「あー、腹減ったなあ」
 どさ、と私の隣に、大げさな音を立てて誰かが腰を下ろした。
 わざわざ確認しなくても解る、視界の隅に映る金色。私が反応しないでいると金色はずいずいと身を寄せてきた。
「……なんや」
「ん? おまえも食うか?」
 ほれ。
 彼は私にうまか棒を一本差し出した。二十歳にもなって、女の子に差し出すのが駄菓子なのか。彼は相変わらずだ。
「別にあたしは減ってへん。いらん」
「ちぇっ、相変わらず冷たいなァ」
「相変わらずなのはあんたや」
「あぁ?」
「やかまし」
 うまか棒を彼の方へ押し戻して、膝に顔を埋めた。俗に言う体育座りをしている私は、傍から見たら子供の様だろう。それは隣に居る眩しい金色から見ても、きっと同様だ。
「やっぱショックだったんか?」
「なにが」
「柔兄、結婚するんやで」
「別に、嬉しいし、めでたい思っとる、し」
「うん」
「二人とも、幸せそやったから」
「ん」
 言葉を続けることが出来なくなってしまった。隣の彼は、それくらいでこんなに参ってしまうなんて、と内心笑っているのかもしれない。
 だけど彼は優しい。
 大きい手で、私の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
 私達が座っているのは窓が解放された廊下で、そこは当然出張所の職員が通る。通りがかった人々は丸くなった私と、それを慰める金髪を見て、全てを悟ったように何も言わず通り過ぎて行った。
 外は雨だ。
「結婚式挙げるかはまだ決まってへんて」
「ん……」
「柔兄の羽織袴かっこええやろなあ」
「……せやな……」
「あぁ、白無垢だったら蝮よりおまえのが似合うかもしれん」
「ははっ、それ、慰めになってへん」
 思わず笑ってしまった。
 雨だし、湿っぽい空気だし、成人らしく慰めてくれるのかと思えばこれだ。変わらない。彼は変わらないのだ。妙に安心する自分に、少し驚いた。
「ほな何て言うたら良かったんや」
 少し拗ねた声が隣から飛んでくる。
 私は顔を上げて、前を向いた。何となく彼の方を向くことはできなかった。
「おまえは出張所一のべっぴんさんさかいにすぐに相手が見つかる、とか」
「あぁ?」
「ほんでも見つからんかったら、俺がもろてやる、とかな」
 ああ、駄目だ。
 隣にこいつが居るのに、視界が歪む。何日か前に見た、笑う柔造さんと、顔を赤くして怒る蝮さんの姿が嫌でも浮かんでしまう。
「……男やったらそれくらい言いよし、阿呆」
 これじゃあただの八つ当たりだ。申し訳ない、そんな言葉が頭に浮かんだが、考えてみれば私から彼への言葉はいつもこうだ。それを彼は華麗に受け流し、私と同じレベルの馬鹿な言葉を返す。
 それがいつもの私達。そしてそれは、こんな時でも変わらない。
「柔兄のこと本気やったんやなぁ、おまえ」
「なんやそれ……」
「いやま、気持ちは解るえ」
 あんなええ男近くに居たら、そらぁ惚れてまうわ。
 彼は、よしよし、と私の頭を撫でながら言った。
「別に惚れてへん。ただ憧れてただけや」
「あぁ? 憧れとっただけの男が結婚して誰が泣くねん」
「泣いてへんもん」
「泣いとるやろ、ほら」
 さっきまで私の頭を優しく撫でていた大きな手が、今度は強引に私の顔を両側から掴んだ。そして私の顔は強制的に彼の方へ向けられた。
 私と目が合った彼の顔は、むすぅ、と拗ねていて、こんなときなのに可愛いと思ってしまった。
「なん……離して」
「やー」
「なっ、なんやねん、あんたわてが何歳か分かってん!? きも!」
「はぁ!? きもいやと? どっちかっちゅうとかいらしいやろアホンダラ!」
「か、……かいらしくはない!」
「少なくともおまえよりは俺のがかいらしいわ!」
「ぶっ」
 思わず吹き出した。確かに顔の造形だけで言えば、私よりも目の前の金髪の方が随分整っているが、女と可愛らしさで競って勝ちたいのかこの男は。
「あははっ……あはは!」
「なに笑っとんねん馬鹿にしてんのか」
「別に馬鹿にはしてへんよ……確かに、金造はあたしよりかいらしいなぁ思て」
 気づいたら、私は、いつの間にか柔造さんのことを考えなくて済んでいて。蝮さんのことを考えなくて済んでいて、代わりに脳みそを占めるのは、唇を尖らせる金髪だ。
 金造は「やっぱり馬鹿にしてるやろ」とまだ言っている。その顔は誰がどう見ても、その辺に居る女よりはよっぽど愛らしい。
 少しだけ羨ましいと思った。こんな風に見目が良ければ幼馴染でも同僚でもなくとも、少しはあの人の視界に入ることができたんじゃないか、そんな意味のない馬鹿なことを思った。
「嘘やって」
「え?」
 金造は気付けばずっと私の頬に添えていた手で、そのまま私の頭を撫でて、言った。
「柔兄が気付かんかっただけや」
 私の目尻を親指で拭った。もう涙は乾いているのに。
「おまえはそれで十分かいらしい」
 驚いて目を見開いた。すると金造は照れたように顔を逸らした。少し頬が染まっている気がした。どう考えても金造のほうが可愛いと思った。
「……と、俺は思うんやけど」
 金造の垂れ目が私を覗き込む。
 どきどきした。
 柔造さんと同じ瞳だからじゃなくて。
 目の前の金髪がいつもと違うから。
「お、おおきに」
 こっちまで恥ずかしくなってきてしまい、俯いてそう言うのが精一杯だった。
 別に、「俺を好きになれ」と言われたわけではない。そもそも私はそんなに素早く心を切り替えられるほど器用ではない。でも確かに目の前の金髪が、金造が、今彼の持ち合わせているものをすべて使って私を慰めようとしてくれていることは、わかった。
 さく、と隣から音がした。見ると、金造が先刻私に差し出したうまか棒をかじっていた。
 先ほどのなんだか微妙な空気を誤魔化すためか、それかただ単に彼の中でこの話題が終わったのか……それは定かではないが、もう金造は私を見ていなかった。
「なんや、もうあたしへの慰めは終いなん?」
「ん? 食いたいんか」
「んー」
 金造が私の口へうまか棒を放り込む。
 口の中に人工的な濃い味が広がる。なんだか金造らしいな、と思った。
 柔造さんだったら。もうちょっと薄くて、でも後味が残るかんじかな。もし、柔造さんなら。
 もし。

「柔造さん」

 しとしとと、静かな雨の音の中に、私の声は解けて消えて行った。
 金造はこっちを見ない。ただ「ばーか」と言って、またさくりとうまか棒をかじった。

愛を知らない彼女のために


僕の知らない世界でさまに提出
素敵な企画に参加させていただきありがとうございました!
20121006