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絡む糸



関東の外れ、東海との境付近に、俺が目的とする場所があった。繁華街から少し離れた場所にある背の低いビル群に紛れ、滅多に人の近寄らない区画がある。そのての人間がうろつくそこは、ある意味無法地帯。地元の人間も暗黙の了解と言えば良いのか、その区画では法すら無意味であることを理解しているようだったーーと、俺は今日一日で得られた僅かな成果を、手持ちの小型機器に入力していった。


あの男からの依頼を受けて、今日は実地調査に来ている。普段はパソコンの画面上で済ませておけば十分なのだが、今回は依頼の内容が内容なだけに、出足を確実にしておきたかったのだ。境目の地区とは中々厄介なもので、行動パターンや様式等々、案外現地で見ておかないと分からない事が多い。パターンさえ理解できれば、対象者の行動だって読み易くなる。そういう諸々の理由でやって来たのは良かったのだがーー、この土地、暑すぎやしないだろうか。

「死ぬ……冷房……暗室……」

六月も中旬に入り、雨がちでむしむしとした空気が漂い始めたのはまだ良いのだが、体感温度があの倉庫の辺りとはまるで違う。たまたま晴れ上がった今日の天気もきっと、この暑さを酷いものに変えているに違いなかった。もやもやとした空気が風にも流されず街に停滞し、まるで蒸されているかのようだ。これから更に暑くなるというのに、この土地の人間は一体どうやってこの暑さを乗り切っていくのか。甚だ疑問だ。

そして、街中を歩いている途中、とうとう俺は耐えきれなくなり、アイスを買い込み公園のベンチの日陰で休む事にした。無風状態がこれだけダメージを与えてくるとは恐ろしい。こんな事なら今日でなく、しとしとと雨の降っている間に来ればよかったと後悔する。雨の煩わしさも、きっと今日よりマシに違いなかった。

疲れきった身体に、甘いアイスというのは酷く良く効く。誰もいない公園で、サングラスをかけた男がたった一人でアイスを頬張るなんて、中々シュールだ。Tシャツの前を摘み上げ、中に少しでも空気をと仰ぐ。あまり変わらない。こういう事ならば半袖を着てくればよかった。めいいっぱい袖を捲り上げて、髪を掻きあげながら汗を拭った。

あっという間に一本目をたいらげてしまい、二本目の袋を開ける。この気温で少し溶けてしまったようで、少しだけ気が萎える。勿体無いので当然食べるが、手が汚れるのは必至だった。これを食べたらとっととあそこへ帰ろう、そう決心して携帯電話を片手に列車の発車時刻を見た。

余裕があることを確認しながら、溶けかけのアイスをどうにか口におさめた。手の惨状は予想通りで。指を舐めながら公園のトイレへと向かった。

公園同様、がらんとしたトイレは意外にも綺麗に掃除がされており、清潔感をいくらか残していた。この辺りでも比較的新しい公園なのだろうが、随分と物寂しい所だ。外の様子を思い浮かべながら、洗面の蛇口を捻った。

一通り汚れを洗い流し、ついでにとサングラスを外して顔に水をかけた。水の冷たさに一息をつき、髪を掻きあげると手に残った水が髪にも散っていく。少しだけ気が紛れた、と鏡を見やると、誰かが入ってくるのがふと目に入った。何だ、使う人もいるのか、そんな事を思いながら、外していたサングラスを手にとった。

その時だった。
鏡から目を外している隙に、何者かに腕を回されその顔を見る間もなく突然、首を締められた。

「ぅぐっーー!?」

何だ襲撃かと、もがいて腕を外そうとするが、ガッチリと首に回された腕は外れる気配がない。かといって、相手はそれ以上の事をする訳ではなく、ただ無言で俺を捕らえている。相手の目的が分からず混乱する。背筋に寒気すら走った。

「誰、だ、テメッ……離せ!」

そのまま、気付けば後ろへとズルズル引きずられた。どう足掻いても、引きずられる反動でバランスを崩してしまう。背後から襲って来たそいつの顔すら見る事ができない。そうやって引きずられながら無駄に体力を消耗しているうちに、気がつけばトイレの個室にまで連れて来られてしまった。何なんだ一体、そう思っていると。
バタン、という音と共に、個室の扉が閉められた。そうしてようやく気づく。その個室の中に、もう一人いたのだ。

「はいはーい、いらっさいお兄さん、ここらじゃ見ない顔だね、何しにきたの?観光?それとも何か用事?たった一人で?」
「ぅ、くっ」

その男は、見るからにヤバそうな、そのテの人間らしかった。見た目はただの今風の若者だが、腕の内側に隠すように厳つい刺青が掘ってある。どこかの組織に囲われている人間と思って間違いはない。

そしてその瞬間、酷くまずい状況であることを、俺は悟ったのだ。完璧に疑われている。恐らく、尾行されていたのだろう。この、拘束されている状態もさながら、それ以上に探りを入れにきたのではという疑いを相手にかけられているのだ。小遣い稼ぎながら、そういう仕事をしている身としては、疑われた時点でアウトだ。例え相手がどこの組織に属していようが関係はない、疑われるような行動をしていたという事に変わりない。

そういう状況をまざまざと突きつけられ、思わず抵抗を忘れる。このまま自分はシメられてしまうのだろうーー。羽交い締めにしてくる男は、相変わらず声を発することはないようだった。

「いやね、俺ら別に虐めたいわけじゃないのよ、お兄さん普通の人みたいだし?まぁ、怪しい動きとか別になかったから多分シロだと思うんだけどねー、ちょっと俺らあんたに興味持っちゃってさー、……ってか、ここの公園ってどういう所か知ってる?」
「…………」
「まぁ、普通に生活してれば知ってるわけないんだけどねー、」

危機感を感じながらも、この状況を打開できるだけの策がない。足掻いても拘束の手が緩まないし、2対1でしかも、相手はある意味プロだ。勝てる気がしない。

そんな弱気で、俺は男の行動を固唾を飲んで見守っていたのだが。先ほどから喋りっ放しの男の手は段々と近付いてきて、なぜか俺の腿を撫で出した。既に見慣れているようなデジャヴをこの男に見出しながら、背筋の凍るような嫌な予感が全身を襲う。まるであの連中のようじゃないか。恥ずかしながら、俺はこの展開の先を知っている。

「ぶっちゃけさー、あんたなーんかエロいんだよねぇ……ほら、さっきベンチでアイス食ってたじゃん?俺らずっと見てたんだけど、なんかこう、ムラムラしちゃって?」
「!?ひ、」
「俺カワイイコ専門だったはずなんだけどさぁー、暑いせいかなー。
ま、端的に言うとさ、ちょっと、ケツかしてくんないかなぁー?」

途端、さぁーっと血の気が引く。その男の顔が、獲物を捕らえた肉食獣のような顔をしていたのだ。これではまるで同じだ!

「ダイジョーブ、女の子みたいに孕まないし、ほら、これ使えば初心者のキミもあら不思議ー!すごい気持ち良ーくなれるからーー」

言いながら、男は俺のジーンズのベルトに手をかけて、同時に何やら危なそうな小瓶がポケットから出てきた。まったく想像したくはないが、そういうつもりなんだろう。

そして途端に、俺は我慢の限界を迎える。これ以上構ってられない、と自分の中の何かがキレる音がした。手加減は出来ない。同じだ。

「!」
「ゥガアッ!」

前の急所を蹴り上げ、前のめりになって後ろへ頭突きをお見舞い、前に背負い投げて落とす、膝で顔面を強打、這いつくばる身体を壁に向かって蹴り飛ばし、頭を扉に叩きつける。床に転がった男達はまるで瀕死の芋虫のようだ。そこへ容赦無く顔面目掛けて蹴りを一発ずつ入れたところで、

ようやく自分の気が収まる。……死んでないよな?そんな心配は毛ほどもしていないが、気分が芳しくない。一息をつき、地面に落ちたサングラスを拾い上げてみるが、あしが一本折れたらしい。使い物にならないようだった。

壊れたサングラスを男達めがけて投げつける。呻く男達を足で転がし、若干凹んでしまった扉を蹴り開けると、俺は駅に向かって走り出した。嫌な予感に、顔をしかめ汗を拭う。これ以上ここへ居ては駄目だ。そんな強迫観念じみた確信に囚われる。

そのままスピードを緩めることなく駅まで走りきり、まっすぐに券売機に突進する。今更にICカードが無いことを後悔しながら、苛々と特急のチケットを選んでいく。きっと今までの最短だろう、出てきた切符と釣り銭をさっと取ると、足早に改札へとーー

「お兄さんストーップ!」

向かおうとした所で、腕を掴まれた。後ろを見るまでもなく、あの男の声だと分かる。あの公園からこの駅までそれほど距離はないが、それにしてもあそこまでボコボコにされて平然としていられるわけが無い。

早音を打つ心臓が五月蝿い。驚愕しながら、ゆっくりと後ろを振り向けば、想像に違わず先ほど襲ってきた男達がそこには立っていた。殴られたと分かるような痣をいくつもつくって、しかし怒っている様子はなく、ニヤニヤと笑ながら彼らは俺を見下ろしていた。

ここへ来たのは完全なる間違いだったのだと確信した瞬間だった。





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