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「彼から苦情が来たよ、あの結界を破られた、ってね?」

さっと、空気を変えるように、かの理事長は手を合わせた。苦情、という言葉を使う割には、顔に怒りの表情が見られない。それどころか、彼は随分と楽しげであるのだ。まるでとても面白い事を見つけた、とでも言うような。噂とは当てにならない、フィデリオは特に感慨もなく、いつものようにそう思った。

その一方で、学内一と謳われる自分を差し置いてこの場を支配するその闇属性の男が、一体どんな奴なのか気になって仕方が無かった。主に、先程のクラウスの捨て台詞のせいだ。いつもいつも余計な事ばかり言ってくれるアイツをいつかどうにかしてやる、クラウス宛のそんな感情を無理やり抑え込んでから、考えを元に戻す。

闇属性、光と対、王族と対等の力を持ち得る唯一の属性、オールラウンド攻撃特化型、唯一精神攻撃の可能な属性、詳細は全く不明だが、人々は闇と魔物の関係を疑い忌み嫌う…

どれもが一般に言われている噂がほとんどで、特別珍しい情報を持っている訳でもない。それを思えば、闇属性の人間が、まだいるという情報にさっさと歓喜して、この場を出て行ってしまったクラウスの気持ちが分からなくもなかった。自分自身、かの生徒に会って見たいという欲にかられている。ただし、フィデリオの場合はクラウスとは違い、ただ手合わせして見たい、という願望が主だった。

ーー戦闘バカ

クラウスが彼をそう揶揄する所以である。

「ごめんなさい、それ多分俺です……」

顔面蒼白になりながらそれを白状した彼は、オロオロと理事長の前に駆け寄っていった。どういう話に飛ぶのか、フィデリオはある種期待しながら、彼らのやり取りを見守る。

「ああ君か、カイ=フォルトナー。噂は耳にしているよ」
「えっ……は、はい、俺の名前をご存知だったんですね、光栄です!」
「いや、それにしてもアレを破られるとは……私も結界術はまだまだだね」
「いえ!とんでもないっ、むしろ申し訳ないといいますか……」
「いやいや、ここ4年は破られなかったんだから、勘もさることながら、結界の術式に対する知識も大したものだよ!さすが結界術師フォルトナー家の血筋だね。君には後で、学院の結界について意見を貰いたい」
「いやいやいやいやそんな大それた事……」
「そう固くならないで!いやはや、今年の学友会はとんでもない生徒ばかりじゃないか。ここにいる全員が……一人足りないようだけど、歴代を凌駕する程の技量をもっている。戦闘魔導、属性研究、魔法具使用技術、結界術、隠密技術、癒術、そして精密魔術……誰もが貴重な人材である事は確かだ。こんな世代を間近で見れて、私はとても嬉しいよ」

にこにこと、笑みを絶やさず褒めちぎる理事長に、その場はこそばゆい雰囲気に包まれていた。人前には現れない王の縁者が、まさに今、目の前に居るのだ。皆が浮ついたような気分だった。が、元々そう言われるのが当然だ、という考えのフィデリオは例外で、こっそりと誰も気づかない程度に胸を張った。

「さて、挨拶はここまでにして、次の話に移ろうか」

ひと区切りをつけるように、理事長がパチンと右手を鳴らすと、どこからともなく周囲に柔らかな細かい光が湧き出した。その光が瞬く間に弾けると、空気が引き締まり同周囲が球体状の壁に包まれる。言わずもがな、結界の一種だ。

「ここから先は聞かれたくないからね、壁の向こうとの繋がりを遮断するよ」

理事長は全員に彼の周りに集まるように手で促した。互いに顔を見合わせながら、静かに移動する。それが完了した所で、彼は満足したように微笑むと話を切り出した。

「さて、近々学院の全学披露会が行われる。皆も知っているね?そこで、目玉企画として、彼の……レネのお披露目を行おうと思ってる」
「えっ」

学内披露会とは、年に一度のイベントで、学内のみならず、学外の様々な機関や学外の人間を集め、多種多様な形で技量を発表する。披露会、とは言わば魔術技量の品評会のようなものだ。そこに闇属性が関わる、というのは前代未聞。闇属性そのものの数が極端に少ない上、彼らは人前には決して姿を現さない。過去の遺恨が未だ根強く残っているせいだ。ルネという学生がこの学園に在籍しているだけでも、過去に例が無いのだ。

フィデリオはこの時、理事長のこの言葉で粗方を理解した。今日、なぜここでこのような機密事項を、学友会とは言え単なる学園の生徒に明かしたのかを。なぜ、それが今年なのかを。

「……彼、レネというのは、もしかしてーー」
「そう、そのまさか。闇属性の彼の雄姿をお披露目するんだよ」
「!」
「それ、大丈夫なんですか!?」

一同、驚きに目を大きく見開くが、誰もが同じように不安も感じている様子で。真っ先にそれを理解していたフィデリオは、理事長の顔をジッと見つめるが、彼はただただ笑うだけだった。

このイベントを学友会が制御し、その力の様、そして闇属性が学院を守護している様を見せ付け、あわよくば闇属性に対する恐怖心を払拭、学院を纏めるユリウス=ディ=グレゴリオの力が未だ健在である事の証明を、同時にという訳だ。

無理難題、とまではいかないものの、披露会そのものが相当に混乱する事は想像に難くない。その様を考えると、さすがのフィデリオも眉が自然と寄った。王族ーー理事長の権力さえ左右してしまう程の重大な責務ではないのかと。

「大丈夫大丈夫!ほら、君達が力を合わせれば、生徒達や来賓の連中を操るなんてきっと朝飯前だよ。万が一、どうにもならない事態になったら私が何とかするんだから。君達はただ、自分の能力を思う存分見せつければいいんだよ。遠慮はいらない」

宥めるような話の間に挟まれた、理事長の思惑に気付いたのか、次々とメンバー達が互いに顔を見合わせる。それを見て、理事長の笑みはますます深まっていく。と、ここでフィデリオは沈黙やこれから先の重圧に耐えきれなくなり、思わず口を開いた。

「……それで、そのメイン企画はこの中の誰が担当するんです?」
「おっ、いい所に気がついたねフィデリオ=シュルツ。ーーもちろん、戦ってもらうさ。戦うのは、君とクラウス対、私の結界とルネだよ」
「……クラウスと俺ですか」
「もちろんだとも。彼の技術は精度が高くて素晴らしいし、見せつけない訳にもいかないじゃないか。思う存分暴れなさいよ。きっと、面白くなるから」

クスクス、イタズラを企む子供の顔をした理事長に、メンバーは苦笑するしかない。だが、互いに目を合わせていくと、段々とそれがニヒルな笑みに変わる。そして最後に、視線が自然とフィデリオに集まる。合図を出すのはいつもフィデリオではあるが、こんな状況にあっても、最後の一声はやはりフィデリオに求められているようだ。無言で相変わらず含んだ笑みを浮かべている理事長から、無言のプレッシャーをかけられている気分にさえなる。

畜生この野郎……

学院の第一責任者がいるにも関わらず、無言のまま放置されていることに内心若干の恨み言を吐きながら、フィデリオは口を開く。この際全部自分のやりたいようにやってやる、そういう願望も含めて。

「やる以外の選択肢はない、っつー事か……ま、こうなったら意地でも成功させてやろうか」

フィデリオが、そう言い終わった途端だった。やる気に満ちた空気に包まれる中で、その言葉を待っていました!とばかりに、理事長はパッと企画書を手にすると、細かい所はヨロシク!という言葉と共にフィデリオにそれを手渡した。

手渡された分厚い書類。困惑しながらもそれの内容を一読。内容を理解して、思わず理事長に文句を言おうとサッと顔を上げると。既にそこに理事長の姿はなかった。その場にはただ、結界と瞬間移動の痕跡が残るだけだった。まさに、
あっ
と言う間だった。

この書類の内容を仕上げろと?フィデリオはしばらく唖然と書類の表紙を見つめていたが、それのページをパラパラと一通りめくった後で。文字通り顔を覆った。
理事長に会う術など、フィデリオは知らない。

「……それ、何ページあるんですか?」
「ザッと見、350はある……」
「ちゃっかり利益を掻っ攫うという噂は本当だった……」

しばらくの間、無言と絶望に包まれた学友会は、そのまま数日の間、塔の会議室に缶詰めとなった。

ただひとり、クラウスを除いて。






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