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無名を紛う
「うわぁ、マジ無理、もうホント、俺限界」
言いながらぐったりとその場にしゃがみ込むと、瀬菜はくたりと呟いた。周囲では、瀬菜と同じ年頃の青年達が、痛みからか呻いている。彼らは、悔しそうな表情で、瀬菜を忌々しげに見つめているが、一方の瀬菜は全く気にも留めていない様子であった。敵を目の前にしていても、目先の事にとらわれている。ある意味、幸せな人間である。
「腹減った……ねぇアンタら、金持ってねぇ?」
「あぁ?」
瀬菜の気の抜けたような声に反応したのは、倒れている5人の内、リーダー格の青年だった。痛々しい痣が頬にできてはいるが、他の面々に比べるとまだ軽い方らしい。瀬菜の余裕ぶる態度に、苛立たしさでも感じているのだろう。痛みを我慢しているのか、ゆっくりとした動作で上半身を起こすと瀬菜を盛大に睨み付けた。
「俺さ、財布先輩に取られちゃってさぁ、昼飯、食ってねぇのよ。アンタら再起不能にしないと財布返してくんないって言うし……」
「…………」
「でも俺もう腹減って腹減って限界で……もうこれ以上ヤんないからさ、飯、奢ってよ?ーーアンタら俺より弱いでしょ?」
脅しとも言えない位の呑気な様子で、瀬菜は彼等にそっと言い放ったのだ。それこそ、言われている方がポカンとしてしまう程情けない表情で。そうしてその場に、大きな腹の音がぐうと響き渡った。
* * *
「いやぁ、マジ助かった、命の恩人、よっ!男前!」
近くにあったファストフード店で、瀬菜がそう言い出したのは、鱈腹食べて彼の腹が満足した頃だった。ほとんど無表情でそう言ってのけるものだから、付き合わされた5人は無言で顔を見合わせるしかなかった。
5人の青年達と、瀬菜は言わば敵のようなものだった。大分荒れた高校に通う瀬菜は、眼鏡に黒髪という見た目に似合わず、不良グループの一員であった。制服をある程度着崩していても、その高校にいれば真面目な部類だと思われてしまうのだから、流石眼鏡様である。さらに、瀬菜という人間を知っていなければ、すぐに見失ってしまう程、彼は人に埋もれるのも得意であった。
そんな瀬菜は、高校にある不良グループの中でもトップを走るグループに属しており、今回のように度々、喧嘩に駆り出されることがあった。大人しくしていればガリ勉のようにも見られる瀬菜も、喧嘩となればソコソコいける部類だ。
勉強が嫌いで、天下の不良高校にしか入れなかった瀬菜は、最初こそ喧嘩は得意ではなかった。見た目のせいか、高校入学したてで先輩からは何度もパシられそうにもなった。それでも、抵抗するうちに喧嘩の回数をこなし、一年たった今では、あるグループの主戦力の一人となっている。本人は最初こそグループへの所属を望んでいなかったが、グループにいるだけで絡まれ難い等のメリットが大きい事に気付き、最近ではそれも当然のように受け止めていた。
話を元に戻そう。こうして、瀬菜はグループ内の先輩から敵対するグループへの嫌がらせを言い付けられ、今回のような喧嘩をすることが良くあった。普段こそ、千切っては投げ千切っては投げ、完膚無きまで叩きのめすのが瀬菜の役割であったが、今回ばかりは勝手が違っていたのだ。冒頭で瀬菜が呟いたように、瀬菜は財布を人質に今回の件を命じられた。結局、この喧嘩が終わったのが午後3時を回った所であった。そうして、叩きのめす内に腹の限界が訪れ、瀬菜は嬉々として彼等にたかったのである。
「どんだけ食うんだよ……」
「容赦ねぇ……」
「やっべぇ小遣い無くなった」
「お前は普段から使いすぎだ、少しは節約しろ」
「おかん……」
口々に5人が言う。そんな彼等は、瀬菜とは対照的に、実にカラフルである。
「眼鏡のクセに……」
そう言いながら鼻を鳴らした青年は、瀬菜の脅迫時に彼の声に応えた男だ。赤いメッシュが印象的なウルフカットで、かなりワイルドな男前である。瀬菜の食べっぷりを見て引いているその表情もまた、ワイルドであった。
「バイト行かないと金がねぇ……」
大きく溜息を吐いた青年は、この数時間で元気が根刮ぎ搾り取られたようだ。緑色のソフトモヒカンが、萎れているように見えるのは気の所為か。財布を見ながら哀愁を漂わせている姿は、女性の母性本能を擽るらしい。一見爽やかそうに見える彼が悲しそうにする姿を見て、心を揺られない女性は果たしてこの場にいるだろうか。それを証明するかのように、彼らの一行をチラチラと見る女性達はソワソワと落ち着かなかった。
「絶望した!」
カッと目を見開き、頭を抱えて天井を見上げるピンク頭は、童顔女と茶化される顔を盛大に顰めて騒ぐ。飛び抜けて頭のよろしくない発言をするようで、隣の青い鬣の男に軽く注意されていた。
「やめなさい、ここは公共の場」
おかんよろしくピンク頭を諌める男前は、青くて長い前髪を払いのけながらピンク頭の世話を焼いている。恋人か、と突っ込みを入れそうになる程、青い髪の男は甲斐甲斐しかった。ピンク頭を掴んで前を向かせている。
「成る程、インテリヤンキー……」
ブツブツ、一人何かに悩みながら顔を顰めていた青年は、くすんだグレーの髪をかき揚げると突然クツクツと笑い出した。そしてなぜか、瀬菜をガン見しだした。隣で聞いてしまったらしい青髪のおかんは、怪訝そうにピンク頭の耳を塞いだ。
「んじゃあ俺は報告ついでに人質救出へ行ってくる。アンタら、数日くらい仮病でも使って学校休んでね、アンタらは俺が再起不能にしたって事でヨロシクー。あーあ、先輩に金使われてたら俺どうしよ……んじゃあごっそさんバイバーイ」
あっという間に5人前を平らげた瀬菜は、挨拶もソコソコに颯爽とその場を立ち去って行った。それこそ、5人が呼び止める声に全く反応する事もなく、いつの間にか消えていた。見事なスルースキル。
「クソッ、アイツ何なんだよ」
「賀川、俺たちどうするよ?金は割り勘だとして、学校、サボんのか?」
赤メッシュの男を賀川と呼んだ緑頭は、郷間(ゴウマ)という。彼は気落ちした状態のまま問いかけた。大きな溜息を吐きながら、目の前に食べっ放しにされている大量の空箱を、手持ち無沙汰につつく。
「どうもこうも……言われた通りにしなきゃ、俺ら本気で病院送りだった訳だろ?……そもそも、アイツの言ったようにしなきゃ、また飯たかられるだろ」
「成る程それは嫌だ」
賀川は緑頭の郷間を見ながら、嫌そうに言った。喧嘩に負けた事よりも、たかられる事の方が問題であるかのような言い草である。元々、それ程強さを求めていないこの5人組は、学校の中では中々の有名人である。主に、顔の方で。タイプは違えど、顔の良い5人が集まってバカをやっているのだ、女子生徒からの視線は熱い。
そして、そういう意味で、彼等は他のグループからやっかみを受ける事が多かった。女を寝とっただの、女に振られたのはアンタらのせいだの、男の嫉妬というのは案外厄介なもので。度々大人数に追い回される事もあった。命からがら逃げ仰せたこともザラだった。そういう点、今回の騒動はやけにあっさりとしていて、5人共々気が抜ける思いをしていた。小ざっぱりとした雰囲気と態度に、彼らは少しばかり好印象を受けている。
「アイツ、妙に喧嘩強かったけど……何なんだろ。どっかに所属してるみたいだったよなぁ?」
ピンク頭の上代(カミシロ)が、青髪の早川に頭を押さえ付けられながら疑問を口にする。恐らく、彼ら全員が思っていることであった。
「そういや、名前も何も言ってなかったな」
青髪の早川はふと、思い出したように言った。襲撃された時の事を思い返すように上を向く。それにつられて、他の4人も難しい顔で頭を捻る。思い出すのは、緊張感にかける瀬菜の喧嘩の売り方であった。
「あー……何か、棒読みで『カトちゃんぺの仇ー』とか叫んでたような……」
「益々分からん!」
ピンク頭の上代が唸りながら言った。思い出せば思い出す程、彼には緊張感なんてものがない事に気付く。5人で楽しく歩いていた所に突然前に立ち塞がり、一目でやらされていると分かるようなヤル気のなさで喧嘩を売られて。しかも、そんな阿呆らしい人間に負けたとあれば、気も萎んでいく。グレーの髪をかき上げながら、神原は叫んだ。
そうして、かの男の事を思い出し、5人は一斉に溜息を吐いた。
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