※長文です、ご注意ください 往来まで赤い布の掛かった腰掛をいくつも設えた、昼下がりの甘味処には、大勢の人が集まって居る。 仕事の昼休憩に来た者もあれば、仕事などせずだらだらと過ごすろくでなしもあった。 その人集に一人、この暑いのに、黒い上着をきっちりと着込んだ若い男と、男の隣には、男と同じ年頃の女が居た。女は長い黒髪を器用にまとめ上げ、動きやすそうな薄手の浴衣を楽に着付けている。茶を飲む女の姿は垢抜け、絵になってはいたが、その様子だけでは今にも破綻しそうな女の脆さを、隠しきれてはいなかった。 「こりゃやられちまったなァ」 張り合いのように二人の間に続いていた沈黙を先に破ったのは、褐色の髪を揺らす青年のほうだった。男は台詞とは裏腹に、のんびりと団子を咥え空を見ている。 「そりゃあ、どうも。此処まで逃げた甲斐があるってモンよ」 にやり、と歪んだ女の唇から、茶の滴が一粒垂れた。男の指が、煩わしそうにそれをぐい、と拭った。傍から見ればもしかすると、その姿はまるで恋人同士のようだったかもしれない。 しかし当然、この二人を結ぶ絆の名称は、そんなに柔らかい響きでは、ないのだった。 女は茶を飲み干し、湯呑みを腰掛に置いた。男はそれを見計らい口を開く。 「あんたァ、一体どうやって此処まで逃げて来たんでィ。協力者が居たようには見えなかったんだけどなァ、足跡追っかけても追っかけても、いっつも抜け殻ばっかりだ」 喋る途中に男も団子を食べ終わり、女の置いた湯呑みに、串をカランと放り込んだ。其の音には、確かに若干の苛立ちが見え隠れしていた。女は笑う。 「お国さんの犬が……お尋ねモンにそんなこと聞いても良いのかい?」 男は眉を顰め、チィ、と舌打ちをした。この女の前に、大人ぶることも止めたようである。 「ウチの自慢の監察があんたを見つけられなかったんでィ、もう、そりゃあ、逐電の手練なんだろうと思ってなァ」 「そりゃ、光栄だね」 しし、と女が下品に笑った。 「その監察って奴、あたしぁ何回も見たよ。別段、そいつが愚鈍な訳じゃあないさ。ただあたしとそいつじゃ経験した修羅場が、違うってだけのお話よォ」 「修羅場……ねェ」 女は、手持無沙汰に動かしていた手にいつの間にか財布をくるくると弄んでいた。勿論其れは隣の客のものである。そしてこの女は、十年間捕まらなかった、お尋ね者の大泥棒だ。隙有らば金に目が行き、掏ってしまうのである。 男は、それを見、はあとため息を吐いた。 「経験の差と言っても、あんたは俺とおんなじくらいの年頃に見えるがねェ」 「へェ…………?」 女の唇が、また歪んだ。化粧っ気のない顔で、唯一紅の塗られた真っ赤な唇は、見る者の視線を自然と奪った。それは、隣で空を見ていた青年も、例外ではない。 女は問うた。 「あんたらがあたしの足跡を最後に見つけ出したのは、何処だい?」 にやあ、と今度は瞳が歪む。それはそれは、いやらしい、狐のような笑みであった。 「吉原の遊郭」 男は顔色変えず、ただ質問に答えた。 「偶然あんたの上客にウチのお偉いさんが居たんでさァ」 「ああ、知っているよ。あの、変な名前をした大男だろう。たくさん金を撒いてってくれたから、あたしぁ好きだったよ」 「多分合ってまさァ、で、それが?」 にじりと、女が男に身を寄せた。ふ、と触れた女の腰のあまりの細さに、青年は目を見開いた。 「あたしぁそれで、七回目さ」 「あ?」 「七、回、目」 「なにが?」 「だから、このあたしが、さァ」 男は訳が分からないと、眉間の皺を濃くした。女は、またまた、嗤う。しかしその笑みはどこか先刻より力無く、なんとなく、顔が蒼くなったような気もした。男は更に、疑問符を浮かべる他なかった。 「死んで、また違うあたしを始めて、そしてまた死んで、繰り返しさ。あんたは知らないだろうがね、そうさ、薬を飲めば一発だよ。あたしぁ、人間じゃないのさ」 女は目を閉じ、薄く開いた。ハアハアと、息が荒くなり、先程まで嫌というほど意志の強かった瞳は、灰色に濁っていた。 男は口を開き、また閉じた。そしてしばらくして、また開いた。 「あんたそりゃァ、ただの非合法の麻薬でさ」 「いいや、違うね、聞いていたかィ? あたしぁ、人間じゃあ、ないのさ」 女は小刻みに震えだした腕を何とか懐へと動かし、数枚の紙切れを出した。其れを男の胸へ、乱暴に押し付けた。乱暴と言えども、すでに女の身体からは力が抜けており、男の身体には、なんの害もなかった。 「寿命だよ。いやァ、こんなふうに生きていなかったら、きっと何百年も先だっただろうがね……」 確かに女の言う通り、女は今にも死にそうであった。しかし、体はそうであるのに、声だけは確固たる強さを持って喋るものだから、男は少し戸惑った。 「それで、……あんたは、此処に死にに来たんで?」 「ああ、そうだね、死にに来たのさ」 「どうして此処に?」 「どうしてと聞かれてもねェ……」 ついに女の身体が、がくんと力を失い、男の身体へと倒れ込んだ。表情が解らなくなった。男は何となく、女の黒い髪へ手をやった。それに女が薄く笑ったことは、彼が知る由は無い。 「あんたみたいな綺麗な男に、看取られたかったのかもしれないねェ」 「は、そりゃ、光栄でさァ」 「ははッ、」 げほげほと、女が咳き込む音が、男の背後に響く。周りの客はなんだなんだと集まったが、なにやら只ならぬ男女二人の雰囲気に、誰も手を出せずにいた。 「あたしぁ江戸に名を残す大泥棒さ、お廻りさんに捕まったなんて悪評残したくないがね…………、あんたが男前だから、こりゃああんたへのサービスだよ」 ぐしゃ、と男の胸に押し付けられた紙の音がする。 「あたしにとっちゃ、このお江戸は庭みたいなモンさ。いつも空から作りモンの街を唄いながら飛び回る、そんな感じだよ。あんたに、解るかねェ……」 げほ、とまた嫌な咳の音がした。今度こそ、女の口からは濁った色の血液がこぽこぽと流れ出す。普通の人間ならとっくに死んでいるような量だ。男の黒い上着にそれは染み込み、赤い腰掛の布はじわじわと紅蓮に染まっていった。しかし女にはまだ息がある。 そして男の耳元で、枯れた声で呟いた。 「さいなら、沖田、総悟」 がくん、と更に女の頭が下がり、ついに女は心臓を止めた。 沖田総悟は、しばらく女の頭を抱えながら、女の赤い赤い血に塗れながら、呆然としていた。 女が死んでから、三日が経った。 真選組という組織の中で、彼、沖田総悟は当然、厄介な大泥棒を引っ立てた、大手柄を手にしたのだった。加えて血濡れの数枚の紙切れは、女が長年の泥棒人生で作り上げた江戸の地図だった。ただの地図ではない、狙った億万長者の住処、金の在り処、泥棒仲間の盗みのやりかた。いろんなことが書いてあった。女が飲んでいた薬の大元であろう天人の情報も、然りである。 泥棒を何人もお釈迦に出来るだけでなく、麻薬の大元を特定出来たことが、今回沖田総悟にとっての最も大きな功績だった。珍しく、ヘビースモーカーの上司が彼に賛辞の言葉を贈ったほどである。 「それにしても沖田さんは、なんつーかさすがですね」 「あ? なにが?」 「俺……ずっと追いかけてたのに捕まえらんなかったじゃないですか、あのコソ泥」 「ああ……」 沖田は、お決まりの赤いアイマスクをずらした。 仕事をさぼり、監察──山崎退の部屋で彼がせっせと仕事をするのを眺めるのがここ最近の沖田の趣味であった。 「てゆうか、人間じゃなかったんでしょ? 何百年も生きられる天人が泥棒の為に死ぬなんて、なんだか不思議ですよね」 「んー……」 「どうして沖田さんに逢いに来たんでしょうかね」 沖田はアイマスクを戻し、昼寝の体勢になった。山崎はそれに苦笑するが、言及することはなかった。 「なんなんだろなァ」 「え?」 「あの女、死ぬ直前に俺の名前を言ったんでィ。なんで泥棒の天人が俺の名前なんか」 「へェ、そりゃ貴方、一応警察のトップスリーなんですから泥棒だったら名前ぐらい知ってるんじゃないですか」 「……そういうモンかねェ」 「そうじゃないですか」 沖田は山崎に背を向けるように寝返りを打った。喋っている間も、山崎の手は書類にサインし、判子を押し、と常に動いている。山崎が数枚書類を処理したところで、動作を止めた。 「あ、それかもしかしたら、」 「あァ?」 「元から沖田さんに惚れてたんじゃないですか?」 「……はァ?」 「ほら沖田さんて、顔だけは良いですから」 「…………」 「あれ否定しないんですか」 「さァな」 寝る。 そう呟き、沖田はアイマスクの下で瞳を閉じた。 山崎は、勝手な人だなァと溜息を吐き、また書類に目を戻した。沖田の所為で彼に回ってくる始末書は尋常でない量で、ちょっとやそっとの時間では処理できそうもない。 ──お江戸はあたしの庭みたいなモンさ。 死んだ女の、枯れそうな声が反芻される。 この広いお江戸で、十年間立派に泥棒を演った彼女を、甘味処から空を見上げる度に思い出してしまうのだろうなァ、と沖田は思った。 唄いながらぴょんぴょんと身軽に跳ね、広いお江戸をまるでジオラマのようにして、大金を簡単に掻っ攫っていった彼女を。 おわり。 曰はく、さま提出 素敵な企画をありがとうございます そしてわかりにくくすみません、泥棒は沖田くんのことが、昔から好きだったのです 恋の力はすごいということです |