※3Z設定

 わたしはこの春高校3年生になってしまった。いや、この春といっても今は既に12月で、8か月も前のことである。この時期にもなると、忌々しき模擬試験というものももう数回目を迎え、我々受験生の成績推移は実に解り易く折れ線グラフで可視化されてしまう。言うまでもないが、その結果私の成績は散々なものだった。女の子にしては少数派に、私の脳みそはどうやらどちらかというと理数系を得意としているらしい。数学、物理の成績はまあまあ、人並み。それに比べ現代文、古典、英語の成績はもう見るも無残なものだった。古文と英語はともかく、日本人なのになぜ現代文が出来ないのかは、私自身も判らないところである。
「である……じゃねーよ、お前」
「だってわかんないもん」
「もん、じゃねーよ、可愛くねえよ別に」
「先生ひどい」
「いいから現実を見ろ」
 先生はそう言って、12月の模試の結果をずい、と私の眼前に突き付けた。しっかりと瞳に映るのは、綺麗な右肩下がりのカクカクとした弧を描く折れ線。元も良くなかったというのに、まあ見事に急降下するものだ。
「あとここね、ここ見てここ」
 折りたたまれていた成績の紙は開かれ、反対側が露わになった。先生は判定結果の枠を指でとんとんと示した。そこに、黒いインクで確かに印刷されているアルファベットは、Dがひとつ、Eがふたつ、そして最後にCがひとつ。みなさんお判りだろうが、勿論良い結果であるはずがない。
「うん見えてる」
「あー良かった。先生レナちゃんの目が見えてないかと思ってたわ」
「まあ……昨日までは見えてなかった」
「だろーな」
「これってどのくらいヤバイの? 先生」
「まあなあ……大体E判定D判定の大学に合格できる奴はそうそういないと思う、いや、いないな、断言する」
「Cは?」
「レナちゃん、君がC判定だった大学の偏差値は40だからね」
「……40ってどのくらい?」
「君の脳みそよりちょっと良いくらいだよ」
「じゃあ結構、いいってこと」
「世間的には下の中だよレナちゃん」
「……わかってますよーう」
 机に突っ伏した。普段からやる気がなく、死んだ魚のような先生の瞳が、眼鏡越しにだんだんと呆れたものに変わってゆくのを見ていられなくなったからだ。先生の担当するZ組も、私に負けず劣らず問題児(成績的に)が集まっていると思っていたが、成績的にはそうでもないようだ。なんせ、担任ではなく現代文担当教師が直々に私を呼び出したのである。現代文の成績が、兎に角駄目ということだろう。
「志望校とか、ある?」
 ふいに先生の低い声が響く。今まで模試に書いていた志望校は、偏差値的にまだマシだろうと予想された、というだけで、別に行きたいと思っているわけではなかった。
「べつに……」
「何だお前。エリカ様か」
「べつにー……」
「ほらほら、項垂れんな」
 先生の指がこんこんと机を叩く。私はのっそりと頭を上げた。
「でも大学行きたいんだろ?」
 頷いた。
「じゃあお前、ここ、頑張って目指そうよ」
 先生の指が、C判定の大学を指差す。頷いた。先生は小さく、よし、偉い、と言った。全く、私をその気にするのがうまい先生だ。


 あっという間に時が過ぎた。2月になって、センター試験は終わった。学校に行かなくなった。入学してから毎日毎日、行きたくない行きたくないと思いながら登校した。だけど何故だろう。登校しなくても良くなった途端、こんなにも学校に行きたくなるのだ。
 どうして? 先生。
 あなたの顔が見られなくなったからかなあ。



「おー、レナちゃん、久しぶりだなァ」
 先生は相変わらずだらしない感じで、タバコを咥えていた。結局ずっとレロレロキャンディとか言い張っているけど、それは誰がどう見てもタバコでしかない。本当にいい加減な先生。
「先生、仮にも、校内で喫煙は良くないと思います」
「お前喫煙なんて単語知ってたの?」
「馬鹿にしてる?」
「してねーって。で? どーだったの」
 先生は結果を知っているような顔で質問した。そりゃそうだ、担任の先生には報告したもの。当然、甲斐甲斐しく私の成績のお世話をしてくれた先生にも情報は横流しされるだろう。というか、職員室会議とかで、公開されているのかもしれない。「竜宮はあんとか浪人を逃れました」って。
「第一志望に受かったよ」
「よかったな、ほんと」
 大きな手が私の頭をよしよしと撫でた。こんな大サービス、在校中これきりだろう。知っていただろうに、先生の表情はとても嬉しそうだった。
あの日から第一志望になった、C判定の大学に私は辛うじて合格した。恐らく、合格最低点として来年度から赤本に載ることはほぼ間違いないだろう。合否は、自分でも発表のその時までわからなかった。
「もうお前が『ここわかんなーい』って質問に来ることもないんだなァ」
「……そう」
「寂しくなるな」
 先生はしみじみしている。先生は先生だから、3年ごとにしみじみしているに違いない。だけど今は、先生が寂しいと感じてくれている事実がただ嬉しかった。
「先生、聞きたいことまだあるよ」
「あー?」
「…………なんでもない」
「なんだよ、最後までよくわかんない子だな」
「ちょっとくらいミステリアスなほうがいいでしょ?」
「お前のそれはミステリアスじゃなくて阿呆だわ」
「うるさいな! もう!」
「怒んなって」
 きっと先生のこの汚い部屋で、二人きりで話すことももう最後なのだと思う。その最後が今で、そして先生の笑顔が見られたから、私は満足だった。
 「ありがとう」は言えたけど、「さようなら」は言えなかった。絶対に泣いてしまうことが分かっていたからだ。そうなると先生は優しいから困ってしまって、きっと慰めてくれるだろう。でも私が求めているのはそれではなかった。
 先生。私、まだ女子高生でいたいよ。




BGM♪相対性理想-地獄先生
「受験戦争 もう負けそう」にウェイトを置きすぎました。そしてかなり歌詞をそのままパクりました。
ちょっと気になった方は是非聞いてみてください!実に創作意欲の湧く楽曲です!
2013-09-21