等の体験ができるとして、生徒達には大変人気な試作機のひとつである。カプセル状の機器同士を繋ぎ、世界を共有するのだ。寮の各部屋に一台ずつ設置され、希望者は何時でも世界に入り込む事ができる。仮想世界へ信号を伝達する液体には、それこそ極秘の最新技術が詰め込まれている。

試用から7年程だというらしいが、今では改良されゆく試作機を使う大会が、毎月のように開催されている。誰もが自由参加で、近年ではカプセルの外側に取り付けられたタブレットにより、希望に応じ戦闘服のデザインを手軽に変更できるようになった。覆面も顔の露出も全てが自由であり、中には毎月デザインを変えてくるファッション好きのツワモノもいる程。

そんな特異な大会に出場するためには、毎回同じような一斉バトルを勝ち抜かなければならない。一人一人、バトル参加用のナンバーが振り当てられ、指定のフロアで他者を蹴落として行くのだ。急所をつく、あるいは気絶させれば相手はゲームオーバーとなり、強制的に現実へと意識が戻される。一度割り当てられたナンバーは学校を卒業するまで使われ、つまり俺は8810番目の大会参加申込者だった訳である。

話が逸れたがつまり、俺ーー伊坂シュンは、大勢にナンバーを覚えられる程の強者であった。戦闘が好きというだけで、目立つ事は避けるきらいのある俺はもちろん、覆面組である。ハヤテという名前の由来なのかどうかは知らないが、大会では毎度、かつてこの国に暗躍していたと言われている忍者の姿をして、小刀や苦無を振り回している。

同じような忍者姿の生徒はごまんといる。しかし、毎度勝ち残り組に数えられるというだけで、ハンデともなる目印を負わされる事になっている。俺の場合、それは衣装の色であった。

しかし、その色が何故だか、真紅であった。

忍ぶという字のごとく、影で暗躍した筈の忍者が、真紅。他にも黄色だとか水色だとか、もっと目立つ色はあったろうに、何故かの真紅。目立つ事この上ない。何故忍者なのに、そして男なのに真紅の衣なのかと、大会の実行委員に説明を求めた事もあるのだが。何でも、絶世の美女と云われた玉藻前が疾風迅雷だとか何だとか、よく分からない解答が返ってきた。面倒になって早々に抗議を諦めたのは言わずもがな。未だに理解できずにいる。

かくして、真紅の忍者=【ハヤテ】=No.8810という事は周知の事実なのである。歴代最強とも囁かれる【ハヤテ】。鼻が高い反面、いつ暴露るかと戦々恐々している今日この頃。このハンデが意外と厄介であって、学校の生徒達に【ハヤテ】の名も姿も知れ渡ってしまった。手合わせ願おうと、大会の初戦から俺に突っ込んでくる人間は後を絶たず。それを蹴散らしてしまうからこそのレッテルではあるのだが。……誰よりも強くなりたいと思う反面、目立つのも嫌だという、酷いジレンマを抱えている。相反する願望は最早、決して交わる事はない。ーーしかし、隠れつつ敵を蹴散らす事に快感を得ている事は事実。内に燻る欲求は最早隠せない所まできてしまっていたーー。



「あんたがあのーーッ!まさかご尊顔をっ、ナマで見られるなんてっ」

何で、さっきのアレで分かるんだとか、どうして“あの”転校生がこんな所にいて、何でそんなに顔を輝かせているのだとか、言いたい事は山ほどあるのだが。

この時、俺は悟った。

この場は逃げるが勝ちである。幸いにも、顔はたぶん、チラリとしか見られていない。そう思い込む事で自分の精神安定を図りつつ、お粗末な逃亡計画を練る。階段を飛び降りてダッシュだ。幸い、人気のない放課後の校舎は隠れる場所も腐るほどある。隠れ忍び、暗闇から標的を狙う忍者にしてみれば軽いもの。そもそも、俺の速さには誰もついてこれやしない。

「何でアレで分かんだよっ……なぁアンタ!悪いけど下ろすぞ、上手く着地しろよ、じゃあな!」
「え!?ーーっぎゃあッ、痛い!」
「ああっ!待っーーーー!」

ドスン、という鈍い音を背に聞きながら、踊り場からそそくさと飛び降りた俺は、脱兎の如く逃走したのであった。











部屋に戻って即座に部屋の鍵を閉めた俺は何故だか、動悸が止まらなかった。いやまさか、動きでバレるなんてそれこそ考えていなかったのだ。たったあれだけの動きで答えを導き出すなんて、ーーそれはもう、俺の動きを分析し尽くした戦闘狂ではないのかとすら思う。俺もおちおちしていられないという事か。止まらない冷や汗を、自分が蹴落とされる恐怖だと真っ先に考えてしまう辺り、俺は既に末期なのだろうと思う。戦いで一度覚えた感覚からはきっと、俺はもう逃れられない。









次の日の朝の事だ。
昨日の出来事なんて、一晩中シミュレーションで体を動かす事ですっかり頭から抜け落ちた体力馬鹿な俺は、何食わぬ顔で何時ものように始業ギリギリに教室に入っていった。

「っあの、昨日はホントにありがとうございました!その、俺、俺っ、君にどうしてもお礼を言いたくってーー!」
「え、ああーー……ブフゥッ!?」

何時もと違う、騒ついた教室を認識するよりも早く、俺は爆弾を口の中に突っ込まれてしまった。助けたとばっちり生徒と、件の転校生が、教室の中、扉の前で揃って俺をお出迎えしている。もし万が一、お茶を口に含んでいたら目の前の二人にお茶の霧を浴びせているところだ。残念ながら、お茶はカバンの中である。

「あ、アンタがっ、昨日の、例のーー!」

バレバレな程の不自然な態度で、彼らは俺に話しかけてきた。ソワソワと落ち着かない様子でもじもじ指を弄っている。どこか小動物のような雰囲気を醸し出す二人にそれをやられてほんわりとするもしかし、性別が同じである事が悔やまれる。

しかしこれは、完璧に、恐らく、彼らに気付かれている。俺が【ハヤテ】だという事。でなきゃ、こんな風に不審な突撃なんてされない。有名である自覚はあるから尚更。

「っあの、お礼も、したいので、俺とーー友達からお願いします!」
「っ、ずっ、ズルイぞカイト、抜け駆けだ……お、俺だってお友達から始めたいんだからなーー!」
「…………」
「……なぁ、お前何したんだよ俺どうすりゃいいのよ逃げていい?絶交していい?」

シィンと静まり返る教室で、“今一番話題の生徒達”に手を差し出されながら。聞こえた薄情な友人の言葉に睨みを利かせる。だがしかし、気持ちも解らなくもない。なんたって、二人の背後にはキラキラオーラの生徒会様方がいらっしゃるのだから。下手に動けば自分の首が飛ぶ。歴代最強と謳われるのは何もオレばかりではない。生徒会会長サマ、以下手下共もそりゃあ強い。俺と拮抗するほど。だから、下手すれば本当に、首が飛ぶ。

一部からは、キラキラと意味深な視線を、そしてまた一部からは嫉妬交じりな殺気のようなそれだとか、そんなものに突き刺されまくってもう、俺に選択肢なんて残っていない。断ったらどうなるか分かってんだろうなぁ?そんな彼らの背後からの視線に晒されて平気でいられる程、俺は図太くないのだ。既に俺の平穏な暮らしは潰えた。いつかこうなったらと、戦々恐々していたものが現実となった。忍者として名を残し、姿を見せずに学校から去るという俺の目論見は、失敗に終わったのだった。辛うじて、他の生徒には何のことか分かっていない事だけが唯一の救いだが。

「…………」
「えっ、いいの?俺と、友達から、始めてくれる?」
「…………突き落とされたのが俺であれば……」

無言で手を握った俺は、その時平和を捨てた。むしろ捨てさせられた。さよなら、俺。

「よ、よよよよよろしく【ハヤテ】!」

最後の望みすら粉々に破壊しくさってくれたドモリ君ーーもといカイトクンとやらは、どうやら俺にとって厄病神だったらしい。最早ツッコミをする気力もなく、無言でじわじわと瞑目していく周囲を、俺は唖然と眺める事になった。騒ぎは、酷くなる一方である。

『えええええぇえええーー!?』

クラスメイト達の興奮ぶりは、それはそれは酷かったようだ。
そうして俺は、周囲から一人取り残されたように項垂れたのだった。





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