Main | ナノ

09



夢を見ていた。

『貴方の武器になって差し上げましょう、その代わり、殿下のーーーーをいただきます』

現実のようにリアルで、しかし現在ではないその光景に、私はぼんやりと考える。自分は誰だろうか。目の前にいる者が何者であるかは知っている。だが、彼は私ではない誰かを見ていた。彼の目が、そう語っている。

そう考えている内に、再び場面が変わっていく。

『ーー拒否?貴方に出来るはずがない。時期にこの国は滅びます。この契約を受け入れなければ貴方と大切なーー』

ニヤリと笑う彼は、まるで人ではない何かであるかのように、誰かを威圧している。その誰かは言い知れぬ恐怖に慄きながらも、決して受け入れてはならないそれにただ一人闘う事を決意していた。だがしかし、その誰かは、どこかで彼を受け入れなければならない事を理解しているようだった。苦渋する誰かの激情が私の中に雪崩れ込んでくる。悔しい、寂しい、不甲斐ない、殺してやりたい。おおよそ、その優しい人柄からは想像もできないような激しいもので、私は自分の胸が押し潰されるような気分だった。

『これは契約です。貴方がーーーーを差し出したその時』

『私は貴方のお力に』

優しく包み込むように手を添えて微笑む彼はまるで悪魔のよう。拒否を望む心とは裏腹に、受け入れなければさらなる厄を招く。人の命を天秤にかけて苦しむのは誰か。

『アレは私がいただきましょう』

とうとう決した誰かは、己を呪い彼を呪い、心の内を誰にも明かす事なく、独り世を去った。くず折れるように受け入れたかの男を、忌々しげに見上げながら。



『兄様』

一瞬でガラリと変わった場面で今度は、我が一族自慢の妹が笑っている。服が汚れるのも構わず、一面の花畑を楽しそうに駆けている。随分昔に先立ってしまった母上のように美しくて、しかし父上のように確固とした自を持っている。幼いながら、自らの決めた事を貫き通す姿勢はとても、眩しい。

『ほら、兄様も!』

ここはどこだろうか、一面の白い花々に囲まれ、彼女は頬を赤く染めてはしゃいでいる。ここに私達の親族が一人でもいたならば、はしたないと咎めるほど、彼女は衣服が汚れる事も厭わず駆けている。だが、そんな彼女を見ていると、酷く安心する。心が満たされる。そんな中ふと、白い波の中で彼女の姿が忽然と消えた。

『兄様』

再び場面が変わる。今度は、薄暗く雰囲気のある大きな部屋。己の名を呼ぶ愛らしい声に誘われるように近づけば、彼女は少しだけ眉を下げ、私の手をとり頬に押し付けた。未だ子供らしい柔らかな肌が掌に触れる。

『本当に、ご無事で何よりです。っ兄様が刑に処されたと聞き、私はいてもたっても居られませんでした……私の家族は今や兄様だけなのです、もう、何処にも、行かないでーー!』

私の手を持ちながら俯いてしまった彼女は、微かに震えて居た。胸がギュッと締め付けられる。思わず手を出そうとするが、思うように動かない。なぜ、と焦りを感じ始めた時、ようやくこれが夢であることを思い出した。夢はかの夢であり、現在の私が思うようには動かない。例えそれが望まぬ展開であっても。

『あのような悲しみは御免です……』

涙を押し殺しているような、そんな声に酷く心が掻き乱された。その時、そう言った彼女の手をとる手があった。私よりも大きな手が、その頬に添えられた手を覆う。

『我々が保証する、小さな姫君。先代の遺した精神は隠されながらも然りと遺されていた。そのこころが続く限り我等は恩を忘れない、同胞を護っていこう』

聞き覚えのある声が、私の背後から降ってくる。前を向いている私が彼の姿を捉える事は出来ないが、その声に酷く安心する。

『我が御名にかけて』

声と同時に、男は彼女の手を頬から優しく離すと、私の背後から躍り出て仰々しく片膝を着いた。そうして、彼女の小さな手にそっと口付けを贈ったのだ。

それはとても幻想的な儀式のようだった。白い衣服を身に纏う彼女と、黒いマントを呷る騎士然とした彼。まるで、姫君に忠誠を誓う騎士のよう。ああ妹よ、私は今、君がとても羨ましいと思ってしまったーー。


「兄様!」

その声に、意識がグイと引き戻された。何度も何度も、私を呼ぶ声が頭に響いてくる。それの懐かしさに誘われるように、私はフッと目を開けた。相変わらず薄暗い部屋に、僅かばかりの光が差し込んでくる。その光に照らされてこちらを見ているのは。

「アベル兄様……!よ、かった、生きて、」

母に似たスカイブルーの目に涙を浮かべて私の手をギュッと握っている。そっと、掴まれていた手を彼女の頬にあてる。幼さを残した白肌に薄らと涙の跡が見える。未だ夢心地で、これは夢なのではないかとさえ思った。

「ーーゾフィア」

掠れた声が出た。その瞬間、急激にこれが現実である事を理解した。これは、目の前にいるのは、本物の、彼女だ。ハッと起き上がり、ゆっくりと確かめるように彼女の頬を撫ぜ、顔を近づける。白銀のサラサラとした長髪が手に触れた。懐かしい、花の香り。途端にどうしようもなく胸が締め付けられて、私は彼女の首筋に顔を埋めるようにして小さな身体を抱き締めた。こんな小さな身体で、どれ程の苦悩を負ってきたのだろう。そう思えば思う程、愛おしさは一層積もっていった。

「大丈夫か、怪我は?どうやって、ここに?」
「私は、怪我はありません。この地の王様が助けてくださいました!兄様こそお怪我は?」
「魔王が……私は大丈夫。もう治った」
「……兄様、顔を、見せて?私が来てからもう、丸2日も経ってて……。右目を失くしたと、聞きましたっ」
「大事無い。もう良くなった、心配するな」
「っでも、でもっ!」
「ゾフィア、おいで。靴を脱ぐんだ」

泣き出しそうな声ーー否、もう既に泣いているのかもしれない。震えている彼女をベッドの上でそっと抱き上げ、己の膝の上に座らせた。いつだったか、夜中に泣き出す彼女をこうやって宥めたのが懐かしい。一層近くなった距離で、涙目の彼女が顔を覗き込んでくる。

「黒い石が目に入ってる。きれい……」
「ああ、かの王様が」
「優しいおうさま」
「……そうだな」

彼女の涙を拭い、その頭を抱き寄せた。存在を確かめるように頭を撫でる。目を瞑り頭にキスをすれば、日の光の香りが鼻を掠めた。

「夢のようだ」

呟けば、彼女はクスリと笑いを零した。それっきり、私達は何も話す事なく静かな時を享受した。離れていたのはたった三ヶ月ほどだというのに、何年も会っていなかったような気分だ。忙しなく働いていたせいだろうか。国を想う事なく、ただただ己の生を嘆いて久しいが、この思いがけない再会はとても嬉しく思う。ーー生きていてよかったと、そう思った。

「アベル兄様は、お城に戻りたいと思う?」

少しだけ不安そうな声で、ゾフィアは尋ねてきた。唐突な質問で、理解するのに時間がかかった。そして、質問の意味を噛み締める時間もまた同様に。

「私は……」

言葉が、出てこなかった。あの男をどうにかするために戻らなければならないとは思うけれど、ハッキリ言えば戻りたくはない。あれほど痛めつけられ、人としての尊厳を踏み躙られたのだ。もう二度と、あの場に立つ事は考えられない。城の者達の身を案じながら、その実、彼等を恐れてしまっている。こればかりは隠しようがない、国への忠誠は最早、私の尊厳と共に崩れ去ってしまったのだ。黙り込んだ私に、ゾフィアはどう思うか。彼女の顔を見ることができなかった。落ち着かない沈黙を破ったのは、やはり彼女だった。宥めるような静かな声で、彼女はまるで言い聞かせるように、言った。

「アベル兄様、私は兄様が刑に処されたと聞いて、私はいてもたっても居られなかった……私の家族はもう兄様だけなの。もう何処にも、行かないで。私は兄様が元気であってくれればそれでいいの、今までたくさん頑張ったもの、わらって過ごしたって、ばちは当たらないと思うわ。無理をしないで、おねがい、」

縋るように、彼女は私の胸元へしがみつく。声がくぐもって聞き取りにくかったが、私の耳にはハッキリと彼女の言葉が届いた。

「命を粗末にしないで、私をひとりにしないで」

ああこの子は、私が何を考えているのか、子供ながらに分かってしまったのだろう。国のために生きてきた私が、国に必要とされなくなった。それが、どういう事か。

「ゾフィアッ」

彼女にかけるべき言葉が、出てこなかった。代わりに溢れ出たのは、堪えきれなかった己の哀しみだった。ずっと誰かに、もう頑張らなくても良いと言って欲しかったのかもしれない。国に捨てられた己は、すっかり迷子になっていた。彷徨い歩いた地の果て海の底、深海。暗くぼんやりとした世界は、思った以上に居心地が良くて。しかしそれがむしろ、のうのうと生き永らえた己の生を咎めているかのようにも思えた。

「あにさま、泣かないで」

俯いて声を押し殺している私の頬に、ゾフィアは口付けをくれた。そうして優しく私の涙を拭う彼女の手を、私は片手で捕まえてそっと口を落とした。何と無く、それだけで許された気がした。



* * *



「ゾフィアっ」
「兄様、早く早く!きっと王様も喜んでくださるわ!とても心配なさっていたもの!」

満足のいくまでゾフィアとの再会を喜び合った後で。ゾフィアは突然、助けてくれた王様に私を会わせたいと言い出した。聞けば、私が眠り続けていた間、彼は随分と焦った様子で何度も部屋を行き来していたのだという。はて、と眠りに入った時の記憶を探る。その時は確か、夢の事を話したような、とハッキリ思い出した所で、私は酷い羞恥に襲われた。かなり取り乱した記憶があった。いい歳をした男が泣きじゃくって、あまつさえ寝かされるなんて、みっともない。気まずい、ばつが悪い。

「ゾ、ゾフィア、待ってくれ、彼はきっと仕事中だろうし、私はもう少しーー」
「ほら兄様、私の肩につかまって!」

なんだかんだと言いながら、引きずられるように連れて行かれるのは、かの王がいる部屋。少し緊張しているが、確かにゾフィアが言うように、私は彼に会わなければならない。礼を、しなければ。彼ほど、私の救いになってくれた者は他に居ないのだ。怪我を治し私の心を受け止めて、妹を救ってくれた。これほどの恩を返せるのであれば、何か、彼のためにするべきなのではないか。そう思えば、顔を合わせる事への抵抗が軽くなった気がした。

「王様っ、失礼します!兄様が元気になりました!」

ごちゃごちゃと考えている間に、とうとうゾフィアは扉を開けてしまっていた。執務室だろうか、棚の並んだ広い部屋の奥に、窓を背にして大きな机が設置してある。この部屋の主は、書類にまみれで羽ペンを握っている。恐らく執務中であったのだろう、申し訳なく思いながらも、姿を見れた事にほっとした。

そうしている内に、ゾフィアの声に反応した美しい王が、こちらを仰ぎ見た。






list
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -