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唇越しの容疑



この世には存在してはならない生があるらしかった。

国は、軍事を重んじて異形の者たちからこの国を守ろうと強さを求めた。兵力を増強し、兵器を開発し、より安全な土地を求め領土を拡げた。国境のすぐ外には、異形の化け物が食物を求め彷徨い歩いていたが故に、力の無い者はすぐに淘汰された。

時折、化け物は頑強な城壁を食い破り、辺境の村々を襲う事があった。奴らの求めるものは同じ。ひとたび化け物に襲われれば、失った悲しみにたちまちに人々の心は荒れた。化け物に最も近い国は、それだけ犠牲となる人も多かったのだ。そういう事情もあってか、人々は総じて武装し、集落や国を重んじ外部の人間を酷く嫌うようになった。普通と違えば、それだけで化け物であった。

とはいえ、この世には不思議な人種が多い。それは人狼であったり、吸血鬼であったり、数え切れない程、人ならざる人種が存在した。化け物と接する機会が多いせいか、この国には特別そういう人種が多かったのた。世知辛いかな、最も多くの人種が住まう国は、最も異形を嫌う国であった。

そう言う僕も、彼らからすれば化け物にあたる。例え同じ姿形、感情や理性すら持っていても、僕は化け物であり殺すべき存在であった。ただ、人の血を吸わなければ生きてゆけないという、それだけで。僕は化け物だった。

「ノルマン」

闇夜を歩く最中、唐突にかけられた名前に、僕は一瞬息を止めた。それが見知った声であったから。暴かれる恐怖に、震えた。

「っクロード?」
「うん。どうした、こんな夜中に」
「ご飯に、誘われた帰りで……話し込んでたら、遅くなったんだ」

自分の声が硬いのは自覚していた。けれども、努めて明るい声を装う。人でない人種の僕が、食事をしてきたと言う事はつまりそういう事で。口に残る微かな香りに、バレやしないかと気が気でなかった。僕らほど鼻のきかない人間ではあるが、バレないとも限らない。夜目のきく僕は、クロードの一挙一動がハッキリと見えていた。彼の仕草に、僕を疑うようなものは含まれていないようにも見て取れた。

「そうなんだ……ご飯、美味しかった?」
「……まあまあ、かな。僕は、親戚の人達より選り好みする方みたいでさ、あんまり、口に合わなくて」

言葉を選びながら、慎重に応えていく。嘘はついていない。生まれつきとはいえ、僕は食事が嫌いだ。口にした瞬間、僕の空腹が満たされるのと同時に、自分が人でありながら人ではない事に絶望するのだ。だからいつも、僕は舐める程度にしかそれを口にしない。例えそのせいで、仲間のような力がでなくとも。

「そんなだからお前体弱いんだよ……好き嫌いしないでちゃんと食えよ?」
「うん、そうだね」

クロードは、いつものように僕を心配する。その言葉が、どれだけ僕の心を乱すか、彼はきっと知らない。クロードの言葉ひとつで、僕は安らぎを得るのだ。例え、僕の言う食事の意味を知らなくとも。

彼は僕の親友であり、大切な人。あえて人との関わりを避ける僕に、彼は優しく根気良く付き合ってくれた。僕の容姿に惹かれ寄ってくる人間達は、僕の冷ややかな態度にやがて離れていく。しかし、彼だけは違った。僕が自分から語り出すまで、ずっと待っていてくれた。それが、どれだけ僕の救いになった事か。一生、誰とも打ち解けられないと思っていた僕にできた、かけがえのない人間。僕が成人した時、自分の生を彼のために生きる事を誓った。だから、僕はより人間らしく、生きたいのだ。


「おいノルマン、お前一体どういうつもりだ?あんな下等な人間と連むなんて」

そう言って怒りを露わにするのは、ウェインという仲間。本当の意味での仲間ではなくて、同じ人種を僕らはそう呼んでいる。人に聞かれても不自然ではないからだ。僕は、粗暴なウェインが苦手だ。

「だから、ウェインには関係ないだろ?交友関係くらい僕にだってある」
「……家畜と友達だなんて、お前バカじゃねぇの?あんな弱い生き物なんかに価値があるわけねぇだろ」

蔑むような彼の顔に吐き気を催す。こういう所が、僕は嫌なのだ。自分達以外の人間ーーつまり、普通の人間には自由に生きる権利などないと思っているのだ。力で劣る彼らに、僕らの上に立つ資格はないと。つまりは、この国を治める国王ですら相応しくないと、そう思っているのだ。生憎と、僕らの仲間にはそういう思考を持っている人が少なくない。ただ実行に移さないだけで、誰かの掛け声ひとつで、仲間達は一斉に蜂起するだろう。僕は、こういう彼らの危険な思想に恐れを抱いている。それでも、仲間は僕にとって家族だ。だからこそ、人と争って欲しくない。

「そういう事、言わないでよ。彼らだって、それぞれに考え方があるんだ。野蛮な奴らだけじゃないんだよ」
「そんな事があるわけねぇだろ!?一体どれだけの仲間が奴らに殺されたと思ってる?たった数人の仲間を、村中で嬲り殺すような連中だぜ?あんなの、理性なんかないただの動物だ」

吐き捨てるように言ったウェインは、僕を真っ直ぐに睨み付けて来る。その眼差しから、人に対する憎悪が伝わってくる。家族ーーそれも、親と兄弟を目の前で殺された彼の、尋常でない憎しみ。痛い程伝わってくる。

「でも彼は違うんだ」
「はっ……どうだかな」
「ウェイン」
「お前のようなヤツは人間にあっという間に殺されるのがオチだ。……人間と仲良くだなんて、平和ボケした仲間が何人も殺された話、聞いたろう?」
「…………」
「分かりあうなんてハナから無理だ。殺し殺されるのが全てだ。家族を殺されない内に、始末しておけよ。後で後悔すんのはお前だ。……それとも、お前に出来ないなら俺がヤッてやろうか?顔を知られてんだから、アイツの家族ごとーー」
「ウェイン!」
「ッチ……この裏切り者が」

そう捨て台詞を残して、ウェインは荒々しい様子でその場を去っていった。そんなに嫌ならば、僕などに構っていないでどこか別の場所へ行けば良いのに、彼は突然この村へとやって来て今までずっとここで暮らしている。当時から僕に突っかかってきては、先ほどのような問答を耳にタコが出来る位繰り返している。僕にしてみれば、ウェインの忠告は大きなお世話である。僕は、自分のことをクロードに喋る気なんてないし、一生ーーつまりクロードが老いて死ぬまでは側に居ようと思っている。僕らは人よりも遥かに長寿で、数年起きに村を出なければならない。姿に変化がない事を怪しまれるからだ。この村に留まる事が危険な事は承知している。それでも、僕は隠れながらでも良い、彼の側に居たいと思ってしまったのだ。


しかし、運命というものは時に無情で。僕は自分の行いを深く反省することになる。



それは本当に偶然だったのだ。僕はその日、耐えられないほどの空腹に襲われていた。ウェインに会う事が嫌で、仲間内の食事を避けていたのが災いした。これ以上の空腹は、自分の暴走を招くと判断した僕は、滅多にしない狩りを自らの意思で行った。吸血鬼は、催眠術が使える。フラフラとした様子を見せつけて、獲物を暗がりへと誘い込む。僕は特別、そういう誘惑がとても上手くて、そういう時ばかりは自分の能力に感謝するのだ。

僕がその日目に付けたのは、15歳位の少年。名前は知らないが、普段から僕を気にしているらしくて、時折感じる視線にむず痒い気持ちになる。話した事はないけれど、クロードと一緒にいる所をいつも羨ましげに見てくる。彼ならばきっと、許されるのではないだろうか。

僕のおかしな様子にすぐに気付いた彼は、誘われるがまま、表通りから脇道へと付いてきた。誘い込まれているとも知らずに、コソコソと後を付けて来る。隠れているつもりらしいが、夜間は特に五感が良い僕にはバレバレである。この辺りで良いだろう、打ち捨てられた小屋の影で、僕は不意にしゃがんだ。気分が悪そうに見えるように、ゆっくりとだ。しばらくそうして屈んでいれば案の定、彼は寄ってきた。

「ね、ねぇ君、大丈夫?具合悪そうだけど」

声が少し離れた場所から聞こえる。まだ、返事はしない。もっと、僕に近寄ってから。

「大丈夫?」

今度は、僕の肩に彼の手が触れる。触られる事には慣れていなくて、思わずビクリとしてしまう。が、僕は努めて演技をしながら、ゆっくりと彼に振り返った。

「っ、ねぇ、本当にーー」
「僕ね、今大変なんだ」

屈んだまま、下から見上げるように彼の目を見る。彼の緊張した様子が手に取るように分かる。彼は今、僕しか見ていない。僕は、自分の目に力を込めた。

「何、が?」
「ねぇ、君、手伝ってくれる?」
「え……」

言いながら、僕は彼に手を伸ばす。下顎を撫でるようにして自分の元へ引き寄せれば、彼はゴクリと生唾を飲んだ。近距離で合わせた彼の目に、悩まし気な表情をした僕が写っている。彼には僕しか見えていない。もうきっと、彼には冷静な考えなんか出来やしない、僕の思うがままだ。

そうして、誘われるように伸びてきた彼の手が、僕の後頭部を掴んだかと思えば。突然、糸が切れたように僕に口付けてきた。舌で口内をかき回されるのと同時に、身体を強く抱き締められ、ーー下腹部を意味あり気に擦り付けられた。流石に、そこまで強く欲されるとは予想外ではあったが、思った通り、彼は僕に特別な感情を抱いていたようだ。ジィッと、舐めるように僕を見つめていたその視線に、熱がこもっていたのは、僕の勘違いではなかった。これで、僕は心置き無く彼をーー。

「う、んんっ……」

僕は、気持ち良い行為は好きだ。元々の吸血鬼の性質だからか、血を飲む事を除けば、快楽を求める気質が僕にも備わっていた。手っ取り早く快楽を得られるこの行為が、僕は好きらしい。狩りの時以外でも、僕は時折こうやって人を誘う。女でも男でも、好みの人があれば、僕は喰らってしまう。

散々に口内を荒らされた後で、一通り満足した僕はようやく行動に出る。目に再び力を込めて、彷徨っていた自分の手を、彼の首の後ろに移動する。そこを優しく上下に摩れば、彼の身体から突然ガクンと力が抜けた。彼は完全に僕の術中だ。膝立ちであった彼の身体を支えながら、僕は動きの止まった彼の舌に、自分の牙を突き刺した。瞬間、ビクリと彼の身体は強張ったが、次の瞬間には与えられる快楽にビクビクと身体を震わせるようになった。舌にのせる程の量しか望めないのだが、味見をするにはこの方法が最適だと僕は思っている。若いだけあって、味は格別だった。

「んんっ……」

あまり吸えなくなった所で、一度牙を抜く。それすら快楽に繋がる彼は、最早自分で動けるだけの理性もなくされるがままだ。そのまま今度は、彼の口を荒らして僕の唾液でその傷を塞いだ。まだ僕の食事が終わったわけでは無いのだが、傷が無いことを確認してから、一度口を離す。ダラリとだらしなく口を開き、息も絶え絶えに物欲しそうな顔をしている彼が、酷く美味そうに映る。その様子に舌舐めずりをしながら、今度は彼の首元へ顔をやる。彼が興奮状態にある今、活発な脈の流れが目に入る。思わず喉が鳴った。ベロリとそこを一舐めしてから今度こそ、僕はそこに牙を突き立てた。

「うあぁっ!」

舌から吸った時よりも勢いの良い流れに、僕の欲が満たされる。やはり、若いものは美味い。量を加減しながら、ゆっくりと舌先で味わう。どんなに我慢していても、やはり僕には、これがなければ僕は生きてゆけない。人であって人でない事を実感しながら、僕は目の前のご馳走に没頭した。

普段の断食のお陰か、腹が膨れるのが早い僕はある程度貰った所で十分とも言える程満足した。頃合いを見計らいそっと牙を抜いて、同じように入念に傷を塞ぐ。そうして口端から零れた血を拭ってから、僕は今だ苦しそうに顔を赤らめている彼を見た。

明日の朝になれば、彼は今夜の出来事をすっかり忘れてしまうだろう。今、彼は何かを僕に求めている。

「君は僕が好き?僕にだったら何をされても構わない?……嫌なら、首を横に振って」

フッと、僕は微笑みながら、彼の本心をさらけ出すように暗に命じる。僕の術に囚われる間、彼は僕の言葉に逆らえない。邪魔をされない限り、いかなる場合でも。

そうして彼は、終ぞ首を横に振ることはなかった。





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