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03



「随分と愛らしい姿だのぉ」

 その日エミディオは、サタナキアと共に人間界へと降り立った。先の話にあったように、エミディオの未練とやらを解消する為だ。二人は予定通り、神殿より少しだけ離れた人の世に降り立った。
 着いて早々、エミディオは笑みさえ浮かべながら、隣にいる小さい相方に向かってそんな事を呟いた。言われた当人はといえば、不本意だったらしく、地団駄を踏むように、子供のような甲高い声で叫ぶ。

「う、うるさい!なんせおれは、あくまだいしょうぐんだからな!まりょくもニンゲンなんかとはけたちがいだ……だから、せいげんなんかするともとのすがたをたもてない……っ、わらうなえみでぃお!」

 焦っているような恥ずかしがっているような、そんな目の前の男に、エミディオは素直に笑ってみせた。ここ数日でようやく、エミディオも何の屈託もなく感情を露わに出来る様になり随分と清々しい気分でいる。

「いやな、普段のお前も悪くはないのだが……悪魔のクセに天使のようなーーブフッ」
「だから、それをやめろといってんだ!おれはあくまだいしょうぐんなんだからな!?」

 今のこの何気無いやり取りでさえ、きっと元のエミディオには出来なかった事だ。だが今は、この男と共にあるという事で、彼も遠慮なくそんな事ができている。今やエミディオは、サタナキアの立派な眷属としてその身も心すらも捧げつつあるのだ。当人も知らぬ内、彼は立派な悪魔になりつつある。だからこそ、エミディオは理解している。サタナキアが死ぬ時は、自分も死ぬ時だと言う事。そうでなければならないと。


 二人は手を繋ぎながら、ゆっくりとした足取りで目的地へと向かって歩く。実のところエミディオは、サタナキアには今回の計画の詳細を伝えてはいない。聞かれなかったからだ。だが恐らく、サタナキアはエミディオがどんな事をするつもりなのかも承知しているのかもしれない。何と言っても、二人は最早離れられない番なのだから。

「ふふふーーああ、すまんすまん、拗ねるな……冗談はこれくらいにしての。サタナキア、お主は神殿に入れるのか?」

 一頻り笑った所で、エミディオはするりと気持ちを切り替え問い掛ける。散々笑われた事でサタナキアはブー垂れていたが、悪魔大将軍は流石、気持ちを切り替える事にも長けていた。

「……もとのすがたならともかく、いまのすがたではいれるはずねぇだろ」
「ふふっ、そうか。ならば、私一人で出向くとしよう」
「……おまえ……まぁ、まだしんりょくのにおいはのこってる、そうつよくきょぜつされることもないだろう。ーーだが、むりはするなよ!ひとのちをのんだらそれこそ、ひとのころのきおくはおそらくきえる。しんでんで、なりたてのあくまのけんぞくなんか、しんかんにはあかごのてをひねるようなものだ。しょうきをうしないでもしたらころされるとおもえ!おれさまをでばらせてくれるなよ」
「ああ、善処しよう……待っておれ我が主人よすぐにもどる」

 ひらり、エミディオは着せられた服の裾を翻し、子供の姿のサタナキアに合わせるようにしゃがんでキスを頬に落とす。それでも尚ブスリとした不機嫌な顔に苦笑しながら、エミディオはその小さな手を離した。

「頼りにしておるぞ」

 去り際、後ろ向きで歩くようにくるりと振り返ってそう言えば、サタナキアは大きな目を真ん丸に広げてエミディオを見る。それに気を良くして、彼はくすくすと笑いながら神殿への道を歩んで行った。

 さぁ、決別の時。

 完全に人ではなくなってしまう前に、一目見たいとエミディオは思っている。もしその気になれば、父母の所へも。自分が何を思うのかも、どう成ってしまうのかも分からない。それでもやらなければと思うのだ。
 同時にエミディオは、少しばかり焦りを覚えている。これが最後のチャンスだと、理解している。まだあの日から5日程しか経っていない筈であるのに、既にぼんやりとしか彼等の顔を思い出せないのだ。多分、もうすぐ、彼は人間を忘れる。だからその前にせめてと。



* * *




 エミディオは、長年過ごした神殿に想いを馳せる。漂う神気の匂いに、以前はあんなにも清々しさを感じていたというのに。今やそれは、エミディオにとっては息苦しいものに変わってしまった。哀しくもあるし、そして清々しくもある。覚えのある廊下を音もなく歩きながら、エミディオは物思いに耽る。

『ーーそんなーー!エミディオ様ッ』

 エミディオが名前を告げ、邪魔をするなと突き飛ばせば、門番達は直ぐに諦めた。衛兵すらも動かない。彼等は皆一様に、真っ黒い服を着たエミディオを見ると、愕然とした。そんな様子に一瞥すらもくれず、エミディオはらしくない笑顔で堂々と闊歩した。

 現神子に敗北し、のうのうと神殿に舞い戻ったエミディオにとっては、彼の母親の笑顔だけが希望だった。母の為に、父の為に神官長にまで上り詰めた。それだと言うのに。母を一人残し、のうのうと悪魔になって舞い戻ったこの親不孝者。エミディオはそんな人間の頃の自分を蔑み、嗤いながら闊歩した。


 同じく衛兵を突き飛ばし、バタンッと重厚な扉を思い切り開け放てば、途端に怒号が飛んでくる。その声音に焦りが滲むのは、恐らく勘違いではないだろう。エミディオは更に一層、笑みを深めた。

「なっ……こんな時に、貴様ッ何者だ!」
「神聖な儀式の最中だぞ無礼者!」

 遠くからでは、そのような無礼を行うのがエミディオだと気付きもしない。何せ、彼等にとってのエミディオは既に死んでいるのだから。それを嘲笑しながら、エミディオは堂々と長い通路を歩いていった。

 今のエミディオが彼だと気付ける人間はどれほど居るだろう。金色の輝くようだった髪は、今や色素が剥げ落ちサタナキアの如く灰銀の鈍い光を放っている。
 空の色だと彼の人に褒められた目の色ですら、最早その面影もない血のような赤。
 サタナキアに着せられた黒いローブは、以前は決して選ばなかった闇の色だ。その裾や袖を縁取る深紅のラインすら血液を連想させる。
 殊更にひどい(エミディオ談)のは、サタナキアの趣味なのか何なのか、細身のローブの際どい場所までスリットが入っている所だ。おかげで歩くたびに素足が見え、エミディオは非常に不愉快になる。
 だが、これを着なければ外出は許さないなどと命じたのはサタナキアであって。当然、そんな事でも彼の命令には逆らえないエミディオは、着る以外の選択肢はなかったのだ。そもそもこれは明らかに男の履くようなものではない、貴様は変態だ、などとエミディオが面と向かって蔑んだというのはまた別の話。つまり、エミディオはエミディオではあっても、元のエミディオではない。彼は悪魔に成り果てたのだから。

 突然の乱入者に落ち着きを失っている神官達を無視し、エミディオはツカツカとその現場へとに躍り出る。今まさに、その男は次代の長を襲名する所なのだ。懐かしい顔触れ、会いたかった顔触れを見ても、最早彼の心は一つも動かない。
 嘲笑すら浮かべ、エミディオはゆっくりと告げるのだ。

「この無礼者!今日という重要な日にっ、門番は何をしているのだ!貴様、一体何もの……」
「何者と聞かれれば応えよう。……我が名はエミディオーーーー貴様が殺した男よ」
「!?」

 エミディオがそう告げた途端、周囲は一斉にざわつき出した。彼等の表情に宿る感情はどれも、困惑や驚愕、そして恐怖だった。
 そのような周囲に、エミディオはふつふつと苛立ちを覚えていく。この程度の事で苛立っていてはキリがないというのに、もう人間ではないエミディオは、それを抑える事すら出来ないのだ。素直に、彼等が死ぬ程嫌いである事を自覚する。

「バッ、バカなっ、そんな筈っーー死者が蘇るなど……いや!そもそも私は殺していない!あれは事故だったのだ!」
「……ほぅ、それはまっこと……私が勝手に、あの亀裂の中に吸い込まれていったとでも、お主は言うのか?」
「ッ!」

 段々と静まり行く空間の中、エミディオの冷ややかな声はやけに大きく響いた。その場に居た誰もが、耳も目も疑う。本当に、この人は本当エミディオなのだろうかと。冷ややかに嗤うこの男は、彼の姿をした別の何かなのではないかと。
 だが、そんな人々の思いも虚しく彼等の目の前で、エミディオは嗤うのだ。

 空いた右手で男の顎を捕まえ、エミディオはグイと己の方へと顔を向かせる。男はそんな彼の一挙一動に酷く怯え、ダラダラと汗を垂れ流していた。

「お前の捨て台詞、私は忘れておらんぞ?邪気に呑まれていく私のの姿を見ながらお前は言ったな?『こうなるならば一度貴様を犯しておくべきだった』とーーこの、汚らわしい人間めが」
「ーーッぎあぁ!」

 エミディオがそう言い放つのと同時に、男の首を手で突き飛ばした。そうしてよろけた所で、彼は思い切りその股間を蹴飛ばす。すると男は、悲鳴をあげて床に這い蹲り、どうにか這いずりながらも逃げようともがいたのだった。
 エミディオは、そんな男の些細な行動全てが癪に触って、逃すものかと男の上に飛び乗った。男の頭を脚で踏んだ途端、聞こえた悲鳴に形容し難い不快感を覚える。その時にエミディオが思わず口を開いたのは、それをどうにか解消する為の手段でしかなかった。相手の気持ちだの思いやりだの、そんな心は最早、エミディオには無い。

「全くもって堪え性の無い、チンケな男よ。内蔵から何から邪気に焼かれて尚、小一時間も悪魔の襲撃に耐え忍んだこの私を愚弄する気か?それで私を蹴落としたつもりか?救い様のない畜生めが」
「っよ、寄るなバケモノォ!」
「……よく、分かったのぉ。そうだ、最早私は人ではない。悪魔に心臓を食われてしまったぞ、お前の所為で。最早私の意思で死ぬことも許されん。最早私に人の心はありなん。ーー貴様の所為よ」
「ひぃぃっ!」

 言いながら徐々に脚に力を加えていけば、そこから悲鳴が上がる。思った以上の不快感に、このまま頭を潰してしまおうかと、エミディオはそこまで考えていた。
 だが不幸な事に、そこで邪魔が入る事になった。

「ッエミディオ、ダメだよ!」

 その不幸は、エミディオにとってなのか、それとも彼の人間にとってなのか。その両方なのかもしれない。
 その瞬間に、エミディオの腕が誰かに掴まれる事になった。思いがけない横槍に驚きエミディオが顔を上げれば、そこには黒髪の青年が居た。自分と然程変わらない年齢であろうその青年は、男の上に乗りあげた彼を、真っ直ぐに見上げていた。その薄茶色の目の中には、青年をギロリと睨み付ける化け物の姿が映し出されていた。

「ねぇエミディオ、僕、君が亡くなったと聞いて、本当に、どうしようもなく悲しかったんだーー」

 その、目の前でしゃべってくる青年を、エミディオは何の感情籠らない目で見つめる。知らない人間に何を言われても、エミディオには何の感情も浮かばない。

「ーー僕も、××××も、そんな君が大好きだったんだよ……君が大切だったんだよ……、だから、元の優しいエミディオにーー」
「お前は誰だ」

 それ以上の時間を何の関係もない男の為に無駄にするつもりもなく、エミディオは一言、そう告げた。途端、周囲がーーエミディオに踏まれ悲鳴を上げていた男でさえもが、息を呑んだ。

「……ぇーー?」

 戸惑うその青年の声を耳にしながら、エミディオは伸ばされた手を冷たく払い除ける。力を無くした彼の手、はするりと落ちていった。

「エミディオ……一体、何を言っているんだーー?」

 再び聞こえた己の名に、エミディオはそちらへ振り向く。だが不思議な事に、その者の顔をエミディオは見ることが叶わなかった。
 何故だろうか、その者の顔には身体には、真っ黒い靄がかかっている。その顔も姿も認識する事が出来ない。そのような事など初めてで、目を凝らして見たりするのだが、一向にその姿を認識出来ない。そしてふと、ある時これはそういうものなのだと、エミディオは漠然と理解したのだった。
 すると忽ち興味が失せ、エミディオはそちらに目もやらずに冷たく告げる。

「貴様も私の名を気安く呼ぶでない。その名は主のものだ、貴様のような人間が呼んで良い名ではない。ーーすぐさま忘れるがよい」
「っ!」

 再び、示し合わせたかのように一斉に息を呑む声が聞こえた。誰も何も喋らずに沈黙が走る。エミディオが全く別のモノへと変わってしまった事を目の前に突き付けられ、誰もが言葉を失ってしまったからなのだが。しかし、その当事者であるエミディオは、そんな事を気にも止めない。

 そん時だった。
 突然、エミディオは自分が空腹であることに気が付いた。サタナキアより告げられていた時間よりも、かなり早い段階での空腹にエミディオは少しばかり驚く。余程緊張でもしたのか、それとも感情を露わにする事に疲れたのか。恐らくそれは後者なのであろう。こんなモノのためにこのように力を浪費して、自分は何と無駄な時間を過ごしてしまったのだろう、そんな事をエミディオは思っていた。

 だが同時に、エミディオは少しだけ焦りを覚えていた。サタナキアは人間界に来て直ぐ、神殿で人の血肉を食らうなとエミディオに忠告してきたのだ。もしそのような事になれば、エミディオは神殿に張られた結界によって、そして神官達によって唯の悪魔として屠られてしまうと。
 それを想像してしまうと、エミディオは忽ち心細くなる。そして同時に、サタナキアの元へ、彼の庇護下へと戻りたくなる。そもそもが、余り長い間主人を待たせる訳にもいかない。だからエミディオは言う。

「もう、気も済んだ。遊ぶのは止めだ。お前達にももう、二度と会うこともなかろう。私は人間を忘れる」

 ふらり、呟きながら男の上より降りて、出口へと向かう。シンと静まり返った中で、その声は良く響いた。その足取りが少しばかりふらついていた事に、どれだけの人が気付いただろうか。最早、彼は空腹で仕方が無かったのだ。早く、サタナキアの元へ戻りたかった。

「っま、待って!」

 そんな状況だと言うのに。立ち去ろうとするエミディオの前に、阻む者が現れた。先程の黒髪の青年だ。彼はエミディオの目の前に立ち塞がり、何処か必死な顔でエミディオを見つめてくる。神力を誰よりも強く纏う、人間。その顔をどうしてだか、エミディオは見たくない。

「私は腹が減っとる、早う帰らねば」
「ねぇ、本当に、僕がわからないの?」

 必死そうにそう言って、青年はぐいと顔を近付けてくる。咄嗟にエミディオは退け反ろうとするも、逃さないとばかりに両肩を掴まれそれすらも叶わない。空腹やら焦りやら、香ってくる旨そうな芳香やらで、それに抵抗する力も、今のエミディオにはない。

「離せ」
「嫌だ!だって、エミディオ、わすれちゃ嫌だよ、ーーがーー、ーー」

 腹が、減っているのに。拒否を前面に押し出して遠ざけようとするも、その青年は心底諦めなかった。同時にエミディオは、自分の意識が段々と遠のいていくのを感じる。
 空腹で仕方が無かった。目の前の人間から、とても美味しそうな、極上の匂いが香ってくるのだ。このまま欲望に任せて食らってしまいたい。けれど、何処かでそれを警告する声が聞こえるのも事実で。何とか食欲を押し留めるも、段々とそれが難しくなっていく。
 今のエミディオにとっては、食欲を満たす事が最優先。そうしてとうとう、我慢ならなくなったエミディオは、青年の首筋に食らい付かんとして大口を開けるーー

「馬鹿野郎、そんな人間の血肉を食らう気か」

 突然、背後より聞こえた声に驚く間も無く、エミディオは伸びて来た手にその口を塞がれた。そうしてぐいと背後に引かれると、その胸元に抱きとめられる。上を向けば、そこにはいつものサタナキアの姿がそこにあった。途端、エミディオはその緊張が一気に緩むのを自覚した。そして、幾らか余裕のできたエミディオは、いけしゃあしゃあと言ってのける。

「ーーなーんじゃ、元の姿に戻ってしまったのか……アレはアレで随分と愛らしいのに」
「お前……この俺がわざわざ来てやったのに、その言い草はねぇだろうが。お前の暴走を止めてやったんだよ、ありがたくおーーーー」
「私は腹が減った」
「…………」
「のお、サタナキア、腹が減ったのだ」

 瞬間、大きな溜息が吐かれる。こんな状況下で、そのような事を言うものではないとはエミディオにもわかっている。だがしかし、見境無く襲いそうな程に空腹である事には違いないのだ。誰彼かまわず齧り付いてしまいそうな程に、エミディオは空腹だった。

「っ悪魔!上級悪魔だ!」
「皆の者落ち着くのだ!臨戦態勢にーーーー!」

 俄かに騒ぎ出した周囲を不快に思いつつ、エミディオはひたすら食事の要求を続けた。最早外野が何を言おうとも、エミディオにはサタナキアの姿しか、目に映ってはいない。主人しかその目で見ないよう、サタナキアによって造り替えられてしまった。

「囲め囲め!」
「ーーっエミディオ!」
「神子様ッ、陛下も、お下がりください!」
「待ってろ、先ずは此処をーー」
「のおサタナキア、腹が減ったというに聞こえておらんのかーー」
「……分かった分かった!全くこんな時だというのに……オラ、手をやるから少し待ってろこの小悪魔めが」

 とうとう観念したサタナキアはそう言って、自らの人差し指を牙で引っ掻くように噛む。すると途端に、その指からは真っ赤な血が、ドクドクと流れ落ちた。甘い芳香香りたつ、生命の躍動溢れる魅惑の液体。エミディオはそれを目にした瞬間、目が離せなくなった。早く早く、それが欲しくて堪らない。そんなような切ない表情で、エミディオは主人の許しを待つ。

 かくしてその指は、主人のサタナキアによってエミディオへと差しだされた。待ちに待った欲望の満たされる瞬間に、エミディオはいやらしく笑う。そしてその指を、彼は喜んで口に咥えた。その口から伸びる舌が、艶かしく悪魔の指へと伸びる。その様を見せ付けられた何人かが、ゴクリと生唾を呑み込んだ。

「ったく、こんなとこでよ……おい、人間共よ」
「っ!」
「てめぇらには感謝しねぇとな。こんな極上の人間を、あの世界に落としてくれて。しかも神官長だったなんてよ、普通なら考えられなーーうーわ……てめぇ、帰ったら覚えとけよ…………最早コイツは俺様ーー悪魔大将軍サタナキアのモノだ。触れる事も見る事も許さねぇ。しかと見届けておけ?エミディオの最期の姿、貴様らによって悪魔の眷属にされた神子の末路だ」

 言いながら、サタナキアは嘲笑を浮かべ食事中のエミディオの頬を舐め上げた。今やこれは自分のものだと見せ付けるかのように。自分達の犯した過ちが、一体どれ程の損失を与えたのかを彼等に思い知らせるかのように。悪魔大将軍サタナキアは、人間達に示して見せる。

 サタナキアの腕の中にいるエミディオはといえば、そのような中でも欲望のまま、食事に夢中になっている。時折角度を変えながら、恍惚とサタナキアから流れ落ちる血液をひたすらに貪っている。頬を赤らめ血を啜るその様は、時折チラチラと見える舌と相まって、全く別のモノを連想させる。実際、サタナキアはエミディオと繋がりながらもその身に流れる血液やらナニやらを飲ませる事もあったのだからあながち間違いではなかったりするのだが。
 こんな状況下だと言うのに、敵の眼前だと言うのに、連れ去られるエミディオのそんな姿に目が逸らせなくなった人間が、一体何人居た事だろう。

「じゃあな、クソ共。俺様に犯されるコイツの姿を想像してマスでも掻いてろ」

 そうしてサタナキアは、フワリと宙に浮き上がった。徐々に高度を上げながら、眼下の人間達を見下ろす。そして、呆然と騒がしくも立ち尽くす人間達の表情を見ながら、歓喜に震えた。あのような絶望感、困惑、嫉妬、そして情欲すらもが、サタナキアに力を与えるのだから。

 喉の奥でクツクツと笑いながら、サタナキアはエミディオに言う。

「お前エロすぎだからよ、またメシやりながらヤッてやるかんな」
「この変態めが」
「…………」

 サタナキアは、唐突に繰り出されるエミディオの暴言に一瞬言葉を失うも、しかし彼は悦んでその行為を享受しているのを知っている。エミディオが口ではどんな事を言おうとも、欲望には逆らえないのだ。悪魔とは得てしてそう言うものである。

「ーーほら見てみろ、てめぇの世界だった人間達だ。後悔と恐怖と絶望に歪んだあの顔よ。無様、そして愉快」
「あれらが私の生前の?……もう欠片も思い出せんわ」
「そりゃそうだ。そんなモノお前には必要ねぇんだからよ。……さて帰るぞ、抱えているとは言えつかまっとけよ」
「お手柔らかに」

 サタナキアの声と共に、二人はその場から姿を消した。完全に消えるその直前、エミディオは誰かの叫び声を聞いた気もしたが、サタナキアの手に再び口をつけた彼が気にする事は無かった。とうとう忘れてしまったエミディオには、父母の事も王の事も何も分からない。人間に対する感情の一切を、エミディオは無くしてしまったのだった。



 以降、神殿には深い悲しみと絶望が訪れ、その男を惜しむ者達が大勢、どうか彼をお救い下さいと天に祈ったのだという。その願いは決して叶う事はないというのに。

 既にサタナキアと同じものになったエミディオにとって、人間達は唯の生き物でしかない。時折呼び出される事になった人の世で、見知らぬ人間に名前を叫ばれる事にも、エミディオは何の感情も浮かべる事はなかった。

 ただ一つ不思議なことに。靄に覆われたその男の姿だけは、エミディオが再び目に出来る事は二度となかった。
 エミディオにとってそれが、人を思い出してしまう唯一無二の存在だったなんて、サタナキアは決してそれを教えなかったし、関わる事すら許しはしなかった。その人間達が短いその生を終えるまで、それらはずっと続いたのだった。





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