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03



「待て、っつってんだろ?何戻ろうとしてんだよ」

すぐ傍で声がしたかと思えば、肩を捕まれた。咄嗟に振り払おうとしたが、案外力が強いのか肩は捕まれたまま離れない。不良連中は強引な奴が多くて困る。完膚無きまでに叩きのめさなければ解らない。

軽く舌打ちをして、振り向き様に技を仕掛けた。掴んでいる腕を鷲掴み、自分自身の身体を軸にして相手を投げ飛ばす。痛い、だなんて情けない声が聞こえるが、倒れた相手が動けない内に、馬乗りになり襟首を捕まえた。そこで初めて気づいたが、サルではない方が俺を呼び止めていた事が判明した。道理で、重いはずだ。こちらならば話も通じる、早急にお引き取り願いたく、俺はあらん限りの力を持って制圧にかかる。これで逃げ出さなかった奴なんて、居ない。

「テメっ、」
「……鬱陶しいんだよ。さっさとあのサル連れてここから−−」
「ぁ、お前、イバタ?ーー井端京輔(イバタ キョウスケ)……?」
「…………は、」

しかし、人生とは本当に上手くいかないものだ。
不意に話を遮られて、名前を呼ばれた。−−ここに居る誰も知らないはずの、俺の本名だ。いや、そんなはずがない。この街は元居た所から遠く離れているし、誰も俺の居場所は知らないはずで。この時俺は混乱していた。目の前の男に見覚えはなくて、それでも呼ばれた名前は確かに俺のもので。俺の顔を見てその名を呼んだ事から、俺を知っている事になる。だからそれを認識した瞬間、俺の中に駆け巡ったのは、恐怖だった。

咄嗟に素早く男から離れて、ジリジリと後ろに下がる。しかし、下がるには限界があるのは当然で、背中に人がぶつかるとそこで止まってしまった。頭が、回らない。

「え……翔、知り合い?」
「ま、さか、こんな所で合うなんて思ってなかったよ……覚えてないか?俺、井端と一緒の−−」
「!?」

あまりの混乱と動揺に、俺は思わずそいつに回し蹴りを食らわし、そのまま工場から走って逃げた。後ろからサルのものらしき怒号が聞こえたような気がしたが、構うもんか。昔の自分を知る人間は俺にはいらないし、今更本名で呼ばれる事も望まない。ここで名乗っているサガラが、今の俺。好きだった母親の、旧姓が、唯一の繋がり。

走って逃げる最中、ようやく思い出した彼の事は、引きこもりがちだった俺の、クラスで唯一の話し相手だったということだ。顔はロクに覚えていなかったが、そんな感じのクラスメイトがいたのは覚えている。雰囲気と香りだけが、当時の俺には目印となっていた。


彼は、中学時代、勉強とPCにばかり没頭していた俺にちょくちょく話しかけてきては俺自身の事を聞いてくる、変わったヤツだった。見た目は不良臭くて、実際やんちゃもしていたのに、俺のことを妙に気にかけていた。きっと、その時の俺はとても面倒くさい性格をしていたと思う。俺自身、俺のような人間と仲良くしたいとは思わなかっただろう。それでも彼は、根気強く俺を相手にしていた。彼がそんなことを続けている内に、俺は絆されてしまったのだ。ポツリポツリと、普段しゃべりもしない自分の事を打ち明けてしまうようになったのも、すぐだった。嫌々ながら格闘道場に通わされている事も話したのか、一度道場に見に来ていた事もあったような気もする。大切な親友のことも、話した記憶がある。
そんな仲だったにも関わらず、名前すらロクに覚えていない俺が彼を友達と呼んで良いか分からなかったが、唯一話しのできたクラスメイトだったことには違いないのだ。


走ったせいだけではない動悸を感じながら走って、明るい街の中心街に出た。街の明るいネオンを周囲に感じる様になって、それからスピードを落とし、額の汗を拭う。予想だにしない出来事に、思った以上に動揺している。今日は大人しく自分の家へ戻ろう。そう決めて足早に街中のネオン街を抜ける。何かに絡まれる前にここを離れよう。早く早く家に帰って、メールをチェックして、とっとと今日の出来事を忘れてしまおう。そして、これからどうやってあいつらと関わりを断つか、手段を考えよう。早く早く、情報が流れる前に。

過去を知られることをこんなにも恐れていたなんて、俺はこの時初めて気が付いた。結局、何も知られていない事が俺にとっての安らぎであったのだ。そしてこの時同時に、家だけが自分の城である事を改めて思い知ったのだった。






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