ふわふわと覚束ない意識の中で、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「エレ……イェ……ガー?」
 たどたどしく、ぶつ切りにしか聞き取れないが、それは間違いなく俺の名前だった。
 柔らかくて、優しいその声は、俺に語りかけるのをやめない。目を開こうとすると前髪が撫でられて、目元にキスされた。それがなんだか母親のようで安心して、俺はまた、目を閉じた。


「…………っ!!?」
 自分でも眩暈がするくらいに、物凄い勢いでがば、と体を起こした。目覚めたばかりだというのに冷や汗が背筋を流れる。
「ここは……」
 目の前には、太く頑丈そうな檻が見える。周りは火の明かり以外真っ暗で、冷たい隙間風が吹いていることから、ここは恐らく地下なのであろう。……そして、俺を閉じ込める牢屋なんだ。
 目覚める前の記憶が無い。確か俺は、巨大岩で壁の穴を塞いで、最後に、自由の翼が見えて、……それから。
「……何にも覚えてねえ」
「……エレン?」
「っ!!?」
 独り言を呟くと、小さな女の声が俺の名を呼んだ。情けなくも思わずすくみ上ってしまい、周囲を見渡した。が、誰も居ない。なんだ、幽霊でも居るのか此処は。
「エレン……、此処、エレン、の、下」
「え、」
 言われた通り下を向いた。ベッドの右側に、小柄な女の子がもたれ掛って笑っていた。しかも状況が把握できず気付かなかったが彼女は俺の右手を両手で包み込んでいた。
「えっ? ちょ……あの、あなたは……」
 少女は答えずににへらと笑った。髪はミカサと同じような綺麗な黒髪で、長い。胸の下くらいまであるだろうか。凹凸の少ない貌も、どことなくミカサに似ているような気がする。彼女の雰囲気から察するに、危害を加えてくる様子は無さそうだ。
「飲む?」
「え?」
「……水、飲む?」
 彼女はきこちない口調でいった。どうやら水をくれるらしい。喉は乾いていたので頷くと、彼女は嬉しそうに、まってて、と隣の牢への抜け穴を通って行った。そんな抜け穴あったのか。
 少女の話し方はとにかくぎこちなかった。ただこの壁の中で言葉がわからないなんてことがあるはずがない。人間はすべて、同じ言語で会話しているのだから。となると、障害があるのだろうか。いや、そんなこと以前に彼女は何故俺の独房の中に居るのだろう。
「エレン、水、……もってきた、よ!」
 少女は戻ってきて、はい! と嬉しそうに俺にコップを差し出した。何故終始嬉しそうなのだろう。不思議だ。ありがとう、と受け取ると、彼女は俺が目覚めた時に居た位置に戻り、床に座り込み、ベッドの側面に身体をもたれた。……って、床って。男の俺がベッドに寝て、女の子を床に座らせるとは(しかも水をくれた女の子だ)。
 いやしかし、俺は手錠で繋がれているので動けない。彼女にこちらに寄ってもらうことも可能だが、記憶する限り俺は巨人に成ってから今までシャワーを浴びてないわけで……まあ、嫌だろうな。申し訳ないと思いつつも何も言わずに、ありがたく水を頂いた。
「エレン、おいしい?」
 相変わらず、少女は地下牢にそぐわない可愛らしい笑顔を浮かべ聞いてくる。
「ああ、ありがとう……」
「よかっ、た」
 おかしい。簡単な単語でも、つっかえたり、発音が少しおかしかったり。彼女はやはり言葉を完全に理解していないのだ。
 そろそろ、彼女が一体何者なのかを質問する必要があるだろう。
「なあ……あの、あなたは、……誰ですか?」
 自分でも馬鹿すぎる質問だと思った。これでは答えにくいだろう。
「いや……えーと……名前は?」
 解り易い質問に変えてみた。彼女はまたしても、にこ、と笑う。
「レナ」
「……レナ……」
 繰り返すと、少女──レナは俺の手をぎゅ、と握った。なんだこれ、照れる。そして、手を離したと思ったら軽くハグをして、俺の頬にキスをした。
「え……!? ちょ、」
「エレン、よろしく、ね」
 ……これは一体どこの世界の挨拶なんだ。大体俺は最低一日はシャワーを浴びてないわけで、いやそれ以前に初対面の女の子がこんな……とかぐるぐる考えているとレナは不安そうな表情になってしまった。きっと嫌がられたと思ったのだろう。それは断じて違う。
「レナ、よろしく……、」
 恥を忍んで、彼女と全く同じように身体を寄せて(手錠の所為でハグは出来なかった)、頬に軽くキスをした。この状況下でもレナが良い匂いだな、とか思った自分を殴りたい。
「うん、エレン、」
 どうやら俺の行動はレナを喜ばせてしまったらしい。彼女はちゅ、ちゅ、と俺の顔にとにかくキスしまくった。いやいやいやこれおかしいだろ。この子どんな教育受けてきたの? 顔が熱くなっている気がするが完全に不可抗力である。
 そこで、レナが何度も俺の名を呼ぶことに気付いた。俺は名乗っていないにも関わらず。
「レナ、おまえ、どうして俺の名前を知ってるんだ?」
「あ、……それは、エルヴィン、が、私に」
 エルヴィン?
 エルヴィンとは、調査兵団団長のあのエルヴィン・スミスのことだろうか。彼女は一体何故エルヴィン団長を呼び捨てにしているのだろう。
「私……も……エレンと同じ。隣の、部屋に、いる」
「それってつまり」
 囚人扱いということか。レナは頷いた。こんな細い身体の非力そうな彼女が、地下牢に閉じ込められている理由は想像も出来ない。兵団の金庫から現ナマをちょろまかしたとか……エルヴィン団長を絆して地位を手に入れようとしたとか……いや、現実味が無さ過ぎる。
「エレン……、は、きっと、すぐに、出られる」
「え……」
「大丈夫……だよ」
「レナ……」
「だって、エレン、は……わるくない」
 きっとレナは、俺については何も知らないはずだ。だけど、地下牢に監禁されている俺を励まそうと、こう言ってくれているだけなのだ。
 わかっていても、俺の手を包み込むレナの手と、レナの声のあたたかさが、うれしかった。思わずレナの頭を撫でると、彼女は恥ずかしそうに笑った。





ヒロインがエレンにチューしまくった理由=海外ドラマではみんなやってるから
2013-08-10