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02




「気が付きましたか?」

目を開いた瞬間に聞こえた柔らかな声に、俺の意識はフワリと浮上する。ぼんやりとした頭の中で考える。この愛おしいと思える声は一体、誰の声だったか。その声が紡ぐ言葉に俺の心はじんわりと癒されるし、聖母のような暖かな笑顔はこの命をかけてでも守り抜きたいと、いつも願っていた。俺はこの声の主を、知っているのだ。目線をそっとそちら側へやれば、いつもと変わりない、彼女の優しい微笑みが見えた。ああよかった、彼女は元気そうだ。視界の隅で、俺の右手に頬ずりする様子が見えた。
このひとときが、酷く心地好い。

「あまり邪気の影響を受けていないようで、私も安心しました。……貴方に、ずっと会いたかったーー」

彼女の絞り出したような声音に、胸がキュウと締め付けられるような思いがする。だが俺は分かっていたはずだ。自分の行動が、彼女をどれだけ不安にさせるか。俺はそれでも、離れる決意をしたのだ。ーー二度と、あんな事を、しでかさないようにと。騎士の称号を再び穢さぬようにと。

「俺も、貴女の身を案じておりました……二度と会えないと思ってーー」

ふとそこで気付く。そうだ、俺はあの日、彼女と永遠の別れをしたのだ。またあのような事態にならぬよう、祝賀ムードを破壊する邪魔者はこの世から消えて無くなってしまえば良い。そう、考えて。

「ーーッ!何で」

それを理解した瞬間、俺は飛び起きた。どうして俺はここに居るんだったか、頭の中で記憶が混同しているのが分かる。長いこと平和な夢を見ていたようで、しかし戦いの記憶はとうに色褪せている。姫様の安息を考えてここを出たはずなのに。俺はなぜ、この場所へ戻って来てしまっているのか。ズキリと痛む頭が思考を阻害する。酷い気分に頭を抱えた。

「陛下、お下がりください。魔力の消耗過多、それと、恐らくは邪気による一時的な記憶障害を起こしているように見受けられます」
「ッしかし!」
「貴台を再び傷付けたと知れば、悲しむのはこの男自身です」
「……大丈夫なのですよね」
「ええ勿論、私は神官長です。ーーそれに、この男とは長い付き合いですから……」
「では、任せます」

ぐるぐると、頭の中で同じ事を何度も考える。なんで、どうして、俺はここに居るのか、答えを見出せないまま同じ事を何度も。

「デイヴ、顔を上げなさい」

その時聞こえた、憎らしい彼の声に、俺はハッと顔を上げる。この男に聞けば事情が分かるかもしれない。俺は縋るように、霞む視界で男を見た。

それと同時に、彼は素早く俺の額に指先を突き付けてきた。ああそうだ、これには覚えがある。俺は少しだけ安堵しながら、彼のそれを待った。

「そう、落ち着いて。少々邪気を祓おう。意味は薄いが、回復も少しは早まるだろう」

言い終えるが早いか、彼の指先からジワジワと暖かい何かが身体の中に行き渡っていく。右目と右腕、そこだけにはどうしても行き届かずにしかし、身体の芯から癒されるようだった。

「右目を開けて」

言われて素直に両眼を開く。右目は相変わらず真っ暗で何も見えないけれども、気配でジッと見られているのが分かる。そのまま顎をとられ、グイと左へ向かされた。霞がかっていた思考は既に晴れ渡り、落ち着いて今の状況を判断できるようになっていた。そうだ、見覚えのあるここは、神殿の一室だ。

家を魔物に囲まれ転送をした先が、確か神殿だったはず。半ば招かれるように辿り着いたのは、神殿中央の地下にある泉。自然精気に満ちているあの場所は、回復力を高める事も出来る神聖な場所だ。泉の中央に着地した瞬間、俺はしてやられたと思ったのだ。一度に四人も運ぶなんて、そんな魔力の消耗が激しい事を普通はやらない。だから、あの男は俺が力を消耗するのを見越して、そこに降りられるよう指定したのだ。辿り着いた途端にその場で意識を失った俺は、敵わない、と男の憎たらしさを噛み締めていた。

ふと、男が呟く。それは久々に聞く彼の診断だった。

「邪気の流れが少々早まったか。定期的に観る必要があるかな。ーーそれにしても、20年前とほぼ変わりないなんて……全く、魔女は一体どんな手を使ったんだろうか。それが分かればこちらも苦労しないと言うのに」
「……だからこその【魔女】なんだろ」
「なんだ、もう正気に戻ったのかい」
「オカゲサマでな」

多少の嫌味を込めながら言えば、溜息を吐かれた。離れ際に軽く頬を叩いて行った彼は、何処か疲れを滲ませている。一人であの数の魔物と戦ったのだ、無理もない。内心で感謝を述べながらも、おくびにも出さなかった。そうしてすぐ、聞こえた声に俺の気分は瞬く間に高揚した。

「デイヴィッド!」
「ッ姫様……や、今は女王陛下になんのか」

癖とも言えるのか、無意識にベッドの上で片膝を立てこうべを垂れる。しかしすぐに、彼女の両手に顔を掴まれて上を向かされる。相も変わらず美しい女性が、そこには居た。

「ああ本当に、目の前に貴方がーー!顔を見せて」
「ちょっ!……こんなオッサン見たって、」
「いいえ、貴方だからこそ意味があるのよ。ーー精悍になったわね、あんなに……こ、若々しかったのに」
「今、子供っぽいと言いかけたな?」
「いいえ、気の所為ですわよ」

時折冗談を交えながら、話をした。昔を思い出しながら、取り止めの無い事をいくつも。昔救った少女が女性に成長し、そして女王と成った。その成長を喜ぶ反面、淋しさも感じたのだ。彼女は夫を城に迎え、子供も2人居るとか。その昔、僅かな時ながら想いを確かめ合ったからこそ喜びは大きく、そして、遠い存在になってしまったのだという侘しさもひとしおだった。そして、彼女は言った。

「ーーまぁそれにしても、貴方が養子をとるなんて。一体、どういう風の吹き回しでしょう」
「そうだ、アイツらは四人とも無事にーー」
「良く見なさい、先程からここに居りますよ」

クスクスと笑って、彼女が後ろに振り向けば、その先に四人の子供達が居る姿が目に入った。皆、目の前の出来事が信じられないのか、不安気にこちらの様子をうかがっている。ホッとした反面、今までのやりとりを見られていたとなると少々気恥ずかしい。俺は、彼らの緊張を解くべく、手を招くように皆を呼び寄せた。

「怪我はねぇのか?」
「ない」

一人一人、顔を良く見ながら全身を見ていく。そうやって、誰にも怪我が無いことを確認すると、俺は気が抜けてしまった。胡座をかくようにベッドに座り直すと、髪をくしゃくしゃと左手でかきあげた。

「大事ねぇなら好い……ったく、魔女も勝手だな」
「あらそうかしら?私の元に戻って来てくれたのだもの、私に言うことはないわ、私の騎士様。感謝しなくては」
「ッだが、俺はーー」

自分は危険を背負っている、それを三度主張しようと口を開くがしかし、それは俺の口に伸びてきた彼女の指先に阻まれた。

「分かっていてよ、デイヴ。貴方に植え付けられた邪気は取り除けるものではないわ。ーーでも、何処かにその方法があるかもしれない……。ねぇ貴方達、お父様は好きかしら?」

彼女は呼びかけるように子供達に問いかけた。皆、突然の事にギョッとして互いを見合わせるが、彼らは無言で、頷いたのだった。こんな時にばっかり好い子ぶりやがって。少しだけ憎らしく思いながらも、俺は内心では喜びを隠せなかった。血の繋がりは無くとも自分の子供だ、嬉しくないはずがない。

「そう。ーーなら、お父様が遠くへ行っても、長い長い旅に出かけても、貴方達は待っていられるわよね?わたくしと、共に」

子供達はその言葉にハッとした様子で、俺を見る。何も喋らないのが不思議であるがしかし、悲しみが見え隠れする。目は気持ちを雄弁に語ると言うが、確かにそうなのだろう、俺は溜息を吐きながらそんな事を思った。

「言ったろ、俺は悪い奴らを倒した英雄だって。大丈夫、また悪い奴らを倒して戻ってくるさ」
「お父さん、行っちゃうの?」

“お父さん”なんて滅多に言わないのに。俺は、マルコスの泣きそうな眦をそっと、拭うように撫でた。

「大丈夫、少しの間だけ、お父さんと離れ離れにーー」
「嘘よ」
「……シャロン?」
「勇者の案内って言っていたじゃない。そんなの、何年もかかるに決まってるわ!それに、昨日みたいな魔物に、沢山襲われるんでしょう?お父さん、昨日だって倒れたじゃない!止めて、お願い、行かないで」

縋るように、俺の腕を掴んだシャロンは最早、ほとんど泣いていた。涙をめいいっぱいためて、行かせまいと俺を真っ直ぐに見ている。いつも気丈に振舞っているがそれでも、シャロンは女の子なのだなぁとしみじみ思う。彼女を抱き寄せながら、そっと頭を撫でた。

「お前ももう大人だ、俺が居なくてもやれるさ。親離れしねぇとな」
「そういう問題じゃないわ!だって、だってーー!」
「シャロン。いつか別れは来るもんだ、大丈夫、俺は死にやしねぇよ。前だって大丈夫だったんだ、必ず戻る」
「っ約束破ったら、承知しないんだからね!」
「おっかねぇな……お前ら、レオナルド、アルフレッド、お前らも頼むぞ」
「…………」
「何だよ、そう睨むな」

苦笑して、不服そうに俺を睨みつけてくる2人を見やる。が、しかし。状況は思わぬ方向へと向かっていってしまう。

「半年後って、言ったよな?」
「ああ、そうだな」
「俺も行く!」
「レ、レオナルド?」
「ダメだ!俺が行く!」
「アルフレッドまで……、ダメだ俺が許さん!」
「そんなのズルいよ!僕もーー」
「ダメよ許さないわ!私が行くの!」

普通ここは、涙ながらに別れを惜しむ場面ではなかろうか。なぜだか、思いがけずとんでもない事になってしまった。結局、この話は保留という事でその場を収めるに至ったのではあるが。むず痒い気分やら不安やらで、俺は結局自分の事など考えている暇が無かった。こうしてはいられない。あと半年、何が何でも阻止しなければ。シャロンやマルコスは兎も角、レオナルドやアルフレッドならば本当にやりかねない……。二人のやんちゃぶりを知る俺だからこそ、それを危惧していた。そうして俺は、半年間の猶予期間を、別れを惜しむどころか、彼らの同行を阻止することに奮闘したのだった。






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