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06
「おいマァ、お前最近俺の扱い酷くね?俺何で今殴られたの」
「ムカついたから」
「…………」
一丁前に主張するぽちを鼻で笑ってから、僕は新しい煙草に火をつける。このバーで喫煙する人間は限られていて、実は、僕とリュー、そしてこのぽちだけであったりする。他の皆は意外と真面目で、未成年だから辞めとく、と拒否する者が多い。そんなだから、僕は煙草は遠慮しがちなんだけれども、気分によってたまーに吸う事もあったり。今日も今日で、ここ最近ずっと吸えなかった反動で、こうして我慢も出来ずに中身を減らしてしまう。そう、あの馬鹿がしつこ過ぎたのだ。どこにでも付いてきやがって、僕は屋上にすら近付けなかった。思い出すだけでむしゃくしゃする。
そんな事を考えつつ、新しく火をつけた煙草が半分ほど無くなった所で。僕はようやく本題に入る。ぽちは凹んだのか、床に正座して僕の様子をうかがって居る。よしよし。僕は少しだけ気分を良くして、口から煙草を遠ざけた。
「で、噂のリューはどこに居んの?いつもんとこ?」
「ああ、そうだ!今日来てんだよ!」
「きてるって、何が?」
「その恋煩いの相手、あの部屋に居るから行ってこいよ。で、最近ソイツに彼氏ができたとかで、アイツが突っぱねられててさ、機嫌悪いの何のって……」
何と!僕は運悪く、今日その相手のご尊顔を拝見出来てしまうらしい。一体どんな美人なのか。見た目通りに美女好きなマッチョが、一体どんな美人に心を奪われて居るのだろう。折角ここまで来たのだ、この目で確かめてやろう。僕は少しだけヤル気になりながら、口にしていた煙草をササッと吸い切る。
だがそれにしても、だ。ぽちといいその女といい、どいつもこいつも好き同士くっ付きやがって……僕は思わず舌打ちを打つ。
「全くどいつもこいつも……爆発しろ」
「あれ?そういやマァの好きなヤツってーー」
「シメてくる」
「うげ」
同じ可哀想な失恋者として、マッチョのみっともない所を見てやろうと、僕は立ち上がる。例の部屋へと続く扉目掛けて真っ直ぐに進みながら、同時に考えた。相手に縋っていそうなリューに向かって、僕は何を言ってやろうか。潔く諦めろと、そして僕らの失恋仲間になれと言ってやろうか。僕は少しだけ気を取り直して、足を早めた。
扉の前までくると、何やら少しだけ大きな声で話す様子がうかがえる。この無駄に好い声はリューに違いない。僕はふぅと息を吐き出すと、なんの前触れもなく思い切り扉を開いた。
途端に聞こえた言葉に、僕はあれ、と目を見開く。扉を開けた僕の正面に見えたのは、眉尻が思いきり下がった、リューの情けない顔だった。
「頼む、もう一度考えーー」
「だから、止めてって言ってんじゃん!」
顔は見えないが、相手は本気で嫌がって居る様子で。僕は咄嗟に、リューが無理強いをしていると判断して、思わずダッと駆け出す。別に、その僕の判断が間違っていたとしても、僕をここに呼び付けた張本人だ、むしゃくしゃしてやったと言えばそれですむだろう、だって僕だから。
一気に距離をつめた僕に、流石のリューも気付いて顔を上げるけれども。目を見開くリューに、僕は笑顔で、拳を振り上げたのだった。
「不順異性交遊禁止ぃー」
顔面にソレを食らって、流石のリューも平気でいられる筈がなくって。軽く後ろによろけたリューを鼻で笑う。そして、俯いて顔をおさえるリューを、僕は上機嫌で見下ろしたのだった。ザマァ。僕はリューに一発入れられた事に、ちょっとした達成感を感じていたのだった。
「あ、あの〜……」
そんなだから、僕は背に庇うようにした例のお相手の事をすっかり忘れてしまって。声をかけられてようやく、ハッとした。そうだ、僕は半分この人のご尊顔を拝みにきたのだ、そんな事を思い出しながら、聞こえたハスキーボイスを頭で反復する。すこし低めの声だ。僕はそんな事を思いながら、背後を振り向いた。
「ああごめん忘れてた。このアホに何かされーー」
と、続いた僕の言葉は、そのご尊顔を視界に入れた瞬間に、止まった。
まさかそんなのって、ない。僕は、同じくそれに気付いて目を見開いていくそのお相手を見ながら、サァッと、頭が真っ白になっていく感覚を覚える。
「マサキ」
「さくらがわ、くん」
互いに定着した名前で呼び合って、僕らはしばらくそうして見つめあった。僕は何も、考えられなかった。完璧に、見られた。僕の、裏の顔を。誰にもーーレイジ以外には誰にも見せた事のなかった、素行の悪い僕を。よりにもよって、彼に。
そんな僕らの硬直を打ち破ったのは、当然の事ながら、その場に居たリューだった。
動けない僕の背後からコッソリ近寄ってきたのか、突然首をグイと上に持ち上げてきた。仰け反る姿勢に、僕は思わずよろめく。そんな反転したような世界でも、リューは腹が立つほど高い位置から僕を見下ろしていた。
「幾ら何でも、不意打ちで殴る事ねぇだろうが」
若干赤く腫れた顔を不機嫌そうに歪めているリューを見ても、僕の動揺は収まる事はなかった。普段ならここで、僕はきっと不敵に笑って反撃する。言葉でもいいし、行動に移してもいい、そうやってバカをやるのがここでの僕だったから。
「…………」
だがしかし。今の僕には、そんな事をする余裕なんて持ち合わせていなかった。何も、言葉すら出てこない。上手い返しだっていつもなら造作もないのに。相変わらず、僕は肝心な時に役立たずだった。
「おい、マァ?何だ、どうした?」
「…………はなして」
「お、おお……」
さすがに僕の様子を変に思ったのだろう、すんなりと拘束を解いたリューは、無言で僕らを眺めた。僕らもまた、何も言葉を発することはなかった。
こんな気まずい沈黙を打ち破ったのは、やはりさくらがわの方だった。静かに、空気を割くように彼は言った。
「マサキ」
僕は答えない。
「なに、今の……それに、喧嘩、慣れてるだろ」
そうだ彼の言う通り。こんなナリで、僕は平気で人を殴り飛ばす事が出来る。体力こそ無いけれど、コツも知ってるし、何処を殴れば手っ取り早くぶっ倒れてくれるかも知っている。
遊び半分で鬱陶しい邪魔な連中を伸した事もあるし、やり過ぎて相手を病院送りにしてしまった事も、覆面でどうしようもない教師を襲った事だってある。中学生の頃の僕は、人生に疲れて頭がおかしくなっていたのだ。
小学校の頃の、僕の話。
その時僕は、自分の恋心の異常性を自覚し始めていたし、シノの頭の良さに嫉妬して、そして追いつけないのではないかという焦りも覚えていた。ずっと一緒であるという事はつまり、ずっと比べられるという事。何をやってもシノには敵わなくて、それでも好きで妬ましくて憎らしくて、僕の気持ちはどんどん荒んでいった。気持ちの低迷を示すかのように成績も伸び悩んで結局、僕はシノの行く中学の受験を、辞退したのだ。シノと同じ中学でやっていけるとは、到底思えなかったのだ。成績も然り、僕の心も然り。
そんな中、ずっとシノだけだった僕が公立の中学で知り合ったのは、今ここにいるリューやジロー、アキラ達。僕は彼らとイケナイ事をする事にどんどんのめり込んでいった。彼らはいたくやんちゃで、何も知らなかった僕に色々な事を教えてくれた。そういうやんちゃな所が、イイコちゃんでいた僕にとっては酷く新鮮だったのも、途中でやめられなかった原因でもあった。そしてもし万が一バレたとしても、優等生の僕が泣きながらごめんなさいすれば、お咎めなんかあるはずがない。すこし間違えちゃったんだな、ですむのだ。大人はイイ子に弱いから。僕はそんな、ずる賢い思考でもってそう確信していた。
それでも、その時の事を後悔なんてしてはいなくて。どうしようもなく最低だと分かっていても、僕はここが好きだった。イケナイ事をする、そんな冒険心が僕をシノから引き離してくれたから、僕の狭い世界を広げてくれたから、僕の心の救いになってくれたからーー。だから誰にも、僕の気持ちなんて、分かるはずがない。
「いつも、こんな所にーー?」
こんな所。
絞り出したように言い放ったさくらがわのその一言を聞いて、その瞬間に僕はカチンと何かのタガが外れるのを感じた。シノの事だとか今の学校の事だとか、そんな事が途端にどうでも良くなる。僕の拠り所を、貶された気がした。
「だったら何?ずっと前から、ここは僕らの家なんだけど。外部からとやかく言われる筋合いはない」
強い口調で威嚇するように言えば、彼は途端にたじろいだ。僕の威嚇は唯の威嚇じゃない、とここのオーナーには良く言われる。僕のそれは、ほとんど脅迫だと。僕は何でも構わなかった。
「おいマァ、お前知り合いなのか?」
そんな時突然、間に割って入ってくる声があった。僕らの話を折るーーあるいはこの空気を和らげるつもりもあったのだろう。落ち着け、そんな様子でリューは僕の肩に手を置いた。だがしかし、今の僕にとってそれは、苛立ちを助長するものでしかなかった。
「そうだよ知り合い。ーーだからちょっと黙ってて……っていうかこれ、全部丸々アンタのせいじゃんか!」
「いってぇ!」
「どうしてくれる!」
僕には全くもって邪魔な横槍であって、苛立ち紛れに蹴りを入れる。もうホントに、苛立って仕方なかったのだ。どうしようもない。何もかもうまくいかない。僕の願いが叶うことは絶対にないのだと、思い知らされた気がした。
「ねぇマサキ」
「何」
「シノはマサキがーー」
「っ言わないでッ!」
「!」
突然告げられた名に、僕はほとんど叫ぶように言った。シノは、こんな僕を知らないでいる。昔も今も、そしてこれからも。絶対に、知られたくない。他人に何をどう思われようとも。シノにだけは、知られたくなかった。
「シノは関係ない。だから言わないで」
「言ってないんだ?シノ、ーー幼馴染なのに?」
「…………」
「誰にでも優しくて面倒見が良くて、頼り甲斐があるって、聞いてたんだよ、俺。……なぁ、黙ってないで、何か言えよ、マサキッ!」
部屋の中、妙に響いたさくらがわの言葉が、僕の頭の中で燻っていった。
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