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05



食堂での一件の次の日から、表面上は穏やかな日々が続いていた。

おはよう、と声を掛け合いながら教室に入るのは、Aクラスの生徒の日課だ。クラス柄真面目な生徒が多く、朝早くから登校して勉強をする生徒もいる。しかしそれでも、話が始まれば些細な事も皆が食い付いて、8時ともなれば勉強道具など机にしまいこまれてしまう。彼らも、下らない事に笑いあえる、普通の高校生である事には変わりないのだ。

それが、日常のはずだ。
間違いなく、そのはずだ。

その日のAクラスは異様に静まり返っていた。教室からは話し声が一切聞こえないのだ。通りすがる他クラスの生徒達は、少なからずそれを不審に思うが、クラスが違うばかりか、用事すらないのにドアを開けるだけの気概もない。そうして何事も無かったかのように過ぎる。

そして、Aクラスの生徒はと言うと。
教室のドアを開けた次の瞬間には、誰もが声を失う程の気まずさと、頭を鈍器で殴られるような強い衝撃に襲われるようだ。衝無言で席に着き、チラチラ、互いの目を見合わせながらもなぜかその現場に目が行ってしまう。最早、怖いもの見たさであった。


教室の中央最後尾の席に座る二人組は、榊原奏夜と桐生奏斗。

件の当事者である。
ひとつの椅子に向かい合わせで座る2人の周囲には、誰も真似できない程の甘い空気が漂い、見るものすべてを引かせている。表情筋が死滅していると揶揄されていた桐生奏斗が蕩けるような笑みを浮かべているのだって、榊原奏夜がその匂いを嗅ぐように鼻を寄せる彼の頭を撫でる傍ら、その彼のはだけたシャツの中に手を突っ込んでいるのだって、ただの仕様らしかった。

別に、教室の椅子が足りない訳でも、席の場所が分からない訳でもないはずだ。例えその様子がその2人にとっての日常だったとしても、他者にはもれなく衝撃を与えるのは変わりようも無い事実だった。そして最終的に、ギリギリの時間に登校してきた空気の読めない早乙女が、雷で打たれたような顔で乱入するまで、それは続いた。
不躾な早乙女に、その時ばかりはクラス中が感謝したのは言うまでもない。

「ちょ、お前等何でそんな座り方してんだよ……」
「え?何で、普通だよ?」
「普通って……どんな生活送ってきたんだよ。まぁそれより奏夜、昼休みまた一緒に食わない?奏斗も一緒に」

そんな彼は大分気が落ち着いたのか、それとも昨日の一件で何かを悟ったのか、前のように声を荒げる事も無理に手をとる事もせず、いつもと変わらぬ調子で早乙女は誘う。多少モジモジしているのは、まぁ、そういうことなのだろう。クラスの大半が一斉に悟った。

早乙女率いる軍団――と言っても、今は一匹狼とチャラ男のコンビしかいないが――は相変わらずで。一方的に奏夜と奏斗を不服そうに睨み付けている。昨日の事を根に持っているのは見るからに明らかであった。

しかし、そんな二人に敏感な奏斗が気付かないはずもない。奏斗もまた、主人のためを思いその2人に向けて、ホンモノの獣の威嚇を繰り出す。ビクリ、そんな形容が相応しく怯んでいるにも関わらず、それを必死で隠そうと強がっている。奏夜は、そのやり取りを見て見ぬふりをしながら、内心では(ザマァw)なんて、盛大な高笑いをしているようだった。

「うーん……お誘いは嬉しいんだけどさ、実は僕らね、今日はおべんと持ってきてるんだよねぇ」
「え……それって奏夜が……?」
「ううん、奏斗が作ったんだよ。奏斗は僕の嫁だから!」
「よ、よめ!?奏斗が……?」

驚く大和屋に、奏夜は笑顔で頷く。と、同時に奏斗の頭を優しく撫でる。狗として、奏斗かわ放つその威嚇が、常人にどれだけのプレッシャーを与えるか、奏夜は十二分に理解し、効果的な使い方も承知しているのであった。

「そろそろ止めようか。流石に懲りたでしょ」
「…………」

頃合いをみて、ポンポン、と手を奏斗の頭に乗せてそう言う。当の奏斗はサッと纏う空気を変えると、何事もなかったかのように再び奏夜の胸元に顔を埋めだした。そんな奏斗の姿を見て奏夜は楽しそうにその頭を撫でる。通常運転だ。
そんなやり取りを見ながら、明らかにホッとした様子のクラスの面々は、何とも言えない表情で、例の2人をチラ見するのであった。

「えと、じゃあさ、俺、購買で何か買ってくるから、教室で一緒にーー」

そんな甘い雰囲気に切り込むように、大和屋がもじもじと言葉を紡いだ。どうやら、どうしても二人を誘いたいらしい、諦めが悪かった。だが奏夜がそんな事で心を動かされるはずもなく。

「今日は無理ー」
「えっ、な、何で?」
「だって3年ぶりだもん。カナと二人っきりで食べたいし話もしたい」
「〜〜っ!ヨル!」

流石の早乙女も察したのか、2人を交互に見やって残念そうにガックリと肩を落とした。




場所は変わり、静かな中庭に、奏斗と奏夜の2人きりで昼食を食べることとなった。
中庭といえども、昼時となれば人は集まるはずだったが、奏夜の選んだ有志により、“特別に”人払いが行われた。2人は誰にも邪魔をされることなく昼食を楽しむ事となったのである。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので。45分という昼休みも終わり間際だ。
奏夜は、トイレに行くとその場を離れる。勿論、奏斗はそれに着いて行こうとしたのだが、奏夜の命により不服ながらその場で待つことになった。

ことが起こったのは、そんな僅かな間の事だった。

「ちょっといい?桐生奏斗」
「……ん?」

一人きりでいた奏斗は、瞬く間に数人の生徒に囲まれた。合わせて五人。どれもひ弱そうな小さな生徒ばかりであった。奏斗は立ち上がり、彼らを見下ろしながら対処方法を考え始める。奏夜に迷惑がかかってはいけない。頭にはそれしか頭になかった。

彼らに、奏斗は以前会っている。親衛隊である事は知っている。しかし、親の仇とでもいうような威嚇は奏斗にとっては勿論ながら無意味だ。奏斗にとって、彼らはただの煩い動物でしかなかった。

「……あんた、何考えてんの?」
「は?」
「だから、そんなに皆様をはべらせて何がしたいの?」

一様に奏斗をひたすらに睨み付けるが、一方の奏斗はどこか上の空。本当に面倒臭そうに彼らを見下ろしていた。明らかに、態度からして相手にしていない。

勿論、そんな不遜な態度が彼らの怒りを煽るのだが、奏斗のそれは、ほぼ無意識の反応である。怒りを増幅させているなど気付いてはいない。奏斗にとっては、一般人の怒りなどどれも同じで、恐れを為すような事でもない。おまけに、奏斗にとって注意すべきなのは奏夜の周囲の出来事だけであり、自分に何が向けられていようとも、それは些細な問題なのだ。

「?」
「……これ以上近付けば、僕らが許さない。アンタの魂胆はお見通しだから」
「金平糖?」
「っ……アンタ僕をおちょくってんの?何様?」
「……従者さま?」
「あああああーー!何コイツ!何これワザとなの!?僕を見下してるの!?バカなの!?」
「……君、疲れてるんじゃない?」
「……このっ……テメェ顔かしな!」
「ヤダ!」

全く聞く耳を持たないのは、皮肉にも奏斗も同じなのであった。親衛隊も奏斗も、興味は自分の護るべき存在にしか向かない。だから、相手がどうなろうと知った事ではないし、関わる義理もない。この場合のこれは、同族嫌悪とでもいえばよいのだろうか?2者は、それぞれの主人の事しか考えてはいないし、為すこと全てが主人のためである。だからこそ、相手の話など聞くに足らない。

「……何をっ!隊長が折角丁寧に申し出ているのに!」
「あんた等の命令には、今は従えない。奏夜様が待てと言った。俺のあるじは奏夜様、だから奏夜様の命令に従う義務がある」

長々とした奏斗の言葉に、相手の堪忍袋の緒が切れたのだろう。歯ぎしりと共に携帯電話を取り出し、何処かにかけるような仕草をする。途端、物陰から人が姿を表す。着信が合図なのだろう、隊長とやらが携帯電話をしまう頃には、奏斗の周りを6人が取り囲む。気付かれない程度に、奏斗は身構えた。いつ襲われても良いように。一般人相手に、奏斗が負けるはずがない。だが、経験の刷り込みとは恐ろしいもので。

「コイツを連れて行って」
「毎度毎度、あんたも不幸だねぇ……」
「悪く思うなよ。俺達も、生活かかってんだ」

言いながら近付いてくる彼らを目にした瞬間から、未だ身体から消えない痣が、ジクジクと痛む。負けるはずはない。だが、身体に染み付いたあの命令も、痛めつけられた経験も、そう簡単に落ちるものではなかった。

「おら、行くぞ。グズグズすんな」
「ボクシングの時間だ」

咄嗟に捕まれた奏斗の腕が軋んだ。






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