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元気な少女の声につられるように扉の方へと目をやれば、そこにはかの人間が困ったような表情をして立ち尽くしていた。無理に眠らせたせいか、数日の間起きる気配がなかった彼だ。

あのまま、二度と起きなかったらどうしようかと途轍もない恐怖に襲われたのはここだけの話だが。彼の姿を目にして思わず、その場で勢い良く立ち上がる。執務用の椅子がカラカラと音を立てた。

「だ、大丈夫、なのか?」
「では兄様、私は部屋に戻っておりますね!」
「え、あ、ゾフィア?」

可憐な少女はそうして、颯爽と部屋を出て行った。残された彼の方は、些か不安気に妹君の姿を追っていた。パタリと扉が閉じると、彼はまっすぐに私の顔を見た。

思えば、彼から訪ねてきたのは初めてだったように思う。それこそ、こうやって目を合わせたことも、この三ヶ月で片手で数えるくらいだ。その目を見た時はいつだって、彼は悲しみに暮れていた。

「…………」
「…………」
「大事ないのか?」
「っ、ああ、何事もない。夢を、見続けていたようだ……心配をかけた」

見つめ合ったままの沈黙が痛くて、私は口を開く。その問いにピクリと反応した彼は、若干目を彷徨わせながらそう応えた。それにホッとして、私は肩の力を抜き姿勢を正し、転がって行ったイスに手をかけた。そんな時にふと、彼は何かに気付いたようにスッと近寄ってきた。そんな彼の動作は、見違える程凛々しいものであった。きっとそれが、彼の本来の姿なのだろう。国を代表する者に相応しい、優雅な動作だった。そんな考えを持ちながら彼の行動を疑問に思っていると、彼に椅子を捕まえた左手をとられた。

「怪我を、したのか」

とられた腕を見れば、紺色の衣服の袖口から包帯が覗いているのが目に入る。彼は、それに気付いてしまったのだろう。私が何事か返事をする前に、彼は袖を捲り上げ、包帯で巻かれた腕を晒した。

「大したものではない。私程の者なればこんな傷ーー」
「ミッシャに会っただろう?アイツの魔力の匂いがする」

私の腕から目を離し、彼は真剣な目で私に問いかけてきた。その目には、不安がチラついている。私の腕を掴む手には、変に力が入っていた。

「会った」
「……すまない」
「べ、別に大した事ではないぞ!私が勝手にしたことであるからな。あんないたいけな少女を監禁なぞ、それこそ重罪ものだ!」

病み上がりの彼に心配されるのが本当に擽ったくて、私は変な汗をかきながら早口にまくし立てる。それこそ、何も表情がなかった美しいあの人間が、本当に心配そうに、私を見上げているのだ。緊張しない方がおかしい。

「私が、そういう野蛮な行為は好かんのだ。それに、グライフに言わせればこんなもの唾でも付けとけば治ーー」

そうやって饒舌気味に口を開いていると。突然、彼が首に腕を回してきた。そのまま私は、彼に両腕で強く抱き締められる。少しだけ前屈みの姿勢になる私の耳元で、彼は言葉を紡いだ。

「ありがとう、本当に、ありがとう。何と言っていいか分からない、私は……私達兄妹は貴方に命を救われた。私達を再び会わせてくれた。もう、何もーー、どう御礼をしたらいいか。もうそれこそ本当に、私はここで死んでも構わない」

その言葉の意味を始めは理解出来なくて、私はゆっくりとその彼の言葉を反復しながら咀嚼していった。どういう気持ちでそう口にしたのか。考えれば考える程、私の心は何とも言えない気持ちにざわざわとする。そうして、私は自分を誤魔化すように、彼の肩に右腕を回して軽く力を込めた。そのまましばらく、どちらも無言でその状態を享受した後。彼はジッとしたまま不意に呟いた。

「少し、質問をしても?」
「何だ?言ってみろ」
「ーー貴方は、ミッシャをどう思った?」

ミッシャーー例の男。
私がかの姫君を連れ出そうとした時に邪魔をした、あの男。それを思い出して、無意識に体が強張ってしまった。別にあの男が恐ろしい訳ではない。これはーー、罪悪感だ。

「あれは……あの男は、ただの人ではない」

言って、私は彼の腕を首から離した。まっすぐに、彼の目を見る。彼も何かを勘付いているのか、険しい眼差しが目に入った。

「やはり……」
「分かっていたのか?」
「何と無くだ。気配で、思い出した」
「成る程……ならばこれは、きっと話しておくべきだろう。随分昔の話だがーー」



* * *



夕暮れ時、私はカルや兄妹を連れて、国の中央にある花畑へと出掛けた。国は緑を多く残しており、所々に野生の花々が群れている場所がある。中でも巨大で美しい、白の花畑が城から程近い場所にあるのだ。そこへ連れて行ってと、カルと妹君にせがまれた。

「ほら、兄様も!早く!」
「足元には気を付けるんだぞ」
「はーい!カル、こっちこっち」
「ま、まって!ゾフィ」

夕陽に溶けるように、元気に駆ける姿は私達の笑顔を誘う。妹君に返事をしながら頬を緩ませる彼は、ほとんど別の人間のようだった。夕陽に照らされる横顔が美しい。

「まったく……元とはいえ、王族の淑女にしてはお転婆が過ぎる。昔から、変わらない」
「そうか。淑女が元気なのは、それこそ良い国であった証拠だ」
「……だと良いが」
「あまり悲観するな」
「そ、うか?」
「言ったろう、アレは最初から仕組まれたものだと。先代にもお前にも非はない。国は良い方へ向かっていたのだ。……それに、
我らはお前達の生活を保証すると言ったろう」

言いながら横を見れば、穏やかな表情でこちらを見ていた。はしゃぐカルと妹君の様子を見ていたはずの彼は、いつの間にかこちらを見ながら私の言葉に耳を傾けていたようだった。

「貴方は優しい」

突然、彼はフッと微笑みながらそう言葉を漏らした。本当に唐突な言葉で、私はしばらく反応できなかった。クスリと笑う彼が、かつての【彼女】と重なった。元気に走り回る姫君を見ていると、子供の頃の【彼女】を思い出す。優しかった人、私を大切だと言った人、私を庇ったあの人。ああもう、この人間達を失いたくはない、心の底からそう、私は思ってしまった。

「ーー過去に、そう言った人がいた。カルの母親だ」
「カルの……」
「そう。【彼女】は貴方に似ている。見た目だけではない。自分を犠牲にしてまで守り通そうとする優しさ。……だが、【彼女】とお前は違う人だ。お前は自らの力を押し通そうとしないし、力に頼らない道を見つけようと尽くす。ーーそれを、私は愛おしく想う」

ジッと彼を見る。最初こそ、【彼女】の面影を探そうとしていたかもしれないが……それをしなくなったのはいつからだろうか。眠り続ける彼を見て、再び目を開けてくれる事を願った時には既に、私は目の前の人間を想っていた。隠しようもない。そして今は、彼ら兄妹が自分達の国に帰る事を拒否したい自分がいる。自分の預かり知らない場所で再び、あんな表情をさせたくない。僅かな時間で、そう想ってしまった。守りたいと、思ってしまった。

「我らを頼るといい。戻りたくないならここにいるといい。何も、考える必要はない、礼などと考えるな。これは、私の我儘だ。ーー私が」

一度、言葉を切ったのは、己が気恥ずかしいから。こんな言葉を使う事は滅多にない、こんな、気持ち。

「私が、お前達の幸せを守りたいのだ。お前と、共に居たい。私の下に来い、どこにも行くな」

気付けば、私は少し下にある彼の肩を掴んでいた。彼の目をまっすぐに見ながら言い切った私は、少しばかり緊張しながら彼の言葉を待つ。まるで、【彼女】に嫁になってくれと伝えた時のようだ。拒否をされたら、なんていう想像はしたくもなかった。

「私は、」

不意に目を逸らした彼は、少しだけ俯いた。何かまずい事でもあるのか、それとも迷っているのか。緊張しながら先を待つ。

「もう国へは戻れない、戻りたくない。ここへ来てからはそれこそ、死ぬことしか考えていなかった。だが、ゾフィアに会って分かった。私がいなくなったら、彼女は本当に独りになってしまう。それに気付けたのも、私達兄妹が再会できたのも、私がこうして生きているのも、貴方のおかげだ」

そう言ってふわりと笑う彼の何と綺麗な事か。未だ宙に浮かぶ夕陽に赤く照らされ、輝いて見える。整えられた金の髪がキラキラと光る様を見て、苦手なはずの昼間の太陽の下で彼を見てみたいと思った。

そんな事を考えていた時だ。彼は不意に、私の左手をとると、その手の甲にそっと口付けた。そんな今の彼は凛々しくて、騎士然としている。意思を持ったスカイブルーがキラキラと瞬きながら、私を見上げている。吸い込まれるようなその目から、目を離す事が出来ない。

「だからーー、私は貴方の傍に居たい、置いて欲しい」

手を持ったまま、彼は私を見上げる。そう言った彼の瞳に宿る感情に、胸が踊った。そうして思わず、私は感情に任せて、顔を彼に近付ける。

初めて会ったあの時。あれは彼を生かす為であったが、その日以来の口付けでーー

「あーー!まおーさまとあべるにーさまがチューしてる!ズルイ!」
「えっ、ホント!?キャー!」

そしてそれを、彼らに見つかってしまったらしい。ハッとして横を見ると、仲良く騒いでいる2人が見えた。

「ずるーい!僕もゾフィーとする!」
「!」
『!?』

そんな時だった。突然、カルが私すら驚くような暴挙に出た。隣で騒いでいた妹君の唇を、その場で奪ったのだ。唖然とする私と彼は、向かい合ったままその場から動けず、両手で彼女の顔を挟んで口付けているカルを見ていた。そして。

「まおーさま!僕、ゾフィーとけっこんする!」
「キャー!アベル兄様、私ファーストキス奪われたわぁー!」

そんな事を叫びながら、駆けてきた2人をそれぞれ抱きとめた。そうして、私達は唖然としながらも、互いに笑い合ったのだった。


E N D




どうもどうも、長々とお付き合いありがとうです。
ひとまず、このタイトルは終了でございます。ブログで予告しましたように、続編を考えております。ちょびちょび出させてもらいました、かの人が関わって参ります。
ぶっちゃけ、シリアス気味になっちゃうんじゃないかと…そのあたりはさじ加減を調整してみますが。。。
書くもの書くもの、シリアス化してしまう罠
私はギャグが書けないかもしれない

それはともかく、読了感謝です!



【CAST】
アーダルベルト=ルートヴィヒ
たぶん24
かつて王様、かつて廃人、そして美人

魔王様
軽く800歳超え
人間嫌いのくせに弱いものに弱い、面喰い魔族の王様

カル
8歳くらい
魔王と美人妻の子供
(にゃーは魔王の趣味)

ゾフィア=イゾルデ=ルートヴィヒ
たぶん16歳
アーダルベルトの妹箱入り娘
肝は据わっている

【彼女】
故魔王妻
長い黒髪のボンキュッボン
空が飛べた






















ーー

ーーーー

ーーーーーー

『グライフ、私は間違っていたようだ。あの時、私はアレを殺すべきだった』
『……そうですね』
『私は、アレを殺さなければならないーーけじめは付けねば』

あの城から帰ってすぐ、グライフに傷の手当てを受けながら彼と交わした言葉を胸に仕舞い込み、腕に受けた呪いを封じてソレを殺す手立てを頭に浮かべる。一度までならず二度までも、己の欲を満たす為に平気で他者を殺める悪魔のようなソレ。そんな強欲者に対する制裁を自らの手で。例えそれで自分はどうなってしまっても構わないとそう思いながら、胸に覚えた感情を必死で抑え付ける。それに反応する腕の呪に、酷い痛みを覚えた。きっと、アレを殺す時。

私は感情に殺され呪に喰われるだろう。それは、予感だったーー。






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