――向日葵をそのまま描いたような髪が、揺れた。

 さびしいと思ったのはいつのことだっただろう。記憶の中には「さびしい」という形のままの唇も、自身を卑怯だと思ったことも、泣きそうに崩れそうな不安定なプログラムも、そのままに残っているというのに。いつだったのかという記憶だけ、消失していた。
 だからといって、その情報を手に入れてなにになるというのか。自身を再び卑怯だと蝕むプログラムが起動して、首を一度だけ左右に振るだけで終わった。

 ――さびしいと言われたのは、昨日のことだった。それは、確かにさびしいと唇が微動したわけでもなければ、さびしいと書かれたなにかを見たわけでもなく、ただ、その瞳がさびしいと揺れていた。それから、戸惑うように逸らされた。自意識過剰だと笑えることならばそれでよかった。自意識過剰だと笑って、どこかへ行ってしまいたかった。だけれどそう気持ちに決着をつけたとしても、他者の一言でそれらは全て未だ決着がついていないものへと巻き戻される。巻き戻された気持ちを、再び早送りしなければ。

 ――どうも、それらはどちらかを選択しなければならないらしい。




 不自然に、そして傍から見れば至って自然に、二体は肩を並べて作業をしていた。
 付箋には癖のある字で「運べ」とたった二文字だけが記されていて、無造作に置かれた二つのダンボール箱と熊とパンダのヌイグルミにその付箋が適当に貼りつけられている。それを読んで特に文句も言わずに二体は書かれた通りにそれらを運ぼうとしていた。

「……だめだよ、レン。俺にも、運ばせて」

 今にも消え入りそうなか細い声で、男が少年のほうに声を掛ける。
 男のほうは吸い込まれそうな黒髪に隻眼を不器用に巻かれた包帯で隠しているのが特徴的で、その腕には熊とパンダのヌイグルミが抱えられていた。時折ずり落ちそうになるそれを跳ねるようにして再び抱え直しつつ、少年のほうを鮮やかなラベンダーの瞳で窺うように見遣る。

 その一連の動作からか、レンと呼ばれた少年よりも幾分も大きい男のほうが幼く、どこか可愛らしく映った。また、比例するように少年のほうがどこかお兄さんのような風格を漂わせている。

「帯人だって運んでるじゃん、ヌイグルミ」

 それは、男の一言への返答へも反映されるようで、呆れまじりの溜め息と共にレンは口を開いた。


 ――ガラ、リ。それから会話を一方的にやめてしまうように古ぼけて劣化した扉を開いて、外気を吸い込み慣れたはずの埃を吐きだすように二体は何度か咳き込む。レンの光をいっぱいに吸い込んだ向日葵のような髪が太陽を喜ぶようにチカチカ光り、

「ヌイグルミは、重く、ないでしょ。でもそっちは、重い」
 珍しそうにレンの髪を覗き込む男はそのまま、会話を再開させた。

「帯人は重いもの運べないだろ。でも俺は運べる」

「俺のほうが年上、なのに。けちんぼう」

「うーるーさーい! 機械に年上も年下もありませんー」

「でも――機械だから、俺達、会えたよ」

 パンダの白い毛に肌触りを確かめるようにぼふぼふと顔を埋めながら、黒髪の男――帯人は猫のように笑んで、そんなことを言う。束の間、再び不自然が甦って。

「……そうだな」

 一言だけが、麗らかというには些か強すぎる陽射しの中に溶け込んでいった。

 ――それからは二人分の足音と、恐らく鳥であろうものの囀り、暑さに汗を拭う気をつけなければ聞こえないくらい微かな布が擦れる音、歩いてきた距離分上がる吐息だけが存在して、なんとなく帯人もレンも押し黙る。

 それは空気の中に若干の不穏が混じったこともあるが、
 ――レン、なんか、泣きそう、だ。
 帯人のほうは、どうやらそれだけで口を噤んだわけではないようだった。

 たとえば不機嫌に突き出された唇だとか、たとえば悲しそうに影を落とす瞳だとか。たとえばなにかを言いたそうに頻りに動く指の先、だとか。そういう僅かにこちらに訴えかけるような行動には、幾らでも思い当たる節がある。

 だけれどそれらを指摘する資格はないのだと、帯人は唇を噛んだ。それから、視線の先の目的地に座る人物に目を遣る。それは、帯人と同じ問題のあるロボットでもなければ、レンのような人気を博すロボットでもなく。


「おう、食うなよそれ! パンダ! 食べたら売りモンになんねえんだからな!」

 西澤頂(さいざわ いただき)という名の、この場では一人の。地球上には数え切れないほど蔓延る人間の、一人であった。

 ――空気を読んだのか、読んでいないのか。

 二体間に漂う不穏で不自然な、どこかピリピリとした雰囲気を破るようにして一人の男が数メートル先から言葉を投げてくる。

「く、食い、ません。そういうこと考えるから、西澤さんはばか、なんだ」

「なにー! 聞こえないんだけどお!」

「……」

 帯人が諦めを含む溜め息を吐いて、隣を見る。レンは暫く黙りこくり西澤の声に喫驚していたのだが、考えごとから強制的に覚まされたプログラムはすぐに反応して、

「パンダは元気でーす!」

 パンダを撫で上げながら叫ぶ。

「そうかそうか! ならいい! 大事に寵愛してやれ!」

「意味わかりません!」

「それでいい! いい子だレン!」

「すみません! 意味わかりません!」

「それでい――」

「うるさい、です」

 ――近くまで来たのに大きな声で喋るんだからこの人は。

 はあ。態とらしい溜め息を添えて言った言葉に、西澤はギロリと帯人に視線を遣る。いつものことだからあまり気にせずにぬいぐるみを運べと言われた通り運んだのだからと押しつけると、それを受け取ろうともせず西澤は鋭い視線を今度はレンのほうに遣った。

「レン、今日空いてるか」

「俺、西澤さんに襲われるのは嫌です」

「俺はホモじゃねえ」

「いやいや冗談やめてください」

「え、ぶっ壊されたい系なのレンきゅん」

「で、冗談と見せかけた本気の話はさておき、なんですか。残業とか俺嫌ですよ」

「帯人を綺麗にしてくれないか」

 ――は。




 帯人とレンは、ロボットである。また、ロボットでありながらロボットというよりも人間に近く、だからこそロボットであることをどこかで晒さなければならない存在でもある。たとえば、体の一部分に描かれる開発された順に捺される数字であるとか、シリアルナンバーであるとか、髪や瞳の突飛なカラーもロボットであることを表すために必要なものである。極微な機械音もその手のマニアには受けているし、特に気にしなければ気にならない上に開発の度に改良もされているからか今となってはそれでロボットか否かを判断するのは不可能、とまで言われているが、それでも当初はロボットと人間の境界線をはっきりとさせるものの一つであった。

 ――しかし、帯人はロボットでありながらその定義に一つだけ当て嵌まらない存在である。

 ロボットでありながら人間に近いのはもちろん、極微な機械音に腹部と首元に描かれる数字とばかみたいに長いシリアルナンバー。しかし、髪と瞳のみが突飛というには大人しく彩られている。それは帯人の前マスター、帯人の購入者に関係することだった。

 ――帯人は、元はKAITOという初期型のロボットである。

 機械音はじいじいと煩いし、声もロボットという域を越えていなかったがそれでも、大股で一歩大きく技術が進歩したことを伝えてくれる奇跡のロボットであるとマスメディアも興奮気味に報道した、女性型と男性型の今のロボットの前身とされるロボットがある。その、男性型のほうのKAITOというロボットが、帯人の元の姿だ。

 空中へと滑らかに曲線を描く指先、まるで生が宿っているかのように色づき囁き笑みをつくる唇、戸惑いがちに逸らされたり緩く細められる瞳、そしてなんといっても次々に浴びせられる質疑に対してするりと返ってくる言葉。そのどれもが奇跡と呼ぶのに相応しい完成度であった。

 それを誇るように、また、子の晴れ舞台を緊張気味に見守るように寄り添っていた開発者達の溌剌とした声も、どこか凛としたロボット達の姿も、何日にも渡って報道されていた。だからこそ帯人がイコールKAITOだとは、誰も気づきはしないだろう。

 帯人の黒の髪と紫の瞳、KAITOの空のような髪と瞳。それから改良版のダウンロードにより小さくなっている機械音。たった二つの違いだけで、帯人とKAITOという存在は大きく隔離されていた。また、改良により帯人の声はKAITOと比べるとどこかロボット離れしていて、人間により近いものへと技術は誇らしげに胸を張り人間が人間を造るために進化を続けている。

 ――ガ、ラ。
 先ほどとは違った温度の中で、レンが先ほどとまるで同じようにリビングの引き戸を横へとスライドさせる。こくりと帯人に気づかれないように固唾を呑んだ。

「……ねえ、帯人生きてる?」

「俺達は、最初っから生きてないよ」

「帯人はほんとに残酷なこと言うよね。あんま悲しいこと言わないでよ」

「だったら、レンだって悲しそうなそれ、やめて」

「却下」

「けちんぼう」

 唇を尖らせて物を言う帯人は、開発された時と同じように全裸に剥かれて申し訳程度に毛布が掛けられ、更にそれを隠すように三角座りで足を抱えている状態に目を瞑れば数時間前となにも変わっていないようにも見える。

 ――綺麗にしてくれないか、と西澤に言われてからは、耳を塞ぎたくなる現実を無理矢理に押しつけられただけだった。レンはその現実を、「はい」とだけ言って理解しようとするプログラムを停止させて帯人の手を取った。

 綺麗にしてくれないか、帯人はこれから引き取られるから。帯人とずっといれないのは最初から決まっていることだから。帯人とはお別れだから。帯人も幸せに過ごせよ。俺達のことはずうっとプログラムに刻みつけておけ。いつでも遊びに来いよな。

 ――いつでもはいつかに変わることを、レンは知っていた。だからこそ現実からは目を逸らしたし、帯人が引き取られることを逸早く感づいてもプログラムを冗談はやめてくれと笑った。だけど不安だけが纏わりついて、名前も知らない女の人が帯人と談笑している時にはじめてプログラムが大分前に吐き出したものが正答だったことに気づいた。しかし同時にそれは勘違いだと訂正するプログラムも急いで稼働させて。

 それから暫くは二つのプログラムが時々競り合って、だけど昨日、その訂正こそが間違えだったのだと半ば分かっていた答えを再び強く突きつけられて、西澤の言葉で訂正するプログラムはどこかへ消えてしまった。

 ――帯人とレンはロボットで、一度使用され各々の事情でリサイクルショップに引き取られた、売りものでもあった。

 だからこそ、いつかどちらかが売れる時を、また、自らが売れてまたどこかで自由に動いたり、唄ったり、走ったりできることを望んでいたはずだった。本当はその前の記憶を消してからでなくては売りものとして置いてはいけないのに、主に店長が一緒に生活すること、息子のようにいて欲しいことを望んでくれた時も嬉しかったけれど、だからこそアルバイトのような生活も楽しかったけど、それでも、いつかまた違う場所で唄うことを。

 お互い、いつからか望んではいなかった。


「行っちゃうんだよ」

「分かってるよ。帯人とはお別れだ」

「行っちゃう、んだって」

「……うん」

「行っちゃうから、髪、と目、綺麗にしてね」

「痛かったら、言えよ」

 ちんまりと赤いソファに座り込む帯人が、腕や唇を震わせながら頷く。震えているのは、恐怖からなのか悲しいからなのか、レンには分からなかった。

 それからエメラルドグリーンの瞳に焼きつけるように帯人の白い肌も、今は少しだけ潤む紫陽花とラベンダーの美しいところだけを切り取った隻眼も、ほんのりと色づく唇も、愛すように見つめた。ぱたりと糸が切れたように電源を一時的に切った帯人が膝へと顔を埋めた後も、そこに暗闇が存在するようにある毛髪がはらりと頬へ垂れた瞬間さえ、ただ、見つめた。

「……ねえ、帯人。生きて、ないよね」

 ――帯人は、KAITOという今のロボットから数えると初期型のロボットの色彩データを無理に変換させてつくられたロボットである。

 稀にバグにより髪色や瞳、肌の色までがパッケージに描かれた青い男とは全く違くなってしまうエラーが起きることもあるのだが、帯人はそれとは別に故意的に色を変えられてしまったロボットだった。

 そういう場合は特にファンやマニアに多くあり、また、そういった色彩データから性格までを弄る方法が書いてあるホームページも少し検索するだけで百万近くヒットする。しかし専門的なことを知らない者が弄れば大変なことになってしまうのも明白であるし、もちろん公的には勝手にプログラムを書き換えてしまったロボットはサポート対象外になると明記されている。それに、ロボットと人間との境界線を曖昧にする色彩は、開発者の意図とは全く食い違っていた。だからこそ、綺麗にしろと言われたのかもしれない。もしくは、引き取ると言った女が青い髪のほうがタイプなのかもしれない。

 ――綺麗にしろ、色を変えるだけでいいから。よろしくレン。

「まるで、今の帯人が汚いみたいじゃん。まあ、西澤さんアホだから、そういう言いかたしかできなかっただけだと思うけど。そういう些細なことで彼女に振られて、理由訊かれても彼女側はよく分からなくて生理的に無理とか言われちゃうんだろうな、ざまあ」


 返事の返って来ない独り言をただただ垂れ流しながら、帯人の頬に手を添えこちらに向かせ、するすると帯人の包帯を外していく。それから、一拍だけ置いてほう、と息を吐く。ロボットに対して人形のように、という形容を使うのはおかしいのかもしれないが、まるで人形のように、本当に美しかった。包帯で隠された瞼は薄い傷跡を残していたが、それすら美しく見えてしまう。まるで、一つのウイルスにいつの間にか掛かってしまっていたかのように帯人が美しい事実だけがプログラムから煩いほどに叩きだされた。


「こんなに、綺麗なのにね。今のままで、いいのに。どこがだめなの」

 駄々っ子のように言葉を紡いで、それから、

「どこが、だめなの。どこがだめなのかな。なんで、俺と帯人は一緒にいられないの」

 言葉を繰り返して繰り返して、本音を並べた。

 一緒にいちゃいけないことを、一緒にぬるま湯に浸かるように生活していては一生売りもののままなことも、知っていた。だけれど、自分が売れて他の場所へ行くことにレンは、もう意義を見つけられない。それが正解でないことも理解している。理解しなくてはいけないとプログラムはその言葉を何度も何度も叩きだす。理解しろ、理解しろと人間で言うところの理性が叫んでいるのを、必死に分かっているとかわす。

「ずっと、ずっといたいんだ。本当は、ずっといたい。でも、だめなんだって。だめなんだって。ねえ、帯人。行っちゃうんだよね? ねえ、帯人。ねえ、今だけ生きちゃ、だめだよ」

 ――帯人はかっこいいお兄ちゃんを焼きつけて、行って。本当はこんなにも醜いのを、感づかないままで行って。さようなら。


 冷気に冷まされたのか、低い温度のままで流れる涙で濡れる頬を悟られないように、唇だけを重ねた。帯人の唇は、生きていないことを証明するように冷たかった。けれど、再び涙腺を緩めさせるには最高の冷たさで、わなわなと震える唇に耐えられなくなって、もう一度泣いた。泣いて、それから崩れるように眠った。


 ――向日葵をそのまま描いたような髪が、揺れていた。起きたら、眼前で生きていることを証明するように、揺れていた。鏡に映るのは、電源を切った前のままでいる自分だった。黒い髪も、紫の瞳も、青くはなっていなかった。

 簡単な選択だ。このまま女のほうへ連絡をして欲しいと言えば、きっとレンとは一生会わなくてもいいし、新しい場所が、幸せが提供されるのだろう。巻き戻された気持ちも、無事早送りされて解決するだろう。ロボットなのに胸が痛んだり、涙が零れることもなくなるのだろう。きっと、プログラムが一秒ごとにそれが正解だと言ってくれるように、それが正解なのだろう。しかし、それを訂正しようとしている、自分がいる。

 いつか、さびしがりやな自分を笑って迎えてくれた、いつか、さびしいという一言を小さく頷いて受け止めてくれた、――それから、醜いカラスのような髪も、濁った紫の瞳も、なにも言わずに慈しむように見つめてくれた。それから、強がって辛いのに、まるで兄さんのように背伸びをしていてくれた、そんな鏡音レンと一緒にいたいと思っている、正解を無理矢理にでも修正してプログラムからの提案を拒否してでも一緒にいたいと思っている、自分がいる。


 心臓のあたりが強く痛むのも、こんな卑しい考えも全て、所詮はロボットの暴走だと笑われたとしても、暴走を止められるまで、少しだけ無意識を削除させて。


「行っちゃうんだよ、レン。でも、俺、行きたくない、んだ」


 なぜ行きたくないのかとプログラムに質問しても、教えてくれなかった。

 ――でも、きっと好きだからだ。一緒にいたいからだ。

 一拍置いて、先ほどまでは断定ばかりしていたプログラムが、今度は「きっと」ばかりで頭を埋め尽くしてくれる。だから、きっとそれが正解なのだろう。


「……あとで、店長と、西澤さん。それから、みんなに、一緒に謝って、ね」

 そうしたら、たくさん好きって伝えるね。

 ――きっとで埋め尽くされたプログラムの端のほうに、埃を被って見つけてもらうのを待っていた、すきという二文字を見つけた。




重要なプログラムが
破損していま






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きっとで埋め尽くされた頭の中は、とても心地がいいらしい。

20100513/ゆゆむら

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