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「お前、明日暇か?」
帰りのホームルームが終わり、帰り支度をしていた時、隣の席の高杉くんにそう聞かれて驚きを隠せなかった。
暇は暇なのだけど、ここで素直に暇だと言ったら何か断りにくいイベントに誘われるんじゃないかという懸念がある…。というかそもそも、わざわざ学校が休みの日に高杉くんと校外で会うなんてあり得る話なのだろうか。ここは一つ嘘をついて用事があると言うべきか…それとも、
「暇、です」
休みの日に高杉くんに会えるというシチュエーションに素直に喜んでみるべきか。迷っているうちに私の口から出た答えは後者だった。
「じゃあこれ」
そう言って差し出されたのは二枚のチケット。映画?と思いきやこれは舞台…お芝居っていうのかな?のチケットだった。
「どうしたのこれ」 「親が仕事関係で貰ったんだと。急だけど明日の公演だ。結構入手困難なチケットらしいぞ」 「…わ!だってこれ主演の人、テレビにもちょくちょく出てる俳優さんじゃん」 「あー、だな」
少し腰を屈めて私の方に顔を寄せチケットを覗いてきた。さらりとした黒髪が私の顔に少し触れてどきりとする。いつも隣の席に座っているけど、こんなにも距離が近くなったのは初めてだ。 そんな私に相反して、高杉くんは平常モードに見える。
「つーわけで、明日予定ないならこの公演行けるか?」 「うん…!行きたい、です」 「じゃあやるよ」
ドキドキが止まらない。 こんないい舞台を観れるチャンスにもドキドキするが、それよりも高杉くんと出掛けるということに私の心臓は高鳴っていた。なんだかこれ、デートみたいじゃない。どうしよう何着ていこう。生まれて初めて男の子とお出掛けするから、もう既に緊張し始めてしまう。
「た、高杉くん!」
スタスタと教室を出ていこうとする彼を追いかけた。いつもの、何の変哲もないいつもの高杉くんの表情でこちらに振り向いてくれた。
「あの、明日、何時に待ち合わせる?」 「え?」 「あっ、そっか、わざわざ待ち合わせなくても現地集合でいい、のか…」
浮かれてデート気分になった自分が恥ずかしい。じわりと脇汗が滲み出て来るのを感じた。
「いや、これ…俺も行くのか?」 「えっ?」 「二枚とも名字にあげたつもりなんだが」 「…あっ、えっ!?」
今度は脇汗どころか額からも汗が出てきた。そして顔がぶわっと赤くなるのが自分でも分かった。
てっきり一緒に行こうって誘ってもらったのかと…!やだ、なにこの勘違い。恥ずかしすぎる。本当に本当に穴があったら入ってもう一生出てきたくないぐらいだ。
「ごごごめん!私、なんか勘違いして……」 「あ、いや、俺も言い方悪かった」 「気にしないでね!ほんと。チケットありがとう。一人でじっくり観劇させてもらいます!」
高杉くんの顔が見れないままペコっと一礼して彼の前から走って逃げた。
やばい、もうほんとやばい。自分馬鹿じゃないの、恥ずかしすぎてもう月曜日どう言う顔して会えばいいの…!
できるかぎりの速さで下駄箱まで走り抜けた。震える手で自分の下駄箱からローファーを出して靴を履き替えようとしたとき、ガシッと手首を掴まれた。
「待て…お前足速ェな」 「たか、すぎくん…」
息を切らしながら走ってきたのは、紛れもなく高杉くんだった。私の顔は依然真っ赤なままなんだから追いかけてきてなんてほしくなかったのに。
「明日…13時に駅な」 「え?」 「この劇場の最寄駅だ」 「高杉くん…?」 「一人で観に行くぐらいなら一緒に行ってやる」 「あっ、あのほんと気にしないで…、私が変な勘違いしちゃっただけで」 「ほかに一緒に観に行く奴がいると思って二枚とも渡したんだ。いねぇなら俺も行く」 「…本当に?無理してない?」 「全くしてない」 「そう…じゃあ、是非」 「連絡先教えろ。明日落ち合えなくなったら困る」 「うん」
隣の席になって随分と話すようになったけど、そういえば連絡先なんて交換したことなかった。携帯に新しく登録された高杉晋助の文字に私の心は躍った。
「…ついでに一緒に帰るか?」 「うんっ」
目が眩むほど西日が強く差していたこの日、私たちは初めて一緒に下校した。
* * *
「そういえばね高杉くん。私今でも時々舞台観に行ってるんだ」
昼食を終えて会社に戻る道すがら、私は自分の趣味について彼に話してみた。
「へぇ…あの後からずっと?」 「そう、ハマっちゃって。ミュージカルもお芝居も、なんか日常では感じられない世界に浸れるのがすごく良くて」 「そういや俺と観に行った後もすげぇ興奮してたよな。鳥肌たったーとか何回も言って」 「ふふ、そうだったね。今でもどの舞台観に行っても鳥肌立つよ」
気づけばあれ以来、趣味は観劇だと人に言うほど沢山の舞台を観に行っていた。映画が趣味だと言う人は多いが舞台となるとあまりいなくて、結局いつも一人で観に行っているけど。一人だからこそ、あの世界観に浸れているからいいのだけど、でも誰とも感想を共有できないのはちょっと寂しかったりもする。
「そうか…じゃあ今度は名字が誘ってくれよ」 「え?」 「なんか良さそうな舞台のチケットとって、なんか観に行こうぜ」 「いいの?高杉くん舞台好きなの?」 「あれ以来行ってない。映画ならよく行くけど」
映画ならよく行くけど舞台は行かない。 幾度となく友人知人から言われたことある言葉だった。あまりにも聞き慣れた台詞だったから思わず吹き出してしまった。
「何がおかしい」 「ふふっ…なんでもない。じゃあチケットとったらまたお誘いさせてもらうね。…あ、連絡先は変わってない?」 「あぁ。お前も変わってないか?」 「うん。じゃあ決まったら連絡するね」
高杉くんと連絡をとったのなんて、在学中でも数える程しかなかった。卒業したら携帯から消してもいいぐらいの仲だったんだろうけど、そんなこと絶対にしたくなかった。今の会話の感じからして、高杉くんも私の連絡先消してないような気がして心が温かくなる。
「期待して待ってる」
その時、私の頭上に彼の手が優しく置かれた。そしてポンポンと二、三度優しく触れた。
心臓がギュッと摘まれそうなほど私の気持ちは動いた。こんなこと、高校の時もしてくれなかったのに。何で今になって、こんなこと…。
赤面しそうな自分の顔を片手で隠しながら、高杉くんの隣を歩いて会社に戻った。
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