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02.残り香



 次に浅見達が再び会議室へ戻されたのは、30分程経ってからの事だった。

「三上隊長、そろそろ良いでしょうか?」

 部屋の前で紺野が声を掛けると、何とも歯切れの悪い返事が返ってくる。

「あ?もうそんな時間か……ああ、良いーー……あ?駄目だ?それは貴様が決める事では無い、黙ってろ駄犬が。ーー入れ、紺野」

 そんな言葉を聞いてしまって、紺野は扉の前で一瞬固まる。しかし、このまま何十分も生徒を待たせる訳にも行くまい。紺野は開けるか引き返すかを真剣に考えて葛藤した。今の短いやり取りだけで、中がどのような状態になっているのかが紺野には分かってしまったのだ。だから、子供達にその様子を見せて良いのか、非常に悩んだ。

 そんな紺野を、浅見達は後ろから不思議そうに見詰める。何故そんなにも彼が悩んでいるのか、それは浅見達には分からない。だからこそ彼等は、不思議そうにしながら紺野の背後で、その表情を見ようと背伸びをしたりとソワソワしていた。
 背中へと向けられる生徒達の好奇心を感じとった紺野は結局、大層悩んだ末に、ええいままよと扉をそっと少しだけ開けると、中をチラリと見た。そして、勢い良く扉を閉じてしまった。

「……え、あの……一体どうなされたんです?」

 そんな紺野の様子に、とうとう耐えられなくなった一人、生徒会副会長が問いかける。紺野はサッと振り返ると、彼等に向かって短く告げた。

「中に入ってどんな様子が見えても、こういうものなんだと腹を括っていただけますか?」
「え」
「ただし、これが国軍の全てだとは思わないで下さいね。我々がちゃんと仕事をこなしているからこそ、許される所業だと思って下さい」
「…………」

 あんまりにもな彼の忠告に、全員の顔が引き攣る。そんな忠告をしなければならないような状態なのか、だなんて各々が思う内に。紺野はとうとう今度こそ、意を決して室内へと足を踏み入れたのだった。

 紺野に続いて、浅見達が室内へと足を踏み入れると。そこは確かに、別世界の様相を呈していた。

「タイミングが良い、丁度オハナシが終わった所だ」

 などとそんな事を三上本人は言ってくれているのだが、浅見達にはタイミングが良いとはどうしても思えなかった。

 そんなセリフを吐く三上の目の前には、書類と共に床に這いつくばった状態の理事長の葛西が居て、彼は可哀想な位に震えている。顔はずっと俯いていて表情を伺うことはできないが、勘違いでなければ顔は涙で濡れている気がした。
 そんな葛西の右肩には、何と三上の左足が乗せられている。つまり葛西は、三上の足に踏み付けにされているのである。おまけに駄目押しのように、三上の右手には何と抜き身の刀が握られている。その刀の峰を、慣れたように己の肩へ置き、トントンと機嫌良さそうにリズムを刻んでいる。
 そして、そのような所業を学校なんかでやらかしてしまっている三上はと言えば。笑顔こそ浮かべてはいないが、大層晴々とした表情で浅見達の方を見ているのだ。紺野がつい先程、一度扉を閉めたのも頷ける。
 10代も後半とは言え、とても子供に見せるには憚られるような光景だ。中には卒業後直ぐに国に仕えるような職に就く者も居るだろう。だがしかし、それにしたってあんまりな光景なのである。

「三上隊長、改めて言いますけれど、尻拭いはご自分でなさってくださいね」
「しつこい。それにまだ何もやらかしとらん」

 と、そのような応酬を披露した後で、浅見達はようやく、再び席に着くことが出来たのであった。一人、床に正座で座らされた葛西理事長を除いて。

「済まなかった。あんまり出来が悪いもので私も熱くなってしまった」
「いえ……」

 それから三上は、生徒達の結界術に関する意見を聞いて回った。学内一、歴代一とも言われる戦闘力を誇るという生徒会長、生徒会のブレーンを担う生徒会副会長、そして意外にも、結界術が得意だと言う風紀委員の一人がそれぞれ意見を問われたのだった。
 先のやり取りは兎も角として、三上はしっかりとその任務をこなしているのである。そしてすぐに、三上の本当の目的を彼等は知る事になるのである。

「ーー成る程、結界術に関する考え方、知識、申し分無い。そのような考え方は我々の隊員でもそうそうできるものではない。長の在り方は兎も角、優秀優秀……ところで浅見」
「へっ!」
「お前からは何か無いのか?」

 そんな時に突然、話を振られた浅見は仰天する。それと同時に、葛西が正座をしながらビクッと大きく身体を揺らしたりしたのだが、誰もそちらを見ようとはしなかったのだった。

「んな、な、何で僕に聞くのさ!」
「ん?理由を言って欲しいのか?」
「!!」
「まぁ、俺が言っても言わなくても既に手遅れだとは思うが」
「!」

 突然、とても気安い話し方で浅見と話し始めた三上に、周囲は唖然とする。それは紺野もまた同様で、黙って二人のやりとりを見るばかりであった。ただ、紺野には三上のその行動が、彼等の任務に強く関わっている事は直ぐに理解できた。だからこそ、紺野は何も口を挟まずに、黙って聞きに回るのである。
 あっという間に当事者となってしまった浅野は、パクパクを口を開け閉めしながら、挙動不審にキョロキョロと目を泳がせていたのだった。

「おい『弟子』、早く観念しろ」
「……で、しーーねぇまさか、三上最初っから知ってた?」
「いやまさか。『弟子』を探す為に俺は此処に潜り込まされたんだ。お前がそうだと気付いたのはずっと後だ。安心しろ、お前に声を掛けた事に他意はない」

 三上の言う『弟子』とは、この学園を覆う巨大で強固な結界を作り上げた、天才結界術師の唯一の弟子を指す。件の結界術師は大層有名な技術屋で、国からも声が掛かるような人物であった。しかし、彼が大層変人な頑固ジジイだというのは有名な話で、気が向かない限り仕事は受けないなんていうのも良く知られた話だった。

 そして三上もまた、任務を受けてから先ず最初に、件の術師に会いに行ったのである。国軍、ひいては国の名代としてだ。しかし、噂通りの頑固ジジイは、そんな国からの要請すらも有無を言わせず突っぱねてみせたのである。
 さしもの三上も大層泡を食ったのだが、流石に国からの要請ともあればジジイも多少は気を使ったらしい。何も出来ないままに追い返された三上に、『弟子を探せ』と一言、捨て台詞を吐いたのだ。
 その際怒る隙も怒鳴る隙も無かった三上は、ふつふつと湧き出る怒りを抑え込みながら、ヒントを元に情報収集を行った。様々な伝によりより集めた情報を精査すると、何と件の依頼のあった学園に、“偶然”その『弟子』が潜んでいるらしいではないか。その、まるで図ったかのような偶然に三上が顔を顰めたと言うのはまた別の話ではあるが。そうして結局紆余曲折あり、冒頭のように潜入捜査を行う羽目になったという訳である。
 そんな訳で、浅見は正に三上にとっては救世主であったのだ。様々な意味合いで。

「あのジジイ、手間ぁかけさせやがって……」
「あーー、まぁ、師匠の考えてる事は僕も分かんないし」
「まぁ兎も角だ、あの頑固ジジイの替わりにお前が依頼を受けろ」
「えー……」
「報酬はあのジジイと同額だ。国軍との繋がりだと思って受けとけ」
「ううう……」
「……おい、分かってるか?お前が受けないなら尻拭いはあのジジイにさせるって事だからな」
「は……?」
「もし万が一、この結界に何かあったら我々国軍も何も出来んよ。この結果は特別製だからな。またイチからお前かあのジジイが組み直す事になるぞ」
「え」
「損害賠償額は、一体どれ程になるのやら……」
「!」
「保険、入ってるか?まぁ、入ったとしてとても間に合わんだろうがな」
「!?」
「師弟併せても賄えんだろうな」
「んな、なーーっ!」
「喜べ、そん時は俺の隊でこき使ってやる」
「それって……僕断れないじゃん!ーー三上の鬼!」
「よく言われる」

 そんなようなやり取りで、三上は浅見をじわじわと追い詰めてゆく。彼のいつもの遣り口だ。
 三上に学は殆どなかった。しかしその分、戦場やらでの豊富な経験がある。野生の勘、とでも言うのか、三上はその点他者の機微には敏感だったのだ。だから、様々な状況に於いて、的確で容姿のない判断が下せるのだ。容赦なく、即決するのである。

「何、お前にだけ荷を負わせるわけじゃあない。ウチにもまぁ、結界術には明るい人間も居るには居る……使え。お前にやる。……いっそ引き取ってくれ」
「え……は?いやまぁ、別に、手伝ってくれる人が居るなら有難いけど……引き取るって……それ、国軍の人でしょ?」
「まぁ……腕はイイんだが。香久夜はなぁーー」
「お呼びですか!?」

 突然、妙に歯切れの悪くなった三上がふと、とある男の名前を呼ぶと。突然、三上の隣に、男が姿を現した。それを聞いた三上は、その声に珍しくビクッと身体を震わせた。かなりの勢いを付けて即座に三上が振り返ると、其処には男が立っていた。その、茶色の長髪を一つに括った軟派そうな男は、何と信じられない事に紺野と同じ軍服をその身に纏って頬を染めながら鼻息も荒く、そこに立っていたのだ。それを目撃した者達は最早、言葉も出ない。

「確保しろ!」

 そう三上が言うが早いか、鎖を持った紺野が男に飛び掛かったのだった。浅見を含め全員が目を白黒させる中、その捕物は実にスムーズに執り行われた。途中からそれには三上も加わり、香久夜と呼ばれた男はたちまちに鎖でぐるぐる巻きに拘束されたのだった。

「おいっ、紺野!何で此処にコイツが居るんだ!?」
「…………実は、三上隊長が任務に入られて3日後、このうつけ者と連絡が取れなくなりまして」
「3日後……という事は何か?コイツ、ずっとーー?」」

 信じられない、とでも言うように三上が紺野を見ると、紺野はただ静かに首を縦に振る。
 一つ、情報を追加しておくと、香久夜とやらが転送魔術を使用して此処へやってきたような形跡はない。そして、彼は結界術が大層得意なのだと言う。と、言う事はつまりだ。香久夜という男は何と、三上の傍にずっとーー、半年もの間、潜んでいたというのだ。気付かれる事もなく、そっと、密やかに。

「ああっ、コレはコレで好いッ!」
「…………通りで下着が良く無くなる筈だ……」
「は」

 酷く冷たい表情で見下ろし、三上は床に転がされたその男の口を魔術で塞いだ。ただ、その辛辣な表情すらもが香久夜の興奮を煽る事になるだなんて、三上は理解できないのである。

「ご報告出来たら良かったのですが……潜入に接触は厳禁かと思いまして、……不本意ながらそのままに」
「コレさえ無きゃな、十分使えるヤツなんだが」
「コレが致命的だからこんな事になってんでしょうに。……腹、斬らせませんか?」

 突然、名案だとでも言いたそうに、紺野がとんでもない事を言い出す。これに周囲はびっくり仰天なのだが、唯一、同じ軍人の三上だけは違った。

「ああ、それは名案。おい、浅見」
「へ!?」
「お前、コイツの代わりになれ」
「は!?」
「国軍の一番隊だ。……まぁ、それなりに危険はあるが、地位も金も約束はされる」

 三上は突然、浅見へそんな事を切り出した。先程からそのような素振りは見られたものの、本当に切り出されてしまった突然の話に、浅見は混乱していた。

 浅見も、噂くらいは耳にしていたのだ。国軍最強とも言われる一番隊の事を。かの一番隊隊長は、それこそ|鬼《・》|の《・》|様《・》|に《・》強く、そして|鬼《・》|の《・》|様《・》|に《・》恐ろしいのだと。ひとたび男を野放しにすれば、国は滅ぶと。
 その噂が、本当の所何を意味するのかは浅見には分からない。ただ少なくとも、目の前に居る三上がその様な人間で無い事くらいは、浅見も知っているつもりだった。そのつもり、というだけで事実は異なるのかもしれない。けれどもそれでも、浅見は己の直感を信じたいとそう、思っている。

「うう……でも僕、卒業後は師匠のところに戻るって決めーー」
「あのクソジジイがそんな事を許すと思うか?」
「…………うっ」
「ジジイの所が駄目だとしたら……結界術って事は、内務か?あそこは止めとけ。妖怪どもの巣窟だぞ」
「グッ、……三上、そう言って他所をこき下ろすの止めてくんない!?」

 けれども確かに、彼は本当に鬼かもしれないと、この時浅見はちょっとだけ、思っていたのだった。

「何だ、そんなに軍人は嫌か?こんな学校に通ってて?」
「それは……」
「お前の将来だからな、お前の自由だ。だが、巡り合わせもチャンスの内だぞ」
「巡り合わせ……」
「あのジジイがこうなる前に結界を修復していれば、俺は此処へ来る事も無かった。国軍、特に一番隊の任務は多忙極める。俺が今この時、この学園を訪れる事も無かっただろう。全ては運命の巡り合わせだ」

 三上は浅見達を前にして、そのような事を語る。ひとつでもピースがズレていれば、2人が、浅見達と三上が出会う事も無かったのだ。浅見がこの学園に入っていなければ。三上が依頼に駆り出されなければ。別の人間が任務に充てがわれていれば。結界術の綻びが今、発覚しなければ。
 そんな偶然の巡り合わせにより、2人は出会ってしまったのだ。

「…………」
「だから、お前が考えて決めろ」
「…………うん」
「そしてお前が来れば、俺は晴れて自由の身、香久夜を処刑できる」
「処刑」

 浅見はそれきり、三上に文句を言う事もなかった。本当に、真剣に考えてくれているのだろうかとも三上は思ったのだが。それと同時に三上を不安が襲う。もしも浅見が自分を選ばなかったら。多分、二度と2人が会う事はない。そう思うと、三上は突然恐ろしくなったのだ。
 自分と過ごした時間は半年たらずに過ぎない。何十年と生きて行く中でのたった半年。自分は浅見の中で出会ってきた大勢の中の一人として、少しずつ薄れて思い出になっていくのだ。己の任務によって護られてきた国民の一人として、平和を享受する一人として、その中に紛れていく。

 だが、それが嫌だと、三上は思ってしまった。このような我儘な気分は初めてだったかもしれない。だから三上は、我慢が利かなかった。このような事は、長い三上の人生に於いて、初めての経験だった。

「おい、浅見」
「なに?」

 その時三上は、とある術を唱えた。それは見事に浅見へ命中し、その首筋に藤色の藤の紋を刻む。

「いたッ!な、なになにッ、なに今の!」
「三上隊長!」
「安心しろ、害などない」
「当たり前です!」

 三上が紺野に怒られているその間に、焦って首を押さえる浅見に近付く者が一人。

「タツキ!っおい、首、首見せて!」
「え!ケンショー……」

 それには三上もおや、と目を丸くする。それは件の、浅見の初恋相手ーー転校生の西園寺だったのだ。浅見も彼も、きちんと互いを認識していたのだ。浅見の心配するような事はなかった。それが嬉しくもあり、それと同時に三上は無意識ながら嫉妬する。
 何故、お前が今更出て来るのかと。あのまま浅見など放って置いてくれれば良かったのに。浅見を見つけたのは自分なのだ。自分の方が先なのだ。でなければ浅見はーー己を選んでくれないのでは無いかと。三上はギリリと拳を握った。

「ーー、ーー三上隊長?」

 そんな事を一瞬でも考えた所為だろう、紺野に名前を呼ばれていた事に三上は気付けなかった。先程まで三上は紺野に叱られていたというのに。一般人に何をするのだ、と。害が無いとは言え、その様な事が許される筈などない、と。
 そこでようやくハッとした三上は、紺野に謝罪すると同時に、言い訳がましく呟くように言った。それは紺野にしか聞こえない、呟くような声だった。

「紺野、今だけだ。すぐに、元に戻るから。今だけは、許せ」

 そう言った見慣れぬ隊長の姿に、紺野は一体何を思っただろう。それきり、紺野が三上に対して口を挟むような事は無かった。
 そんな三上に対しても、西園寺は容赦無く言った。

「ちょっとアンタ!国軍の人だか何だか知らないけど、一般人になんて事してんですか!」
「ーーん?ああ、その紋章か。安心しろ、時期に自然と消える」
「時期にって……すぐ消して下さいよ!」
「何がそんなに嫌なんだ?今依頼した任務にも、あれば便利なんだが」
「ぐーー、で、でも!タツーー浅見は依頼受けるって、言ってませんよね!?」
「それはお前が決める問題では無い。大人の話だ。賠償等も絡むと、私は言った筈だが?」
「っーーそれ、は……!」

 子供相手に何て話をと、三上も思わないでも無い。しかし、三上は話に割って入られた事が気に食わなくて仕方ないのだ。隣の紺野からは、咎めるような視線をビシバシと感じる。だが三上は、務めてそれを無視しながら言葉を続けた。

「決定権はお前などに無い。関係の無い者はすっこんでろ。邪魔だ、時間もない」

 三上は少しだけ、いつもの隊長としての威圧を込めながら、彼に向かって言い放つ。途端、その端正な顔立ちに堪えるような悔しそうな表情が浮かぶ。少し、震えているのも分かった。
 この様な空気の中、オトモダチの為に勇気を持って圧倒的強者の前へと躍り出る。それが大人であってすらどれ程難しいか。三上はその無鉄砲さに関心すると同時に、それが出来る彼に、更に嫉妬する。
 だが、三上もきちんと大人であるのだ。すべき事くらいは承知している。きちんと、感情と仕事とを切り分ける事くらいは出来るのだ。感情よりも、隊の、己の利益を優先する。

「ーーこの場に集められたお前達全員に頼みがある」
「え」
「卒業後、君達に是非とも一番隊に入って欲しい。これは、スカウトだ。我々の任務に耐えられると判断した者全員に対して直接話す内容だ」
「「「!」」」

 先程のようなふざける調子も、生徒のような気易い調子でもない。それは、一番隊隊長としての、きちんとしたお願いであった。
 そのような三上に補足するように、隣の紺野が話し出す。

「我が部隊ーー国家戦略実行部隊の人手不足は深刻で、一番隊は特殊任務を扱う関係上、特に顕著です。ごく一般の隊員に所属させるには余りにも荷が重過ぎる上に、他隊に比べ高い危険を伴います。ですので、一番隊に入隊するものは、此方よりの選抜のみとさせていただいております。もちろん、本人の意思を確認した上での入隊となりますので、辞退や退役も自由です。勿論、秘密厳守のため除隊後も監視は行いますが。ですのでーーここに居るあなた方全員に、一番隊で任務をこなせるだけの技量を見込んで、お話をさせていただいております」

 紺野の話す間、三上はこの場にいる生徒達一人一人の顔を伺い見た。硬い表情の中に映る微かな興味と、同じ程度の困惑と不安。ここに居る者は皆、十分な素質を兼ね備えているはずなのだ。国の奴隷となり、民の平和を護る為に死をも覚悟して、日々生きられるだけの強さが。楽な仕事では無い。だからこそ、十分に素質があると判断しなければ絶対にしないような話を今、三上達はしているのだ。
 すべては浅見を引き込む為と思わないでもない。それでも三上は、出来る手は何でも打っておきたかったのだ。彼に残された時間はもう、残り僅かなのだから。

「我らの我儘は承知の上。結論は急がん。人生を左右する決定だ。但し勧誘は一度きり、しっかりと考えて結論を出していただきたい」

 そう言って、三上自身も頭を下げる。これには、紺野も酷く驚いていたのだが、三上自身もなぜこんな事までしているのかは良く分からなかった。ただどうか、離れたくない。
 それは願いにも、祈りにも近かった。


 そして、ゆっくりと頭を上げたその時に。
 三上は気付いてしまった。同時に、深いため息を吐く。

「紺野」
「はっ。伝令、前へ!」

 タイムリミット。
 紺野も三上もしっかりと理解した上で、普段通りにそう言った。そして紺野は、さり気無い動作で浅見と西園寺を含めた生徒達を少し、後ろへと下がらせたのだった。

 紺野の掛け声と共に、床に再び魔法陣が出現した。今度は一つではない。小さく、しかし複雑な陣が三方に分かれて浮かび上がり、次の瞬間には、紺野と同じような軍服を身に纏った男達が出現した。その誰もがこうべを垂れ、三上に向けて跪いていた。二人は紺野と同じく藤の紋を首筋に、一人は黒い桜の紋をこめかみに保持していた。

「一番隊五月女。外務より三上隊長への書簡を持参致しました。至急戻られたしとの事です」
「一番隊菅原です。◯△国より内紛の件、至急対応求む、との電信を預かっております。至急応答されたしとの事」
「二番隊扇です。二番・三番両隊長より代行賜りました。首長会議の開催許可を頂戴いたしたく、参りました」

 口の中で静かに文句を言ってから、三上は彼等へと指示を出す。此処が司令室では無い事を考慮した上で、少しだけ優しい口調だったのは軍人達のみぞ知る。

「伝言確かに受け取った。二番隊扇、そして菅原、未(ひつじ)の頃には戻ると伝えろ。それと、五月女、書簡はここに出して行け」
「っいや、しかしここはーー」
「良い、早く出せ」

 それぞれの伝言を聞くや否や、三上は即座に捌く。そして、五月女は戸惑いながらも懐から羊皮紙を取り出した。すると次の瞬間、その書簡は慌てる五月女の手許から、三上の手の中へとヒラリと飛んで行ってしまったのだった。
 それを空中でキャッチした三上は、封印のされた書簡を目前にしばしジッと眺める。そうしてしばらく見ていたと思えば。突然、三上は舌打ちを打った。
 遠くからでも分かる程、三上が酷く苛立っているのが見てとれた。それをぐしゃりと手の中で潰してから、三上は言う。

「五月女、依頼承った。至急外務に向かう。二番隊扇、件の会議は来月以降に持ち越しだ。菅原、○△国の件外務より依頼承ったと伝えろ。……紺野!」

 三上が早口に処理していく中で突然、パッと三上の手の中の書簡が青い炎に包まれる。そしてその次の瞬間には、封すら切られる事のなかったそれは、灰になって散り散りに砕けていった。その灰すらも手の中で撫で綺麗に消して見せた三上は、同時に紺野を呼ぶ。

「はっ」
「このまま戻る、彼等に着いてやってくれ」
「……しかし、三上隊長はーー」
「私の事は好い。何……いつも通りだ。元に戻るだけだ」

 突然動き出した軍人達に目を白黒させる面々の前で、三上は右足を三回、床に打ち鳴らしてみせた。すると今度は、三上の姿があっという間に白い煙に包まれる。それからようやく煙が晴れたかと思えば、そこには全く別の姿をした男が立っていた。
 金色の綺麗な刺繍と、金色のボタンをふんだんにあしらった豪華な黒い軍服を身に纏い、日本刀を指した背の高い男。それが、そこには立っていた。

「では諸君、浅見も、ここでの学園生活は中々楽しかったぞ。俺は再び鬼へと戻らねばならん……」

 それはまるで、先ほどまでそこに立っていた生徒が大人へと成長したような姿をしている。唖然とする生徒たちの目の前で、長身の男はーー三上は軍服を正した。
 その表情はとても、紺野が見た事もない程に穏やかなものだった。

「お前達が望まぬ限り、もう二度と会う事は無いだろう。もし、覚悟を決めてくれたあかつきにはーーそうだな、俺より直々に褒美でもやろうか」
「ちょっと、待って!僕への依頼は?三上、一緒じゃないの?」
「それは、俺でなくてもできる。香久夜の事を話したろうに」
「なに、それ……そんなの聞いてない。もう、会えないって、なにそれ!」
「何だ?俺に会えず寂しいのか?」

 上衣のポケットから白い手袋を取り出し片手ずつはめながら、三上は苦笑する。姿も声ももう変わってしまったが、浅見とそうするような、いつものからかうような調子で言う。

 だがその時突然、浅見は三上に駆け寄った。咄嗟の事で反応で出来なかったその三上の両腕を捕まえて、浅見は三上を見上げる。怒るような悲しむような、そんな混ぜこぜになったような表情だ。つい先ほどまでは変わらぬ身長であったのに、変わってしまったその差に三上は奇妙な寂しさを覚えた。

「当たり前じゃんッ、友達なんでしょ?違うの?」
「……バカ野郎、男が泣くな」

 泣いてはいない、しかしともすれば泣き出してしまいそうな浅見の表情に、三上は何とも言えぬ気分になる。このような気分は初めてだった。一刻も早く、立ち去らねばならない状況なのに、酷く後ろ髪を引かれる。

「泣いてないもん、三上の阿呆ッ!」

 そう叫んだ浅見に三上は、困ったような笑みを浮かべる。そしてーー

「すまん。さらばだ」

 そう言って軽く屈み、浅見の頬にくちづけを贈る。そんな三上のらしくない行動に、浅見が目をまん丸と見開いた。そうして腕の拘束が緩んだその隙に、三上は。

「紺野、後を頼んだ」
「承知」

 サッと浅見から逃れると、瞬く間に、その場から消えてしまった。魔法陣が見えたのすらほんの一瞬で、あっという間の出来事に、誰もが引き留める事すら出来なかった。
 まるで過ぎ去った秋の嵐のように、言葉にも出来ない微かな寂しさを残して。鬼は、瞬く間に帰って行ってしまったのだった。
 鬼の住む、地獄の底へと。





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