呼気に混じる寂しさ


「お兄ちゃん!ナマエちゃんも!久しぶり〜!」

 華やかな振袖を着て眩しい笑顔を見せてきたルナちゃんに、澱んでいた自分の表情も思わず緩んでしまう。

「ルナちゃん振袖可愛い」
「えへへありがとう!ナマエちゃんもお着物着れば良かったのに〜」
「うーん私はいいのよ」
「でもこのドレスも素敵!ネイビーのドレスって大人の女性って感じで憧れるな〜」

 私が選んだのは無難の中の無難なネイビーのドレスだった。ルナちゃんや、マナちゃんのお友達がきっと華やかで色鮮やかな格好で来るだろうし、親族だしアラサーだし悪目立ちしないものを選んでおいた。隆くんからもOKが出たし、結果これで良かったのだろう。

「前から思ってだけど、ナマエはネイビー似合うよな。肌が白いから映えるし」
「そう?」
「うん。今はちょっと髪明るめだけどさ、暗いカラーだと余計可愛さ際立つから次暗めに染めてよ」
「えーじゃあそうしよっかな…」

 私の腰に手を回し、ニコニコと笑いながらこれでもかと言うほど褒めちぎってくる。家の中ではあんな素気ないのに。私に興味のカケラもないのに。本当に彼は立派に仮面夫婦を演じきっていると思う。

「相変わらずお兄ちゃんナマエちゃんにベタ惚れだなぁ」
「いーだろ別に」
「勿論いいことなんだけどさぁ、実の兄のそういうの目の前で見てるのハズいんですけど」
「そういやお前彼氏とはどうなん?順調?」
「……」
「なんだよまさかもう別れた?本当ルナは長続きしねぇなー。少しは俺を見習えよ?」

 ダメだよルナちゃんこんな兄を見習っちゃ。確かに交際期間も含めるとそれなりに長く続いてるけど、それは単なる表面上のみの関係なんだから。そう心の中で唱えながら「まぁまだ若いんだしさ!」と適当にルナちゃんにフォローを入れておいた。

 隆くん的には下の妹のマナちゃんの方が先に結婚するのは意外だったらしい。歳もまだ二十歳そこそこなのに、早すぎるんじゃないかとまるで父親のように心配をしていた。そのせいで一時期隆くんの機嫌はいつも以上に悪かった。

「ナマエ、なんか飲む?」
「じゃあウーロン茶で」
「それでいいの?酒飲もうよ。シャンパンあるよ」

 待合室に用意されていたドリンクの数々の中から、私の意に反してお酒を渡してきた。カウチに座る時もぴたりと私の隣に座り、乾杯と甘い声をかけてからグラスをぶつけてきた。隆くんのお母さんや親戚から話しかけれニコニコと談笑しているその姿に引きずられるように、私もニコニコと笑顔を振りまいた。内心、窮屈で仕方なかったし早く帰りたくて仕方なかったけど。

 挙式、披露宴と進んでいき、マナちゃんが高砂で友達と笑顔で写真を撮っている姿を見ながら隆くんは少し涙目になっていた。母子家庭だった三ツ谷家では彼が実質父親代わりだったと聞く。忙しいお母さんに代わって育児も半分担っていた彼にとって、娘の門出のような気持ちなんだろう。隆くんのそんなところを私はとても尊敬している。だからきっと、家庭をすごく大切にしてくれる人なんだろうと思って結婚したことを思い出した。

「なんか思い出すな」
「え?」
「俺達が結婚した時のこと」
「……え、そう?」

 まさかさっきの涙目は私との結婚式を思い出してのことだったのか。いやそんなはずは…。でももしそうだとしたら、今の私の反応は失礼すぎた気がする。

 謝ろうとした瞬間、隆くんはトイレに立ってしまった。また機嫌を悪くさせちゃったかもしれない。帰宅後のことを想像すると、今から憂鬱になりそうだ。

「あの…ナマエさん?だよね?」

 そんな時私の席まで来て声をかけてきた一人の男性。彼の顔を見て思わずアッと声を出してしまった。

「やっぱりナマエさんだ」
「うわ、久しぶり…え?マナちゃんのお友達なの?」
「ううん、俺は新郎側のゲスト。いやぁナマエさんに似てる人いるな〜と思ってたんだよね。でも席次表見たら名字変わってるし。結婚したの?」
「うん、そうなの」
「ふーんそっかぁ……結婚しても相変わらず綺麗だね。そういえば仕事の方はどう?」

 あまり聞かれたくない質問をぶつけられ、どう答えようかと目を泳がせてしまった。なかなか言葉を発さない私を見て彼は「ナマエさん?」と呼びかけながら俯く私の顔を覗き込んできた。その距離感に少し驚き、思わず身を引いてしまう。

「どちら様です?」

 そんな私の肩を掴みながらそう聞いてきたのは、トイレから戻ってきた隆くんだった。

「え?あーっと…もしかして旦那さん?」
「そうですが。ウチの嫁になにか?」
「いやなんも。ごめんねナマエさん。久々に話せて楽しかったよ。じゃまた」

 そそくさと去っていく彼の後ろ姿を見ながら、一応ぺこりと会釈をしておいた。隆くんは私の肩を握ったまま、反対の手で頬を撫でながら大丈夫?だなんて聞いてきた。信じられないくらい甘い対応に反吐が出そうだ。

「今の奴、なに?」
「ちょっと昔仕事で一緒になった人で…新郎側のゲストで今日は来てるみたい」
「ふーん……何もされてない?触られたりとか」
「うん全然」
「も〜隆くんったらほんと心配性ねぇ。私たちも見てたけどナマエちゃんとちょっと話してただけよ」

 親戚の叔母さんが笑いながらそう言うと、隆くんは「だってコイツ昔から言い寄られること多いからさ」といかにも私がモテるような言い方をしていた。言い寄られることが多いのはどっちだよ、と私は内心呆れながら残っている料理を口に運んだ。

「まあ確かにナマエちゃんはこんなに綺麗だから心配になる気持ちも分かるけどねぇ」
「そうなんだよ。気立てもいいし可愛いとこあるし、ほんと自慢の奥さんなんだよ」
「もう新婚時期は過ぎてるっていうのにアツアツねぇー!」

 叔母さんと笑い合いながら隆くんは私の頭を撫でてきた。私たちがラブラブ夫婦だと信じて止まないこの人達にいつか教えてさしあげたい。本当は仮面夫婦で、家の中ではろくに会話もなく、寝室も別で、ただの同居人状態だということ。

 ◆

 「今日の奴、なんだったの?」

 帰宅し、リビングでふうっと一息ついた瞬間隆くんの不機嫌な声が飛んできた。帰りの電車はルナちゃんとお母さんと一緒だったから明るかったが、家に着いた瞬間すぐこの態度だから本当に嫌になる。

「なんのこと?」
「俺がトイレ行ってる間お前に声かけてた奴だよ」
「あぁ…だから昔仕事で」
「本当にそれだけかよ?顔覗き込む時お前に距離近過ぎだったろ、アイツ」
「…何が言いたいの?」
「元カレかなんか?」

 ビックリして思わず目を見開いてしまった。たとえ元カレだったとしても、あなたがそれを気にするの?っていう率直な疑問。だって私たちは、もう完全に冷めきってる夫婦なんだから。

「違うけど?」
「本当に?」
「…元カレ、ではない」
「と言うと?」
「…一度だけ、エッチしたことはある」
「……へぇ。お前そういう相手いたんだ」
「でも隆くんと付き合う前の話だから」

 彼に背中を向けながら、つけていたネックレスを外す。普段しないような大ぶりのアクセサリーがデコルテから外れすっきりしたなぁと思った矢先、突然感じた生温い感触。驚いていつも出さないような甲高い声が出てしまった。

「な、なに!?」
「なんかムカついた」

 背後から私の頸に、首元に、肩に突然舌を這わせてきた張本人はそのままちくりと噛みついてきて私の首元に赤い痕を残した。突然の出来事に驚いて最早声も出ない。なんで、こんなこと。私たちが最後に事に及んだのはもう一年以上前なのに、なんで突然こんなことを…。噛まれた首元に手で押さえながら混乱していると、ドレスの背面ファスナーが下された。

「ちょっとやめて、何の冗談よ」
「なんの冗談でもねぇよ」
「隆くん…やめてよ」
「それ旦那に対して言う言葉?」

 ぞわりと鳥肌が立つのを感じた。隆くんは昔から優しかった。今でこそ冷たくなってしまったけど、乱暴してくるような人じゃなかった。前に付き合っていた人の話だってしたことある。飲み会帰りにナンパされて困ったって話だってしたことある。どんな異性の話をしてもここまで怒るなんてなかったのに。

 ドレスも下着も剥ぎ取られ、気づけばリビングのラグの上に組み敷かれていた。昔はよく好きだとか可愛いとかたくさん言いながらキスしてくれたのに、今部屋の中に響くのはお互いの肌が擦れ合う音と荒くなる吐息だけだった。久々の彼との行為に少し身体的な痛みを感じた。でもそんな痛みを我慢しながらも、彼の大きな背中に手を回してしまう。まるで、穏やかで温かいあの頃の彼との日々を思い出すかのように。






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