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01



 自分の人生は中々波乱に満ちて居たと、エミディオは思っていた。


 王の嫁と成るべく、幼き頃より禊を欠かさず、肌の手入れも髪の手入れも念入りに行ってきた。母親の協力を得て食事にも気を使い、口に入れるものには全て祈りが捧げられた。聖人として恥ずかしくないよう神力も磨き、誰にも負けない気高さを自負していた。完璧だったのだ。
 これならば、国の王にもご満足いただけるだろう。自分を始め、時期神官長として有力な父も、美しく慈愛に満ちた母も、王の寵愛を賜るであろうと疑いもしなかったのだ。

 エミディオが信じられない知らせを耳にしたのは、彼が若干15、あと一年で王との婚礼の儀を迎えるというそんな時であった。

『神子様が天より降誕なさった』

 その知らせは、あっという間に国中を駆け巡った。そして、人々は王と天より現れたその神子との婚礼を切望したのだ。王がかの神子を妻として迎えれば即ち、国は天の御加護を受けられると。

 エミディオにとっては正に、寝耳に水であった。彼は王と生を共にし、王の役に立つ事を目的として生きているのであって、あんな突然現れたちんくしゃに取って代わられるようなそんな軽い男ではないと、そう信じていた。
 悔しくて仕方なかったエミディオは、王城へと直訴を申し出たりもした。そして何度も通い詰め、件の神子とやらに恨み言を吐く事もあったのだ。だがその内に、彼は悟ってしまった。
 王はかの神子に本気であるという、そんな残酷な真実を。二人は会って間もないだとか、エミディオ程煌びやかな美しさはないだとか、色々と言える事はあった。だがそれでも、二人の絆は深かった。

 負けた。
 エミディオはその日、人生で初めての負けを悟ってしまった。

 エミディオが負けたのは良いとしても。しかし、彼の王に娶られるべく行ってきた全ての努力が一気に水の泡と化した。神官として地位を堅固なものにしていた父もまた、彼の敗北に倣うようにどんどん落ちぶれていった。最早王城には顔を出すまいと、彼がそう宣言した辺りからだろうか。エミディオの父は精神を病み、そして間も無く。この世を去った。
 エミディオも母も、深い悲しみに囚われた。エミディオの王族入りどころか、父の出世話すらも消えて無くなってしまった。一流と名高かった家はあっという間に没落し、愛する人すらも失った。親族は元より味方では無い。結局、エミディオに残されたものはたった一人の家族だけとなってしまった。
 彼の父は、とても良い人だった。故に、他のライバル達からの執拗な攻撃に耐えられなかったのだろう。何と愚かで可哀想な父だろう。かつてエミディオがそうしたように、虎の威を借りるような事でも何でも、利用すれば良かったのに。父の優しさは結局、家族を危機へと追いやった。かつては決してそんな事など思わなかった筈なのに、その時エミディオは内心で父を心底憐れんだのだった。

 だが同時にその時、エミディオは決意した。父を奪ったかのライバル達から、その地位を奪い返してやろうと。そして、相変わらず哀しみに暮れる母を喜ばせ、そして今度は自分の方が養っていくのだと。
 そうやって、エミディオは見習いの神官として、古巣の神殿に腰を下ろす事を決めた。何とかして蔑み蹴落として来ようとする方々のやっかみに耐え、いっそやり返し、奮起した。それが、エミディオが16に成った年の冬の事。本当であれば、王の妃として娶られる年の事であった。

 それから様々な出来事と試練を乗り越え、エミディオは3年後、めでたく神官長として役を賜る事となったのだ。喜ばしい反面、王や神子に会うようになると思うと何処か憂鬱な気分になったのは言うまでもなかった。世話をされ、何も考えなくても良かったかつての子供だった頃とは違い、様々な責務と圧力が、エミディオを蝕む。

 神官長として挨拶に出向いたエミディオは、久しく会う王と妃に大層驚かれた。王には彼の家の事を心配されるも、エミディオは適度にはぐらかしつつ、彼の母は元気であることを端的に伝えた。父も死に何年も経っているのに何を今更、と珍しく反抗心が湧き出る。彼の母だって、心労から老け込み病を患い、先は短いという。そんな没落した家族の事を今更聞いて、一体何のつもりだろうか。エミディオは極自然にそんな事を思ったのだった。


 それから数ヶ月後の事だった。突然、エミディオの元へ、不吉な予言が舞い降りたのだ。

『世の楔が千切れ、深い悲しみが国を襲うであろう』

 この予言を受けたのはエミディオだった。通常、予言には事の起こりを示す暗号めいた御告げがあるものなのだが。この時ばかりはそれっきり、『深い悲しみ』の先が予言によって語られる事はなかった。それは他の神官達でも同じ事で、首を傾げ不安に駆られながらも、彼等はいつ来るかも何が起こるかも分からないそれに、万全の準備を整える事しか出来なかった。
 神官達はこぞって祈りを捧げ、禊を行い神力を蓄える。如何なる災厄とはいえ、この国の強固な神殿の力さえあればどんな予言も乗り越えられると皆、楽天的にも信じていたのだ。


 そんな災厄の日の訪れはすぐだった。
 各地に散らばる地方神殿の一つ、最北端にあるそれの結界に異常が見られるとの知らせを、エミディオはその日受け取った。予言の話もある。当時一番と言われた神力の使い手であるエミディオも、当然ながらその調査に同行をする事となった。
 現地に到着して、エミディオはすぐに気付いた。結界の綻び程度の話では無い、この地には時空の亀裂が発生していると。
 時折この地では、時空が歪み悪魔達の巣窟に繋がってしまう事があった。時空の亀裂が拡がれば、漂うだけで人に害を及ぼす邪気と共に、数多の悪魔がこの地にやって来ると言われている。実際、飛び出てきた悪魔に神官達が犠牲となる事も少なくなく、見つけ次第一刻も早く塞ぐのが神官達の役目でもあった。

 神官長たるエミディオはすぐさま命を下した。結界と時空の亀裂の修復をせよと。
 結界の修復は、然程手のかかることでは無い。一般的な神官達でも務まる役目だ。エミディオは、彼の駐留する中央神殿より同行させた神官達を結界の修復へと回し、一方で時空の亀裂の修復には熟練の神官達を連れてエミディオ自身も赴く事となった。

 結界の修復とは違い、間違いなく神力を喰う時空の亀裂の修復は、万全を期して保有量の多いエミディオが中心となって執り行う事となる。
 予言の事もある。亀裂を目の前にしたエミディオは、その邪気の禍々しい事に眉根を寄せながらとっとと終わらせるべく、急ピッチで儀式を進めたのだった。

 あと一言、祝詞を紡ぐだけで終わる神聖な儀式の終わりに。それは突然妨害された。

 目を閉じ、神力を注ぎ続けていたエミディオの背を、突き飛ばす手があった。
 儀式の途中だったのだ。無防備にも、身体は前へと押し出され、亀裂の隙間へと上半身からゆっくりと倒れて行く。息も止まらんばかりに驚き、何の抵抗も出来ずに飛び込んでしまったエミディオは、地面に手を着いた途端、その場に充満する邪気を多量に吸い込んでしまう。
 地面に叩き付けられ、咳き込みながらも何とか振り返ったエミディオの目には、邪悪に歪むとある神官の顔が飛び込んできた。亀裂が閉じ切る間際、エミディオはその男の声を耳にした。

「貴様の意思は私が継ぐと伝えておこう。こうなるならば一度、貴様を犯しておくべきだったな」

 それが、エミディオが最期に聞いた人間の言葉だった。眩い光を放ちながら綺麗に修復されていく亀裂を眺めながら、エミディオはその場に立ちすくんだ。

 逃げ場もない、助けも無い、絶望しかない今のエミディオに、唯一残された道は【死】、それのみであった。

 生まれてこの方、一日も欠かさずに神気を蓄え続けてきたエミディオは、邪気には多少の耐性がある。しかし、それは人間界に限ったことであって、邪気の充満する悪魔の世界では神力の有無なぞほとんど無意味なものであった。
 邪気にこそ満たされた世界に放りこまれれば、いくらエミディオ程の神官とは言え、多目に見積もっても持って小一時間。神力が尽きれば、これ即ち瞬く間に悪魔達の餌と成り果てる。逃げ道なぞなかった。


 徐々に苦しくなってきた呼吸と、喉の奥から込み上げてくる血臭を感じながら、エミディオは悪魔の世界をゆっくり進んでいった。空はどす黒く木々も緑もない。平地と岩山と、血の川が続く物悲しい所だ。時折襲ってくる悪魔を蹴散らしながら、物見遊山でもするかのように、彼は一人とぼとぼと歩いた。一人は平気だ。エミディオはいつも一人だったから。

 そうして見て回ることで、エミディオは一つ合点がいく。この空間が、途方も無く寂しい所であって、成る程、悪魔達が地上に出たがる気持ちも分かるような気がする、と。そんなような取り留めのない事を考えて、エミディオはひとりぼっちで進む。何かを考えていないと、抗うことも出来ない恐怖に押し潰されそうで、兎に角何でも、頭を過ぎるものを片っ端から考えていった。一歩一歩、ジワジワと近付いてくる【死】を考えないように、誤魔化すように。

 気付くと、エミディオはその場で崩れるようにへたり込んでいた。抑え切れなくなった邪気に焼かれ、ゴボゴボと血が滴り落ちてくる。エミディオは苦しかった。こんな事ならば、とっとと悪魔にでも何でも喰われてしまえば良かった。そうは思えども、神子として神官として、常に悪魔達との戦いに晒され続けてきたエミディオは。この死地にあってさえ下らない何の足しにもならないちっぽけなプライドを、無意識に護ろうとしてしまうのだった。

 エミディオが膝をついた途端、攻撃を警戒しつつもグルグルと喉を鳴らした悪魔達が周囲に集まる。どれもこれも醜い姿のものばかりで、こんな奴等に喰われるのは癪だなぁなんて、贅沢な事をエミディオは思う。さて、どの畜生が自分という馳走を手にするのだろうか、ぼんやりと頭の片隅で揶揄ってやりながら、エミディオは足掻こうとした。

 その時突然、ふと気付く。彼の元へゆっくりと、真っ黒い獣が目の前に近付いてくるのだ。その獣は悪魔達からしてもどうやら別格の存在のようで、ソレが通るだけで自然、路が開いた。
 悪魔にしては毛並みの良いそれは、彼ら悪魔達の中にあっても理性を感じさせた。涎を垂らすこともなく、真っ赤な眼が6つ。なる程これは、連中の中にも随分とマトモなのも居るのだな、そんな事を思いつつもエミディオの口は無意識に弧を描いた。コレに喰われるならば文句もない。
 地獄のブラックドッグは、地上でも神官達にすら恐れられているから。例え、何にエミディオが喰われる事になるのかを人間達が知る事は永久に無いにせよ、終わらせる瞬間位は選びたいとエミディオは思うのだ。
 誰にも知られずに死んでいくその恐怖に全身を浸しながら、エミディオは最期の抵抗を試みるべく震える利き腕を目の前に突き出した。その時だだた。

「何事だ」

 エミディオは最早朦朧とする意識の中で突然、聞き間違いかと思うほどハッキリと人の声を聞いた。
 このような所に人間など存在出来る筈もない。ならば声の主は悪魔であるはずだ。とは言え、人型の悪魔が存在するなど、エミディオは聞いたことがなかった。彼が未だ年若いからか、それとも彼が他の神官達に嫌われていたからか、最早その原因を確かめるスベは無い。だがエミディオは、いっそこれは夢なのでは無いかとすら、この時思ってしまったのだった。

「何故人間がここに居る」

 霞む意識で、エミディオは近寄ってきたその悪魔を見上げた。そして純粋に思うのだ。このような場所にあっても、何と美しいモノがいるのだろうと。先ほどの真っ黒い悪魔も確かにそれなりではあったのだが、今目の前に立つ人型の悪魔程の存在を、エミディオは今までに見たことがなかった。その衝撃に、今し方何をしようとしていたかも忘れ、エミディオは惚ける。既に限界はとうに過ぎており、意識が朧げなせいもあるかもしれない。
 それでも確かに、エミディオはかつてないほどの衝撃を受けていたのだった。
 その間も、彼の口端からはボタボタと引っ切り無しに命が零れ落ち、衣服やら地面やらを赤黒く染め上げていた。

「おい人間、貴様、何しにここへ来た?肺が爛れーー」
「そなたはあくまか?」

 エミディオは声を上げた。人と話すのは随分と久々な事のように錯覚してしまう。つい小一時間前までは、普通の暮らしをしていたと言うのに。此処での出来事は、エミディオの記憶をすら曖昧にするらしかった。

「ほんに、うつくしい……」
「あ?」
「ひとがたのあくまは、はじめてだ……だれも、おしえてはくれんかった……そうだ、そとにはでたこともない……」
「……人間、貴様死ぬと分かってなぜここに居る」
「なぜ?ーーーーああそうだ。あやつ……わたしにしねと、いったの…………それならいっそ、おぬしのようなものが、いい、どうせたすからん。ーーおぬし、ひとのにくは、くうか?」

 最早、エミディオは足掻く事も忘れてしまった。自分で何を言っているのかすらも解らず、まるで独り言のように呟く。最期の力を振り絞り再び腕を上げると、悪魔が眉根を寄せたのが分かった。しかしその悪魔は、既にエミディオに反抗する力すら残されていない事を分かっているのか、抵抗する事は無かった。
 段々と顔を近付ける事で、その悪魔の色がはっきりとエミディオにも見えるようになる。人のそれとは違う、冷徹な美しさを孕んだその容姿もさることながら、浅黒い肌に光る赤い眼と銀色に輝く髪は、何故だか酷く惹かれた。
 そしてエミディオは、ゆっくりと近くにあったその首筋に震える手を添えると、ぐいと自分の方へと引き寄せた。最早引き寄せる力も弱々しかったろうに、悪魔はまるでその首を捧げるようにエミディオに従った。誘うように、口と口がつきそうな距離まで近付いてから。
 エミディオは朦朧とする中で言う。

「わたしを……く、ろうては、くれんかーー?」

 ギラギラと鈍く光るその赤に血に濡れた自分の姿が映し出されたのを見て。それっきり、エミディオはその場で気を失った。
 これで、自分は死んだのかもしれない。そんな事を最期に思いながら、苦しみも何もかも忘れてエミディオはようやく安らぎを得たのだった。





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