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07



ガチャリ、オートロックの閉まる音を聞きながら、僕はようやく正気に返った。気付けばそこは、見慣れた僕の自室で、寝室のカーテンの隙間からは、夕焼けの光が漏れているのが見える。一体僕はどうやってここに戻ってきたのだろう。僕は本当に全く、覚えていなかった。それでも、気分はザワザワと落ち着かなくて、ともすれば涙すら溢れてきそうだった。

『ーーマサキはシノの信頼を裏切ってる!』

徐々にハッキリとしてきた頭で、じわじわと嫌な事を思い出してくる。あの時僕は、さくらがわに全部言われた。指摘されてしまった。何もかもーー僕のしている事はみんな、悪だと。

『全部、打ち明けるべきだーー』

そんな事、最初から分かっていたのだ。僕はずっと、シノを騙し続けてきた。シノを騙し自分を騙し、僕は僕の平静を保ってきた。勉強なんて大嫌いだし、いい子ぶってハイハイと他人の要求を聞くのも嫌い、頼むくらいなら自分でやって欲しい、何でそんな事も出来ないの、何で僕に押し付けるの、何でそんな事も分からないの、どうしてーー僕はこんなに頑張ってるのに、その努力を誰も分かってくれないの。

七海ならできて当然だよね、流石七海だよ、次も期待してるよ七海、お父さんとお母さんみたいに成れるように頑張るんだよーー僕は僕のやりたいようにやりたいのに。



ズルズルとベッドまで進んで、枕を鷲掴んで抱える。言われてしまった事が悔しくて、苛立ちをぶつけるように頭を押し付ける。ギリギリと枕を締め付けて居ると何故だか、目頭が熱くなった。ここまで我慢、していたのに。

『ーー僕の事なんか何も知らない癖に、知ったような口を聞くなーー!』

思い出せば思い出す程腹が立って、僕は鳴り止まないスマートフォンの電源を切って部屋の隅に思い切り投げ付ける。当然、バシンっという音と共に壁に当たって、それは床に落ちた。壊れただろうか。それでも構わないや、僕は震えながら頭を枕に押し付け続けた。

『ただずっと、傍に、居られればっ、ーー』

泣きそうになったのはその一瞬で、僕は咄嗟に、その場から逃走したのだ。言い逃げとでも言えば良いのか。地頭の良いさくらがわの事だ、その言葉の意味を、もしかしたら彼は分かってしまったのかも知れない。じわじわと瞠目していった彼の表情が、ずっと瞼の裏に焼き付いている。負け犬の遠吠え。まさに、そう呼ぶに相応しい台詞だったろう。



グズグズと鼻を啜りながら、僕は色々な事を思い返していた。もし僕が、シノに打ち明けるとしたらどのタイミングが良かったのだろうか。中学で初めて人を殴った時?それともこのバーに連れて来られた時?いやそれとも、学校の友達を紹介した時がそうだったのだろうかーー。考えてももうどうしようもないのに、僕は今更ながらただただ妄想していた。

そんな時の事。突然、部屋のチャイムが鳴り響いた。優等生ーー学年首席の僕には、小さいながら個室を充てがわれている。何でも、学年ランキングの上位3名までは同じような扱いで、勉強に勤しめるように、との制度らしい。他の生徒はほとんど二人部屋で、互いによろしくやっているようだが。そもそも僕には、そんな環境なんて耐えられない。知らない人間がそばにいるだなんて、気の抜けない環境は苦痛だ。実のところ、そういう理由もあって優等生を続けてきていたのだが。今日ばかりは、それを不快に思う。僕に用のある人しかこの部屋には訪れない。同室者に用があるんだなと思い込む事も出来ないし、無視を決め込む事も難しいーーなんて事を考えながら、僕は居留守を決め込む。いつもの僕ならば、相手に悪いだろうという気遣いから、呼ばれればすぐに出るようにしていて、それはまさに僕のイメージにぴったりだった。だが今の僕は誰にも、それこそシノにすら会いたくなかった。

三回、四回、チャイムは鳴り続けた。しつこい、僕はそれを不快に思いながら、相手が諦めるのをジッと待ったのだった。十回程鳴ってからだろうか。ようやく静かになった部屋で一人、僕はホッと息を吐き出した。別に、どうせ部屋に入ってこれやしない。僕はゆっくりと、体に入っていた力を抜いて思考に戻ったのだった。

しかし。やはり現実は、そうそう甘くはないのだ。

ガチャン、安堵していた僕に不運を告げる音、それは部屋の鍵が開いた音だった。何で、どうして、誰かが部屋に侵入してくる気配を感じながら僕は緊張で震えた。こんな時に一体誰が、そんな事分かり切っているのに理解したくなくて、僕は回らない頭で逃げる事ばかりを考えた。

「おいナナ!?ーーっお前、大丈夫なのか?シュウから、連絡があって……」

開けっ放しの寝室の扉から勢い良く入ってきたのはそう、最初から分かっていた、この部屋のスペアキーを渡したのはただ一人。シノしかいない。

「ナナを探せって……様子、見てやってくれってーー」

一番気遣って欲しくない人と一番今の僕を見て欲しくない人が結託して、僕を追い詰める。すぐに出ていって欲しいくらいであるのに、僕以外の他人を一番に思ってる僕の大好きな人は残酷に、僕に構うのだ。

「大丈夫だから。今だけだから、大丈夫」

顔を枕に埋れたまま、僕は言うけれども。シノの性格を知っている僕は、このまま彼が引き下がらないのを知っている。

「お前……そんな訳、ないだろ、だったらシュウが連絡してくるはずない」
「っいいからーー!」

腕を掴まれて振り払っても、シノは諦めない。僕と同じで負けず嫌いで意地っ張りで、ーー僕と違って他人思いだから。

「ナナ」

それとおまけに、シノは何でも出来る人間なのだ。僕とは違って、それこそ何でも器用にやってのける。だから僕は、いつだってシノには敵わない。

「!」
「お前泣いてたろ」

枕を取られて腕も取られた僕は、シノの困ったような、怒ったような顔を目にしてしまう。咄嗟に背を向けるけれども、シノは許してくれない。

あっという間に両腕を取られて正面を向かされる。しかし僕だって、こんな時に意地の張り合いなら負けちゃいられない。腕を使ってシノを遠ざけながら、顔を見せまいと下を向く。

「おい、意地張るなよ……何で泣いてんだ、何があった」

僕は無言で、首を横に振り続けた。

「誰かに何かされたのかよ、なぁ!ーーもしそうなら俺が許さない」
「っ違う!何でもない、だから、ほっといてよ!一人にして!」
「シュウに連絡されといて、放っとける訳ねぇだろ!」

シュウが、シュウが……シノに付いて回るその名が、僕を一層意固地にしていた。絶対に喋ってやるもんか。僕はこんな所で人一倍の負けず嫌いを、発症していたのだった。

そうやって二人とも譲らず、我慢比べに差し掛かっていた、そんな時の事だ。

「おいっ、一体何がどうなってんだよ……」

ふと聞こえてきた声に、僕もシノも驚いて、動きを止めた。チラリと目を向けるとそこには、シノの向こう側には、不良のーーレイジの姿が見えたのだ。
僕はその瞬間に、何故だかひどくホッとしてーー

「っおいナナ待て!」
「はっ!?」

シノの隙をついて駆け出す。レイジの腕を引っ掴んで、僕はその場から逃走した。兎に角何でもいい、シノのそばから、僕は逃げ出したかった。レイジは一年生、彼の部屋は僕らの下の階。レイジを強引に引っ張りながら、僕は滅多に使わない階段めがけて駆けて行った。

「アンターー何があったんだよ」
「へや」
「あ?」
「レージのへやどこ」
「何で」
「いれて……シノからかくまって」
「…………理由、ちゃんと話せよ?こっちだ」

短く要求を伝えて今度は、僕がレイジに引っ張られながら、二人して全速力で駆けて行った。そうして、廊下を歩く生徒達に驚きの表情で見られながら、僕らは逃げるように目的地へと入って行った。






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