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04




「ああっーー!」
「見ろ、2年の学年主席が泣いてる」
「へへへ、ナナ先輩のおかげだよ!ありがとー、先輩ダイスキー!」

目の前に出されたテストの点数を見て、僕は思わず顔を覆った。33点……つまりそれは、赤点を免れたという事でもあった。始めの頃、僕に差し出された一桁代の点数から比べたら多大な進歩だ。僕はやったのだ。例えその点数が、半分にすら届いていないとしても。

「うん、よくがんばった、ほんと頑張った!」
「ねぇすごい?先輩、俺すごい?」
「うん、よしよし」
「うへへへ」

涙で濡れる目を擦りながら、僕はその馬鹿の頭をクシャッと撫でた。本当に、大変だったのだ。頼まれたら断れないが故の勉強会。馬鹿とレイジとで毎日毎日、高校一年生どころか中学生の範囲からやり直し、とうとう数学の小テストでも赤点を免れるようになったのだ。馬鹿の担任からはものすごく感謝された……。まだまだ平均点を取るまでは時間がかかるだろうが、補習の必要がないと教師は喜んでいた。仕事しろ。若干の寝不足はあるが、僕は奇妙な達成感に満ち溢れている。

「ケイタいいなぁ」
「……シュウには俺がいるだろ」
「えー?……シノも実は羨ましかったりするんじゃないの?」
「何言ってんだよお前」

チッ、このバカップルが!その一瞬で、機嫌が地の底まで落ちたのは言うまでもないのだが、どうして生徒会長が図書館に来てしまっているのか。僕は甚だ疑問であった。さくらがわもさくらがわで、彼はもうすぐ生徒会の仲間入りを果たすのではなかっただろうか。僕が断ったからだけど。仕事は、良いのだろうか。

「2人とも、生徒会の方はいいの?今は期末だし、忙しいんじゃないかなって、思うんだけど……」
「ナナ、堅いこと言うな、副会長が有志を集めーー」
「あれ!?そういえばそうじゃん、シノはここにいる場合じゃないよ!……ハルキ、死ぬよ?」

指摘すればシノはしどろもどろ、これはまた仕事を放棄してきたな、僕は直感する。こんな時、以前ならばそれを諌めるのは僕の役目だったのだけれど、今、シノには彼がいる。僕はそれを眺めながら、ぼんやり思った。生徒会に入って、仕事に忙殺されるのも一つの手だったのだろうか。余計な事を考えないですむかもしれない。

いやでも、そんな事をしたら年中シノのデレた顔を見ることになる。そんなのは、流石に、僕には耐えられない。僕は色々な事情の重なった溜息を吐きながら、馬鹿に教える次の教科は何にしようかなと頭を捻った。

そんな時の事だった。
突然、僕の電話が震えだし着信を伝えたのだ。何だろうかと手に取りディスプレイ表示を見て。その瞬間、僕はハッとした。ヤバい忘れてた、絶対拗ねられる。

「っごめん、ちょっと電話」

すぐさま席を立ち、僕は慌てて図書館の外へと出る。ディスプレイ表示は、その名もぽち。イヌっぽいからという軽い気持ちで登録したけれども、案外それが似合ってたり。

「はい、もしもし?」
『マァーー!お前いつになったらこっち来んだよ!?電話も中々出ねぇしっ』
「あはは、ごめんごめん、今度の土日、って事で手を打ってよ」
『ホントだな?絶対だな!?ヤツに言うぞ!?』
「えっ!?……なに、そうなっちゃう感じ?」
『なっちゃうも何も……俺らじゃ手ぇつけらんないし』
「ちょっと待って……なに、何が起こってるって?あの人が何だっていうの?僕なにも聞いてない」
『それも詳しく話したいんだよ……長くなるし、電話じゃちょっとな』
「えー……分かった、次はちゃんと行くよ。後でメールするから。じゃあね」
『絶対だぞ!?ぜっーー』

中学時代の悪友は、相変わらずのハイテンション。終話を連打して通話を終わらせて、僕はこめかみをぐるぐるともみほぐす。どいつもこいつも、一体何だって言うんだ。僕は少し、疲れているのかもしれない。馬鹿への指導プランに馬鹿と転入生へのストレス、おまけにオトモダチからの“お願い”ときた。僕は大きく溜息を吐くと、覚悟を決めて再度、愉快な仲間達の待つ図書館の中へと入って行った。



「ごめんね、ちょっと、次の土日なんだけど……予定入っちゃってさ、外に出なきゃならなくなっちゃって」
「えぇー!ナナ先輩に会えないのぉ?」

予想通りの反応に苦笑する。至極残念そうな表情に、僕は何とも言えない気持ちになる。何と無くだが、この馬鹿は少し僕に頼りすぎている気がしてならない。馬鹿は馬鹿なりに理解しようとしているし、もう少し勉強のやり方を手ほどきすれば、一人でも十分やっていけると思うのだけれども。時々思う事がある。分かっている事も、僕に説明を請うていないだろうか。まさか、とは思うけれども、馬鹿は馬鹿でも野生の馬鹿ーー違う、野生の勘を持った馬鹿だ。僕は少し、変に勘繰ってしまう。

「中学の時のヤツらか?」
「うん。何か事情があるみたいで……皆で話したいって、言うんだよね」

その時問われたシノからの質問に、僕は何時ものように応えた。シノは、僕の仲間ーー或いは友達の事を聞きたがる。中学以降、この学校に引きこもっている訳だから、外の公立がどんなものかを知りたがる気持ちは良く分かる。僕もここに入ってからというもの、他の皆にどんな高校かを聞いて回ったから。

シノは僕の事を気にかけてるのかなーーだなんて余計な気は起こさない。そうでないと、やってらんない。

「あれ、マサキって中学は違うんだ?」
「そ。僕は高校からだよ」
「聞けよコイツさ、アメリカに家建てられる程余裕あるクセに、金がないとか言って公立中学行ったんだぜ?……中学一緒に行こう、つったのに」
「あ、ははぁ……、それは小学校の時の事だよ?まだお金の事なんて、よく分かんないじゃない?親の口癖でそう思い込んでてさ」
「まぁ、それはそうだけど……」

何て昔の話を引っ張り出すんだろう。確かに、僕はそう言って公立を選んだのだが。そんな事は、僕自身今の今まで忘れていた。懇願されてこの高校に入ってからも何度かそれをネタにされたのだが……一体シノはどういうつもりなんだろうか。僕は敢えてそれを考えないようにしながら、その場で今度の予定を立て始めた。

寮長には早めに外泊の申請を出して、一泊分の簡単な荷物を持って、あの“家”に荷物を置いてーーあれ、いつものフルジップパーカーはどこにしまったかな。僕は目の前の会話をスルーしつつ、ぼんやりと考えた。クローゼットにしまったか、それとも引き出しの中か。

「……聞こえてないみたいだけど」
「ああ、その内戻ってくるだろ」
「先輩ってこういう時の集中力凄いよねぇ……」
「こっちの話聞いてるようで聞いてないから厄介だけどな」
「会長ってホント良く見てるんスね」
「え?そりゃまぁ、ずっと一緒だから、分かるようにはなんだろ」
「そういやあの噂……七海、先輩が一年の時にアメリカ行くって言った時、会長が親衛隊に土下座までさせて引き止めたって話、ホントッスか?」
「…………その噂は一体どこまで広まってるんだ?」
「まぁ、持ち上がり組にはほぼ全部?」
「俺もそれ聞いたぁ!」
「チッ」
「ホントなんスね……」
「へぇー……まぁ、気持ちは分かるかも。マサキって、意外とどっかヌけてる?ハラハラするっていうかマイペースっていうか……見てるとちょっと心配になる感じ。親気分?」
「…………」
「何だお前その顔、俺が何かおかしいってのか?」
「いや、別に?……なんで付き合ってなかったのかなと」
「ブッフォ!ッゲホ、ゲホッーー!」

突然聞こえてきた音に、僕は吃驚して現実に戻ってくる。一体何があったのか……会話の流れなんて全く分からないのだけれども、シノが何やら皆に笑われている。何の話をしていたのやら。

「びっくりした……何?ごめん聞いてなかった」
「いや……何でもない、てめぇらこの野郎っ、笑いすぎだ!」
「やっべぇ今の、シノ、凄い顔だったっ、ごめん、笑えたっ」
「いや、まさか、会長がそんなにっ、動揺するとはっ……」
「へぇー、へぇー、そうなんだぁ!会長そうなんだぁ!」
「おい中三河っ、何が分かったっていうんだ……いや待て!何も言うな、お前は何も言うな!」
「え、ええー……?」
「ちょっと……ねぇ、何?何があったの?」

誰も、僕の声を聞いてくれない。いや確かに、こんな中で話を聞いてなかったのは悪いと思うよ?だけど、こんな扱いはひどいんではなかろうか。少しくらい、僕の質問に答えてくれても……僕は口を尖らせた。みんなひどい。

「何でもない!何もない!おい、不良こっちこい!」
「まさか会長まで名前覚えてないとか言わないッスよね?」
「ひとと……やのレイジ!」
「はずれ」
「ちょっとぉ……」

何やら、レイジとシノは隅っこの方に行ってヒソヒソやりだしてしまって、僕は馬鹿と苦手な転入生とに挟まれてどうしたら良いのやら。帰ってもいいですか。内心で呟いた。

「ねぇねぇナナせんぱーい」
「ん?」

そんな時。僕を呼ぶ馬鹿の声が耳に入った。振り向けば、僕の制服をちょいちょいと引っ張りながら、首を傾げている。一体どうしたのだろうか。馬鹿は僕の助けになるつもりだろうか。ほんの一瞬、僕は期待した。が、それは僕の完全なる間違いであった。

「なぁに?」
「ナナ先輩、好きな人は?付き合ってる人はいる?」

期待を根こそぎ引き抜くかのような質問に、僕はドキリとする。こんな、転入生の目の前で、この馬鹿は何を言ってくれるんだ。焦る気持ちを努めて落ち着けながら、僕は冷静に答えようとする。いや、別に、本当の事を言う必要もないのだ、適当に誤魔化して別の話題に誘導する。そうすればいい。話題を反らせる。

そうすれば、いいだけの話なのに。僕はこの時何故だか、良い嘘を全く思いつけなかったのだった。

「……好きな人、はいたけど……付き合ってはないよ。片想い……や、新しい恋を探してる、っていうのが正解かな」
「ん?つまり……ナナ先輩は、好きな人いないってこと?」
「うーーん、難しいなぁ……僕も良く分からないんだよね。好きって、何だろうね」
「ちょっ……マサキすげぇ哲学的。難しい事考えるんだな」

別に、そんな事まで白状しなくても良かったのに。こういう時ばっかり上手くかわせない自分が本当に恥ずかしい。ましてや、好きだった人の恋人の前で。僕は誤魔化すように笑った。

「じゃあナナ先輩はフリーだね!」
「え?……うん、まぁ、そうなるかな……付き合った事なんてないし」

そう、言ってしまってから僕はハッとした。また、そんな事を言う。まるで赤裸々に、っていうヤツじゃないか。口が滑るとはこういう時の事を言うのか。僕は内心で焦りながら、努めて平静を装った。そして、そんなだからだろう。僕は全く、場の状況を掴めていなかったのだ。

「じゃあ俺が先輩貰う!」
「は!?」
「え?」

手を挙げて宣言する馬鹿に、何を言い出すんだ、そんな疑問を持って僕が口を開こうとした所で。馬鹿は思いがけず行動した。ここで油断しなければ、とか、馬鹿には気をつけなきゃいけなかった、とか、思う事は色々あったのだけれど、それでもきっと、誰もそれは予想し得なかったとは思うんだ。

「ちょっ!」

頬杖をついていた僕の顔を、突然両手で掴んだかと思えばその勢いのまま、馬鹿は僕に口付けてきたのだ。
口付け、なんて生易しいもんじゃない、この馬鹿野郎め、ガッツリ舌まで入れて食みやがった。

僕はまさか馬鹿がここまで馬鹿だとは思っていなくて唖然としながら為す術もなく舌で掻き回されましたとさ。






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