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第四ラウンド



その日は、夏の暑さがかなり和らいで、雲に隠れた弱い日差しが日光浴にはちょうどいい日だった。

この学校に転入してきてからひと月がたったが、未だ喧嘩やら失恋やらを引きずって、イマイチ調子が出ないでいる。つい最近になって、見知らぬ生徒が何人かここへやってきたりしたが、全員追い返してやった。この屋上は人も来なくて静かだし、物思いに耽るには最適だ。彼らが何をしにここへ来たかは知らないが、俺の事を知っているようだった。理由が何であれ、厄介者に構っていたくない。

その日は、襲撃者も来なくて、悠々自適なサボりを満喫していた。音楽を聞きながら日陰に横になる。気持ちが良い。そうしている内に、俺はウトウトとして、気付けば寝てしまったようだった。


それからどれくらい眠っていたのだろうか。何かの違和感に、意識がふと戻るのを感じた。何か、胸のあたり、服だろうか、触られているような気がする。確か、前にも同じような事があったはずーーと、ムカムカとした気分がこみ上げて来る。そうだアイツだ、アツシだ!俺は寝ぼけ眼に犯人を決め付ける。目を開けるのと同時に、その胸ぐらを掴み上げて床に叩きつけた。息の詰まったような音を聞きながら、俺は急にハッキリとした意識で目的の人物に凄む。

「!」
「アツシてめぇ、またこんどやったらひねりつぶ、す、ってーー」

膝で相手の胸に乗り上げながら、首を掴んで顔を近づける。だがその時、俺はようやく違和感に気付いた。香水の香りが違うのだ。

尻窄みとなった言葉を途中で切り、しばし動き止める。そもそもが、アツシはここまで図体はデカくなかったはずだ。目が霞んでいて顔がよく判別できない。咄嗟に目を擦り、目を瞬く。クリアになった目を、その男に向けてようやく、俺は彼を認識することができた。これは、この男はーー。

「あ?」
「よう、一ヶ月ぶりか?」

なんでこんな所にという感想が第一で、俺は目を見開き、その男ーー神部を見下ろした。それと同時に感じるのは、心臓が跳ねるような興奮。態勢は兎も角として、久しぶりに会えた事が素直に嬉しかった。

「あー、と、そのだな、違うんだ、ちょっとしたイタズラ心で……」
「は?」

突然、神部はどこか気まずそうに目泳がせた。何かと不思議に思っていると、彼は俺に乗られたままの状態で、腕を伸ばして俺の制服ーーシャツのボタンに手をかけてくる。何だ、と目を白黒させているうちに、半分ほどあいていたボタンが、ひとつひとつ留められていく。そこでようやく、俺は気付いたのだ。……前のボタンを、あけていた覚えがない事に。そして同時に、イタズラ心だと言った神部の言葉に。

「!?」

それに気付いた瞬間、俺は勢い良く神部から離れた。ズルズルと後ずさりながら、入学時に説明されたこの学校の特殊な風習を反復する。ゲイがやたらと増えてしまったという話を聞いたが、とこの学校の制服を着ている神部と、その恋人らしき人物を思い浮かべた。同時にそういう事かと合点する。だからこの人は、男を恋人にしているのだ。

後ずさった勢いで、かしゃりと屋上のフェンスに寄りかかる。そのまま、息を大きく吐き出し、あの一瞬で微かに熱を帯びた自分の心を落ち着かせる。自分に興味を持ってもらえている事に喜びを感じる。それだけならばまだしも、男もイケるくちであるならば、この自分ではダメなのだろうか、とそんな考えすら頭を過る。

ああこれは重症だと、俺は自分の思考をもって手遅れであることを悟る。どんなに否定しても頭を冷やしても、この目の前の男がどうしようもなく輝いて見える。あの時の、楽しそうに真っ直ぐ自分を見据えた目に、再び自分を映してほしいのだ。姿形の完璧さだけではない、この一月でコソコソと調べ上げたカムイのトップの逸話全てが、焦がれる要素となってしまった。

女々しい、らしくない、否定したくても敵わない自分の気持ちに、俺は酷く混乱した。

「アンタ、ここの生徒ーー?」
「そうだ。これでも生徒会長だそ」
「!?マジか」
「マジだ」

そしてようやく絞り出した声は、覇気にかけるらしくない声音で。そんな自分の様に内心笑いながら、生徒会長だといった神部をひとまずじっと見返した。妙な緊張感を覚えながら、俺は落ち着かない気分で話題を必死で考えた。しかし、余りにも突然の出来事であったせいか、真っ白な頭で思いつく事は本当に何もなかった。



「まぁとりあえず、座れ」

しばらくの沈黙の後で、神部がようやく動き出した。それに少しばかりホッとしながら、その場でしゃがみ込んだ神部を見る。隣を手でポンポンとたたく動作が、体格に似合わず酷く優しげだった。

やはり緊張しながらゆっくりと近付いて、俺は神部から少し離れたところに腰をおろした。挙動不審なのは承知しているが、他にどうしてよいか分からなかったのだ。

「……遠い」
「うるせ」
「何だ、意識してんのか?」
「ちげえよハゲ!しね!」
「…………」

照れ隠しに思わず、暴言を吐いてしまった。死ねは二度目だったか、そんな事を考えながら、大人しく受け流せない自分を恥ずかしく思った。

「それで、サイーーいや、西條ヤヨイか?お前、あの倉庫になんで来ないんだ」
「……また何か起こしたらアメリカ行きだって、おっさんが言った。下手なことはしたくねぇよ」

大きく溜息を吐きながら言う。半分本当で、半分嘘だ。アメリカに行きたくはないし父親の迷惑にもなりたくない、そして、カムイの倉庫にも行きたくない。この神部が、恋人と共に居る姿を見たくはない。携帯を解約されたのも、全寮制の高校で外に出にくいのも、多分自分の口実でしかない。少しの間でも良い、時間がほしかったのだ。

「皆と連絡とれねぇし。ーーあのおっさんにも、かなり迷惑かけたから」
「……ならなんでずっとここに?」
「教室には行きたくない」

前の高校で色々あったせいか、同年代と一緒に勉強するという環境が、苦痛でしかないのだ。たかが試験されど試験。勝てない人間をどうにか蹴落とそうと画策する、まるで外道の集まり。それこそ、我慢して耐えているのがバカバカしくなる位。あの時から、俺は勉強を捨てた。このまま無知で居る気はないけれど、勉強ごっこは御免だった。

そんな俺は、小さな頃からずっと父に育てられてきた。幼い頃に母を亡くして、以来父の頑張りを傍でずっと見てきた。頑張って作った料理がまずかった時だって、授業参観で男一人佇んでいた時だって、父は一生懸命だった。そんなだから、どうにか高校では我慢して机に噛り付いて、自慢だと言ってもらえるような人間になれるように必死で頑張っていたのだ。

学校も家も飛び出してしまった今更ではあるが、捕まった以上、俺の居所を知りながら放っておいてくれた父の妥協を知ってしまった以上、もう迷惑はかけたくないと心から思っているのだ。

と、ごちゃごちゃと理由を考えていた俺だったが、神部は黙り込んでしまった。てっきり理由を聞かれるかと身構えていたのだが。神部は何か考えているのか、じっと俺を見ている。とても、気まずい。
結局、俺は他に何かを話すまでもなく、沈黙は神部の言葉と共に終わりを告げる。

「分かった。なら、とりあえず俺らのいる生徒会室に来い」

その言葉にぎょっとして神部を見るが、彼の顔に茶化すような様子はない。しばらく見つめ合う形になって、ようやく口を開いた時には動揺が声に出てしまった。

「……な、んで、そうなんの」
「立ち入り禁止の屋上にいられても困るし、かと言って寮部屋に籠られてもな。生徒会室なら人数も少ないし、カムイの連中もいる」
「…………」
「挨拶がてら、見てけよ。お前だけだぜ、チームに顔見せできてないの。時間もそんなにとらせない」

生徒会室。この学園に入る時、説明された。その部屋がどういう人間の集まりであるか、そして、この学園の特殊性の最たるところがそこであると。神部の提案を拒否したい気持ちはある。けれども、一度約束してしまった以上、自分はカムイの人間にならなければならない。チーム全員が仕方ないと納得した事であるし、見つかった以上嫌だと駄々をこねる訳にもいかないのだ。最初から分かっていた事だ。例え恋人同士の逢瀬に嫉妬する事になっても。

生徒会室に行くだけで喧嘩をするつもりが無ければ問題にはならない。集会にも、たまに顔を出す位なら、許されるのではないだろうか。この一月の間で、自分の心はある程度落ち着いた。まだまだ本調子とは行かないが、納得出来る位には心の整理もついた。結局、踏み出すキッカケを見つけられないでいたのだ。いつまでもウジウジしていては男が廃る。だから今ならきっとーー、俺は自分自身に発破をかけながら、とうとう前に進むことを決めたのだ。

「……分かった、行く」
「よしきた、お前が来なきゃ、お前のとこと戦った意味ねぇんだよ。俺はお前が欲しかったんだ」
「!」

ニッコリ、そう言いながら笑う神部に俺は不意打ちのときめきをくらい、一瞬惚ける。行くぞ、と声をかけられて我に返った俺は、心の中でタラシめ!と罵りながら、歩き出す神部の後へと付いて行った。






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